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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第一章 落とし子でした
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街道沿い(1)


 クラングランの脳裏には涙と血の飛び散ったクシャドの泣き顔が焼き付いていた。


 まだ世慣れているとはいえない年齢だというのに、自分は慢心していたのだろう。そう思わざるを得ない出来事だった。


 そもそもがクシャドは会った時から怪しいところが多分にあったのだ。

 自分たちが詮索をされたくなかったため、余計なことを聞かない彼の態度を心地よく思ってしまっていた。それは、彼も同じように詮索されたくないからこその態度だと思っていた。

 けれど、彼は何も聞いていないのにクラングランとリュシュカがどこかに向かっているのを知っているようだった。たまに、リュシュカを見てからクラングランを確認するような視線も、不自然ではあった。


 ところどころ感じるわずかな違和感を見なかったことにして、信じたくなってしまった。それは、自分の弱さだ。


 けれど、彼の体にはたくさんの傷があった。名字がなく、見世物小屋にいたという彼が人並みに幸福な生い立ちを持っていたとも思わない。たどたどしく話し、ふとしたことですぐ笑ってしまう彼は体が大きいのに攻撃性がなく、根っこにあるものは無邪気で、嘘を感じさせない人格だった。


 だから何を言えばいいのかわからず、黙り込んでしまっていた。


 隣にいたリュシュカがぽつりと呟くようにこぼす。


「クシャド……辛かっただろうね」


 その言葉に、ずっと締め付けられていた心がふわりと救われた。


 リュシュカはクシャドに裏切られたことはまったく気にしておらず、彼の心情を思っていた。

 クラングランにしても、向けられた錆びついた刃を泣きながら硬い腕で受け止めた彼を憎む気持ちは微塵もない。


 だからクラングランはリュシュカが彼を責める言葉を吐かないことに安堵していた。少しでもそれを言われていたら、きっと傷ついていた。


 考え込んでいるクラングランをちらりと覗き込んだリュシュカが言う。


「クラングラン……元気出してね」

「……ああ」


「楽しかったよね」

「……うん」


 彼女もまた、嘘のないまっすぐな人格を宿している。クラングランはきっと彼女がいなければ、もっと自分の甘さ、ふがいなさ、そんなものに苛まれていただろう。


 リュシュカはきっと、自分たちに見る目がなかったのだとは思っていない。きっと二人ともクシャドの持つ本質のほうを感じていたから、彼を信じたのだ。それは今でも間違っていなかったと思っている。


「クシャド、セシフィールに来るといいね」


「……ああ。そう思う」


 彼女と話していると、彼には事情があったものの、やはり友達だった。それでよかったのだと、そう思わされる。リュシュカの向けてくる飾りのない感情はまっすぐで、少しもためらいがなく、気持ちがよかった。


 リュシュカが強い人間だという認識は出会ってからずっと深まっている。

 彼女は魔力を持ちながらそれを使えないと言った。

 あの時から思っていた。本人の意識では単に“使えない“のかもしれないが、そもそも本心では“使いたくない“のではないかと。だとしたら、それは力を持ったとしても人を傷つけないという、強さでもある。


「あ、クラングラン、こっち行くよね? こっちのが、人目につかないし、でも、襲撃には向かない」


「あ、ああ……」


 最初の頃こそクラングランの行動に文句ばかり言っていたリュシュカだったが、クラングランの選ぶ道とその指針がわかるようになるとそれは格段に減っていた。それどころか、先んじて察するようになっている。

 リュシュカは自分の行ける道、行けない道をしっかり把握していて、クラングランの補助があれば行ける時にはそう言うようにもなった。


 リュシュカは一見馬鹿っぽくてへらへらしているが、芯には聡明さがある。それに、感情的ではあるが、しっかりとした正義感も宿している。

 リュシュカは彼と比べればできないことも多い。けれども不思議と行動していて足を引っ張られているという感覚は薄い。



   ***



 その日は久しぶりの野営だった。

 一日ずっと歩き通しだったため、疲れていたのだろう。リュシュカは食事をとるとすぐに横になり、小さな寝息を立て始める。


 クラングランも眠ろうと横になった。


 野営中の眠りは浅い。

 ふと、自分の体に何かが触れる感触があり、ぱっと意識が覚醒する。体のすぐ横に置いてある剣、その柄に手を伸ばす。


 しかし、体に触れたものはなんのことはない。リュシュカの手だった。リュシュカはクラングランの服の胸のあたりを軽く握っている。

 少し離れたところにいたはずの彼女はいつの間にかすぐ隣にいて身を丸めている。


 旅の間は疲れと緊張で体が常に昂っている。

 そんな時に接触されると性的興奮を喚起されやすい。心情的にはあまり居心地のいいものではなかった。


 そっと離れようとしたが、リュシュカは小さく唸りながらさらに身を寄せてきた。

 せっかく眠っているところを起こすのもしのびなく、クラングランは小さなため息を吐いて、リュシュカの髪を軽く撫でた。


「ん……爺ちゃん?」


 リュシュカがうっすらと目を開ける。


「……クラングランか」


 リュシュカは呟くように言って、じっと見つめてきた。それからふわりと笑う。


「ありがとう」


 リュシュカはそれだけ言うと、またふつりと寝てしまう。


 つくづく、リュシュカは不思議な育ち方をしている娘だ。


 ゾマドはもしかしたら彼女の成人まではなんとか生きるつもりだったのかもしれないが、それでもいつの日かこうなることを予測していた。


 だから彼女の持つ飲み込みの速さ、決断力、正義感、自由さ、器用さ、そういったものが全て、彼の手によって丁寧に彼女自身に教育されている。遺書なんてものはきっとさほど重要ではない。大事なものはすべて彼女自身に刻まれている。


 そして、ゾマドの教育や王の血などとは無関係にある、彼女自身の持つ空気感は一緒にいると緊張をほどかれてしまうものだ。クシャドとだって、正直なところ彼女が一緒にいたから仲良くなれた。


 リュシュカは気取らずにおいしいものをおいしいと言って喜び、頭に来たら怒る。笑いたい時は笑う。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

 その素直さは人と対する時にも、清々しいまでに発揮されている。彼女は身分や肩書を無視して、その人そのものを見て好きになったり嫌いになったりしている。リュシュカは誰かが発して決めた価値に囚われない。そして時に、肩書きやイメージに囚われて多くが気づかないようなクラングランの顔を見つけ出してもくる。


 リュシュカとは気がつくと対等に話すことができていて、自分で見たことのないほど自分が自然に過ごせているのを感じていた。

 彼女といることで知った、隠されていた自分の顔は多い。彼女のいろんな顔を見るたびに忘れていた感覚、新しい感情も呼び起こされる。


 クラングランは国では頼りない父親と、おっとりと浮世離れした母、生真面目なわりに甘えたな妹、旧体制ぜんとした家臣やそそっかしい従者などに囲まれていた。

 そういった環境で自然と他者を牽引し、自分が冷静でなければならないと育っていた。

 もちろん適度に息は抜かせてもらっていたが、国では気を張っていることが多い。

 だから自分は勝手に責任を背負い込むことで、無意識に他者を見下していたかもしれない。彼女と会ってそんなことにも気づかされた。


 クラングランの中にある、リュシュカに対するそれは、ベタついた愛着やギラギラした欲望とも何か違う。

 ただ確実にそこにじんわりと何かがあって、一緒にいることに心地よさを感じてしまっている。


 自分の生きる環境ではこの先きっと、こういう相手と会えることはまずないだろう。胸の中にはそんな予感がしっかりと息づいている。




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