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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第一章 落とし子でした
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海の見える街(3)


「クラングラアァン!」


 夕方過ぎに宿の受付に今日の分の支払いに行っていたリュシュカは興奮気味に部屋の扉を開ける。


「ひゃっ……」


 中ではクラングランが上裸で着替えていたので、勢いよく閉めた。

 着替えを終えたクラングランが扉を開けた時、リュシュカは廊下で顔を押さえてうずくまっていた。


「本当に……妙なとこだけ免疫ないよな」


 リュシュカは爺ちゃんの秘蔵のアレやコレ、それから旅していた時に得た情報で、男女関係の下世話なそれにはそこそこ詳しい。どうでもいい他人の性的なネタはバンバン言えるし、聞ける。今まで他人の性や性欲を、自分は関係ないといわんばかりに離れた場所から、どこかバカにして生きてきていた。

 クラングランに対しても、普段は性別をさほど意識していない。抱き合ったこともあるが、あれは人間としてというか、ほとんど動物としての感覚だった。


 けれどたまに、突然クラングランが“異性“に見えて、それを意識してしまう瞬間がある。そういう時のクラングランはすごく男性で、ふわっとした当てられそうな色気がある。

 リュシュカは気づいていた。

 それは自分がクラングランを性的な、いやらしい目で見ているからそう感じるのだ。

 ずっとバカにしていた他人の性欲。それがふとした時に自分の中にもあるのを感じてしまうと、猛烈に戸惑ってしまう。そこから逃げ出したくなる。


 さっき見た彼の上裸はまだ頭に焼き付いている。早く忘れて頭を切り替えなくては。


 クラングランはぽかんとした顔でリュシュカを覗き込んでいる。


「も、もう着た?」


「見ればわかるだろ……」


 部屋に入ったリュシュカはようやくさっき言おうとしていたことを思い出す。


「そうだ、あのさ、今夜ちょうどお祭があるんだって! 見にいこう!」


「祭り? さすがに夜出歩くのは危険じゃないのか?」


「へへ。そう言うと思ってた。これ、もらってきたんだ」


 さっき宿の主人がくれた。顔の上半分を覆う赤と黒の仮面だ。どことなく炎を連想させる形状のそれは今晩の祭りでは多くの人がつけるそうだ。


 クラングランは仮面を手に取ってすぐに言う。


「……目元が隠れるな」


「そうなんだよ! ねえねえ! 今晩まではここに泊まるんだし、一緒に見にいくでしょ? 海の神様を喜ばせる感謝祭で、仮装行列とか、歌とか踊りとか、出店とか色々あるんだって!」


「……まぁ、お前をひとりにするとあとが面倒だからな。一緒に行くよ」


「あははっ、本当は見たかったくせに!」


 リュシュカがそう言って笑うと、クラングランは少しだけぽかんとしていたが、ふいに破顔した。


「ん? どしたの?」


「お前といると調子が狂う」


 クラングランは突然何がツボに入ったのかくすくす笑っている。笑いながらボソッと何かこぼす。


「なになに?」


「そうかもな、って言ったんだ。俺も、見てみたい」


 クラングランは一見大人びているし能力的にも大人顔負けだ。だからもしかしたら国には彼を年齢相応の若者として扱う者はあまりいなかったのかもしれない。お祭りを見たい、そんな無邪気な感情を彼に見出す人はもしかしたら、なかなかいなかった。


「楽しみだねえ」


「ああ」


 珍しく素直だなぁ、と思ったけれど余計なことを言うとまた可愛くなくなりそうなので黙って可愛いままにしておいた。



 夜の帳が下りた頃、二人は仮面を着けて宿を出た。


 夜の空気はすでにどこか浮ついていた。

 それはきっと人々のざわめきだったり、祭りの名物である炭火焼きの羊肉の匂いや、そんなものたちのせいだろう。


 太い通りに出ると、仮装した人々が行進していた。

 老人の顔にも、赤ん坊の顔にも、巨漢の男にも、ほっそりした女性にも、皆仮面がついていて、どこか異様なのに、楽しさに溢れている。


「いい匂い。ねー、あれ買う」


「ああ、食えばいい」


 脊髄反射で買って、もくもく食べたリュシュカはぶるぶる震える。おいしい。スパイスに漬け込んでからあぶり焼きにした羊肉を野菜と一緒にパンに挟んでいるのだ。おいしくないはずがない。


「うおお! 楽しいぃ!」


「……感情表現豊かだな」


「クラングランだってわりとそうじゃない?」


 そう言うとクラングランは驚いた顔をした。


「……そうだな。国にいた頃はもう少し落ち着いていたんだが……なんというか……お前と会ってから頻繁に苛々したり怒らされてたり……」


「あっ、クラングラン! 急がないと踊り始まっちゃう」


「いや聞けよ……踊り?」


「神殿の儀式らしいんだけど、宿のおじさんがそれだけは絶対に見たほうがいいって」


 クラングランの手を取り、海沿いの神殿前の広場に引っ張っていく。


 潮の匂いのする風が頰を撫ぜていく。

 砂浜を抜ける時は足下の砂のせいで少し足が遅くなった。

 けれど、街から街へと移動してる時と違ってクラングランものんびりとリュシュカに速度を合わせてくれている。


 神殿の敷地は白くて背の高い岩山に囲まれている。裏手から来た二人はそこをまわって行かなければならなかった。


「間に合わなかったらどうしよう……! クラングラン、そこの岩山越えたら短縮できないかな」


「お前俺の悪い影響受けてるな……」


「周りに人が少ない分影響受けやすくて……」


「どっちにしろお前にはあの高さを越えるのは無理だろ」


 言われて見上げる。確かに、岩山は大小並び階段のようになってはいるが、一番低い岩でさえもリュシュカは届きそうになかった。

 じっと見てシミュレーションしていたリュシュカがぽんと手を叩いて言う。


「いや、できる……」


「え?」


「ひとりでは無理だけど、クラングランが補助してくれれば行けるよ……わー、どうして今まで気づかなかったんだろ」


 クラングランも岩山の配置を見て頷く。


「……なるほど。そうだな」


 クラングランも単独行動が多かったと言っていたので今までは頭になかったのだろう。


「今まで、まったく思いつかなかった」


「あ、でも怪我は?」


「もう問題ない」


 クラングランはひらりと上に登り、リュシュカに手を差し出してくる。


「ありがとう」


 お礼を言って差し出された手を取って上がる。

 クラングランの手は大きくて固い。指には剣の柄でできたタコがあるし、手の甲にも小さな傷痕がある。その手は王子にしては、あまりに傷ついている。けれど、ものすごく安心する。


「わたし今、移動範囲が広がるのを感じている……」


「これからはこの方法で考えよう」


 たぶん、お互い無意識に必要以上に触れ合わないようにしていたこともあるが、こんな簡単なことを思いつかなかったのはずいぶんと抜けていた。


 自分だけだと行けない高さは、登ってみると少し怖くて、少し気持ちがよかった。


「あ、あれあれ。あそこだよきっと」


 少し先に白い神殿があり、既に周りに人が集まっているのが見える。


 祭りために神殿の前の外に設られた祭壇があり、その両端には背の高い燭台が燃えている。

 人々はこれから始まる儀式の演舞を楽しみに、周囲にかたまり、ざわついている。二人も隙間に入って待機した。


 やがて、神殿から黒い祭服に裸足の神職者たちが十人ほど、しずしずと出てきて人々は息を潜める。リュシュカもその緊張感に息を呑み、目を凝らした。


 最後に白い祭服の人間が出てきて、演者が持つ広げた扇の端に小さな炎をひとつひとつ、ゆっくりと灯していく。


 演舞が始まり、二人は見入った。


 演舞は緊張感があって、動きのひとつひとつが無駄なく揃っている。


 最初は扇を持った人間が目に入るのだが、見入っているうちに、何匹もの炎の蝶がひらひらと闇を移動しているように見えてくる。

 リュシュカはもちろん、クラングランも暗闇でひらひらと舞う炎の蝶に釘付けになっていた。


 それはリュシュカが今まで見てきたものの中で、一番素敵な光景に思えた。


 幻想的な世界に取り込まれて、周囲のざわめきの音も耳に入らなくなる。けれど、隣にいるクラングランの存在だけはずっと意識から消えることはなかった。


 もしかしたらうっかり手を繋いだままだったからかもしれない。急にそのことに気づいたけれど、解く気にはならなくて、ぎゅうっと力をこめた。


 リュシュカは束の間、クラングランと二人だけの世界で、炎の蝶に囲まれていた。


「クラングラン……すごいね」


「ああ……そうだな」


 隣にこの、うまく言葉にならない感動を伝えられる相手がいてよかった。一緒に思い出を共有することもできる。


 けれど、リュシュカは同時に小さな混乱と、罪悪感に似た後悔を感じていた。


 こんなものを一緒に見てしまったがために、彼が自分にとってまたひとつ、特別な人間になってしまった気がする。


 たとえばこのあとクラングランと離れ離れになって、二度と会えなくなったとしても、今日の光景は確実に胸に残って消えないものだからだ。


 クラングランの瞳にはどう映っただろうか。

 そう思ったけれど、隣にいる彼の顔を見る勇気はなぜだか湧かなかった。





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