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エルヴァスカ王の落とし子  作者: 村田天
第一章 落とし子でした
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海の見える街(2)


 ふわりとした眠りから目を覚ます。

 気持ちのいい朝陽が射していた。

 隣の寝台を見るが、そこは既にぬけがらだった。


「うーん」


 伸びをして顔を擦っていると扉が開いてクラングランが戻ってきた。聞かなくてもわかる。この人たぶん早くから起きてどこかで鍛錬していた。


「クラングラン、約束覚えてる?」


「ああ、今日は休養日だったな」


 この人『休養』の意味知ってるのかな……。

 寝台から跳ね降りて窓から外を眺める。かすかに潮風の匂いがする。


「おお、いい天気だなー」


 街はもう動き出していて、通りを行く人や働く人、散歩する人たちの姿がちらほらいた。

 ゼルツィニは保養地や行楽地として名高い街だ。だからその雰囲気はよそと比べても格段にのんびりとしていて、開放感に溢れている。


「クラングランすっかり元気そうだし、ちょっとだけ外で遊ぼうよ」


「危機感がないな……」


「危機感があるから一緒に出ようって言ってるの。クラングランがいれば大丈夫でしょ」


 クラングランも動けるようだし、せっかく綺麗な街に来たのに追われているからといって屋内でビクビクしながら過ごすのはもったいない。


「……とりあえず、飯は食いに出よう」


 クラングランも窓の外を見て頷いた。彼にしても、元気なのに移動を止めて篭っていてもすることはない。


 宿を出て簡単な朝食を取りぶらぶら歩いていると、昨日も来た通りに出た。

 青空の下、舗装された白い石の路面に眩い光が射してキラキラしている。見つめて眩しさに顔を上げると、見覚えのある姿がいた。


「あ、クシャド」

「でかいからすぐわかるな」


 クシャドは昨日会った店のあたりをウロウロしていた。手を振るとすぐに振り返してくれる。


 クシャドの近くまで行ってギョッとする。

 彼はもともと傷だらけだったが、その日は新しい生傷が増えていた。どこでどんな生活をしているのかは知らないが、環境がいいとは言い難いことが推察される。

 ただ、リュシュカもクラングランもその怪我の理由を詮索したりはしない。二人が必要以上に詮索されたくないのはクシャドも察していて、彼のほうも詮索されたくない気配がある。だからそれは会った時からの暗黙のルールだった。


 怪我をしているのを見られたことでクシャドはどこか恥ずかしそうにしていたが、遠慮がちに聞いてくる。


「二人はどこかに向かってるんだろ? もう行くのか?」

「いや、俺が怪我をしているから、今日まではこの街で休んでいく」


「怪我?」

「もう治ってるんだが……」


 クラングランがそう言ってリュシュカを見る。


「念のためだよ。クシャドは忙しい? もし時間あるなら一緒に遊ぼうよ」


「……一緒に……遊ぶ……」


 クシャドはぽかんとした。


「こいつは語彙が少し変わってるんだ。気にしなくていい。今日はのんびり過ごすつもりなんだが、少し退屈もしてるんだ。クシャド、時間はあるか?」


「ああ……ある」


「よっしゃあ! 何して遊ぼうか!」


 リュシュカのテンションが急上昇した。


「ああ、その、う、海のほうに景色のいい場所がある」


「え! 行ってみたい。行こうよ」


 クラングランも二つ返事で頷き、そこから三人で連れ立った。クシャドのお薦めは浜辺を越えて、小高い岩の上にある場所らしい。


 すぐにじりじりと熱を持った砂浜に出た。

 気の散りやすいリュシュカは目的地に着く前に足元を行く生き物に気を取られる。


「クシャド、これなんだと思う?」


「ヤドカリじゃないのか?」


「可愛いね」


「……食えるのかな」


 ぼそりと言ったクシャドの言葉にぷっと吹き出した。思ったより食いしん坊だ。


 クシャドが腕にヤドカリを這わせているのを覗き込んでいると、クラングランがリュシュカのすぐ背後に立った。


「どうかした?」


「いや、あっちで誰か見ていた気がしたんだ」


「クランが女に見られてたんじゃないのー?」


「いや……」


 クシャドの前でリュシュカが追われている話はできない。クラングランは曖昧な顔で「そうかもな」と言った。


「人がクランを見るのはわかる気がする……」


 聞いていたクシャドがぽつりとこぼす。

 特に反応することのない話題だと思っていたので少し意外だ。


「俺も、ただ造作が整ってるだけの人間は何人も見たことがあんだ……奴らはペラペラしてる。クランの美しさには……強さと、輝きがある」


 クラングランは小さく口を開けたが、結局返しに困って無言で照れた。


「だよね! だよね! わたしもそれで最初会った時うっかり家に入れちゃってさ……」


「リュシー……余計なことは言わなくていい」


 クラングランが睨んでくる。


 乾燥した陽射しは白い砂浜を焼くように照らしている。近くで地元の子供たちが水遊びをしていた。


「海に来たら……少しくらい入らなくては」


「え? あっ……!」


 使命感に燃えたキリッとした口調でこぼしたリュシュカがあっという間に靴を脱ぎ、ばしゃんと海へと突撃した。


「むちゃくちゃ気持ちいい!」


 クラングランは呆れた顔をしていたが、クシャドは靴を脱いで、追いかけるように海に入った。


「あ、クシャドー! 気持ちいいよね!」


「ああ……」


 水に入ったクシャドが空を見上げて答える。

 ムスッとした顔で砂浜に胡座をかいているクラングランに声をかける。


「クランも足だけでもつけたら? 気持ちいいよ」


「俺は遠慮する。何かあった時に裸足だと不便だ……」


「クシャド、この人いつもこうなんだよ」


 リュシュカはぼやいてクシャドを見る。

 と、クシャドが深いほうに行って、唐突にとぷりと水に沈んだ。


「…………?」


 しばらく待っていたが、浮いてこない。

 心配になってクラングランを見る。


「だ、大丈夫かな……」


 クラングランはすぐに立ち上がり、追いかけて海に入っていく。


 そこからたっぷり三十秒ほど経ってから、クシャドとクラングランが浮いてきた。


 二人でゲラゲラ笑っている。


「びっくりした……なにやってるの」


「いや、こいつが白々しく死んだふりしてるから、つついたんだよ。そしたら水の中で笑って吹き出して……」


 笑い上戸のクシャドはまだ苦しそうにしている。

 その顔を見ていたら、リュシュカもつられて笑った。


 結局そこで長い時間遊んで、びしょびしょに濡れた三人は浜辺で座って服を自然乾燥させていた。


「もしこの街に三人共生まれてたら、毎日こんなふうに遊んで……楽しかったろうねえ」


「お前が毎日大騒ぎしてる様は浮かぶな」


「子供の頃にこんな友達、欲しかったなー」


 いや、爺ちゃんも遊んでくれてたし、それに不満があるわけじゃないけど。

 ラクシャの街でリュシュカを捕まえた三人組を思い出す。

 ……ああいうの、ちょっと憧れる。


 クラングランは苦笑いしている。

 クシャドはしばらくぽかんとしていたが、やがて静かに言う。


「……そうだな」


 リュシュカは立ち上がって伸びをした。


「そろそろ行こうよ。クシャド、連れてって」


「あ、ああ」


 しかし、途中まで行ったところでクシャドが立ち止まる。


「悪い。こ、こっちじゃない」


 突然方向を変えた。反対方向に向かって歩き出す。

 クラングランと顔を見合わせる。


 クシャドはなかなかの早足で進んで、振り返って「こっちだ!」と言う。


 そうしてクシャドが連れてきてくれた岩場からの眺めは本当に壮観だった。


 潮風が鼻先を撫ぜ、大きな海はきらきらと輝いている。自分の存在が急に小さくなった。


「本当に綺麗だね」


「ああ。見れてよかった。ありがとう、クシャド」


「……ここに来たばかりの時に見つけて……綺麗だと思ったんだ」


 クシャドのほうも詮索を避けている節はあった。

 ただ、今の言葉からクシャドはずっとここに住んでいるわけではないらしいことがわかってしまう。彼はそんなことをもらしていることにも気づいていないようだった。

 そうしてリュシュカはクシャドが大量の汗をかいていることに気づく。


「……クシャド、具合が悪いんじゃないの?」


 顔色も青白い。クラングランも心配そうな視線を向ける。

 

「あ、ああ、ちょっとな……悪い。俺は帰ることにする」


 立ち上がったクシャドは突然逃げるように帰っていった。


「……行っちゃった」


 彼の生活に問題があったとしても、二人にはそこに触れられるほどの時間はない。寂しいけれど、今、この時だけの関係なのだ。

 クシャドは無口なのに、いなくなるとすごく静かになったような気がして寂しくなる。


「クシャドってさ……寡黙だけど、なんだか馴染みやすいよね……」


「そうだな。歳が近いのに互いに素性を話してないからかな。立場やしがらみを気にせず話せる。俺は、国にはそんな相手がいなかった」


「そりゃ、クラングランは一応王子だもんね」


「一応は余計だ」


 国の人はいくら親しくなってもそこまで立場を忘れて接するのは難しいだろう。


「わたしもさ……ほら、ずっと爺ちゃんと二人だったから、友達はいなかったんだよ」


 フムルの村が印象に残っていたのは、年代の近い子供同士で遊べた貴重な期間だったからだ。ただ、あそこでは既にできあがっている集団に入ったことでの疎外感も感じていた。


 クシャドは旅先で会っただけの、明日には別れてしまい、二度と会わない相手だ。だから詮索しないで、その場だけを楽しく過ごそうとしていた。

 

 けれど、そもそも普通の友達は一緒に遊ぶ時に互いを詮索したりはしない。だからそこに触れずにいると、まるで、当たり前に明日会える友達のように過ごせてしまっていた。


「誰かを好きになるのって、結構時間いらないよね……わたし、クシャドのこと、好きだなあ」


 なんとも思わない人がほとんど。会った瞬間、ちょっと苦手だなって思う人もいる。そういう人を好きになるのは少し時間がかかるかもしれない。でも、会った瞬間に、なんだか好きだなと思ってしまう人もいる。


「それは、どういう意味でだ?」


「うん。人として……友達として。クシャドには、独特の優しい雰囲気があるよね。基本黙っているけれど周りを居心地悪くはさせないし……たまに、ふっと笑うと嬉しくなっちゃう」


「……わかる気がする」


 リュシュカは、たぶんクラングランも、クシャドの魅力にすんなりと気づいてしまったし、好感を持ってしまった。


「それになんかさ……クシャドのおかげでクラングランとわたしも友達になれた気がするんだ……」


 リュシュカとクラングランには“同行する理由“があった。その理由は彼とリュシュカの間にしっかりと横たわっていて、義務感とも違うわずかな固さを二人の間に生んでいた。その部分はリュシュカにとっては少し居心地が悪かった。


 一緒にいる理由は何も変わっていないけれど、友達になれた気がする今は何かがひとつほどけた気持ちになった。

 クラングランはリュシュカを政治的に利用しようとして来た。それから放っておけなくて助けてくれてる側面もある。だいたいはなりゆきで、結局は消極的な理由ばかりだ。

 それでも、リュシュカが彼のことを友達と思ってはいけないことはない。目玉をえぐりだそうとしてきているわけでもないのだから、好きになってもいいのだ。


「クラングランとわたしも……もう友達だよね?」


 言ったあとになぜかハラハラして、リュシュカはクラングランの顔を覗き込む。彼は、ふっと気が抜けたように微笑んだ。


「そうだな。お前のおかげでいい経験ができている……」


 クラングランが否定しなかったので、とても嬉しくなった。

 クラングランは普段はわりと皮肉屋だし憎まれ口もたたくけれど、リュシュカが必死な時にはそれをしっかり見てくれて、馬鹿にしたりしない。だからリュシュカは、そんなクラングランのことも好きだと思う。


 そうだ。

 リュシュカはクシャドだけではなくて、いつの間にかこの、頑固でやたらと美しい、だいぶ面倒くさい王子のこともまた好きになっていたのだ。急にそのことをしみじみと実感してしまう。


「明日、クシャドに別れの挨拶できるといいね」


「そうだな」と言って笑ったクラングランの笑顔はどこかあどけなくて、彼でさえ気づかないような素の表情がそこにある気がした。



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