貴方の大切なお時間いただきます
「まさに僥倖と言うべきかな」
隣からいきなり声をかけられ、私はビクッとして手すりから手を離した。
「こんな夜更けに美人とビルの屋上で二人きり、神のお導きとしか思えないね」
「はい?」
私の隣にはにやけた顔の男がいた。
まさか人が来るとは思ってもいなかった。
今日はやめておいて、またの機会にしようと男を無視して屋上から退散しようとする。
けれど、数歩歩いて、私は思いだす。
屋上の鍵は閉めてきた。
誰も入れないはずのここに、何故この男はいる?
「貴方一体何処から入ってきたの?」
私は手すりを背もたれにしている男に言い放つ。
男は相変わらずニヤニヤとしている。
「何処からって?そんな細かいこと気にしちゃいけないよ。僕は君に愛をささやきに天から舞い降りた天使、そう言うことにしておけばいいさ」
男はそう言って、空を指差す。
どうやらこの男、頭がおかしいらしい。
私は鼻で笑って、男に背を向けた。
「おや、もうお帰りかい?まだ太陽は僕らの蜜月を邪魔したりしないと言うのに。けれど、引きとめるのも野暮と言うものかな。何なら僕が送ろうか?」
「結構です」
「そう。じゃあ、また死にたくなったら、僕を呼ぶんだよ。きっと君の元に飛んでいくから」
私ははっとして振り返る。
男は目を細めたままである。
「なんで?」
「女が一人、ビルの屋上で、思いつめた表情をしている。ありきたりなシチュエーションではあるけれども当たっていたみたいだね」
私は男のかけた鎌にまんまと引っかかったと言う訳か。
「貴方には関係ないでしょ」
「いや関係あるね」
私はこの頭のネジの二、三本飛んだ男を眉をひそめて見た。
「なぜならこの世界の女は全て僕のものだからね」
「・・・不細工な女も?」
「ああ、不細工な女もだ」
「性格悪い女も?」
「ああ、性格悪い女もだ」
高笑いする男を見、私からはため息しか出ない。
さっさと今日は家に帰るべきだなと心でつぶやいた時、その言葉を聞きつけたのか、男が私の肩をガシッと掴む。
「だから、もちろん君も僕のものさ」
男はじっと私の目を見つめ、少しの間を空け、目をつむる。
そして、だんだんと迫ってくる顔。
と言うか唇。
「ふげぇ!!」
私は固めた拳で、腰を入れて男の横顔を吹き飛ばした。
「い、いきなり殴るなんて、ひどいよぉ」
「ごめんなさい。気持ち悪い顔が迫ってきたものだから、つい」
「その言葉、拳よりも痛いよ」
「ごめんなさい」
口では謝りながらも、心では殴られても仕方ないだろうと思う。
「でも、思ったよりも元気そうでよかったよ」
男は埃を払い、白いハンカチを取り出す。
「これは僕からのささやかなプレゼント」
ポンと音を立てて、ハンカチは私の前でバラに姿を変える。
私は受け取らずに眉間にしわを寄せ、男を見る。
男は相変わらず笑っている。
そして、シュッと言う音と共に小さな煙がバラから出てくる。
コホッと私は咳をして、
「それじゃあ、また。美人のお嬢さん」
気を失う直前そんな言葉を聞いた。
「待てぇぇぇ~~~!!」
そんな声と共に鍵のかかったドアごと吹き飛んだ。
その大きな音に驚き、目を覚ます私。
飛び込んできたのは茶色のコートに帽子をかぶったおじさん。
息を切らせ、キョロキョロと周りを見ている。
「遅かったか」
私は先程の男のものであった掛かっていた真っ赤なジャケットをはいで、起き上がる。
そんな私を認め、おじさんがずんずんと迫ってくる。
「お嬢さん。ここで変な男を見なかったか?」
それはあんただ。
と言いそうになったが、先程の男の事をおじさんに話す。
「やはり一足遅かったようだ。失礼。私はインターポールの大岡と言うもので」
とおじさんは懐から何やら取り出す。
「奴は実は世界的に有名な泥棒でして。我々は日夜奴を追っているのです」
「そうですか」
と気の無い相槌を打つ。
「そして、貴方も被害者の一人のようだ」
「え?」
「奴はとんでもないものを盗んでいきました」
私はポケットの中やら探る。
何も取られていないようだ。
「いえ、何も盗まれていませんが」
「いえ、確かに奴は盗んでいきました。それは・・・貴方の大切な時間です」
「はあ?」
何言ってんだ、このおやじは。
全く今日はこんな変人ばっかり。
おちおち自殺なんて出来やしない。
また日を改めて。
・・・と言うか、何で私自殺しようと思ったのだろう?
記憶をたどるが思い出せない。
・・・もしかして、盗まれたものって・・・
そして、私は大岡と名乗るおじさんと共に黎明の空を見つめていた。