side:飛べない
プロテア視点
ドードー、それが村でのプロテアの呼び名だった。
未発達の羽をもつ飛べない鳥人。
「プロテア、村に帰れば安全な生活を送れるわ。あそこなら、」
母のかさかさして血が滲んだ手に引かれ母の故郷であるアキナ村へ訪れた。
母がなんのために村を出てなんのために村に帰ったのか、答えは聞けぬまま母は病死した。
「ドードー、薬草をとってきな」
使用人のアンナさんにそう言われて、雑巾を絞る手を止めて急ぎ足でこの村を囲う山の一角に薬草を取りに行く。ここに来てからもう10年たつ。母が亡くなってから母の兄の家に引き取られた。もともと居候していたけれど伯父さんちの養子になったのだ。
まあ、養子になった後に残念ながら私は飛ぶことのできない、出来損ないだったと発覚してしまったわけだけど。
仄暗い気持ちを押し殺して、草木を掻き分けお目当ての薬草をさがす。ふと、がさっと音がした小道の奥から聞こえた音だ。猪だろうか。私なんかが遭遇したら一発で殺される。そっと様子を伺ってみれば淡い茶色の髪の毛のようなものが地面の茂みのなかから見えた。
人だ、、!
慌てて近づいてみれば倒れている人間は息が浅く頭からは血が流れ、腕に羽が突き刺さっていた。そのオレンジ色の羽根は見覚えのあるもので、この人間がアキナ村の禁域であるこの山に侵入したことで怒りをかったのだろう。
「でも、助けないと。」
この人間が悪人にせよ、見捨てる理由にはならなかった。
この人間の正体がバレているなら迂闊に山を降りれない。山で治療しなくては。まずは刺さっている羽を抜いて採集した薬草を傷口部分に塗り込む。とりあえずの応急処置だった。しばらくして
「ん、、」
人間が苦しそうにうめいたと思うと目を開いてじっとこちらを見つめてきた。
「あ、ありがとう。」
端正な甘い顔立ちで蜂蜜みたいな色の瞳をしていた。
「この山に入ったらいきなり襲われてしまって。」
そう言って、ゆっくり起き上がろうとする人間を慌てて止める。
「まって、あなたに塗り込んだ薬草は強力だから副作用が強いの。起きてすぐは安静にしていないと。」
彼は起こしていた身体をゆっくり倒し顔をこちらに向けた。
「、ありがとう。」
目尻を下げて笑う正体不明の男だったがとりあえず助けなくてはと口を開く。
「薬草は過剰に聞きすぎてしまうから水を飲まないと、」
といえど人間は何も持っていないみたいだった。
「水を麓までおりてきて汲んでくるからここで待ってて。」
そう言って山を降り、近くの麓で水を汲んだ。そして山に帰ろうとした時、前方からがやがやした声が聞こえてきた。中心にいる男は大体見当がつく。セオだ。絶対会いたくなかったのに、、、、できれば気づかれませんように。
プロテアの願いとは正反対にセオはくるっと後ろを向いたかと思えば濃いオレンジ色の羽根を羽ばたかせて近づいてきた。
「ドードー。こんなとこで水汲みか?薬草はどうした?」
そう言ってセオは詰め寄ってきて水を汲んだ桶を奪い取る。
普段なら絶対に逆らえないが今はあの人間の生死が関わっているのだ。
「か、かか返して。」
勇気を出して絞り出した一言に一瞬静かになったと思うとどっと笑いが起きる。
「はーぁ。どもってんじゃねーよ。相変わらず気色わりーな。」
一際大きな声でセオはそう言って、どんっとプロテアを突き飛ばす。
プロテアは上手く受け身も取れず、背中を大きく地面に打った。馬鹿にされるのは慣れていても、目が熱くなる。ゼオを筆頭にしたアキナ村の人たちのプロテアに対する扱いは、今に始まったことではない。そして、プロテアが飛ぶことのできない未熟児である限りずっとこの地獄は変わらないだろう。
「おい、黙りこくるな」
苛立った声色のセオに今度は、ぶたれそうになったその時ふり上がるセオの手を誰かが掴んだ。甘栗色の髪のあの倒れていた人間だ。
「この子は俺を助けるために、水を汲んでたんだ。怒らないで。」
そうセオに言ってから、こちらを振り向いて手を差し出した。
「大丈夫?」
呆然と差し出された手を見つめてから、はっと思いたったように口を開く。
「あなたの身体は大丈夫なの?!」
「大丈夫、、俺、旅人だから薬草の知識が豊富なんだよ。」
それから、人間の手に刺さっていたオレンジの羽を思い出す。
あの羽はほぼ確実にセオの羽だろう。村人以外、入ってはいけない山に入ったことをセオは知っているはずだ、と思っていると案の定セオは人間に詰め寄る。
「お前、あの山にいたやつだな、!あの山に入った部外者は生きて返さない決まりなんだよ。」
そう言って、羽を逆立て殺気だったがとうの人間はひょうひょうと口を開いた。
「俺は色んなとこを転々として、世界中のあらゆるものを売る仕事をしているんだ。俺の持っているものがこの村にも役に立つと思うけどな。」
そうして人間はポケットから風呂敷を出すとその中に手を入れて、見たことのないランプようなものを取り出した。このむらにあるランプよりずっと大きく、光り輝いていた。
「このランプはね、種と水が出てくる、これだけでで草原をも作れる品だ。」
人間がランプを傾けると種がこぼれ落ち、ランプの蓋を回転させ、傾けると水が流れた。
「す、すごい!!」
びっくりするプロテアを押し退けて、村の人達が人間にわっと群がった。不満そうなセオを除いて。
人間は、リーフというらしい。彼はあっという間に私の叔父で、セオの父の村長のもとに連れて行かれた。リーフの持つ様々な商品と村の金とを取引しているみたいだった。
すっかり暗くなったが山にまた薬草をとりにいった。屋敷に帰ってくるとどうやら取引がうまく行ったようでリーフは数日ここに滞在するらしい。閉鎖的な村なので宿はないため、叔父さんの屋敷に泊まることになった。
「ドードー、リーフさんにお茶をだしてきな」
アンナさんに言われ、リーフの部屋を訪ねにいった。部屋をノックすると優しい声色でどうぞ、と返事が返ってきた。
「あぁ、君はさっきの、俺の命の恩人だね。名前を聞いていなかった。」
一瞬ドードー、と頭をよぎったが慌てて口を開く。
「プロテアです。」
「プロテアって言うんだ。いい名前だね。」
そう微笑んだ蜂蜜色の瞳に持ってきた蜂蜜入のお茶を思い出す。
「これ、どうぞ。」
なんだかひどく緊張しだしたので、デスクにお茶を置いて、急ぎ足で部屋から出ていった。
馬小屋の寝床で横になってもあの蜂蜜色の瞳が頭をよぎる。彼は後どれくらいここに滞在するのだろう。なんだか少し幸せな気分でゆっくり目を閉じた。
「ここで寝てるのか..」
聞こえてきた小さな声に反射的に意識が覚醒して、目を覚ます。
「あぁ、起こすつもりはなかったんだ。」
馬小屋に立っていたのはリーフだった。申し訳無さそうに微笑んだ彼に馬小屋で寝ているところを見られた、と無性に恥ずかしくなる。
「あの、何か。」
「良ければ、この村を案内してほしい。」
まだ日も上る前の明け方なので、明朝までに帰ってこればアンナさんに怒られることもないだろう。
「はい。分かりました。」
ここアキナ村の大きな特徴はやはり村を囲う3つの山だろう。金の山、木の山、薬の山。全ての山を叔父さんが持っていて、村の人達は年貢を納める代わりに木の山、薬の山に出入りすることを許されている。そう説明すると合点がいったというようにリーフは深い溜め息をついた。
「あぁ、年貢を納めてもいない部外者が山に侵入したから怒ったんだね。でも突然、攻撃されてびっくりしたよ。」
それはそうだろう。まあ、いくら村の掟だとはいえ話も聞かずに一方的に攻撃してくるのはセオくらいだ。と、先程もリーフが村に歓迎されるのを良しと思ってなさそうだった、セオの暗い表情を思い出す。
「リーフさんに攻撃してきた人は、普段から攻撃的なのであまり近づかないほうがいいと思います。」
セオはキレると何をするかわからないので緩く忠告しておくと、リーフはこちらをじっと見つめてから勢いよく頭を下げた。
「プロテアも、俺を助けてくれたのに、ごめん。」
なんのことかとしばらく考え、あの水汲みをするのにセオに絡まれたときを思い出し、慌てて否定する。
「あれは、今回に限ったことではないので全くリーフさんのせいじゃありません。」
「今回だけじゃない?!なぜそんな横暴が許されるんだ。」
答えは単純に村長の息子だからだ、でも酷く憤慨してくれるリーフさんに心が救われるのと同時に変に巻き込むべきではないと口を開く。
「でも、私とあの横暴な男、従兄なんです。幼い頃から一緒に育ってきた仲なので兄弟喧嘩みたいな感じですよ。…………それに私は羽が充分に成長しなかったのでこれが私に相応なんです。」
そう言うと、リーフさんはプロテアの手を優しく取った。
「そうなんだね……もしもだよ。君が望むなら、この村を出て俺と旅をしてみるのはどう?」
いきなりの言葉に、ひどく動揺した。今までこの村を出ることなんて考えたことがなかったからだ。
アキナ村に来る前の記憶はほとんどないプロテアにとってこの村が世界の全てだった。
「あ、の、」
言葉に詰まっていると、リーフは握ったプロテアの手を離して安心させるように微笑んだ。
「いきなりこんなこと言ってごめん。でも、考えてみてくれないか。」
そう言って、歩き出した。
屋敷に戻って、床拭きをしながらリーフさんの言葉を思い出す。
この村を出る。幼少の頃に母に手を引かれ母の故郷アキナ村で暮らすことになったが、そもそもなぜ母がこの村を出ていったのか。そしてなぜ再び戻ってきたのか、なにも知らない。
学校に通う年齢になっても飛べなかったため、外のことを学ぶというらしい学校に通ったこともない。この村でこの屋敷で一生を過ごすのがプロテアにとって当たり前だと思っていた。
だからなのか、アキナ村を出て暮らしていくイメージが上手くわかなかった。
一方でリーフが私を心配してくれたんだと自意識過剰かもしれないけど、そう思えてじんわりと心が暖かくなるのを感じる。
「…………色目使うな、気持ちわりぃ」
いきなり声をかけられびっくりして振り向くと、セオが顔を歪めてこちらを睨んでいた。
「お前が出来損ないだから同情してるんだよ、惨めだなぁ。いやそれともからかってるのか…どっちにしろ勘違いはやめろ。身の程を弁えろ。」
ヘドロのような怒りと冷たさが滲むその声はプロテアの心を蝕んでいとも容易くどん底に落としてしまう。
セオは追い打ちをかけるように顔を落としたプロテアの手を思いっきり足で踏みつけた。
「っっ……!」
痛がるプロテアの反応を半ば楽しむかのように更に手を踏む力を強める。プロテアはセオの足の下から手を抜こうともがくもそれが反感を買ったらしく今度は体を押し倒され痛みに顔を歪める。冷たい床に肩を押し付けられながら顔を上げるもセオの大きな羽根が影になってセオの顔がよく見えなかった。
「醜いよなぁ……お前は羽だけじゃなくて、そのそばかすのある顔も貧相な体も真っ赤な髪の毛も陰気な性格も何もかも醜い。」
何度言われたか分からないセオの呪いのような言葉に先程まで暖かくなっていた心が急激に冷めていくのを感じた。もう何度も何度もそうやって、プロテアの心は死んだように冷たくなり息もしてるのかすら分からなくなる。
「そんなことない。プロテアの羽もそばかすも真っ赤な髪も陰気な性格もなにもかもきれいで可愛い。」
優しくて蜂蜜みたいに甘い声が響く。
振り返ると、いつも優しげな顔をすこし強ばらせたリーフがそこにいた。
「セオさん、お父上が呼んでいたよ。それと、彼女を虐めて何になる。」
セオは苛立ったように眉をわずかに釣り上げたが直ぐに叔父さんの方へ走っていった。セオはこの村で絶対の叔父さんに逆らうことがない。
「大丈夫?」
指し伸ばされた手をそっと握ると、リーフの温もりが伝わってきて涙が溢れてきた。こんな心地よい温もりを感じたのは初めてのように思えた。
ただただ泣くプロテアを壊れ物を扱うかのようにゆっくり抱きしめたリーフはしばらくして口を開く。
「やっぱり僕とこの村を出よう。あのランプを見たよね。世界にはね、もっと不思議で素晴らしいものがいくらでもある。この村に縛られる必要は無いんだ。
ほら、想像してみて。」
リーフの声は、言葉は、プロテアの心に優しく溶け込んで癒してくれる。まるで魔法だ。
先程まで現実味のなかった、村の外の世界に行く想像すらできた。
「プロテア、明日旅立つんだ。一緒に行かないか?」
優しい声色だった。
「はい。」
蜂蜜よりずっと甘い、甘すぎる。
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ここを出ることをなんと告げたらいいだろうか。そもそも告げる程のことなのか。
私が旅立つとして、気にする人なんていないだろうし。
ふと、オレンジ色の羽根をもつ従兄弟の顔が思い浮かぶ。
彼は虐める標的がいなくなってがっかりするかもしれない。