隣の令嬢がお腐り申し上げている。
オッス! オレモブ!
王都が誇る王立学園に通う下位貴族の一人、絶賛婚約者募集中。まあ何処にでもいる背景貴族の一人だ、よろしくな!
そんなモブことオレだが、最近大きな悩みがある。
「あそこの席の二人、距離近くないですかねえ。はっ、禁断の愛、嫡男同士でありながら惹かれ合ってしまう二人……デュフッ、デュフフフ……」
隣の令嬢がお腐り申し上げている。今日も今日とて妄想をブツブツ呟いている。たまになら百歩譲って許してやってもいい。いや許さないが。しかしこの女生徒は隙あらば常に妄想を口にし続けている。マジで勘弁してほしい。
神よ、だいそれたことは言いません。せめてこの隣の令嬢を黙らせてくれませんかね。
まあなんだ、趣味や性的嗜好は人それぞれだから細かく言うつもりはない。ないんだが、流石にそれを垂れ流すのは如何なものかと思うんだ。それをノートに書き連ねるとかならまだ分かる。後々黒歴史になってそれを偶然見つけた時に羞恥でのたうち回って人知れず焼却処分することになるとは思うが。
が、この令嬢は違う。そういう次元じゃない。声に出てる。一から十まで余すことなく声に出てる。そして漏れなく俺の耳に届いてる。これって指摘した方がいいやつなのか?
けど指摘したらしたで知らんぷりされた挙げ句、無いこと無いこと捏造されて悪評を流される恐れもある。女のネットワークは恐ろしいと兄も言っていた。その後に女は絶対に怒らせるなと遠い目で言っていたし、父も同意していた。一体あの二人はどんな目に遭わされたんだろうか。
それを聞かされた俺はおんなのひとってこわいんだなぁ、なんてぼんやりと思ったものだが今なら分かる。女って怖い。
特に王子周辺の連中。あそこら辺を眺めていると仁義なき女の戦いを嫌という程拝める。王子の婚約者とその座を狙う令嬢達がバチバチやり合ってるのを見た時は絶対に関わりたくないなと思った。
話が逸れた。兎に角、そういうことなのでこのデリケートな問題に触れてもいいものか頭を悩ませている。特に隣の令嬢の最近のブームは王子と側近周辺の組み合わせらしく、食堂や学園内の至る所で彼らを見つけては妄想に花を咲かせている。そしてその場に何故か毎回俺は居合わせていて、その妄想を余すことなく強制視聴させられている。
もうなんかわざとやってる? もしかして俺をそちらの沼に引きずりこもうとしてる? と疑いたいくらいだ。勘弁してほしい、俺にそちらの趣味はない。
誰か一人でもこの令嬢の本性を知ってる被害者がいないものかと思ったが、悲しいことにこの令嬢の外面は完璧で誰もその趣味を知らない。俺以外は。
もし、これがもしだよ? 実は可愛いものが大好きで、とかなら微笑ましく終わるけどそれと対極に位置するものが大好きな時点で微笑ましくもなんともない。正直最初は耳を疑ったし、マジかよこの御令嬢って思った程だ。
心の中とはいえ流石にそろそろ失礼な気がするので、ちゃんとジェレミー嬢と呼ぶことにする。
「ぬほほ、ちょっ、王子と側近の距離近過ぎない? 来た? ついにフラグ来た? ついに禁断の薔薇の華咲いちゃう? ふひっ!」
来ているのは不敬罪だと思う。落ち着いて欲しい。
今日もジェレミー嬢は元気だ。
✿
あれからも彼女の隣でその想像力豊かな呟きを強制視聴させられる日々が続き、ささやかな抵抗として俺はジェレミー嬢の妄言を日時込みで手帳に纏めることにした。いつかノイローゼになってしまった時、刺し違える覚悟で貴女の妄言まるっと全て聞こえてましたよとこの手帳を叩きつけるつもりだ。
そのための証拠集めと思えば隣から聞こえてくる妄想の産物も苦痛ではない。むしろ秘密警察になったようでワクワクしてきた。
「んひぃっ、従者と侯爵子息様の主従ラブ! 互いの立場故に決して伝えられない秘めた想い。は、捗るぅ!」
俺の証拠集めも捗ってますよジェレミー嬢。彼女に気づかれないよう秘密裏に手帳に書き込む。
しかし、こうして読み返してみると以外と趣がある。断片的でいながら、それぞれの組み合わせがしっかり一本のストーリーとして出来上がっている。
前まではまたかと思いながら聞き流していたけれど、こうして見るとちゃんと繋がっている妄想に感心してしまう。ジェレミー嬢、案外作家としての才能があるのではないだろうか。まあ内容が内容なのでかなり人を選ぶと思うが。
……ん?
彼女の口から溢れ出た願望を見返すうちに、ふと気になる点が出てきた
ジェレミー嬢の呟く妄想の組み合わせを分かりやすく男側と女側に分けるとすると、今日の妄想では王子が女側で側近Aが男側なのに、数日前の妄想では王子が男側で側近Bが女側になっている。さらに数日前は側近Cが男側で側近Aが女側だ。
つまりジェレミー嬢は、側近A×王子、王子×側近B、側近C×側近Aを同時進行で嗜んでいるようだ。
他にも見返すと相手が被った様々な組み合わせがある。中々にカオスだ。
いや、別にどの組み合わせが好きだろうがジェレミー嬢の好みだから好きにすればいい。けれどこの国は一夫一妻制だ、女性に貞淑性を求めるのだから男もそうあるべきだろう、操は一人に立てるべきだと思う。
それとも相手が被っている組み合わせは愛人関係なのだろうか。それなら中々に爛れている。
ふむ、由々しき事態だ。これはジェレミー嬢に至急確認をすべきではないだろうか。
思い立ったが吉日という東洋の国の言葉に倣って早速ジェレミー嬢に声をかけた。本来なら爵位の高い者に低い者から声をかけるのはマナー違反だが、ここは学園のため敢えてそのマナーは控えさせてもらう。
念の為爵位の低い自分から声をかけてしまったことを謝り、ひと目はあるけれど出来るだけ会話の内容が聞かれない場所で話せないかと尋ねる。異性からそんな申し出をされたことにより明らかに彼女は戸惑っていたが、誓って疚しい気持ちはないし急ぎ確認したいことがあると真摯に伝えれば思いを汲み取ってもらえた。
場所を変え、学園内の開けた場所にある四阿へ移動する。万が一知り合いに見られても親密ではないことをアピールするためジェレミー嬢には座ってもらい、自分は少し離れた場所に立った。
「……それで、お話とはなんでしょう?」
普段の暴走してる時とは違い、淑女の鑑と名高い彼女の凛とした佇まいは完璧だった。もしかしてあの呟きも俺の白昼夢だったのではないかと疑いたくなるほどだ。
いや落ち着け、数時間前に隣で薔薇の華を咲かせていたジェレミー嬢の妄想を聞いていただろう。
まずはこれを見てほしいと例の手帳を渡す。それを受け取ったジェレミー嬢は怪訝そうな顔をしていたが、中身を読み進めていくうちに僅かだが驚愕しているような反応が見て取れた。
「これ、は」
ええ、そうです。貴女の呟き集です。
毎日のように聞こえてくるため、いつか自分がノイローゼになってしまった時にジェレミー嬢を止める目的で書き留めたもの。しかし貴女の尊厳に関わるため誰にも他言はしていないと告げると、彼女は安堵の息を吐いた。
「ええ、お話は分かりました。それで、要求は?」
先程言ったと思います、貴女に確認したいことがあると。
ジェレミー嬢、そちらを読み返して頂けると分かるかと思いますが貴女は様々は組み合わせを嗜んでいる。しかしこの国は一夫一妻制、女性に貞淑性を求めるのなら男性も貞淑性を保つべきでは?
「……なるほど、貴方は相手固定派なのですね」
相手固定派?
「ええ、貴方のように殿方同士の恋愛でも一夫一妻制を唱える者を相手固定派と呼ぶのです。ちなみに相手が固定なら左右を問わない者のことですわ。そして私のように様々な組み合わせを嗜む者は雑食と呼ばれるのです」
言い得て妙ですね。確かにその道理でいけば俺は相手固定派なのでしょう。
「更に言うと、相手は固定かつ攻めと受けも変えたくない者を相手左右固定、別軸での組み合わせを嗜む者は逆、同軸でA×BとB×Aどちらも嗜む者はリバ、受け固定に拘る者は右固定、攻め固定に拘る者は左固定と呼びますの」
そうなんですか、殿方同士の恋愛というものは奥が深いんですね。
「ええ、殿方同士の恋愛を嗜む者も細分化されていますの。ちなみに実在人物で妄想することはナマモノ、今の私の活動ジャンルですわね。舞台等の実在人物が演じる作品で妄想するのは半ナマ、原作のある作品の架空の登場人物で妄想するのを好む者もおりますわ。それらは総じて二次創作と呼ばれておりますの」
二次創作。
「自分で一から登場人物や世界観を作り上げて創作をすることは一次創作、オリジナルとも呼ばれておりますのよ」
なるほど、色々あるんですね。
「そう、色々と奥深い世界ですわ」
ジェレミー嬢、一連の説明を受けた上で訂正があります。俺はどうやら相手固定ではなく相手左右固定らしい。左右も気になる質のようです。
「まあ、そうなんですの。では私の呟きを聞くのは苦痛だったでしょう、きっと地雷もあったでしょうから」
地雷とは?
「その人にとって絶対にあり得ない、受け付けることが出来ない、人によってはそれを見聞きするだけで気分が悪くなり体調を崩してしまうほど苦手な組み合わせのことですわ」
なるほど。まあ聞く分には平気でしたよ。見返しているうちに気になってジェレミー嬢に確認を取りたいと思っただけでしたから。
「そうなのですね、それは幸いでした。それで、貴方の好みの組み合わせはどれでしょう?」
いえ、俺はそういうのは興味が無くて。想像力もありませんし、聞くだけで十分です。
「なるほど、見る専ですのね」
恐らくジェレミー嬢から見たらそうなるのでしょう。
「……なるほど。貴方は私のこの趣味を知っても引かないのですね」
そうですね、最初は驚きましたけどジェレミー嬢の呟きを書き留めるうちに趣があるものだと知りました。
それに貴女の妄想はストーリー性があり、しっかりそれぞれの組み合わせに一本の筋が通っている。作家としての才能があるのではと思ったくらいでしたよ。
「まあそんな、作家としての才能があるだなんて。そうやって褒めて頂けるのは初めてでとても嬉しいですわ」
きっと作品を書けば貴女の才能に気づく者が現れますよ。オリジナル、でしたっけ。それで物語を書いてみたらいいと思います。
「そこまで言って頂けるならやってみようかしら。……あの、お話が変わってしまうのですけれど、お願いがあります」
はい、何でしょう。
「婚約者がいらっしゃらないのでしたら、私と婚約して頂けないでしょうか?」
え?
✿
そこからはあっという間に話が進んだ。
婚約者がいないことを告げると父にその旨を話すとジェレミー嬢は言い残し帰っていった。そしてその日の晩にジェレミー嬢の家から本当に婚約の申込みが届いたのだ。
それを読んだ俺の家は格上からの婚約の申し出に、まさに蜂の巣をつついたような騒ぎになった。お前いつの間にそんなことになっていたんだと父親から肩を掴んで揺さぶられたが、俺は何もしていない。いや本当に。冗談抜きで。
翌日になって、俺は学園でジェレミー嬢を再び呼び出した。昨日と同じ四阿で、向かいに座るよう言われて今度は席に着いた。
「私、婚約する相手にはどうしても譲れない条件がありましたの」
そうぽつりと口にした彼女は、滔々と語り出した。
曰く、この趣味を続けることを条件に国一の淑女となることを両親と約束したこと。そして有言実行したジェレミー嬢は、学園でも優秀な成績を維持することを条件に婚約者になる者の条件を指定した。それは彼女の趣味を理解し、否定して辞めさせようとしない者であること。
それ以外は問わないと言ったものの、婚約の打診をしてきた相手との顔合わせの際にそれとなく尋ねてみればどの相手も嫌悪感を見せた。
両親もジェレミー嬢と約束した手前、勝手に婚約を結ぶことも出来ず非常に残念がっていたそうだ。それもそうだろう、ジェレミー嬢ほどの令嬢なら引く手あまただ。望めば高位の、それこそ王族だって不可能ではなかったかもしれない。
「気づけば私はすっかり波に乗り遅れ、残るのは素行に問題があって婚約が出来ない者ばかり。いい加減そんな者達からのちょっかいや婚約の打診にもうんざりしていて。更には、王家から辺境伯に会ってみないかという打診もありまして、両親にも諦めるよう言われました。それならもういっそ家を出て修道院に入ることも考えていましたが、そんな時に貴方が現れたのです」
そう言ってジェレミー嬢が俺を見る。それが縋るような表情であればくらっときていたかもしれないが、明らかに逃さないというような目だった。完全に狩人の顔だ。
「貴方はまさに私の理想とする相手ですわ。私の趣味を理解して、その上後押しもしてくれる。そして婚約者もいないとくれば、もう婚約するしかないでしょう」
確かにその通りかもしれない。
俺の意見を無視していなければ。
「あら、私程の相手はきっと今後現れませんわよ。お互いにとって利のある婚約だと思いますけれど」
いやまあ、それはそうなんですが。むしろジェレミー嬢はいいんですか、俺の容姿は十人並みですよ。成績も良くて中の上ですし。
「私の趣味に理解があるだけで十分ですわ。容姿だって、不潔感が無ければ全く問題ありませんことよ。それによく言うではありませんか、美人は三日で飽きるって。一生を共にするのですもの、私は貴方が良いと思ったのです。だから何も問題ありませんわ」
……分かりました。そこまで言ってもらえたのに、貴女の気持ちを無碍にしてしまえば男が廃る。
この婚約、お受けします。是非ジェレミー嬢の婚約者にして下さい。
「交渉成立ですわね。末永くよろしくお願い致します、私の婚約者様」
そう言って美しいカーテシーをするジェレミー嬢に、俺は精一杯丁寧なお辞儀を返した。
後日彼女との婚約が発表され、友人達からは盛大にどつかれたものの馴れ初めだけは絶対に言わなかった。
まさか隣の令嬢がお腐り申し上げているからなんて、言えるはずがない。
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