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竜の瞳の行く末は  作者: 三浦常春
第1章 ヴァーゲ交易港
9/22

9話 羽音

 照り付ける太陽。服の中に入り込んでくる生ぬるい風。その下を、相棒の長い足は進んでいた。その足取りに焦った様子はなく、それどころか散歩でもしているかのような優雅ささえ覚える。


 彼は何を察したのだろうか。僕は途端に不安になって、彼の服を引っ張った。


「ねえ、カーン。どうしたの? 何があったの?」


「足音が聞こえません。あの男の」


「……ベンノの? どこかで休憩しているとか、そういうのじゃなくて?」


「その可能性も十分に考えられます。しかし、嫌な予感がしてならないのです」


 彼が「予感」を根拠として行動に移すのは珍しい。少なくとも、僕以外に関しては。


 余程悪い予感なのだろう。

 理由を知って安心するどころか、余計に不安になってしまった。これなら尋ねずに、黙って付いて行った方が気が楽だったかもしれない。


 重くなった気分を宥めて、僕は柔らかい砂を踏み続ける。

 しかしどれだけオアシスを歩いて回っても、ベンノの姿は見当たらない。瓦礫の陰、水場、僅かに残った建物の下。


 僕たちを置き去りにして、このオアシスから離れる事はないと思うが、それでもこの惨状だ。どこにどのような危険が潜んでいるのか、それすら定かではない。


 やはり手分けをして探索は得策ではなかったか。僕は、過去の選択を悔やんだ。これでベンノが怪我を負ったら、彼にも、彼の養母や妹にも顔向けできない。


 そんな時、僕の耳に雑音が届いた。低い唸りをあげるその音は、幾重にも積み上がって空気をうねらせる。僕はすぐにピンと来た。


 ――羽音だ。


 音を追って僕が視線を持ち上げると、頭上を一匹の茶色の虫が動き回っていた。


 火に炙られ、息絶えていた虫よりも一回り小さいだろうか。それは徐々に高度を下げて物陰に降り立つ。身を隠してもなお、鈍い羽音は絶え絶えながら続いていた。


「先行します」


 腰に携えていた剣を抜き、カーンが前へ出る。少し置いて、僕もそれに続いた。


 視界に虫が映る。それは細い足を動かして布の上を行き来し、神経質に顔を洗う。


 彼の足場となっている布の塊には見覚えがあった。

 僕たちの案内を買って出てくれた男――ベンノ。それはぴくりとも動かない。生きているのか既に事切れているのか、何重にも巻かれた布越しでは、それすらも定かではない。


 僕の目の前で、虫はぴたりと止まる。そして、尻を高く持ち上げた。


 何をする気なのか。読めぬ行動に困惑する僕の視界に、パッと緑色の液体が散った。


 カーンの長い足が虫を蹴り上げていた。砂虫は二つに分裂し、宙を舞う。吹き飛んだ肉塊は、それぞれ綺麗な弧を描いて、赤茶色の砂へと落下する。


 身体が裂けてもなお、虫は動いていた。ギギギと音を立てて、針のような手足を悶えさせる。先程まで持ち上げられていた尻の先端には、小さな煌めきが見えた。


 死の淵に縋るか細い手。それはしばらく抵抗を続けていたが、ようやく動かなくなった。


 絶命したらしい。僕は急いで、横たわる青年の元へと駆け寄った。


「ベンノ、大丈夫!?」


 放りだされた手がピクリと動く。虚ろな目が、力ない唇が、何かを言おうとしている。だがその言葉が、僕の耳に届くことはない。


 毒か。そう当たりをつけて、僕は処置を始めようとした。


 その時、大きな羽音が近付いてきた。

 さっきと同じ音だ。空を見上げると、清々しいほど晴れ渡る空に、いくつもの黒い点が蠢いていた。


 埋め尽くさんばかりに溢れ返る砂虫の軍勢――それは苛立たしげに、あるいは警告でもするかのように羽を鳴らしていた。


「カーン、気を付けて。そいつら、毒を持ってる」


「……分かりました」


 静かに応じたカーンは剣を太陽に煌めかせる。頭を覆っていた布を乱暴に引き下げて、向かってきた砂虫を一閃の下に切り伏せた。


 その隙に、僕はすぐさま解毒を始める。


 とはいえ僕やカーン、そしてベンノが解毒薬を持っているはずもなく、頼れるのは僅かな知識と魔術だけである。だが、僕は〈解毒の魔術〉を扱ったことはない。


 過去に学んではいるものの、それを使う機会が訪れることはなかったし、たとえあったとしても、僕の預かり知らぬ所で処理されただろう。そんな環境に、過去の僕はあったのだ。


 しかしだからと言って、僕の中に「ベンノを放置する」という選択肢はなかった。


 僕は体内を流れる魔力を、そして空気中に漂う微量の魔力を意識した。


 身体が熱を持つ。砂漠特有の熱とは異なる、身体の底から湧き出る水のごとき脈動。


 覚え慣れたその感触を確かめて、腰にぶら下げた剣を引き寄せた。そしてさらに意識を練り合わせる。


 胸が、苦しい。


「もう、いい。逃げろ……」


 そんな呻きが、僕の耳に届く。声を取り戻すことはできたようだ。


 僕は伏せたままの肩を揺すった。


「できるわけないでしょ、そんなこと!」


「虫は、死骸を……苗床にする。ここにいたら、皆、船に乗っちまう――」


 ベンノの手が砂を掻き、地面を押す。まだ毒が残っているのだろう、震える身体では、まだ起き上がることができないようだった。


「待ってて。もう少しだから、もう少し」


 唱えて自分を落ち着かせる。声を取り返すことはできたのだ。あと一歩踏み出せば、彼も動けるようになるはずだ。


 焦る僕の視界に、虫の頭が落ちてくる。半円の瞳から光が消え、口元の動きも穏やかになる。


 命の潰える瞬間をぼうっと眺めていた僕の肩に手が添えられた。温かくて大きな手。カーンは服を乱すことも息を荒げることもなく、静かに


「動けますか、リオ様。移動しましょう」


「砂虫は?」


「向かって来たモノは全て(ほふ)りました」


「流石、早いね」


 そう言って、僕は立ち上がろうとする。しかし視界は一向に高くならない。どうやら魔力を使いすぎたようだ。


 魔術自体、久方ぶりに扱うのだ。もう少し自分の身体に目を配るべきだった。僕は後悔したが、その末に体調が改善することはなかった。


 カーンがベンノの脇に肩を入れる。その最中、僕とカーンの視線がぶつかった。


 窺うような彼の目。敏い男は、瞬時に僕の状態を察したのだろう。カーンはベンノを引き摺って、僕に近付いて来た。


「自分で立てる!」


 宣言したのだ、足手まといにはならないと。その手前、彼の「思いやり」に甘んずる事はできなかった。

 そんな意地から、僕はカーンを跳ね退ける。だが相棒にはすべてお見通しだった。


 困ったような面持ちの彼だったが、すぐに表情を引き締める。そして僕を脇に抱え上げた。


「降ろしてよ。歩けるから!」


「リオ様。次の群れがこちらに向かって来ています。無礼をお許しください」


「まだ来るの?」


「おそらく。聞き違いでなければ」


 そうだとしたら危険だ。僕は、身体から体温が引いていくような感覚を得た。あの場で解毒を開始したのは、早計だったかもしれない。


 退けたはずの羽音が僕の鼓膜を震わせる。目の前にそれが舞い降りる。一匹、二匹と立ち塞がる砂虫だったが、それは一瞬の後に火で包まれて、身体を丸めた。


 多様の構造を持つ魔術の中でも低級の魔術――言語化するならば〈火の魔術〉が、カーンによって生み出されたのだ。


 両手が塞がっていても魔術は使える。しかしカーンの体力が、そして魔力が、虫の殲滅まで持つとは自信を持って言い難い。こちら側が優勢であるとは、どうしても思えなかった。


「ねえ、僕もやるから。降ろしてよ、カーン!」


 僕も何とかして加勢しようとするが、相棒が降ろしてくれるはずもなく、そして魔術による援護も行えそうにない。意識も魔力も、力及ばず散乱する。

 歯痒い。僕は呻いた。


 突然雄叫びが聞こえた。腹の底から響く、威圧的で荒々しい声。それと共に視界が開け、鋭い輝きが僕の目を刺す。


 目の前で繰り広げられるのは、紛うことなく砂虫の惨殺だ。虫の壁が切り開かれていく。そこから覗く銀の鎧と長い剣。それらはを煌めかせて、鮮やかな赤い髪を蛇のようにうねらせた。


「ははは――加勢するぞ!」


 そう声を張り上げて、女戦士は荒々しい笑みを浮かべる。色気の欠片もない掛け声と共に、太く厚い刃は襲い来る虫を次から次へと黄泉へ送る。


 彼女の動きは舞のようで、同時に荒くれ者の喧嘩のようでもあった。


 僕は言葉を失った。まず女性の持つ得物に目を奪われ、そして纏っている鎧に驚愕した。


 彼女の身体を覆う鎧は、全身を包むものだった。しかしそれに重厚とした印象はなく、どこか作り物にも似た感覚を抱く。


 安物の、汚れと傷の目立つ鎧。儀式や出陣の際に用いられるそれよりも薄い鉄板を用いているようだったが、それでも暑いだろう。動けばそれも増す。


 だが、それすら構わず、己の髪を巻き添えにせんばかりに、女性は大剣を振り回す。勇ましい。しかし、それを眺める僕の胸から不安が消えることはなかった。途中でへばってしまわないか、一寸の隙を突かれやしないか、心配で仕方ない。


 そんな僕の視界から、ふいと彼女が消え、代わりに焼け焦げた瓦礫が目に映る。カーンが向きを変えたのだ。


 まさか砂虫の軍団を彼女に任せるつもりだろうか。僕は胴に絡みつく腕を押してもがいた。


「カーン、どこ行くの? あの人、放っておくつもり?!」


「お言葉ですが、リオ様。あの者に手助けは必要ありません」


「どうして!」


「彼女の方が、人間界における戦い方を熟知しているからです」


 身体を捻り、懸命に後ろを見遣る。


 彼女はその若さ似つかわないほど、武骨で恐れ知らずな身のこなしを見せていた。それは、間近で見てきた繊細かつ典雅な剣捌きとはまるで異なる。


 無骨でありながら、彼女には隙がなかった。


 彼女は快調に砂虫を制圧していく。その間にカーンは、僕とベンノを安全な場所へと運んだ。


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