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竜の瞳の行く末は  作者: 三浦常春
第1章 ヴァーゲ交易港
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7話 男は大きな決断をする

 親切な人たちの用意してくれた寝床に僕は座り込んでいた。


 あれだけ本の内容を知りたがっていた老婆は、今日ばかりは声を掛けてこなかった。


 きっと、僕に本を読み進める時間を与えてくれたのだろう。その心遣いがありがたい。これを機に、ヴァーゲ交易港を発つ前に少しでも本の内容を伝えられるよう、古びた羊皮紙に踊る文字をなぞり続ける。


 しんと静まり返った暗がりの中で、布が擦れる音だけが聞こえてくる。日が海の下に隠れると、この地域は途端に寒くなるようだ。


 用意された布団と外套を合わせて被っていてもまだ寒い。カーンの体温がぴったり寄り添っても、触れていない面が寒さを訴える。


 寝台が足首とほぼ同じ高さに設定されているから、ということもあるのかもしれない。


 もう少しだけ高ければいいのに。少しばかり集中力が切れてきた僕は、失礼とは知りつつも、胸の内で文句を垂れていた。


「リオ様」


 低い声が僕を呼ぶ。指先から淡い光を灯す石をぶら下げたカーンは、僕がページをめくるのに合わせて手を動かす。その石を辿って、僕もちょっかいを出す。


 そんなやり取りを繰り返す中、彼は静かに、しかし呻くように言った。


「明日こそは、ここを出ましょう」


「……何か感じた?」


 カーンは鼻と耳がよい。僕には感じ取れない匂いや音も、彼ならば捉えることができる。

 そんな彼が、僕の想像、感覚の及ばない“何か”を察知していても、何らおかしくはなかった。


「雨の匂いがいたします」


「雨? 潮の香りじゃなくて?」


 そう尋ねると、カーンは黙り込んでしまう。余程自信がなかったのか、いつもの彼では見られない反応だった。


「どうしたの、カーンらしくない。調子が悪いならちゃんと言って」


「申し訳ございません。実は、ここに来てから鼻の調子がよくなくて……」


 そう言って、カーンは肩を竦める。

 風邪だろうか。そんなことを思ったが、僕の目の裏に一つの光景が蘇った。


ヴァーゲ交易港に到着した日、街の奥に見えた淀んだ空気。砂漠から巻き上げられたと思しき砂の渦。あれが、カーンの不調の原因なのかもしれない。


「じゃあ、尚更早くここを出た方がいいかもね」


 見ず知らずの旅人を泊めてくれた家族には悪いが、また後で恩義は返しに来よう。そう心に決めて、僕は本を閉じた。


   □   □


 薄い光が差し込む。目を覚ました僕を出迎えたのは、少しざらついた空気と、騒がしい気配だった。


 ざわざわとして落ち着かない。細い声が囁き合っている。若い兄妹が言い争っているわけでもないようだ。


 僕が身を起こすと同時に近付いてきたカーンに、何があったのかと尋ねる。すると彼は、まるで叱られた子供のように視線を逸らした。悩んでいる時の証拠だ。僕は詰め寄る。


「何があったの?」


「……先程、女性が老婆の元を訪ねて来たのです」


 彼が言うには、起きない僕を置いて先に食事を摂っていた時、老婆プランダの元に一人の女性が転がり込んできたのだという。


 この地に住まい、プランダ一家とも関わりが深かったその人は、血相を変えて老婆に縋った。


 自分の息子が帰らない。昨晩出かけたっきり、まるで連絡がつかないのだ。だから居場所を占って欲しい。


 一国の兵として働いた魔術士とはいえ、プランダの本業は学者である。占いを仕事としている様子はない。居場所を占ってもらうためにプランダの元を訪れるのは、少しばかり不適当のようにも思えた。


「寝ている間にいろいろあったんだね。昼まで寝ちゃう癖、直さないと……」


 僕は布団を跳ね退けて、綺麗に折り畳まれていた外套を身体に巻きつける。そしてフードを目深に被った。


 例のごった返した部屋に向かうと、依頼主であろう女性と、この家の家主とその家族の四人が集まっていた。そのうちの二人、女性とディアナは、他以上に憂鬱そうな表情を顔面に貼り付けている。


 初老の女性がそれを浮かべる理由は推測できても、ディアナは予想できなかった。


 僕の起床に気付いたのだろう。ディアナがこちらを見る。その顔は病人のように青い。おはよう、と浮かべられる笑みもまたぎこちない。


「どうしたの?」


 カーンにぶつけたものと同じ問いを、ディアナに尋ねる。だが、ディアナは口をつぐんでいた。


 巻き込みたくない。


 沈みきった瞳は、そう語っているかのようである。僕は負けじともう一度問う。すると彼女の代わりに、しわがれた声が応じた。


「とある男が行方を眩ませたのです、リオ殿。ディアナと幼馴染の、おそろしく一途な男です。彼はディアナに手紙を残して、そして――消えました」


「手紙?」


「……ディアナ」


 プランダの呼びかけに、ディアナが大儀そうに動き出す。


 食事の痕跡を残す机から取り上げられたのは、縁々(ふちぶち)を鮮やかに彩った紙だった。彼女はそれを僕に差し出す。


 受け取った僕は遠慮なく視線を這わせるが、紙面に刻まれた黒い文字は、お世辞にも綺麗であるとは言い難かった。


 ――〈砂漠の薔薇〉を送る時、男は大きな決断をすると言われている。どうか待っていてほしい。


 僕は何も言えなかった。あまりにも抽象的で、よく分からなかった。ただ、ベンノの露店で見かけた物体、〈砂漠の薔薇〉が関係していることは確かだ。


 ぽかんとしている僕を見兼ねてか、ホホホと笑ったプランダが助け船を出してくれた。


「この地域には、婚約の際に〈砂漠の薔薇〉を相手に渡す風習があるのですよ」


 そのような風習は聞いたことがない。


 砂漠に栄えた街であり、〈砂漠の薔薇〉の有名所を歌うヴァーゲ交易港、あるいはそれの属するヴァーゲ王国特有の文化なのだろうか。


 僕の頭はそんな事を考え始める。だが、そこにあった混乱は、丁寧な説明を受けてもなお変わらなかった。


「えっと、婚約……婚約ってことは、おめでたいことなんだよね?」


 突如として訪れた婚約の宣言。それは親戚一同にとっても、本人にとっても、喜ばしいことのはずだ。


 しかしそれを受け取ったディアナは、まるでその様子を見せなかった。喜びもせず、嫌悪もせず、玩具を取り上げられた子供のようにむくれている。


「リオ君も見たでしょ。昨日、露店通りで絡んできたあの男。あいつ、砂漠に行ったのよ。なくした〈砂漠の薔薇〉を取りに。……本当に馬鹿みたい。昔のしきたり(・・・・)になんか執着しちゃって」


 それで野垂れ死んだのなら世話ないわ。そうディアナは口先を動かす。彼女らしくない言い草だ。


「助けは……もう向かったの?」


「向かったかどうかは分からないわ。連絡は送ったらしいのだけれど。……すぐには助けられないでしょうね。早くても明日か明後日か」


「そんな――」


 海の上からでも見えた、延々と続く赤茶けた大地。


 どこへ行っても太陽が照り付け、砂塵に巻かれ、同じような景色が続く、地獄のような土地――そんな所に迷い込みでもしたら、もう二度と出られないのではないか。


 想像しただけで僕の背中を冷たいものが這った。


「……砂漠を案内できる人、いる?」


 そう声を掛ける僕を、カーンの鋭い声が呼び止める。


 もう関わるべきではない。言葉にはされなかったが、真っ赤に燃える双眸は、そう叫んでいた。


 僕はムッと頬を膨らませる。

 たとえ僕を思っての制止だとしても、それはあまりにも酷すぎる。恩人たちが困っているのに、放っておくなんて、できるはずがない。


「じゃあ、いいよ。カーンだけお留守番してればいいでしょ。僕は行くから」


「リオ様!」


 怒ったようなカーンの声。僕はそれを無視する。代わりに部屋の中を見渡した。


 僕は砂漠を知らない。だから、できることならば歩き方や、あわよくば地形を知っている人が欲しい。そうでなくては、僕も行方不明となった男の仲間入りを果たしてしまう。


 すると一つの手が持ち上がった。ベンノである。

 壁に寄り掛かっていた彼は、気でも奮い立たせるように服の首元を揺すると、数歩前進する。


「案内なら俺ができる。けど、正直坊やは足手まといだ。後は自警団の連中に任せて、お前ら親子は本来の目的に戻った方がいいんじゃないか」


 気持ちはありがたいけど、と男は肩を揺らす。


 彼の言うことも(もっと)もだ。


 僕たちの目的は〈兵器〉を探すこと。


 その手掛かりと成り得る物をこの街で手に入れたとはいえ、僕たちの旅は始まって間もない。居を構えていた国のある島から、出る事さえできていないのだ。


 僕だって先を急ぎたい気持ちはある。だけど、それよりも、行方不明となった人物の方が心配だった。


「こんな状態で知らんぷりしろって? それは無理な話だよ。案内して。足手まといにはならないから」


 僕はベンノに願う。頭を抱える相棒を横目に、僕はぐっと唇を噛みしめた。


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