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竜の瞳の行く末は  作者: 三浦常春
第1章 ヴァーゲ交易港
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5話 翻訳

 夕暮れの港町にて手に入れた、魔界の大型本。その翻訳は可能だ。経験もある。だが僕は、ほんの少しばかりうんざりとしていた。


 旅に出てまで、それを求められるとは思ってもみなかったのだ。


 僕が〈兵器〉の捜索を請け負ったのは、それが理由の一つにある。


 僕たちが居を構えていたシュティーア王国は、魔界のある一国と交流を持っていた。そのやり取りの中では、書物も多く取り扱っていた。そのため、シュティーア王国には、魔界の文字で描かれた本が多く存在する。その数は、一時には百を優に超していたらしい。


 だが、王国に住まう人間族や獣人にそれが読めるはずもなく、彼らはその翻訳を、僕に依頼してきた。

 無数の本に囲まれる幸福はそれほど長くは続かず、興味のない本の翻訳ばかりを任される日々は、思い返してみれば、苦痛の一言に尽きる。


 一つ書物を片付けても、次から次へと依頼が舞い込んで来る。僕はそれがただ面倒――いや、大変で、それから逃げるために、僕は王の面倒な勅命を受けたのかもしれない。


 だが、魔術の研究を行う現場を見た僕の中には、ふつふつと興味が湧き上がっていた。


 魔術の扱いにおいては先を行く魔界と、研究の分野で多大なる貢献を果たす人間界。二つの技術が重なったらどのようになるのか。どのような新説で、僕を騒めかせてくれるのか。


 幸いにも、僕にはまだ多くの時間が残されている。プランダやディアナ、そして僕の代に成し得なくても、いずれはきっと、誰かが果たしてくれるだろう。その布石を打つ、というのも面白そうだ。


 しかし、僕は言う。沸き立つ興奮を抑えて、冷静に伝える。


「一応言っておくけど、これが研究の根拠になるとは思えないよ。これは魔界に伝わっていない話だ。全くの創作物である可能性も否めない。そこは覚えておいてほしい」


「ええ、きちんと整理するわ」


 ディアナは力強く頷く。


 真実である可能性が低くとも、歴史書としての価値がなくても、とにかく資料が欲しいのだろう。黒い瞳はまっすぐに僕を見据えていた。


「私ね、魔術や、その源と言われているもの――魔力の起源を知りたいの。だけど、まだ道が見えてこなくて。とにかく何か参考になるようなものが欲しいのよ」


「起源か……。神話にまで遡れば見えてくるだろうけど、神話は歴史書じゃないことの方が多いからなぁ。難しいね」


「リオ君もそう思う? やっぱりそうよねぇ。おば様からは一つ……何かしらの魔術に視点を絞って研究を進めてみてはどうかって言われているんだけど、とにかく資料が少なくて」


 ディアナは渋い笑みを浮かべる。


 魔術の研究は、ここ百年で急激に進んだと言われている。それは三界が――人間の住まう人間界、魔界、そして神界が、それぞれ干渉を強めたことに由来する。


 だが、なぜそれ以前に魔術の研究が進まなかったのか。僕はそれが分からない。


 今と比べると、規模はさほど大きくないものの、それぞれの干渉を強める以前にも、各世界の関わりはあったとされている。

 余程魔術に興味がなかったのか、研究の必要性を感じなかったのか。あるいは、研究はしていたが、その存在を消されたか。僕に想像できるのは、そのくらいである。


 若い研究者の熱意を知った僕は、半ばげんなりとしていた感情が消えていることに気が付いた。それどころか、協力したいと思っている。つまり、これは初めて自分の意志で請け負う翻訳だ。


 僕は大きく頷いた。


「分かった。やるよ、翻訳」


 決意を表したその時、静寂を保っていた相棒カーンが耳打ちをする。


 彼の前にも、他の人と同じくスープとパンが並べられていた。しかし手は付けていないようだ。食卓に並べられた当初のスープから漂っていた湯気は、すっかり消えてしまっている。


 彼のことだ。どうせ僕が食べ始めるのを待っているのだろう。


「リオ様、もしも船上でそれをやろうとお考えでしたら、改めた方がよろしいかと」


「どうして? この後、一か月近く船に乗るんでしょう?」


「その後は、しばらく陸上の移動が続きます。落ち着いて作業をできる時間は限られるでしょう」


 それなら徹夜して仕上げる方法もある。そう反論しようとしたが、確実にカーンはそれを許さない。それは実際に言葉に出されずとも分かった。


 昼間の多くは移動か探索に割り振られる。そうすると、作業できる時間帯は自然と夜になる。しかしその時間は休息に充てるべきものだ。それを多く削ることは、いずれ命にも関わってくる。それに、カーンも許してはくれないだろう。

 僕は唸った。


「思ったよりもずっと時間が掛かってしまいそうだな……」


「構いません」


 プランダは、そう肩を揺らす。


「請け負ってくださるだけでも、ありがたいものです。それに、老い先短い婆が見れずとも、私の弟子が継いでくれるでしょう。そのために彼女を――彼女らを、我が家に迎え入れたのですから」


 きゅっと胸が締め付けられる思いだった。


 生き物に等しく訪れるという死。目前の老婆はそれを受け入れていた。抗わず、逆らいもせず、運命と信じてそれを享受している。

 そのような感性を持つ者もいたのか。僕はそれが意外だった。


 僕がこれまでに出会ってきた人間は、等しく生に執着していた。よって死を恐れ、最期の今際まで死の微睡まどろみに剣を突き立て、掠れた鼓舞を打ち鳴らしていた。


 だからこそだろうか。生の終わりの境に見せる力は、戦慄に値する。獣や魔物よりもずっと恐ろしい。恐ろしくて美しい。


 その営みに、僕がどれだけ魅了されたか。それはきっと、散っていった彼らには届かないだろう。もしも知ったら、呆れるはずだ。趣味の悪い事だ、死よりも生に感心を持てよ、と。


 だが、僕にとっては終わりの方が興味深い。他人の最期も、そして、いつかは迎えるかもしれない自分の果ても。相棒の末路も。


 少ししんみりとしてしまった。そんな僕の様子を見てか、老婆の継承者が鮮やかな笑顔を浮かべて、養母の方を向く。


「おば様は、殺しても死にそうにないわね。ぐっちゃぐちゃのドロッドロになっても、翌日には元通りになっていそう」


「ディアナ。そう老人をからかうものではありませんよ」


「だって、本当のことだもの。ね、リオ君もそう思うでしょう?」


 突如として振られた話題に、僕の肩はびくりとする。確かにプランダは、不死と打ち明けられても納得してしまうような雰囲気を持っている。


 僕は思わず笑ってしまった。


「リオ殿、カーン殿。よろしければ、港に滞在する間、この家をお使いください。繁盛している街のくせして、ここには宿が少ない――どこも高くついてしまうでしょうから」


 プランダは、穏やかに言う。


 この町、ヴァーゲ交易港に長居するつもりはなかったが、宿を提供してくれるのであれば、それを断るのは勿体無い。浮いた宿代も今後役に立つことだろう。


「ありがとう、プランダ。助かるよ」


「代わりに、また老婆の戯言に付き合ってくださいまし。ディアナやベンノでは相手にならんのです」


 ホホホと朗らかに笑い、身体を揺らす。それに残念そうな素振りを見せたディアナだったが、すぐに太陽のような笑みを弾けさせた。


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