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竜の瞳の行く末は  作者: 三浦常春
第1章 ヴァーゲ交易港
14/22

14話 自宅訪問

 パチパチと何かが弾ける。視界に灯る光を追って、僕の意識は浮上した。


 視界に広がる天上はまだ暗い。頼りない星々が、どこまでも続く黒色を飾っていた。


 まだ寝ていても平気じゃないか。僕は呻いて、再び睡魔に身を預けようとした――が、すぐに思い出す。寝入る前に何をしていたのかを。


 僕は勢いよく身体を起こした。


「おはようございます、リオ様。よくお眠りでしたね」


 心地よい声が降ってくる。砂地に敷かれた布。その上に座り込む僕の傍に膝をついたカーンは、いつものように微笑む。


 まさか、ずっと寝顔を観察されていたのだろうか。恥ずかしい気持ちを抑えつつ、僕は口元を擦った。


「おはよう、カーン。……ここは? もう着いたの?」


「はい。ここは砂虫の巣から、そう遠くない地点です。到着してから、およそ半時が経過しました」


「僕が起きるまで待ってたの? 起こしてくれればよかったのに」


 そう言うと、カーンは少しばかり困ったような表情を浮かべる。そんな彼の身なりを見て、僕ははとした。


 彼は外套を羽織っていなかった。僕が下敷きにしている物が、彼のそれだったのだ。火の近くとはいえ、今は太陽の光がない。寒いに決まっている。僕は慌てて回収を始めた。


「ごめんね、寒かったでしょ」


 砂に敷かれた布と、枕代わりの小荷物。膝を地面に突っ込んで、その回収を始める。そんな僕の、寝起きの覚束ない手元に、大きな手が伸びてきた。


「問題ありません。寒さには慣れています」


「それ、寒かったってことじゃんか!」


 そう僕が突っ込むと、彼はくすりと笑って見せる。怒ってはいないようだ。


 僕の手から布を取り上げた彼は、付着した砂を大して払うことなく、それを身体に巻き付けた。

 強がっていても、やはり寒かったのだろうか。僕は途端に罪悪感に襲われた。


 そんな時、僕の耳元で荒々しい音が鳴った。耳を擦る生温かい息。飛び上がる僕の視界に、丸い鼻面がぬっと差し込まれた。


 僕たちをここまで運んでくれた動物、カメールだ。二頭の動物は長い睫毛を瞬かせて、少しばかり潤んだ瞳を寄せる。吸い込まれてしまいそうな闇に、焚火の光と僕の間抜け面が映り込んでいた。


「おはよう。大変だったでしょう。乗せてくれてありがとうね」


 そう二頭の首を撫でると、片方が鼻を鳴らす。もう片方は、終始穏やかな瞳を僕に向けていた。


 彼らは社交的だ。他者と積極的に関わり、触れようとする。子供のように遠慮知らずで、かと言って放逸としたものであるとは言い難い。それどころか、妙な安心感さえ覚える。


 そんな彼らを見ていると、僕の脳裏にあの赤髪が過った。僕たちをこの砂漠へと連れ出した、うら若き女戦士。彼女の姿がどこにも――少なくとも、火の明かりが届く範囲には見当たらなかったのである。

 まさか、道の途中で振り落とされたわけでもあるまい。僕は相棒に尋ねる。


「オルティラは?」


 彼女は乗っていたカメールは健在だ。焚火から少し離れた位置には、彼女の物と思しき荷物が放置されている。ここにいた事は確かだ。だが、肝心の持ち主は見つけられない。


 辺りを見回して、僕は気付いた。澄んでいたはずの空気が曇っている。ツンとした、胸糞悪い匂いが、空気を汚しているのだ。どこかで何かが燃えている。僕たちを照らす焚火とは異なる場所で。


 まさか――。


 僕の背を冷たいものが通る。相棒はいつもと変わらない、穏やかな笑みを浮かべるばかりで、何も言わなかった。


「まさか、殺してなんて――」


「おっ、ボク、起きたかい」


 ふと、そんな声が聞こえてくる。カーンとは全く毛色の異なる溌剌とした声。それは紛れもなく、探していた女戦士のものだった。


「オルティラ! びっくりした……どこに行ってたの?」


「ははは、息子さんは心配性であらせられるな。何、先に巣の様子を見てきたところさ」


 そう言って彼女は手に持っていた松明を揺らす。描かれた長い影が、砂の上で大きく踊った。


「まあ、様子見というか、半分始めていたんだけど」


「……巣、焼いてたの?」


「いや、煙を入れていた。煙を入れると、砂虫は大人しくなるんだってさ」


 漂ってきた煙の正体はそれだったのか。僕はほっと胸を撫で下ろした。


「なんだかハチみたいだね」


「ハチは知っているのか」


 意外そうに目を丸めるオルティラ。流石に見くびり過ぎだ。僕は不満を露わにした。


 以前僕たちが居を構えていたシュティーア王国のとある村では、養蜂が盛んに行われていた。暇を持て余した僕は、カーンの目を盗んで、よく遊びに行ったものだ。その度に細々と営まれるハチと人々との共生に感動して詠嘆して、同時に羨ましく思った。


 そういえば、世話になった彼らには、碌に挨拶をせずに出てきてしまった。今更ながら、僕は何となく後ろめたい気分になった。今頃、心配しているだろうか。


「煙を入れた後はどうするの、焼くの?」


「そうそう、奥から焼いていくつもり。――とは言っても、巣自体に火を灯すのは難しいだろうな」


「何で?」


 僕が尋ねると、オルティラは肩を回す。


「ちらっと中を覗いてきたんだけど、全体が泥で作られてるっぽいんだよね。もともとあった崖の亀裂を埋めて、そこに巣を作った。そんな感じらしい」


「確かにそれだと、火は回らなそうだね」


「でっしょー?」


 この地には砂がたくさんある。正確には、砂しかない。入手し易い建材を用いて巣を作ることは、至極全うな選択であろう。その選択が、こんな時――やってきた“悪人”によって、家が焼失の危機に晒されている際に有益に働くとは、まるで想定していなかっただろうが。


「今回の目的は砂虫の巣を壊すことなんだよね。火が使えないとなると、どうするつもり?」


「大砲ぶちかましたいなぁ」


「持ってきてないでしょ」


「そうなんだよなぁ。ま、地道にやるしかないか」


 そう大儀そうに首を振ってから、オルティラは大剣を担ぎ直す。布の解かれたそれには、緑色の液体が付着していた。既に何匹かの砂虫が犠牲になったらしい。虫たちも、巣を壊されまいと必死のようだ。


 可哀想に、と思う暇はなかった。思ってしまったら、僕は躊躇う。そうなればまた、足を引っ張ってしまう。それだけはどうしても避けたかった。


 先陣を切って、オルティラは歩いて行く。彼女の前には高い壁が(そび)えていた。天を貫く崖には自然の年輪が刻まれ、重なる歴史は僕たちを圧倒し威嚇する。根元からぱっくりと裂けた穴も、それを助長していた。


 壁の口に、躊躇いなく吸い込まれていくオルティラ。それに僕、カーンの順で続く。


 穴は、僕が少し身を屈めれば通過できる程の寸法だ。僕よりもずっと背の高い大人たちが、頭や背中、尻をぶつけて、己の身長を恨む場面を見られるかもしれない。そう期待していた僕だったが、彼らの感覚は侮れなかった。二人は背を丸めて、壁に服や肌を擦ることなく、易々と穴を潜り抜けてしまった。


 そんな様子を眺めていた僕の目が、余程残念そうに見えたのだろうか。身体を起こす際、カーンがわざとらしく壁に頭をぶつけた。


「だっせー、頭ぶつけてやんのー!」


 ゲラゲラと気品の欠片一つない笑声が、辺り一面に響き渡る。それは壁に反響し、多くの余韻と共に僕の耳へと入って来た。


 目敏い彼女は、カーンの行動を見逃さなかった。たとえそれが、僕のために繰り広げられた道化の類だったとしても。


「オルティラ、静かにして」


 そう僕が諫めると、オルティラは拗ねた子供のように唇を突き出す。


「面白いことを笑って何が悪いのさ」


「笑っちゃいけないだなんて言ってないでしょ。静かにしてって言ったの」


「じゃあ、静かにすれば、笑っていてもいいんだね?」


 そう言って、女戦士は口角を持ち上げた。ニタニタと鬱陶しい笑みを作って、カーンを挑発する。


 本当に子供のような人だ。僕が出会ってきた大人の中で、最も子供に似た精神を持ち合わせているかもしれない。カメールを見習ってほしい。僕は深い息を吐いた。


 深い闇に包まれた巣が、オルティラによって照らされる。松明の明かりを受けた壁に、長い影が伸びる。


 僕たちの両側に聳える壁は、爛れたロウのようだった。直立に近い壁を伝って垂れ下がる泥――それが炎に照らされて、ぬらぬらと蠢く。怪しくゆっくりと、まるで怨念の集まりであるかのように。


「天井は結構高いんだね」


 僕の声が響く。


 見上げた天井に終わりはなく、どこまで続くとも知れない闇が広がっている。


 夜空より深い黒。いつか松明の明かりさえも押し潰して、飲み込むべく襲ってくるのではないか。そんな想像さえも掻き立てる闇が、鈍い唸りと共に広がっていた。


 それを(くぐ)って少し進むと、開けた場所に出た。両側にそびえる壁は取り払われ、代わりに虚無が僕たちを囲い追い立てる。それを払うように、オルティラは炎を大きく揺らした。


「ここ、虫を駆除したら拠点に使えそう。外ほど寒くないし、熱くならなそうだし」


「確かに。オアシスを迂回する経路とは、別の道を開発してもいいかもしれないね」


「後で提案してみようか。ま、私はもう使わないけどねー」


 オルティラが壁を照らして回る。しかし映し出されるのは、入口同様に爛れた壁ばかりだ。異なる点と言えば、壁に開いた小さな穴。そして地面に散らばるくすんだ白色くらいだ。


 あれは一体何だろうか。興味に駆られて近付く僕を、相棒が引き留める。


「病気を持っている可能性があります。降れないようお気を付けください」


「ええ、大丈夫だよ、多分……」


 しかし僕は気になって仕方ない。上顎と下顎に、それぞれノミの先端を付けているそれが、生前どのような姿をしていたのか。


 たまらず僕はオルティラに尋ねた。


「オルティラ、この骨は何?」


「骨? 骨だと? ボク、目を閉じなさい」


「え、どうして――」


「いいから!」


 訳の分からぬまま、僕は目蓋を降ろす。すると僕の肩に重りが乗って、くるりと身体の方向を変えられた。


「いいかい、ボク。さっき見た物は忘れなさい。どうしても見たいなら、(へそ)を隠すこと。いいね?」


「何でお臍……」


 納得はいかないが、僕の手は自然と腹に回っていた。それを確認すると、オルティラはようやく僕の肩から手を外す。


「その骨は、産卵に使われた動物のものだろう。砂虫は、動物の身体に卵を植え付ける習性があるそうだよ」


「産卵? ええっと、砂虫は生きている動物を襲わないんだよね。じゃあ、死骸に卵を植え付ける……ということになるのかな」


「かもね。私もよく分からないけど」


 オルティラの話が確かならば、オアシスにおいて起こった惨事は、砂虫の来襲以前に発生していた可能性がある。何者かがオアシスを襲い、虐殺し、砂漠の掃除人がその“後始末”を請け負った。


 だがそれは無理があるかもしれない。


 悶々と考え始める僕の頭。練り回される思考が、言葉となって口へと運ばれて来るまで、そう長い時間は必要なかった。


「ねえ、砂虫、観察できないかな? ちょっとだけでいいんだ。苗床をどう選んでいるのかとか、産卵をどうしているのかとか、そういうの、見てみたいんだけど……」


 その男はすぐ近くにいた。存在を知らせるように、僕の手に温もりが触れる。


「お気持ちは分かりますが、時間がありません。またの機会にしましょう」


「えー、また来れるかどうか、分からないじゃん」


「来ましょう、必ず。仕事を終えるまでの辛抱です」


「……帰って来れればいいけどね」


 そんなことを話していると、突然、僕の耳に音が迫って来た。


 空気を震わせる鈍い羽音――巣に足を踏み入れてからというもの、鼓膜の奥にこびり付いていたその音が、瞬く間に大きくなっていく。


 気の所為ではなかった。単なる耳鳴りではなかった。僕は暗闇を仰ぎ見る。


「何かいる?」


「出て来やがったな、虫野郎共め!」


 啖呵を切るオルティラ。その手が掲げた炎に、無数の砂虫が浮かび上がった。


 天井を覆っていた闇が虫となって、僕たちを飲み込もうとしていた。


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