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古本屋『不思議堂』  作者: いのり あめ
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序章 一節

夕陽の絵具に染まる住宅街。建物という建物に、道という道の狭間に流れ込む絵具の世界を少女は歩いていた。

陽に目を細めて、自身の影を伸ばしながらゆったりと歩いていく。

丸く結わいあげた桃髪は、彼女の動作に合わせて揺れ動く。片手にはビニール袋が下げられており、二つのカップラーメンがカタカタと音を鳴らす。

足元に揺らぎ続ける陽炎は、徐々に少女を追い詰めていく。額に滲み出た汗は前髪をはりつかせ、不快感を催すものに変わっていく。

金色の瞳を左右に動かし、この黄昏から逃れる場所はないかと探す。

「あっつぅ…。」

路地裏というものはこういう時に役立つのか少女は狭い小路へと歩みを進める。夕陽に向かって飛んでいくカラスは趣を感じさせるが、今の彼女にはそれを楽しむ余裕はなかった。

建物によって陽の光が遮られた路地裏の涼しさに安堵したのか息を吸う。

家まではまだ遠いのか、ゆったりとした足取りで歩みを進める。夏というのは、朝も昼も夜の帳が下りる前ですら人を追い詰めにくる。

「遠回りだけど、まぁ仕方ないか。」

最善の選択をしているのだから仕方ないと口にする。汗の張り付いた真っ白なシャツに紺のプリーツスカートを揺らして少女はただ足を進める。

閑静な住宅街はカラスと蝉の合唱場となり、鬱陶しさをますます増幅させる。

水田の上を競い合う赤蜻蛉の姿は都会の住宅街で見ることはできない。だが、もはや家その物が大きな生き物に見えざるをえないほどに暑さが酷い日であった。


どれほど、歩いていたのか。不意に少女は視線の先を変えた。


風鈴の音が鳴り響く。風が路地裏に入り込み、少女のスカートをふわりと巻き上げる。

家が立ち並ぶだけの住宅街の中に異質といえるほどに、それはあった。

「なにこの店。」

『不思議堂』と小さな看板が木造のドアに立てかけられている。この店の屋号だろうか、と少女は首を傾げた。

絵本に出てきそうな西洋風の一軒家がそこにあった。だが、ただの家には看板などつくとは考えにくい。

少女は更に訝しんだ。家の周りは花々が囲み、ウサギや猫の置物が綺麗に配置されている。

あまりにも場違いな店らしきものを前にして少女は恐る恐る様子を伺う。とってつけたように書かれた『OPEN』の文字がまた怪しさを醸し出していた。

好奇心は猫をも殺す。

むやみやたらに奇怪なものについていくなという兄の言葉が脳裏を過る。だが、時すでに遅し。

新たな刺激に飢えていた少女はドアノブに手をかけ、回す。


チリン。

扉に鈴をかけていたのか、甲高い音が少女の耳に入る。

鼻を擽る紙の匂い。暖色の光に照らされた無数の本棚が少女を出迎えた。

「…本屋…?」

個人経営の本屋だろうかと、本の帯に視線を向けながら足を踏み入れる。

だが、どれも英語でも日本語でもない何かの文字で書かれていて理解をすることができない。

その上、文庫本ではなくどれも重層な表紙にどの本にも豪華絢爛な装飾が施されていた。

彗星を彩ったもの、林檎の刺繍が入ったもの、宝石が散りばめられたもの。

立ち並ぶ本棚に並ぶのはただの本では無いと一目でわかった。

紙のかび臭い匂いは、本屋というよりも古本屋を想起させる。自身には場違いだったかもしれないと、再度ドアノブに手をかけようとしたその時。


「やぁ、いらっしゃいませ。」

「ひっ!?」

女とも男ともとれない声を背後から突如かけられ少女は驚嘆する。音もなく背後に立たれたことに対する驚きと戻れない何かに足を踏み入れたのではないかと言う恐怖が体を掛けめぐる。

陽に熱されて出る汗とは異なる、冷たい汗が背中をつたう。

「おや、驚かせて悪かったね。ようこそ『不思議堂』へ。」

顔の横に、別の人の顔が映る。否、映りこんできた。

端正に整った顔は女でも男でもなく、人ではない何かを感じさせる。この何かの傍にいてはいけない。本能が警鐘を鳴らすも、体は意志に反して硬直する。

「え、あ、ど、どうも…」

「君、ケヴィンちゃんかな。はじめまして!ここの店主のルイス・キャロルだ!」

店主と自称するそれは、少女の名前を口する。

何故名前を把握しているのか。

目線を合わせる事すら今の少女はできない。ただただ恐怖と困惑で体が硬直している。

まばたきをする。頬を汗が伝う。まばたきを繰り返す。

すると、視界の先の景色が変化していることに気づき、肩がはねる。

眼前にあるのは一枚の扉ではなく、椅子に腰かけ机に頬杖をつく異様な『魔法使い』の姿だった。

机はバーのカウンター席のように長く、そいつの後ろは無数の瓶が立ち並ぶ異色の食器棚。

天井から下がるガラスのランプが暖色を放ち、無数の瓶が光を反射して少女は目を細める。


「あらためてようこそ。ケヴィンちゃん。ようこそ!古本屋『不思議堂』へ!」

「僕は店主のルイス・キャロル。何かの縁だ。よければ色々本、見てってよ。」


あぁ、やってしまったと少女は息を吸い込む。

しかし今頃兄の教えに逆らったことを悔いてももう遅い。少女はゆっくりと息を吐き出して、一言ぽつりとつぶやいた。

「かえりたいです…。」



アリス!童話を受け取っておくれ、

そして優しい手で置いておくれ、

「子ども時代」の夢が、「記憶」の神秘の帯を彩るところへ。

巡礼がはるかな国から摘んできたしおれた花輪のように。



いらっしゃいませ。ここは不思議な古本屋。次のアリスは貴方で決まり。

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