第8話 皇宮で過ごす日々
数日後、ティアナとウィルバートの婚約はすんなりと成立した。ウィルバートが言っていた通り、皇帝はティアナがフランネア帝国の皇族となることを大いに喜び、二つ返事で二人の婚約を了承したという。
ティアナはそれからの日々をとても忙しく、穏やかに過ごしていくこととなる。
ティアナの名目上の勤務先を提供してくれたオリヴィア皇女は、ティアナとウィルの婚約を歓迎した。
十四歳の皇女はティアナの目にもとても可愛らしく映り、ティアナを慕って『ティアお義姉さま』と呼ぶ笑顔に日々ティアナの心は癒された。ティアナにも『リヴィ』と愛称で呼ぶことを求め、可愛い姉妹の誕生を周囲は微笑ましく見守った。
(アマンダのこともある意味可愛いとは思っているけど……リヴィの可愛さは別格だわ)
ティアナは実兄であるウィルバートよりもオリヴィアを可愛がり、オリヴィアは兄から嫉妬の目を向けられる羽目になった。
(それよりも……)
ティアナは自室でクローゼットを眺めながら首を傾げていた。
(なんでバレたのかしら……?)
ティアナがこれまで着ていたドレスは、どれも最高級のものだった。ただ、それは義妹のアマンダが着なくなったものを自分で仕立て直していたものだったというだけでーー。
(今まで誰にも指摘されたことはなかったし、仕立て直しの技術には自信があったのに……)
なぜかその事実がウィルバートに露見していた。
そして、「僕に贈らせてほしい」と懇願するウィルバートに押し切られる形で、これでもかという程たくさんのドレスがクローゼットに並べられることになった。
(ウィルが私のために選んでくれた……)
ティアナは所狭しと並べられたドレスに触れ、ウィルバートの顔を思い浮かべた。それだけで嬉しかったのだがーー。
自分のためだけに仕立てられた衣装なんてこれまで手にした経験がなかったティアナは、最初の一着を手にしたときなどは感動して手が震えたほどだ。さすが皇太子から贈られるだけあって質も最上級のものであった。そして、それがクローゼットをから溢れるほど次々と運ばれてきたのである。ティアナは考えもしなかった贅沢に目眩がしてきそうだった。
しかし、こうやって率先して経済活動を行うのも皇太子妃の務めだと妃教育で勉強した。
(贅沢すぎず、必要なものを必要な分だけ求められる感覚を養っていこう)
ティアナは少しずつ皇太子妃としての自覚を育んでいっていた、
また別の日には、ウィルバートの護衛を紹介されて驚いた。なんと、彼の護衛の隊長として現れたのが、四年前ティアナがウィルバートと付き合い始めた頃に友人として紹介された『フィルさん』だったのだ。
突然皇宮に住むことになってしまって、知らない場所と人にずっと緊張状態だったティアナは、ウィルバート以外の見知った顔を見つけた喜びで緊張の糸がぷつんと切れた。ティアナは無意識に『フィルさん』と名前を呼んで嬉しそうに駆け寄り、彼の手を握ってしまっていた。
フィリップには仕方のない子だなぁというように呆れた表情で苦笑され、ウィルバートには無言でやんわりと解かれた手を握り込まれた。ティアナは、我に返った後にやってしまったと背筋が凍った。
その場にいた人はみんな苦笑いしていたけれど、ウィルバートだけは完璧な笑顔だったのがティアナには怖かった。
(いや、目だけ笑っていなかったかもしれないわね……)
もうしないように気をつけよう、と固く心に決めたのだった。
そして、ティアナにとって一番嬉しかったのが、ミリアーナがティアナ付きの侍女として宮殿にやってきてくれたことだ。
ティアナはミリアーナに両親の話からウィルバートと婚約に至るまでの経過まで、全部を詳細に話した。彼女には両親が亡くなるまで付き合っていた「ウィル」の話は元々していたから、彼とウィルバート皇太子殿下が同一人物と聞いたミリアーナは『恋愛小説みたい!』と大興奮した。ティアナはミリアーナが読書家なのを知っていたので、そんな親友の姿を微笑ましく見守った。何はともあれミリアーナに婚約を祝福してもらえてほっとしたティアナだった。
皇宮で、ティアナは皇太子妃の部屋に滞在し、使用人もたくさん配置されている。恐れ多く思いつつも、ウィルバートに相応しい妃になれるよう身が引き締まる思いで日々を過ごしていた。
ミリアーナは侍女として皇太子の婚約者に仕えているので、「敬語は譲れない」と言い張った。線を引かれるのが寂しく、これまでと同様の話し方をしてほしいと願ったティアナだったが、そう言われては納得せざるを得なかった。その代わり、せめて二人きりの時だけは! というティアナの懇願は真面目なミリアーナにも響き、お互いが譲歩することとなったのである。
「ルスネリア公爵家のみんなの様子はどうだった?」
「『ティアが帰ってこない』って急にロバート様から聞かされてみんな動揺していたけど、帰ってこない理由を知って暇乞いが急増したらしいわよ」
「え!? どうして?」
ティアナは純粋に驚いた。ミリアーナも以前言っていたが、ルスネリア公爵家は貴族家の頂点と言っても過言ではなく、待遇もいいので離職率も低い。それだけに離職者が急増することは異常なことであった。
「大丈夫よ。私もそうだけど、辞めた人たちの大半は宮殿で再雇用されているらしいから」
辞めた人たちが路頭に迷う心配はなさそうで安心したティアナだったが、どうしてそんなことをミリアーナが知っているのだろう? とティアナが首をかしげていると、「ランドール様が教えてくれたの」とミリアーナが答えをくれ、納得した。
(ランドール様がなにか手を回してくれたのかもしれないわね……。ここに、私の味方を増やそうとしてくれたのかもしれない)
ウィルバートの側近であるランドールは、とても優秀な人材だ。ウィルバートが留学している間にフランネアに残って皇太子としての仕事を支えたのがランドールだという話も聞いていたし、ティアナが保護されなければならない環境に置かれていることも彼が突き止めてくれたと聞いた。なので、ティアナもこの短い間ですでに彼に対して大きな信頼を寄せていた。
(私のドレスもランドール様のお姉さまがデザインしてくださったと聞くし……)
そこまで考えてやっとウィルバートにお下がりドレスの件がバレていた謎が解けた。
(なるほど! おそらくバレたのは私の裁縫の腕が拙かったのが原因ね……。ランドール様は“ブランシュ”の創業から関わっていたというし、ドレスについて誰よりも詳しいのも納得だわ)
ルスネリア公爵家でティアナにドレスの仕立て方を教えてくれて、最近ではもう教えることはないと太鼓判を押してくれていたメイドのメアリーに申し訳なくなった。
「ロバート様も暇乞いには柔軟に応えていて、希望が通らなかった人はいないみたい」
聞けば、ロバートも使用人の総入れ替えを考えていたようで、喜んで辞職させてもらえたのだという。
(私が家を出たから? もしかして、何か考えがあってのことなのかしら……)
ティアナはその不自然さを不気味に思ったが、ミリアーナに話しかけられて意識を戻した。
「きっとみんなあなたに会いたがっているわ」
「本当にみんなここで雇ってもらえたの?」
「うーん、私もまだ一部の人としか顔を合わせたことはないからわからないけれど……。みんなティアのこと大好きだからね」
ティアナだってルスネリア公爵家の使用人のことは大好きだった。もう会えないのかもしれないと思っていたから、ミリアーナの言葉は嬉しかった。
両親がいなくなってしまったあと、急にルスネリア公爵家に引き取られて勉強漬けの日々を送った。社交界デビューを果たしたあとは、義務は果たしたと言わんばかりに使用人として働くことになった。目まぐるしく状況が変化していく中でいろいろ辛いこともあったけれど、ミリアーナや他の使用人のみんなと出会えてたくさんのことを教えてもらったし、家族みたいに温かく迎え入れてもらった。ティアナには悪いことばかりではなかったと思い返す。
「またみんなと一緒に過ごせるなんて嬉しいわ!」
「大好きだったのに何も言わずに別れなければならなかった『ウィル』にも再会できたしね?」
「……うん」
「ティアが幸せそうでよかったわ。私は何もできなかった役立たずなのに、こうやって希望通りティアの一番近くで働かせてもらえて、感謝しているのよ。これからもティアの幸せを精一杯支えていくからね」
今までのことが頭をよぎり、胸の奥から何かがこみあげてくるようだった。
それを必死でこらえ、ティアナはミリアーナに心を尽くした。
「私はミリィがいてくれたから、あの家でも頑張れたのよ」
ティアナがルスネリア公爵家に引き取られた当初はしばらくの間勉強に明け暮れ、めったに部屋から出ることもなかったため、使用人との交流も最小限だった。その後、姿を現すようになったティアナはなぜか使用人の制服を着せられていた。ルスネリア公爵家で働く人たちは、公爵令嬢のはずなのに使用人として働くティアナをどう扱っていいのかわからなかったに違いない。
ティアナも次々と変わっていく環境にどのようにして合わせていけばいいのかわからず、混乱して途方に暮れていた。『貴族にならなければ』と必死に勉強していたのに、社交界デビューが終わると同時に使用人の制服を渡されたのだから。貴族として生きていけばいいのか、それともそれは一切捨てて使用人として生きていけということなのか――。ティアナが自分を見失いそうになっていたとき、一人の貴族令嬢として、公爵家で侍女として働いている立場として、ティアナを導いてくれたのがミリアーナだった。彼女がいなかったらどうなっていたのか、ティアナには想像もつかない。
そんな思い出話をすると、ミリアーナはあっけらかんと笑って言い放った。
「そんなこともあったかしらね? よく覚えていないわ」
覚えていないはずはない。
ミリアーナはそれ以降、いつもティアナを気にかけ、寄り添い助けてくれたのだから。
「えー! 私たちの友情が生まれた日を覚えていないなんて許せない!」
ティアナの部屋は二人の笑い声で満たされた。
彼女たちの日常は、これからもこんなふうに幸せに過ぎていくのだろう。
ティアナは楽しそうに語る親友の話に耳を傾けながら、環境を整えてくれたウィルバートやランドール、そしてティアナたちを助け、支えてくれる全ての人たちに感謝した。
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