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第19話 安寧と遭遇

(別の意味で眠れなかった‥‥)


ティアナは昨晩、母のことで落ち込んで眠れなくなってバルコニーに出たのに、そこでサミュエルに遭遇して今度はそのおかげで眠れなくなってしまった。


このふわふわとした感覚はウィルバートと交際していた頃に感じていたものに似ているようで、全く異なっていた。


(サミュエルはどういう意味で‥‥いいえ、きっと深い意味はないはず。だって、私は皇太子殿下に婚約解消という名の婚約破棄を突きつけられたも同然の落ちこぼれ令嬢だもの。)


婚約が解消になって、しかも相手の新しい婚約者に義理の妹が指名されるなど、貴族社会で生きる令嬢にとって醜聞も甚だしい。

対するサミュエルは代々騎士団長を務める家系の今や嫡男である。その上、眉目秀麗で物腰も柔らかい。ティアナは社交界にさして顔を見せていないためそういう噂には疎いが、彼がさぞ令嬢方から人気を博しているだろうことは容易に予想がつく。


(落ち込んでいる私を慰めようとしているのよ。彼は優しい人だから。それに10も歳が離れているんだもの。きっと子供に接するような心持ちなのだわ。自意識過剰はやめましょう。)


ティアナはウィルバートとのことをまだ過去のことにできないでいた。あんなに好きだった人だ。簡単に忘れられようはずもない。


ここ数日間に起こったこと、知ったことの内容が濃かったため、ウィルバートのことを思い出す余裕がなかっただけなのだ。

昨日マリウスに自分の話をする時に、ルスネリア公爵家を出る時に蓋をしたはずのウィルバートへの気持ちを久しぶりに思い起こした。


そして、冷静に考えて判断すれば、きっとあの婚約解消は彼の本意ではないだろうことが推測できた。けれど、ティアナは確かに彼に傷付けられた。信頼を裏切られた気がしたのだ。その時の気持ちはなくならない。


(それでも‥‥私も悪かったのは確かだものね。起きていることを知ろうとしていなかったし‥‥。何より、ウィルとの時間を取り戻すことに必死で、彼しか見えていなかった。視野が狭くなっていたのね。そんな状態で皇太子妃になれる程甘くないって気付いていたのよ。婚約解消されて当たり前ってどこかで思ってたから‥‥。だから、ウィルの署名入りの婚約解消書類を見て、すぐに絶望して自分も署名してしまったのだわ。)


結局は全て自分が未熟だったせいだとティアナは結論づけた。


(どうして君はそう自虐に走るのかなぁ‥‥)


ティアナの頭の中に誰かの声が響いた気がした。


「誰?」


ティアナが周りを見回しても、誰の姿も見えない。ティアナが頭を傾げていると、扉を叩く音が聞こえた。


「ティアナ様、起きられましたか?入らせていただいてよろしいでしょうか?」


メアリーの声である。ティアナは諾の返事をして、彼女を部屋に迎え入れた。


「よく眠れましたか?あら、うっすら隈ができていますね‥‥お任せください!私、お化粧も得意なんですよ!」


メアリーが明るい話題を振ってくれながら、可愛い洋服を着せて、素敵な髪型に結い、隈隠しも完璧なお化粧をしてと、甲斐甲斐しく世話をしてくれたので、ティアナは先程聞こえた不思議な声のことも、心を重くするあれこれのこともすっかり忘れて支度を楽しんでいた。


ちなみに、ティアナにつけると言われた使用人は全て断った。ティアナは一時宮殿にいたとはいえ、長く平民であったことに加え公爵家に迎え入れられてからも使用人をしていたので、自分の世話は自分でできるからだ。

ただ、メアリーは何も言わずとも押しかけてくるので、甘んじて受け入れている。気心が知れている友達のような存在なので、気にしないことにしたのだ。


マリウスがティアナのために準備してくれたという淡い碧色のワンピースは、スカート部分が総レースになっていて、可愛いがどこかに引っ掛けないか心配だ。髪型は緩く巻いた髪をハーフアップにして、これまたマリウスから贈られたという同色の髪飾りをつけた。


久しぶりにおしゃれをしてうきうきした気分で鏡の前で一回転していると、サミュエルが迎えにきたようだ。


「おはよう、サミュエル。今日は誘ってくれてありがとう!」


昨晩の憂い顔を一変させ、輝くような笑顔を見せるティアナに、サミュエルは眩しくて目を細めながら歩み寄った。


「おはようございます、ティアナ嬢。お待たせしてしまったようですね。あなたはいつも綺麗ですが、今日のあなたは泉のほとりに一輪だけ咲く薔薇のように美しい。」


「ふふ。図太いってこと?褒め言葉として受け取っておくわ。ありがとう!今準備ができたところなの。行きましょう!」


ティアナは殊更明るく無邪気に振る舞った。

それは、そこに漂う何か気恥ずかしい空気を振り払うかのようだった。


◆◆◆


天候は実にピクニック日和であった。

メアリーには肌を焼いてはいけないからと日傘を持たされたが、ティアナは長年平民として生きてきたし、今更な気がしていた。ティアナの肌は日に焼けるとすぐに赤くなって痛むので、そうならない程度には気にしていたが、本当の貴族の令嬢のように抜けるような白さの肌は持ち合わせていない。


‥‥ということを考えていたのは、偏に今の自分の状態が受け入れ難いことに起因する現実逃避のためである。


ティアナは馬上の人となっていた。

しかも、前に乗るのはサミュエルで、ティアナは横乗りの体勢で後ろから彼に抱きつくように掴まっている。

馬に乗るのは初めてだったが、予想以上に視界が高くて恐怖しているのもあって、自分から積極的に彼に抱きついている。恥ずかしいが、怖いものは怖いのだ。先程緩く掴まっていたところ、落馬すると怪我だけでは済まないかもしれませんよ、とサミュエルから脅されたこともティアナの恐怖心に拍車をかけていた。


フランネア帝国から来る時に通った森とはまた別の方向に生い茂る森へ入ると、ひんやりとした空気を感じられた。馬で駆けると怖いけれど、風を切る感覚を全身で感じられるのが気持ちいいな、とティアナは馬車とは異なる乗り心地をとても楽しんでいた。


「こちらです」


というサミュエルの言葉とともに、指し示された場所をひと目見て、ティアナは顔を綻ばせた。


「綺麗‥‥」


そこには春の陽射しを受けてキラキラと水面を輝かせる湖と、湖を取り囲むように咲き誇る春の花々が美しい花畑があった。


「かわいい‥‥」


ティアナは心が洗われるような景色の美しさに嘆息してしゃがみ込み、足下に咲いていたネモフィラに触れ、笑顔をさらに深くしながら言葉を紡いだ。


その間にサミュエルは近くの木の下に敷物を広げ、持参したサンドイッチと紅茶を供せるように準備していた。


「おいしそう!何から何まで準備してもらって、ありがとう。ここに連れて来てくれたことも。この場所はとても心が安らいで居心地がいい‥‥」


ティアナは風を感じて笑みを浮かべたまま目を瞑る。サミュエルはティアナが自然体でいることを嬉しく思っていた。


「マリウス様が教えてくださったのですよ。こちらへティアナ嬢を連れて来るようにと。」


ティアナは顔をしかめた。


「あの‥‥今さらだけど、私だけ砕けた口調なのはおかしいと思うの。サミュエルの方がずっと年上なんだし。私のことは呼び捨ててほしいの。口調も私と同じように‥‥ね?」


「しかし‥‥」


渋るサミュエルにティアナは言い募る。


「サミュエルにも気安く接してほしいのよ。お願い。ね?」


「く‥‥っ」という呻き声が聞こえた後、サミュエルが折れた。


「わかりまし‥‥わかった。ティアナ。」


やっと対等な友人同士になれた気がしたティアナは、花が綻ぶように笑った。


王城の料理人の心のこもった食事を平らげ、素晴らしい景色を堪能しながら楽しく語らい合って時間を過ごした二人は、陽が傾き始めた頃に帰途につくことにした。


「今日は連れ出してくれて本当にありがとう。楽しかったし、嬉しかった。」


「こちらこそ。連れ出されてくれてありがとう。私も楽しかった。よかったらまた来よう。」


「今度はメアリーも連れて来ましょう!今日は断られてしまったから‥‥」


ここへ来る前にメアリーも誘ったのだが、用事があると断られてしまったのだ。


「そうだね。じゃあ約束だ。」


「うん、約束!」


二人がそう言って笑い合って休ませていた馬に近づいていくと、そこに馬だけでなく、人影もあることに気づく。


人の気配を感じた瞬間、ティアナはさっとサミュエルの背に庇われた。


「誰だ‥‥!」


西日が逆光になってティアナ達の方向からは顔がはっきりと確認できない。

サミュエルの誰何の声に人影が反応した。


「ティア‥‥‥‥!」


「ウィル‥‥バート皇太子殿下‥‥?」


ティアナを呼ぶその声は、もう彼のことは忘れたいと思い始めていたティアナに、忘れることは許さないとでもいうように響いたのであった。

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