第11話 心の休まる場所
ティアナが馬車に乗り込んだ途端、すぐに扉が閉められ、馬車が出発した。
気がつくと、いつの間にか先に乗り込んでいたメアリーに手を握られていた。ティアナの冷えきった両手には彼女の手がとても温かく感じられ、一連の出来事が現実に起こったことであると実感させられた。
「ティアナ様、私はあなたの味方です。今は誰も信じられないかもしれませんが‥‥この後のことは私にお任せいただけますか?」
もう難しいことは何も考えたくなかったティアナは、素直にこくんと頷いた。
「ティアナ様はこれからどうしたいですか?私はあなたの意思に沿う行動をしたい。」
「メアリー‥‥私、胸が痛くて‥‥。もう、何も考えたくないの。何も考えなくていいところに行きたい。」
「かしこまりました。今のティアナ様には少し休憩が必要のようですね。私の心の休まる場所で申し訳ないのですが、そこへお連れします。あなたは何も考えなくてもいいですよ。あなたの心も身体も、私が守ってみせます。」
メアリーがそう言い終えた瞬間、馬車の中が光に包まれた。
仄かに広がった温かな光とともに、メアリーとティアナの姿は消えていた。
宮殿へと向かって走る馬車に誰も乗っていないことを知る者は、一人を除いてその場には誰もいなかった。
◆◆◆
ティアナは街を歩いていた。
(あ。これは‥‥あの日の夢‥‥?)
ティアナは12歳の時から、少しでも家計の足しになればと母に教えてもらった刺繍をお金に替えていた。刺繍したものを店に持ち込み、買い取ってもらう形だ。
その日も作りためたものを持ち込もうと街を歩いていた。
もうすぐ店に辿り着くというところで、前方から急に馬車が飛び出してきて、轢かれそうになる。
(そうよ。このとき‥‥)
死んだ、と思ったが、目をつぶっていても一向に痛みはやってこず、気付いたら全身を暖かいものに包まれていた。
恐る恐る目を開けると、心配そうにこちらを伺う空色の瞳、少し遅れて太陽の光を浴びた綺麗なダークブロンドの髪が目に映る。
天使のように美しい容貌にうっとりしていると、その天使様から『大丈夫ですか』と声をかけられる。
やっと動転していた意識がはっきりして状況を理解すると、天使様に抱き抱えられていることに気付いてすぐに身体を起こし、『すみませんでした。助けていただきありがとうございます。天使様はお怪我なさいませんでしたか?』と恩人である天使様の身体の状態を確認したのだった。
(あのあと、私が『天使様』って呼んだことに対して大笑いされて、ことあるごとにからかわれたのよね。)
ウィルバートとの出会いを思い出し、悲しい思いに心を痛めながら目覚めるのは久しぶりだ。
(あの方は皇太子殿下だったのよ。もうそろそろ夢から覚めないと。彼は‥‥今はアマンダの婚約者なのだから。)
甘くて悲しい夢を追い払うように目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入る。
周りを見渡してみると、上等な調度品が揃っており、どこかの貴族の邸宅の一室であることが窺われる。
左手が何か温かいものに包まれていることに気が付いて目線を下げると、そこにはティアナの左手を握って眠る見知らぬ男性がいた。
(誰‥‥?)
うつ伏せているから頭頂部しか確認できないが、さらさらの明るいブロンドは触り心地が良さそうだ。
(メアリーはどこかしら‥‥)
自分の左手を握る見知らぬ男性も気にはなるが、ティアナをここに連れてきてくれたはずのメアリーの所在の方が気になった。
そっと握り込まれた左手を取り戻そうとすると、逃さないとでもいうようにぎゅっと手に力が入った。
(起こしちゃったかしら‥‥?)
男性の方に視線を移すと、目を覚ましたらしい彼がゆっくりと顔を上げるところだった。
「目が覚めたのですね。私の女神‥‥」
(え?なに?女神??)
顔を上げた彼はまだ寝ぼけ眼で何かとても神々しいものを目にするような表情でティアナを眺めていた。彼の空色の瞳は、窓から降り注ぐ日の光を浴びてきらきらと輝いており、出会った日のウィルバートの瞳を思い起こさせた。
(なんだか、立場が逆になったみたい‥‥)
ウィルバートとの出会いの日は、ティアナが天使のような彼に見惚れていたが、今日のこの彼の様子はあの時の自分のようかもしれない、とティアナは微笑ましく思っていた。
「誰の女神ですか。その言いよう、あの人にそっくり‥‥」
はぁ、とため息をつきながら現れたのは、頼れるメイドのメアリーであったので、ティアナはほっと安心して息をついた。
見知らぬ男性と二人でいることで、無意識にも身体が強張っていたようだ。
「メアリー!私、すっかり眠っちゃったのね。馬車に乗ってあなたに慰められたことまでは覚えているのだけれど、どうして私はここにいるのかしら?全く記憶がなくて。ごめんなさい。」
「無理もありませんよ。あんなに大変なことがあったのですから。心身ともにゆっくり静養することが必要なのですよ。きちんと説明いたしますから。まずはこの無礼な男の話を聞いてやってくださいな。」
二人の会話を聞きながら完全に目を覚ました明るいブロンドに空色の瞳を持つ男性は、メアリーに無礼な男と称されて苦笑いしつつも、居住まいを正してその場で美しい騎士の礼をした。
「サミュエル・スペンサーです。許可もなく御身に触れて申し訳ありませんでした。」
「まあ。スペンサー伯爵家のサミュエル様でしたか。お会いするのは初めてでしたよね。私を心配して手を握ってくださっていたのでしょう?おかげさまで目を覚ました時に心細くありませんでした。ありがとうございます。でも、私についていてくださっていたせいでよくお休みになれなかったのではないですか‥‥?」
勝手に手を握ってしまったサミュエルの不作法を咎めることもなく、お礼を言って微笑みながら、サミュエルの体調まで気遣ってくれるティアナに、自身の判断は間違っていなかったことを彼は再認識した。
「女神‥‥」と呟くサミュエルと、彼を睨みつけるメアリーを眺めながら、ティアナは自身が置かれた状況がまだ把握できていないにも関わらず、穏やかな笑みをたたえていた。
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