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悪役令嬢三人寄れば……?

作者:

久々に単発の短編を書きましたが、想定より随分長くなりました(いつものこと)

「究極の選択」を読み返していたら、ひとりでに脳内で組み上がった話です。背景やキャラは勿論、雰囲気的にも全く繋がりはありませんが。

「あ、ありましたわ。これですわね」

「こっちも見つけましたよ、アナリーサ様。ただ、やはり分厚くて、読むのが大変そうだね。サニア、そっちはどう?」

「ちょっとお待ちください、カミーナお姉様。……あら、こんな隅の方にあるなんて。司書の先生か図書委員の方々かは存じませんが、意地悪なこと」


 口々にそんなことを言いながら、王立学園の三大美女と呼ばれる侯爵令嬢と辺境伯家の双子の姉妹は、学園図書館の一角、魔法に関する書物の置かれた書架から離れ、人気(ひとけ)のない閲覧スペースの片隅を陣取る形でそれぞれ席につく。

 そして、見つけた本をテーブルに置くと、なかなかに重みのある音が三つ、低く辺りに響いた。


「……ふう。如何に書物と言えど、この厚さともなればやはり重たいですわね」

「ふふ、アナリーサ様はやはり麗しい外見に相応しく、腕力も令嬢らしいレベルなのだね。我が婚約者カーダルもきっと、同じようにたおやかな女性を求めて、()()男爵令嬢に走ったのだろうけれど……生憎と我が辺境伯家は、『まず第一に自分と家族を他国から守り抜く武力を身に付けよ』というのが家訓だからね」


 男装の麗人と名高いカミーナが微笑めば、その双子の妹にはとても見えない砂糖菓子の人形を思わせる容姿のサニアが口を尖らせる。


「お姉様、その言い方は多大な誤解を招きます。一口に武力と言ってもお姉様のように、騎士団長の長男を圧倒するほどに武術を極めよというわけではないでしょう。わたしのように、魔力を高めて広範囲魔法で敵を一掃するという手段もあるのですから」

「……まあ、サニア様の場合も、少々どころでなく鍛えすぎだと思いますわよ。噂では、宮廷魔術師長のご子息であるご婚約者様が、サニア様には到底敵わないと完全に白旗を上げておしまいになったとか?」


 月の女神とも呼ばれる美貌に苦笑を浮かべたアナリーサが問えば、サニアは全く悪びれずに頷いた。


「ええ、少しばかり本気を出しましたら何故かそんな事態になってしまいまして。それまで彼──サイロスは、魔法に関しては挫折というものは皆無だったので、大層ショックだったようですけど……それをバネに更に研鑽を重ねるのではなく、耳に優しい甘やかすだけの言葉を()()男爵令嬢にかけられたのを切っ掛けに、すっかり骨抜きになってしまったのは、流石のわたしも予想外でした」

「予想外と言うなら、サニア以上にアナリーサ様ではないのかな? まさかよりにもよって、あの責任感に満ち溢れたアルトゥーロ王太子殿下までが、()()男爵令嬢に誑かされるとは誰も考えたりはしなかったと思うよ」

「確かに、その通りですわね。わたくしのお父様は勿論、陛下や王妃様も、あまりのことに頭を抱えていらっしゃいますもの。最近のアルト様は、本来ならば率先して(おこな)っていらした公務までをも放り出して、()()()男爵令嬢に夢中でいらっしゃるのですから……もうわたくしも、お二人と同じく何と言えば良いのか」


 ほう……と同時に嘆息する三人の美女の様子は、第三者ならば時間を忘れて見とれてしまいそうなほどに魅惑的だが、当人たちにはそんなことは全く以てどうでもいい事実である。

 差し当たり彼女たちの悩みについて、最も有効であろう解決手段を提示してくれそうなのが、目の前の三冊の本だった。

 最初にそちらに注意を戻したアナリーサが、ほっそりしたしなやかな白い手で、そのうちの一冊を開く。


「あまりのんびりしてもいられませんわね。閉館まではあと二時間ほどしかありませんから、いくつかの要点くらいは今日のうちに見つけ出したいところですけれど」

「本当ならお借りして、寮で皆様とじっくり学びたいところですけど、生憎と魅了の術に関する書物は貸出不可ですものねえ……確かに悪用されればこれほど厄介な代物もありませんが、国の上層部やそこに嫁ぐ令嬢であれば、知識としては必須のものでしょうに。歴代の学園長もケチすぎます」

「ケチ、ってサニア……分かっているだろうけど、歴代の学園長は王族だよ? 時には国王陛下ご自身が兼ねていらしたこともあるのだし」

「分かった上での愚痴に決まっていますでしょう。お姉様は相変わらず、妙なところで生真面目ですね。今はそんなことよりも、手と頭を動かしてください。()()男爵令嬢が、本当に魅了の術使いだとしたなら、何故わたしたち三人の婚約者にアナリーサ様のお兄様が加わっただけの、たった四人にしか影響が及んでいないのかをまず突き止めなければ。往々にして魅了の術は対象が無差別で、だからこそ面倒な代物なのに」

「はいはい」


 双子がいつものように軽口を交わす傍らで、アナリーサはそのやりとりも耳に入らないほどの集中力でページを()っている。


 沈黙の中、紙のこすれる音だけが響く時間がどれほど続いただろうか──


「──ありましたわ」


 アナリーサの呟きめいた声に、双子は素早く顔を上げた。


「まあ、本当ですかアナリーサ様!? 見せてください!」

「ええ、こちらですわ。記述を読む限り、ほぼ間違いありませんわね」

「どれどれ……『魅了の言霊』?」


 開かれたページを覗き込み、首を傾げるカミーナの隣で、サニアが淡々と読み上げていく。


「……『強いコンプレックスを持つ対象の、劣等感を無条件に受け入れたり現状の実力を全肯定する言葉に魅了の力を宿すことで、相手を虜にする術のこと。この術は、使い手の絶対数が希少と言えるほどに少ない分、非常に強力である。同じ相手に繰り返し使えば、術者への執着や依存度が飛躍的に高まり、ほんの数回で盲信のレベルにまで達する。──放置すれば最悪、社会的な破滅や精神的な死に至る恐れも』──って、冗談じゃありませんわ! そんなこと絶対に、何があろうとも許せません!」

「──落ち着きなさい、サニア。まずは冷静にならないと」


 烈火のごとき怒りを見せる双子の妹に対して、恐ろしく冷静な口調のカミーナだが、その剣だこのできた両手は痛々しいほどに震えている。

 残るアナリーサは、宝石と謳われる両目を酷く頼りなげに潤ませていたが、やがて艶めいた唇をきゅっと噛みしめ、決然と次のページをめくった。


「言霊を解除する方法は、いくつかここに書かれていますわ。……正直なところ、どれもかなり難しいものですけれど」

「如何に難しかろうと、解除できるならばそうしなければ。……ええと、『1.術者を殺すこと』……分かりやすいけれど、あまりやりたくはないね。次は……『2.術者を一定期間、物理的に対象から離すこと。術のかかり具合にもよるが、万全を期すなら一年の期間があれば確実』か。つまり、男爵令嬢を軟禁しておくか、国外追放にでもすればいいのかな?」

「そこだけならばさほど難しくはありませんが、別の問題として、アルト様やお兄様の公務をそれだけの期間、完全に放っておくのは不可能ですわ。特にアルト様のお役目には、代わりの効かないものが多過ぎますもの」

「ううん、確かに……単純に術が解ければいいだけではなくて、即効性も重要か」

「となると、残りの二つですね。『3.対象に正面からコンプレックスに向き合ってもらうこと。4.術者に、現実から逃げないよう対象を説得させること』……どちらも似た内容ですけど、三つ目は、わたしたちではほぼ不可能という気がします……」

「そうですわね……何せ、わたくしたち自身がそのコンプレックスの源のようなものですもの」


 しょぼんと落ち込むサニアに、アナリーサも同意せざるを得なかった。

 アルトゥーロも王太子としては歴代屈指と言われるほどに有能なのだが、生憎アナリーサは歴代()()の王妃になるであろうと専らの評判で、彼女自身もそうなるべく日々の努力を重ねている。

 そのことで婚約者の劣等感を刺激していることも承知していたが、国王と王妃とでは厳密には求められるものは違うし、最終的には彼のためになることなのだからと、さほど気にせずにいた。

 けれど、それが今になって、こんなにも大きな問題になってしまうとは……


「……悔しいね。幼い頃から頑張って身につけてきたことが、婚約者を傷つけたばかりか、その破滅にまで繋がりかねないだなんて」

「お姉様……わたし──いえ、わたしたちは、どうしたらいいんでしょう……」

「……どうしたらいいんだろうな。男爵令嬢も彼女なりに、カーダルたちのことを想ってはいるみたいだから、四つ目を実行してもらえるとも思えないし」

「その『想っている』というのは断固否定します! 本当に彼らを大事に想うのなら、四人の間でふらふらするのでなく、きっぱり決断して、誰か一人と正式に婚約なり結婚なりすべきです! 誰も選ばずただのらくらとするだけだなんて、不誠実にもほどがあるというもの! 特に、アルトゥーロ殿下は他でもない王太子なのですから、他の男性を侍らす女性を妻にするなんて許されないことでしょう!?」

「……サニア。他に人がいないとは言え、ここは図書館なんだから」


 ヒートアップする妹を姉がなだめる脇で、何やら考え込んでいたアナリーサは、不意に、だがこの上なく優雅に席を立った。両手に、話題の中心となっていた本を抱えて。


「……アナリーサ様?」


 気づいたカミーナが声をかけると、彼女は、王太子の婚約者という立場にある令嬢とは思えないほど儚げに微笑み、こう言った。


「わたくし、彼女にお願いに参りますわ。わたくしがアルト様の婚約者の座を下りる代わりに、アルト様とお兄様たちを説得していただくようにと」

「え……!?」

「アナリーサ様!? そんな、駄目です! アナリーサ様が殿下との婚約を解消なさったところで、問題の解決に繋がるとは思えません!」


 双子の血相が変わるが、侯爵令嬢はゆったりと首を横に振る。


「これは、わたくしの覚悟と本気を示すために必要なことなのです。わたくしが何もせずに説得を願ったところで、損をするのは彼女の方だけになるでしょう。そんな状況では、例え証拠としてこの本を提示したとしても、彼女に信じてもらえるとも限らず、結果的にはアルト様たち全員が破滅することにも繋がりかねませんわ。それだけは、絶対に避けなければいけませんもの」

「でも……!」

「それに、カミーナ様が仰った通り、彼女なりにアルト様たち四人を想っていてくださるなら、説得の余地は十分にある筈ですわ。……自分という存在が側に在るために、想う相手が破滅に向かうと言うのならば。わたくしがお側を離れることが、アルト様の幸せに繋がるのだとしたら、少なくともわたくしは、喜んでアルト様との婚約を解消して王都を去ることができますから」


 この際、他国で暮らすことを考えてもいいかもしれませんわね。


 軽く口にしたアナリーサの浮かべた笑みは、清々しいほどに晴れやかで、同時にあまりにも痛々しく美しかった。


「……アナリーサ、様」

「ああ、でもあと一日ほどの猶予をくださる? 彼女との交渉の前に、まずお父様とお母様にこの本をお見せして、アルト様との婚約解消を事前に承知していただかなければなりませんから。お兄様のコンプレックスはお父様へのものでしょうし、まずはお母様にお兄様とお話をしていただければ、上手く言霊も解除されるかもしれませんものね」

「それはそうかもしれませんけど、でも……」

「あ、それと。わたくしがこの本を持ち出すことは、お二人とも知らなかったことにしてくださいな。立派な校則違反ですし、最悪、窃盗ということにもなりかねませんから。ああ、それはそれで格好の婚約解消の理由にもなりますわね?」

「──アナリーサ様!」


 覚悟を決めたアナリーサの言葉を遮るという、サニアがしようとしてもできなかったことを、凛としたカミーナの強い声音がほんの一言で実現させた。


 流石の侯爵令嬢も怯んだが、正面から長身の友人の目を見て尋ねる。


「──何でしょうか? カミーナ様」

「どうやら、翻意を促すのは無理のようなので一言だけ。──もしもアナリーサ様が国をお出になるようなら、その時は私が喜んで、どこへなりとお供いたします」

「あっ、お姉様ったらずるいです! わたしも是非、アナリーサ様とご一緒させてください!」

「まあ……カミーナ様もサニア様も、相変わらずお優しいこと。そのような嬉しい申し出を断る理由など、わたくしには全く存在しませんわ」


 少しだけ目尻に光るものを浮かべつつも、アナリーサは淑女らしく気品溢れる礼をして、淑やかに軽やかに身を翻し、そのまま図書館を後にした。


 ──友人を見送った双子は、途端に不穏な色をそれぞれの美貌に宿す。


「さて。……サニア、まずは婚約者たちを殴り飛ばしに行こうか」

「ええ、喜んで。考えてみれば、わたしたちごときにたった一度負けた程度でコンプレックスを抱くなんて、ちゃんちゃら可笑しい話ですもの。所詮その程度でしかない男たちのせいで、何の非もないアナリーサ様が国を出なければならなくなるなど、理不尽もここに極まれりですし、何より──お姉様やわたしが惚れた婚約者は、国内一、ひいては大陸一の騎士や魔術師を目指していた男の筈でしょう?」

「全く以てその通りだよ。我々が踏ん切りを付けるためにも、正々堂々と決闘を申し込ませてもらうとしよう」

「うふふ、楽しみですね」


 物騒極まる笑みを交わす双子の辺境伯令嬢も、覚悟を胸に立ち去った侯爵令嬢も、気づいてはいなかった。

 アナリーサが出ていく直前まで、三人から少し離れた本棚の陰に、小柄な人影があったことも。

 彼女たちの会話を、その人影が震えながら聞いていたことも。

 そして、アナリーサの決意表明が終わったところで、人影はおぼつかない足取りながらもこっそりとその場を立ち去り、確かな意思のもとにある方角へと向かっていったことも。




 翌日は土曜日で、学園の授業はなかったが、学生寮では昨夜の出来事──辺境伯家の双子令嬢とその婚約者たちとの、盛大かつ一方的な痴話喧嘩と、その後の以前にも増した男たちの尻に敷かれっぷりが大いに話題となっていた。どうやら男性陣には、滅多に涙を流さない双子に泣きながら叩きのめされたことが酷く効いたらしい。

 もっとも、週末ということで実家に戻っていた少数の生徒の耳には、月曜まではその騒動は一切入ることはなかったが。


 その少数の一人であるアナリーサは、朝食の席での母と兄の様子に、少なくとも彼に関しては無事に言霊が消えたらしいと密かに安堵していた。

 肝心の自分の婚約については、「焦らずにまず二日間じっくり考えろ」と、父に半ば強引に屋敷に留め置かれた上に侍女による監視もついてしまったので、ほぼ完全に動きが取れない状態なのだが。


(……出来ることなら、週末のうちに男爵令嬢と話をしたかったのだけれど)


 そんな風に考えて溜め息をついていた時のことだった。──彼女にとってはあまりにも予想外に過ぎる来客があったのは。


「ごめんなさい。どなたがいらしたのですって?」

「アルトゥーロ王太子殿下が、お嬢様にお会いになりたいと、応接間にいらしておいでです」

「……わたくしに? お兄様にではなくて?」

「間違いなくお嬢様をご指名でした。護衛の方はご一緒ですが、お話は二人だけでなさりたいとの仰せです」

「……嫌だわ、夢かしら。それともわたくしったら、まだ寝ぼけて……」

「お嬢様は間違いなく起きていらっしゃいますし、寝ぼけてもいらっしゃいません。お急ぎにならないのでしたら、殿下をこちらのお部屋にお通しいたしますよ?」

「そ、それだけはやめてちょうだい! まだ部屋着のままで、ろくにメイクもしていないのよ!?」

「わたくしに言わせていただければ、お嬢様はそのままでも十二分にお綺麗ですけれどね。それに、卒業後にはすぐにご結婚なさるのですから、ほんの一年ばかり早く素顔をお見せしたところで何の問題もないかと存じますが」

「わたくしには大いに問題があるの! それに、その言い方は大変な誤解を招きかねないから是非ともやめて!」


 などとらしくもなく大騒ぎをしながらも、婚約解消の件があるのだからと考え、結局は失礼にならない程度に飾り気のないドレスに着替えて、それに合わせた最低限のメイクで部屋を出た。

 もっとも、元が女神にも例えられる容姿のアナリーサなので、その飾り気のなさが逆に美貌を引き立てることになってしまっているのだが、彼女に自覚は皆無だった。

 応接間に足を踏み入れた時、王太子が実に分かりやすく婚約者に見とれる様子を確認して、密かにアナリーサの背後でガッツポーズをした侍女である。


「……アルトゥーロ殿下? どこか具合でもお悪いのですか? お顔が急に赤くなられたようですけれど……それに、何だかお疲れのご様子ですし」

「えっ!? あ、いや……まずは座ってくれないか」

「……では、失礼いたします」


 促されて正面のソファに腰を下ろした。護衛と侍女は既に廊下に出ていっている。


「…………」

「…………」


 沈黙。


「……あの、殿下? わたくしに何かお話がおありと伺いましたけれど」

「──すまなかった!」

「……え? で、殿下?」


 突然の謝罪とともに、それはもう勢いよく、煌めく金髪の後頭部がテーブルの上に差し出された。──つまりは深々と頭を下げられたわけだが、予想外すぎる事態に連続でさらされたアナリーサは、ただ目を白黒させるしかできない。

 そもそも以前ならともかく、学園入学以降、公務に携わるようになり多忙を極める王太子が、わざわざこうして侯爵邸を訪ねてくること自体が珍しいし、それもあえて婚約者に会うためだけに来るなどということは有り得ないはずなのに。


「本当に、すまない。アナリーサは──アナは、国や国民や私のためを思って、ただ努力をしていただけなのに。私が狭量すぎるせいで、君の素晴らしさに勝手に嫉妬して劣等感を抱いて……挙げ句の果てには、王族たる者の在り方を全く知らない令嬢の、耳触りはいいがそれだけでしかない甘言に誑かされ、公務までもを蔑ろにするなど。──こんな男は王太子になど相応しくはないし、アナの夫になどなる資格は更にないが、頼む! あまりにも遅きに過ぎるが、今日からは君の隣と、人の上に立つに足るよう更なる努力を重ね、信頼を取り戻すと誓うから、どうか婚約解消などということは考え直してほしい!」

「……と。とりあえず、お顔を上げていただけませんか……?」


 心底困りきった声に気づいたらしく、素直に上半身を起こしたアルトゥーロは、軍神とも太陽神とも言われる精悍な美貌に似合わぬ、捨て犬のような表情を浮かべて婚約者を見てくる。

 その髪と同じ輝かしい黄金の目の下には、徹夜でもしたのかくっきりとした隈が表れていて、心配にアナリーサの顔が曇った。


「殿下。本当に疲れておいでのようですから、少しお休みになっていかれてくださいな。お話はそれからでも遅くありませんでしょう? 学園寮には急いでお戻りになる必要はありませんし、王宮では次から次へと公務が舞い込んできてしまいますから、休日と言えども完全に疲れを取るのは難しいでしょうし……」

「いや、今日こうして侯爵邸(こちら)を訪ねるために、公務は一通り片付けてきたんだ。あまりにも溜め込んでいたせいで一睡もできなかったが、自業自得に過ぎないことだからね」

「まあ! それならば尚更、睡眠を取っていただかなければ。急いで客室を用意させますわ。ターシャ!」


 控えていた侍女を呼び、宣言通りに最速で整えさせた客用寝室に婚約者を案内したアナリーサだったが、いざ休んでもらう段になって問題が発生した。


「やだ」

「そんな、殿下。十七歳にもおなりになって、『やだ』などと子供のように……」

「まあまあ、お嬢様。婚約者のささやかな我が儘くらい、叶えて差し上げられないお嬢様ではございませんでしょう? お眠りになるまでお側について差し上げることくらい、容易いことではありませんか」

「でも……」


 押し問答が始まってからずっと、ベッドに横たわったアルトゥーロにしっかりと手を握られて動けないアナリーサである。

 彼が寝付くまで付き添うだけならまあ構わないのだが、うっかり手が緩まないまま熟睡されてしまえば、かなり長いこと寝室に二人きりという状態に陥りかねず、嫁入り前の令嬢にあるまじき醜聞に発展してしまう恐れがある。いくら相手が婚約者でも──いや、婚約そのものの解消を考えている相手なのだから更に不味いのだ。

 弱った婚約者に甘えられるという、今まで経験したことのない状況に、少しだけ悶えている内心を悟られてしまいそうなのも非常にいただけない。


「……やっぱり、アナはまだ私に怒っているのか? 先ほどからずっと『殿下』としか呼んでくれない」

「いいえ、怒ってなどいませんわ。ただわたくしは、殿下……アルト様に、ゆっくりとお体を休めていただきたいだけです。やはりお一人の方が、きちんと休めるというものでしょう?」

「今は、アナがいないと熟睡できない」


 本当なら、幼い頃のように添い寝をしてほしいと言いたいところを我慢しているのである。


「アルト様……」

「お願いだ。側にいて、離れないでくれないか」


 ──これからもずっと。


 繋いだ指を絡めて訴えれば、声に出さない本音が伝わったか、アナリーサの美しい顔が淡い紅に染まった。


「……早く、休まれてくださいね?」

「そうするよ」


 言質を取れなかったのは少し残念だが、機会はまだある。

 いつの間にか侍女は姿を消し、二人だけになった寝室で、婚約者たちは静かに言葉を交わす。


「……アルト様。親しくしていらした男爵令嬢と、何かお話しになったのですか?」

「話す、と言うよりは、一方的に叱りつけられたのが正解かな。昨日、急に生徒会室に来たかと思えば、『私が言うのはおかしな話ですけど、ただ都合のいい慰めでしかない言葉に揺らいでないで、王太子としての役割にちゃんと向き合ってください! そうでないとアナリーサ様に婚約破棄されてしまいますよ!』と、泣きそうになりながら言われたよ」

「まあ……誰もいないと思っていたけれど、あの方は図書館にいらしたのかしら?」

「アナ?」

「いいえ、こちらのことですわ。……その後、令嬢はどうしたのかご存知ですか?」

「いや。ただ、あの様子だと早々に学園を去りかねない勢いだったな」

「それは、少し残念ですわね。……お兄様なら彼女を説得してくださるかしら。後ほど相談してみますわ」

「ああ、後でね。今は……」

「きゃあっ!」


 すっかり油断していたアナリーサは、ベッドに引きずり込まれてアルトゥーロの下になり、がっちりと抱き締められる形になってしまった。


「ア、アルト様……!?」

「……お休み、アナ」


 言い終えたかどうかも怪しいタイミングで、この上なく安らかな寝息が耳元をくすぐる。


「……もう。いくらこの数ヶ月を取り返すためとは言え、少し頑張りすぎですわ」


 苦笑しながらも優しく婚約者の髪を撫でて、アナリーサもそのまま瞳を閉じた。




 その後、夕食を客室に運んだアナリーサ付きの侍女ターシャによれば、「ノックをするとお嬢様が出ていらっしゃいましたが、おかしなご様子はなく、ドレスもちゃんとお召しでした。多少皺になってはいましたけどね。殿下はご自分で目を覚まされたのかお嬢様に起こされたのか、ベッドの上で大きなあくびをしていらっしゃいましたよ。あ、こちらもいらした時の装いから上着をお脱ぎになっただけで、それ以上脱いだ形跡は皆無でしたね。……残念」とのことだった。

 結局アルトゥーロは朝まで侯爵邸に留まり、朝食もたっぷりと平らげて王宮へと帰っていったが、何やら妙に不満げだったという。

 後日、アナリーサの兄ナイルズがそのことを尋ねてみると。


「……黙秘権を行使する」

「つまり僕には言えないことというわけですね。察するに、どうやって夜に妹の部屋へ忍び込もうか考えていたところ、疲れから眠り込んでしまって朝になってしまった、というあたりでしょう」

「…………」

「図星でしたか」

「何も言っていないだろう」

「では何か言ってくださらなければ。正解とでも不正解とでも」

「……言いたくない」

「でしたら僕の推測が正解ということで」

「…………」


 何も間違ってはいないので、否定できないアルトゥーロだった。

 それから結婚に至るまでに、アルトゥーロの野望(?)が叶えられたかどうかは、ターシャの「案外、王太子殿下は見かけによらずヘタレなのですねえ」というコメントが物語っている。




 そして、(くだん)の男爵令嬢が最終的にどうなったかと言うと。


「……ええと? どうして私、侯爵夫人になることになったんだっけ……」


 翌年の初夏、清楚なデザインのウェディングドレスに身を包んだ令嬢は、心底から不思議そうに首をかしげていた。


「……つまり、ナイルズのベストエンドを迎えられたってこと、なのかな……図書館の盗み聞きイベントで、悪役令嬢たちの悪巧みの筈だった内容が全然違ってたから、これはゲームなんかじゃないってようやく悟って……それからは、攻略対象からも学園からも離れようって決めたはずなのに」


 あれよあれよと言う間に、ナイルズに説得されて学園に留まらされたかと思えば、一年と待たずに結婚まで持ち込まれてしまった始末だ。婚約式とか御披露目とか、本来行われるべきその他諸々はどこへ行った。確かにねじ込む時間的余裕はなかったけど。


「でもまあ、あれからアナリーサたちとは仲良くなれたし。何のかんのと幸せだから……まあ、いいか」


 そうつぶやいて彼女が浮かべた微笑は、会場へ向かうために迎えに来た両親でさえ、思わず見とれてしまうほどに美しいものだった。

名前の出なかったヒロインさんですが、実はそもそも名付けていません(おい)。まあ、あえてつけるとしたならナーシアとかナタリーとかその辺です。法則は分かりやすいものに限ります←

彼女サイドからすると、「大好きな乙女ゲームの世界に転生してはっちゃけてたら、盗み聞きイベントで現実を突き付けられました」って感じですかね。推しキャラたちを破滅させたくはないので、ゲームの舞台そのものから退場しようとしたけど、腹黒侯爵子息にあえなく捕まりました。ちゃんちゃん←

行間エピソードは長くなるので省きましたが、悪役令嬢とその婚約者たちにはちゃんと謝ったり何なりしているはず。


以下、簡単なキャラ紹介。


*アナリーサ(17)

侯爵令嬢にして王太子の婚約者。

令嬢としてのあらゆるスペックがとにかく高いが、向けられる恋愛感情にはやや疎い。なので婚約者に実はベタ惚れされている事実も全く知らない。……むしろ不憫なのはアルトゥーロの方かもしれない。


*アルトゥーロ(17)

乙女ゲームのメインヒーローである王太子。実は幼い頃にアナリーサに一目惚れしている。

婚約者のハイスペックぶりと鈍感さのせいで色々と拗らせた結果、ヒロインの魅了にかかったと言っても過言ではない。


*カミーナ(17)

辺境伯家の次女で双子の姉。妹ともどもアナリーサの友人。

男装の麗人にして武術の達人。将来的には女性騎士となり、王太子妃アナリーサの警護隊長になる予定。

学園の令嬢の間では、「アナリーサ様のお隣は、王太子殿下とカミーナ様のどちらが視覚的に美味しいか」というアンケートが毎月のように行われているとかいないとか。


*カーダル(18)

出番のなかった騎士団長子息。脳筋騎士。


*サニア(17)

辺境伯家の三女で双子の妹。

人形めいた美少女で、姉とは対照的に魔法オタク。将来は宮廷魔術師となることがほぼ確定。


*サイロス(16)

やっぱり出番のなかった宮廷魔術師長子息。コミュ障魔術師。

サニアへのコンプレックスは魔法の腕だけではなく、年下という現実や、普通に友人の多い性格等に対するものでもあった。


*ナイルズ(18)

侯爵家嫡男で、アナリーサの兄。インテリ腹黒。

父に対しては劣等感があるが、母は普通に(恐れつつも)尊敬している。ちょっぴりシスコンの気があるものの、妹の鈍感さはちゃんと把握しているので、アルトゥーロのことは少しばかり不憫に思ってもいる。

身近な女性陣がハイスペックすぎることが災いして、今までは婚約者を作れずにいた。


*ヒロイン(16・中身25)

男爵令嬢。実家は可もなく不可もないごく平凡な男爵家。

攻略対象については、四人ともほぼ平等に気に入っていたが、あえて誰が最推しかと言えばアルトゥーロだった。結婚後もそれが態度に出がちなので、「ナイルズ様にお仕置き宣言されるのをしばしば見かけます」(ターシャ談)。


*ターシャ(20)

アナリーサの侍女兼乳姉妹。

書いていていきなり出てきた、文字通りぽっと出のキャラ。転生者疑惑あり。

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