オコジョと時計
カチリ。カチリ。
静かな空間に、ただただ、秒針の音だけが響く。
ご主人様は時計屋さんだ。この部屋には沢山の時計がある。
然も、どれも違う時間を指している。それに動くテンポもバラバラだ。
だから、実際は、針の動く音が、物凄い重なって聞こえて気持ち悪い……。
でもご主人様は、それが落ち着くらしい。鼻歌を歌いながら、時計をいじっている。
まあ、ご主人様が楽しいならそれでいっか。
たまあに、体調が悪い時なんかは、体がぞわぞわしてきて、毛がぼわっとなってしまうけど、そんな時は、すかさず、もふもふなでなで、してくれる。
音の不愉快さが、もふもふされる幸福感で帳消しになって、更にご主人様のにっこにこの笑顔でプラスになる、と、そゆーことだな!
・
ご主人様は特別な時計屋さんだから、お客様は毎日、沢山来る。そのお客様をチャーミングにお出迎えするのが、僕の役目なのである。
初めて来たお客様は、ご主人様の……こう……どんよりとしたオーラに身構えることが多い。
そこで僕の出番だ!
このもふもふの体で、きゅるんっとした目を向ければメロメロにならない人間なんて居ないからな!!
……あ、動物嫌いさんは別です。そういう方は何となくわかるので、コソコソとご主人様に隠れます。
何されるか分からないしね。自己防衛大事。
でも、なんというか、今日のお客様は、変わった人だった。
まず僕を見つけた瞬間、まだなんのアピールもしてないにも関わらず!僕のことを持ち上げ、抱きしめたのである!
「な、なに!このふわふわで、もこもこで、ちっこくてかわいい生き物!!!」
そう言って、全身を顔でスリスリしてくるではないか!
いい匂い……って違う違う。
うーん。何と言うか、可愛さアピールしてもないのに、可愛がられると、それはそれで複雑な気持ちになる。
思わず、腕の中から逃れたい衝動に駆られるが、グッと、我慢する。
なんせお客様だからね……。丁重に扱わなくては。
遅れてやってきたご主人様。抱かれた僕を見て怪訝そうな顔をする。そりゃそうなるや。抱かれた本人である僕ですら、今の状況が把握できてないし……。
その混乱の原因はというと、彼女は彼女でご主人様を見て混乱してるし……あれ。ご主人様も動揺してない……?なにこれ。
取り敢えず、見つめあった二人をどうにかすべく、お客様?をつんつんする。
そのお陰で?彼女は、ハッと口を開いた。
「ギウム……?」
ご主人様の、名前である。あれ。この二人、知り合いなのか……。じゃあ、お客様ではない……?
聞けば聞くほど、謎が増える。
でも、人間の言葉を話せない僕には聞くことも出来ないんだよなあ。もどかしい。
「……フルム?」
ご主人様も小さく呟いた。
すっかり二人だけの世界に入り込んでしまっているようで面白くない!
別に入ってもいいんだけど、せめて、この拘束からは解放して欲しい……。
抗議の意味を込めて、少し身じろぎしてみたけど、何故か、フルム?さんに微笑まれた。
違う。そうじゃない。
挙句に、余計にギュッとされたので、もうどうしようもなさそうなんだけど……。
半ば諦めながら、二人が話しているのを聞いていると、どうも、二人は古くからの知り合いらしい。多分、とっても幼い頃から?
何故かは分からないけど、事情があって?別れるようになってしまって?今日たまたま?出会ったらしい。
ここに来たのも全くの偶然なんだとか?
そして彼女は時計作りを依頼した。
話し合いは大方終わり、これからは時計を作る?段階である。
今までの感じだと、話し合いが終わるとあとは最後に、時計の確認と最後の仕上げで会うくらいで、それ以外に来る方は少ない。
だと言うのに彼女は、飽きもせずに毎日来た。
今まで僕のことが好きでたまに来るお客様はいたけど、ここまで毎日、しかも長時間!来る人は初めてだ。
彼女、ご主人様のこと好きなのかもしれない……。
しかもご主人様も満更でもなさそうだし……。
もしかして、もしかしたら、将来的にご主人様のお嫁さんになったりするのかな……?
うむむ。複雑な気持ちだ……。
でもこのご主人様に、他にお嫁さんが出来るとは思えないし、この人も僕の事嫌いじゃないみたいだし?寧ろ、可愛がってくれそうだよね。まあ、可愛がられ過ぎる?気もしなくもないけど、それでも、嫌われるより全然いいし……。
あれ?お嫁さんとしては、とても優秀ってこと……?
そ、そうなると、この状況は喜んだ方がいいのかなあ……。うーん。
・
そんな、何とも言えない日々が、経過し、僕もかなり……、いや、だーいぶ、絆されてしまったような気がする……。もう、何というか!!こっちがもどかしくて、今や、二人をくっつけよう!と行動をしてしまう始末だ……。
まあ、そんなことしても、二人の距離は相変わらずじれったいままだけど!
そして今、時計を作り終わったご主人様が、フルムさんに手渡しす。フルムさんは時計を色んな角度から見た後、満足そうに微笑んだ。
ご主人様が作ったのだ。
要望の出し方が余程下手じゃない限り、文句を言われることなんて有り得ない。今日も今日とて素晴らしい出来だったらしく、誇らしい気持ちになった。
ふふん。と胸を張っていると、何故か、フルムさんに撫でられたので、甘んじて受け入れてやる。
すると、ご主人様が、こちらを向いた。
どうやら、いつもの、最終段階に入る説明をするらしい。
以前も言ったように、ご主人様の時計は特別なのだ。
無論、その品質がとっても良い事もあるが、それだけではなくて、どうも、心臓の動きと、時計の動きを?
む、難しいことはよく分からないけど!
とにかく、あとどれだけ生きられるか?とか、健康状態なんかも、分かるみたいだ。
流石に、生きる長さを変える事までは、出来ないみたいだけど、それでも、残っている時間が分かるだけで人間ってのは安心するみたい。
それに、ご主人様が直接、どうこう出来なくても、お医者さんに見てもらって助かった人もいた?らしい。
その人がお礼に色んなものをくれたから、よく覚えている。
でも、その特殊な、時計にする為には、なんだかよく分からないけど、何か、うーん。こう。何かをしているらしい。
その時ばかりは、お客様とご主人様2人っきりで、謎の部屋に篭ってしまうので、本当に何をしてるか、分からない。
誰もいない時にこっそり、その部屋に入ろうとしたこともあった。けど、その度にご主人様が現れて、邪魔をしてくるのだ!
一度も部屋の侵入に成功したことは無いから、何をしているのか、という想像すらできないのである……。
最近では、侵入しようとする気すら起きなくて、大人しく日向ぼっこをせざるを得ない。
今回も大人しく、ゴロゴロと、よく陽の当たる窓際で、寝転がっていると、2人は戻ってきた。
体感的にはいつもよりも長かったような、気がする。
それから、背を向け何処かに行こうとしていたご主人様を、
「あ、あの……」
と顔を赤めらせながら、フルムさんが引き留めた。
ご主人様は動きを止めたのの、振り返らない。
振り返る気がなさそうなご主人様に諦めたのか、それでも良いと判断したのか、フルムさんは言葉を続ける。
「も、もし良ければ、今後も、会うことって出来る……かな?」
上目遣いで、最後の方は、小さな声になりながらも、話しかけるフルムさんは、オコジョの僕から見ても可愛い……と思う。
こんなに可愛い女の子に、先に、そーゆー事言わすのって、男としてどうなんだろうか?と言うのは思わなくもない。
僕だったら、気になるメスが居たら、僕の方からお誘いをかけるのに!
まあ、ご主人様だし、仕方ないか……という気持ちにもなるんだけどね。
早くくっついてしまえ!と内心思っていた僕だったけど、振り返ったご主人様の顔は、何故か、冷たかった。
「いや、依頼は終わった。だから今後会う必要も無い」
その表情から、何となく嫌な予感はしていたけど、まさか、明確に拒否の言葉を告げるなんて思ってなくて、僕はびっくりした。
でも僕以上に、フルムさんは驚いてる筈……。
固まっている僕たちを他所に、ご主人様は追い打ちをかけるように、
「用は済んだだろう?さっさと出ていってくれ」
そう言い残すと、自分の部屋に行ってしまった……。
その後、我に返るのが早かったのは、フルムさんの方だった。
唇をグッと噛み締めて、涙目になりながら、走ってここから出ていってしまった。
その悲しい表情を見て、ようやく僕も我に返って、追いかけようか、迷ったけど、やめた。
何となく追いかけたらダメな気がした。
それにしたって、昨日……というか、さっきまではあんなに仲が良かったのに、なんでこんなことになったんだろ……。
何故かはわからないけど、ご主人様の所に行く訳にも行かず、やはり僕はここで日向ぼっこをする以外に、道はなかった。
・
あれから数日経ったけど、ご主人様は出てこない。
ご主人様が出てこなくても、ご飯も水も自動で出てくるから、なんの問題もないけど、それでも流石にここまで出てこないと心配になる。
暫く現実逃避気味に、ひょっこり出てこないかなあ、なんて思ってたけど、全然出てこないし……。
仕方なく、ご主人様の部屋に入ってみたけど、誰も居ない。
でもいつもは本棚があるところに、空間があって……、えーと、これは隠し扉?位置的な隣の部屋に行ける……のかな?
となると、この先は、僕がいつも入れなかったあの部屋だ。
何故だか知らないけど、ご主人様の部屋から行けるようになっているみたい。
そして、ここが空いてるってことは、ご主人様はこの先にいる、と。
この状況なら、ご主人様に止められることなく、謎の部屋に行くことが出来る!!!
僕はワクワクしながら、足を踏み出した。
その部屋は、何というか、思ったより普通だった。
沢山の本があって、なんか、いろんな道具?機械?みたいなのがあって、ご主人様の作業部屋と物置の間、みたいな感じ……?
ああ、でも中心にはベッドがある。作業が長引きそうな時は、ここで過眠でも取るのかな?
奥に進んでみると、壁沿いに大きな機械が設置されていた。
その足元には……、
ご主人様が倒れていた。
いくら疲れているからと言って、床に寝るのは、良くない。折角近くにベッドがあるのに、使わないなんて、風邪をひいたらどうするつもりなんだ……。
なんて呆れたけど、残念ながら、僕にはご主人様を運ぶ力はない。
ご主人様には、自分で移動して貰おうと思う。
ぺちり。
ご主人様の顔を軽めに、叩いた。力は入れてないから、そんなに痛くない筈。
何時もなら、これで起きるのに……、起きない。それどころか、何の反応もない。
次はもう少し強めにしようと、触ったら、気が付いた。
……温度がない。
とても冷たくて、よく見たら、肌の色だって、いつも以上に、悪い。
まるで、死んでいるみたいに……。
いや、違う。まるで、じゃなくて、死んでるんだ。
もっとよく見ると、ご主人様の死体には、紐がくっついていて、それは、大きな機械に繋がっていた。
きっと、あれの所為で、ご主人様は死んでしまったんだろう。
でも何で?
ヒョイと、機械の……ボタンが沢山ある机?に乗ってみる。
そしたら、今まで静かだったのに、物凄い音が響き渡って、ピカピカと光り出した。
あんまり急だったから、思わず飛びのいたのは、仕方がないことだと思う。
「ここに、来たのは誰だろう?ラートかな?ラートだと嬉しいんだが、まあ、最悪、フルムじゃなければ、それでいい」
ご主人様の声だ。ラートと言うのは、僕の名前。
慌てて振り返るけど、声は明らかに前から出ているし、ご主人様の口は動いてない。
「あー。これを、貴方?お前?が聞いてる時には、俺は死んでる。多分その辺に死体が転がってるだろう。この音声は、俺が死ぬ前に録音したものだ」
ふうむ?あんまり良く分からないけど、取り敢えずご主人様が死んでいる、と言う事は分かった。
「流石にお前一人、何も言わずに残して逝くのも、申し訳ないと思ってな。せめて説明位しておこうと思ったわけだ」
……申し訳ないと思うくらいなら、死んでほしくなかったんだけど。説明されたところで、死んでることには変わりないし……。
「俺が死んだのは、うん。そう。俺の為だ。この間、フルムの、時計を作っただろう?その、最後の仕上げの時にな……、俺は気が付いた。もうすぐで彼女が死ぬと。しかもそれは、今の段階では治療不可能な、病だった。でもな、それを直す方法が、俺だけにはあったんだ。他の客では……こんなことはしない。でも、彼女は、あー。短い間だったけどな。話してみて、夢があって、キラキラ輝いてて……、いや、これは後付けの理由か。
彼女に生きていて欲しいと思った。だから、俺は、俺の命を使って彼女を延命することにした。彼女にはそれを伝える気はない。重荷になるだけだからな……。
まあ、その所為で、彼女にお前の世話を任せられなかったのは、申し訳ないが……。餌や水は、十年分くらいは用意してあるから、飢える事はないだろう。外に出る窓も開けておいた。これからは自由に暮らすと良い」
何というか、急にあんな態度を取った理由は分かった。
分かったけど、納得は出来ない。フルムさんに、死んで欲しくないのは分かる。分かるけど、僕はご主人様にもに死んでほしくなかった。
いや、僕にとっては、つい最近であったばかりの彼女なんかよりも、ご主人様に死んでほしくなかった。
それに、ご主人様には特別な力がある。他の人間たちだって、きっと死んで欲しくなかった筈なんだ。
僕は、ご主人様がいなかったら、きっともう、とっくの昔に死んでいたのだと思う。
ご主人様がどうやったのかは分からないけど、でも、僕もあの紐を付けたら、もしかしたら、ご主人様を助けられるかもしれない。
死ぬのは怖い。でも、一人になるのはもっと怖いんだ。
ご主人様が死んでしまうのも。
大丈夫。僕は死ぬんじゃなくって、ご主人様と一緒になるだけだから……。
そんな風に誤魔化しながら、僕は変な紐を体に差し込んだ。
・
瞼が急に重くなって、目を覚ましたら、薄暗い部屋の中にいた。明らかにさっきの部屋と違う。
これは、成功……したのかな。あれを刺しただけなのに。
辺りを見渡すと、大きな空間があった。
直感的に、そこにあるべきの心臓がない事と、ここに入って、僕が心臓の代わりになれば、ご主人が助かるのだ。と言う事が分かった。……気がした。
多分それは間違いじゃないんだろう。
僕は、一息つくと、その空間に入り込んだ。うねうねした気持ち悪い何かが、体に絡みついて来る。もうここまで来たら後戻りは出来ないのだろう。
……これから、二人で幸せに暮らしてほしいなあ。あ、でもたまには思い出してほしい。うん。たまにでいいから。それだけで僕は幸せになれる気がするから。
・
「ここが?特別な時計屋?」
「って聞いたんだけど、誰も居なさそうだよな……もしかしてやってない?」
「いやいや、折角、ここまで来たんだから、もうちょい行こうぜ」
ピンポーン。
……。
ピンポンピンポーン!!
……。
「やっぱ出ないな。留守なんじゃ……」
「いや、ドア空いてるぜ?中に入れって事だろ!!!」
「おい、いや、ちょっと待てって、……はあ。無茶するなあ。後でバレて怒られたら、どうするつもりなんだよ……」
…………。
「おーい!!!何か見つかったか?!?!あれ。返事もねえし、帰っても来な……ぎゃあああああな何だこの怪物、ってかおい、何だよそのそれ、その手にあるの、おい!!え?まさか……違うよな?え?え?ううわあああああああああああ」
・
その屋敷には、怪物が住み着いているという。
大きさは、丁度成人男性位。然しその体……の、肉はドロドロに溶け、骨がいたる所から出ている。有害な液体を纏っているのか、奴の歩く地面はじゅうじゅうと音を立て、溶けている。
顔も酷く、爛れており、誰なのかは判別はつかない。が、その表情は、これ以上ない苦痛を表していた。