恋とは言い切れない何か
「はい、どうぞ」
そういって褌に、法被を着たお祭り男はカップを差し出してきた。
僕の目の前に置かれたのは……
そう。
タピオカミルクティー。
タピオカミルクティーだ。
うす橙の液体に黒い玉がふよふよと沈んでいる様は、どう足掻いたって美味しく見えなかったけれど、僕の胸はまるで運命の人に出会ったかのように、ドキドキと高鳴っていた。
これが、未知との遭遇……?
ごくり、ととめどなく溢れるつばを飲み込み、カップを掴む。力み過ぎないように、潰さないように、慎重に……。
ストローに口をつけ、中の液体を吸い込む。
冷たさと同時に、ほわりと柑橘類の香りを感じられた。飲み込んだ後は、ミルクの濃厚な後味が舌に残る。
しかしお目当てのタピオカはまだこない。
しばらくただのミルクティーを堪能していると、液体すらも来なくなった。何事かとストローを見てみれば、黒い塊が、下のほうで詰まっている。
なるほど、よく見てみれば、普段使っているストローよりもすこし太い。そうじゃないと、タピオカを吸い込むことが出来ないんだろう。まあ、これでもぎりぎりのように思うけど。
ならば、と勢い良く吸い込む。
つるり。
口の中に何かが入った。
この感触、そして先ほどから飲んでいた物の中身を鑑みるとこれは、あれしかない……!
やっとタピオカに辿り着けた……!!!
吸い込んだ勢いのまま、飲み込まないこまないように、細心の注意を払う。
ふにゃり、と言う感覚が歯を伝ってきた。
もちもちと弾力があるのが分かる。甘くて……白玉に似ているけど、それよりも少し、芯のある感じがする。
え、なにこれ。
なにこれ……。
なにこれ!!!
いや、驚くほど美味しい、訳ではないのだけど、気がついたら、タピオカを探している。
これが癖になる、ってこと……?
……なんとなく、タピオカが流行っている理由が分かった気がする。
みんなこんな感じで、タピオカにはまっていくんだな……。
一心不乱にタピオカを食べていると、店内に新たな客が入ってきた。
制服を着ている男女。
文化祭終わり、と言うこの状況下だと、それ自体は別に珍しいことじゃない。文化祭の後はカップルが出来やすい……って聞いたことあるし、今日もきっと多くのカップルが誕生したことだろう。……僕は恋人できなかったけど。
でも、そんなことよりも、大切な友達ができたから……。
それで満足だった。
気になったのはそこじゃない。
問題は、その二人が、目の覚めるような銀髪だったことだ。しかも、雨宮先輩のような脱色されたような色とは違う……自然な色。
だから、すぐに分かった。
文化祭前日に出会った彼女だ……と。美術室で一人、キャンバスとにらめっこをしていた彼女。文化祭が終わるまでに絵のモデルを見つける、なんて言ってたっけな……。
あの様子だと、絵のモデル、見つかってそうだけど。そう思うと、安堵の気持ちと、少し残念な気持ちが胸に湧き上がった。
ん?不安は分かるけど、残念って何だろ?うーん?
同じ芸術家として、彼女に嫉妬しているのかも、しれないなあ。彼女の絵は見たことがないけれど、きっと、上手なんだろうなあ、と思うし。いや、勝手な印象だけどね。
男の方は……、あれ?和太鼓の出し物の時にステージに立っていた記憶が……?
と思ったら、さっきタピオカを持ってきてくれたお祭り男が、その二人に駆け寄っていった。男の方になにやら声を掛けたあと、良くやった、とでも言うかのように背中を叩いている。聞こえないだけで、実際言っているのかもしれないけど。
少し話した後に、お祭り男は厨房の方へ駆け足で戻っていった。注文を聞いていたのかもしれない。
そして二人は適当な席を見繕い、座った。
なんとなく、目線が彼女らを追ってしまう。
タピオカを吸い込む。
もちもち。
二人ははにかみあいながら、あ、ミルクティーがまたこなくなった。
きっとタピオカのせいだろう。
勢い良く、吸い込んで……。
互いに緊張しているようで、でも楽しそうで、きっと僕に見られてる、なんて、思ってもないんだろうなあ。
二人だけで世界が完結しているみたいだ。
それって
まるで……。
恋人みたいじゃないか。
ズキリ。
どこかがが傷んだ。
なんでだろう。こんなにもタピオカは美味しいのに。
のどが渇く。痛いくらいに。
水分ならさっきから摂取してるだろ。
凄い切なくて……。
「おい、どうした?」
そんな風に、雨宮先輩に顔を覗き込まれて、はっと気がつく。
矢川先輩もこちらを見ていた。心配そうな顔をしている……ような気がしなくもない。
「……なんでもないですよ」
気がつけば、タピオカミルクティーも残りわずかになっていた。
最後の一口を飲み干す。
あ、底に数個、タピオカが残ってる……。
「このタピオカどうすればいいんでしょうか?」
「ん?ストローで、掃除機みたいに吸えば?」
そういう雨宮先輩もタピオカと格闘中らしく、ストローを動かしている。
ただでさえ食べにくいタピオカだけど、液体がないとよりそれに拍車がかかるらしい。悪戦苦闘していると、矢川先輩がふと言った。
「スプーン、貰ってこればいいんじゃない?」
あ、なるほど。確かに蓋を開けてスプーンですくえば、簡単に食べられそうだ。その手段は思いつかなかったなあ。……と言うか、そもそも、そんなに人に声を掛けるのが得意じゃない。だから、思いつかなかったのはあると思うし、言われた今でも、そんなに乗り気じゃなかったりする。
わざわざ店員?に聞くほどのことでもないような気がしてならない。
スプーン貰わないと、死ぬわけでもなく、時間をかければどうにかなる問題だからこそ、余計にね。
「うーん。それは俺も途中で思ったけどさ、ここまでくるとスプーン貰ったら、負けな感じしねえか?」
「あー」
「だろ?」
雨宮先輩は得意げな声を上げたが、それは矢川先輩の、あ、という声に遮られる。
「……って言ってみたけど、ごめん、やっぱ、分かんないや」
「えぇ……」
雨宮先輩は、不服そうに言ったあと、僕の方をぐいっと向いた。
「須藤は分かるよな?」
先輩の表情は分からないけれど、なんだか期待されているような気がする……。
正直なところを言うと、悔しい、という感情は、全くない。寧ろ、早急にスプーンが欲しかったりする。
ただ、店員?に話しかける、という所がネックなだけで……。かと言って二人に言ってもらうよう、お願いするのも、気が引けるし……。
やっぱり、二人とは対等な関係でいたいからね。
……じゃなくて!
悔しいかどうか、か。
うーん。悔しくはない、けど。それをそのまま言うと、雨宮先輩の期待を裏切ってしまう……ような気がする。かといって嘘をつくのもあまり気が進まない。
スプーンを貰うのはあんまり……、と言う結論は同じなんだから、まるっきり嘘、にはならないと思うんだけど。いや、でも、あー。聞かれてるのは悔しいかどうか、だから、やっぱり嘘になるのかな。
うう……せめてその気持ちが何由来なのか、分かれば……、スプーンを貰うと、今まで格闘してきた時間が無駄なものになりそうで嫌、とかなのかなあ。
それだと分からなくはない。
ただ、僕の場合はその気持ちよりも、話しかけるのが嫌ってのが強すぎただけで。
ってことは、これ、うんって答えても良いよね?だって気持ちは分かるんだから。うん。
「……分かります」
「いや、そんな、無理して同意しなくて良いわ……」
「えっ?」
なぜ、ばれてしまったのだろう。いや、でも、分かる。と言う言葉には嘘がないんだから、ここは怒るべきところ……?
うーん?
難しい。
「んじゃ、俺貰ってくるわ」
僕が考え込んでいると、いつの間にか先輩は立ち上がっており、声をかける暇もなく颯爽と去っていった。
雨宮先輩は例のお祭り男に話しかけている。
流石に遠すぎるのと、周りが煩くて内容は聞こえなかったけど。
「あれ、俺たちにも、持ってきてくれるのかな……」
矢川先輩がぽろっと零した。
言われて、良く見ると、雨宮先輩は指を三本立てている。あれは……、スプーンが三つ分ほしい、ってことなんだろうか?
しばらく見ていると、お祭り男は厨房に引っ込んでいき……、戻ってきた。
その手には三つのプラスチックスプーンが握られている。
ああ、やっぱり。
「雨宮先輩……悔しいって言ってたのに……」
「うーん。会話の流れから持って来て欲しい、って気持ちを読み取ったのかも」
なにやらもんにょり、と濁すような言葉尻。
あ、というか、僕がスプーン欲しかったのバレてた……?雨宮先輩に……。そして矢川先輩にも……。
「もしかして顔に出てました……?」
「……」
沈黙は肯定の証、と言う言葉をどこかで聞いた気がするから、きっと顔に出てたんだろうなあ……。
うーん。なるほど。
だから僕のためにわざわざ、……って言う考えも傲慢かもしれないけど、でも、悔しいと言っていたのに持ってきたのだから、やっぱり、僕の為に、って言う側面は少なくないと思う。
だから、うん。
申し訳なさはそりゃ、少しはあるけど、それよりも、凄い、嬉しかった。
「まあ、俺が否定したから、ってのもある、だろうし」
矢川先輩の言葉はどこか申しわけなさそうで、この人も、ああ、やっぱり優しい人だな、なんて思った。
「雨宮先輩って絶対もてますよね……あんなに格好良くて、さらには性格もいいなんて……」
僕が気にしてないことを伝える為に、にかっ、と笑って見せたら、先輩はどんな顔をしただろう?
きっと驚いたに違いない。それから、同じように笑い返してくれるのだ。
「分かる」
「僕が女だったら、絶対告白してますもん」
矢川先輩もかっこいいですけど。と言う言葉は飲み込む。流石に本人を前にして褒めるのは、褒める方も褒められる方も恥ずかしいだろう、と思ったからだ。
僕の冗談めかした言葉に、
「じゃあ、俺が先に告白するわ」
と、矢川先輩が笑って、それから僕も笑った。
「おー、って何だよ。俺抜きで二人で盛り上がって……ラブラブか!?」
冗談とはいえ、先輩を奪い合っていた僕たちを、ラブラブと称した先輩が、なんだか鈍感系主人公みたいで、面白くて、つい噴出してしまった。
きっと先輩は自分を巡って争奪戦が行われていた(冗談だけど)なんて、思いもしないんだろうなあ。
横からはくすくすと言う笑い声がかすかに聞こえてきて、矢川先輩も、面白かったのか、と思うと余計に笑えてきた。
「何だよ二人して……」
雨宮先輩は拗ねたような口調になるが、凄いわざとらしいから、きっと演技だろう。
その証拠になんでもないような動作で、スプーンを差し出してきた。
「ほら」
「ありがとうございます!」
「ありがとう」
僕はスプーンを受け取り、蓋を開け、タピオカを食べる。
むぐむぐ。
うーん。やっぱり、すすった方が美味しい。
まずいわけではないんだけど、ミルクティーがついてた方が、僕は好きだなあ。
一心不乱にタピオカを頬張っていると、矢川先輩が顔を上げた。
因みに、矢川先輩はまだ、ミルクティーも残っている。うらやましい。
「そういえばさ、テレビで見たことあるんだよね」
「何を?」
雨宮先輩は顔を上げずに言った。
「タピオカとミルクティーを均等に食べる方法」
ガバッと雨宮先輩はスプーンをおいて、立ち上がった。
「それ分かってるなら、早く言えよ!」
「いや、今はできないから」
矢川先輩が雨宮先輩をなだめるように言うと、雨宮先輩はすごすごと座った。
「で、その方法ってどんなのなんですか?」
今はできなくても、今後、タピオカを食べるときのことを考えるとぜひ聞いておきたかった。
「簡単だよ。ストローを差すときに、できるだけ端っこの方にして、斜めに切ってあるストローの短い方を端に向ける。それから、タピオカを淵に追いやるように飲む……らしい」
「へぇー。なるほど。じゃあ、これじゃあ、できないな」
雨宮先輩視線の先の蓋には、すでに真ん中にバッテンで切込みが入れられており、しかも素材はプラスチックだから、端にはさせそうもない。
「できないね」
「できませんね」
同時に言ったことで驚き、矢川先輩の方を見ると、先輩もどうやらこっちを見ているようだった。
「別に、ここのタピオカが悪いって訳じゃなくて、いや、むしろサイコーなんだけどさ、その方法、ほんとにあってるか、気にならないか?」
これはきっと、口実なのだろう。
それがなんとなく分かったから、僕は大きく頷く。
それに、単純にまた、タピオカが食べたかった、ってもあるし。
矢川先輩は続きを待っているのか、じっと雨宮先輩の方を見ていた。
「だからさ、今度、三人でタピオカのみに行こうぜ」
「行きましょう!」
「いいね」
僕はこの文化祭で、悲しくて、苦しい思いもした。
でも、
それでも、
前を歩いていける。
だって、
手を引っ張ってくれる、
サイコーにかっこいい、二人がいるから。