閑話 sideアルベール
俺のクソ兄貴は、腹黒だ。
俺の可愛い妹は、天使だ。
ジルベールは俺が物心ついた頃から、他人に興味を持たない人間だった。
俺にとってはたった一人の兄だったから、天才だと言われる年子の兄は目標であり、憧れだった。だが、兄からしてみれば俺は才能も無いクズ。
遂には俺を居ないもののように扱うようになった
拗ねて母親に泣きつけば、見下された目で蔑まれ、周囲には兄と比べて劣等生な俺は、この環境を幸せに思ったことなんてなかった。
いつまで、そんな追いつけもしない兄を追いかけていただろうか?
覚えてもいない。
だけど、二歳の頃生まれた妹のシスティタニアだけは、違った。
俺たち家族に明かりをくれた存在だった。
システィタニアを産んだことで、暫くして亡くなった母さんも、死ぬ寸前まで幸せそうだったのは、シスのおかげだ。
両親の間に愛が無いのは見ていたらわかる、だが信頼があったのは確かで、父親は特に末の娘であるシスを可愛がっていた。
俺に兄としての自覚が芽生えてくれば、捻くれていた俺でもたった一人の可愛い妹は、何よりも愛しいものだった。
何より驚くべきは、あの冷徹なジルベールがシスに対してだけは酷く感情を出して、人間らしさを取り戻したことだった。
しかもシスは、世界一可愛い上に、ジルベール以上の天才児だった。
ジルベールは優秀な人間が好きだから、そんな妹を可愛がって、色んなことを教えて、父と兄はシスを蝶よ花よと育てた。
俺は時々シスと遊んで、時にはジルベールとシスの取り合いをしたこともあった。
俺がこっそりシスを森に連れて行った時だったか。
直ぐにジルベールにバレて、シスを連れて帰られそうになった。
そこでシスが言ったのだ。
「ほらっ、ジルベールおにいさま、アルベールおにぃちゃん!これっ、シロツメクサの花冠、作ったんだよ!あのね、輪っかは手を繋いで仲良くしてるの、私たちも一緒!」
俺がシスを引き止めて、ジルベールがシスの手を引いて。それで手を繋いだと言ったシスが、ほら、と俺とジルベールの手を繋がせた。
なかよしだよって、笑った。
天使かよと二人で悶え苦しんだものだ。
俺たちは仕方なく、暫く三人で遊んだあと仲良く城へ帰って父に怒られた。
天使は怒られている間もにこにこ笑って、怒られたあとに父親にも花冠を渡して男泣きさせていた。
とんでもない妹だ。
システィタニアは成長すればするほどにその美しさに磨きがかかり、言い寄る男も増えていった。
学園時代、俺が三年になった時、シスが入学した。
男女共学なので、当然、女は第二王子である俺に、男は第一王女であるシスに群がった。
俺は……正直、劣等生かつ問題児だったので、言い寄る女は婚約者にはしないが一晩の付き合いで適当に付き合っていた。
シスはと言うと、男だけでなく女からも人気で、好意を向けてくる男すらも皆友達にしてしまい、気付けば輪を作って何やら楽しげに遊んでいた。
シスは、俺たち兄弟のどちらとも違っていたのだ。
優秀すぎるが故に孤高だったジルベールは、生徒会長を務めながらも人付き合いにおいては消極的というか、拒絶していて、能力の無い人間を見捨てる節がある。
俺ことアルベールは無能のレッテルを貼られ、同性には疎まれ異性とも信頼する関係にはならない、性欲か利害が一致しているだけの関係だった。
システィタニアは、どちらとも違い、何よりも優秀を超える完璧な人間でありながら、常に誰かが側でシスを助け、シスもまた皆を助けて、誰からも信頼される生徒会長になったらしい。
何しろ、歴代でも初めての生徒会選挙で全員満場一致の可決だったそうだからな。
そんな伝説を作ったシスティタニアは、今でも学園の後輩たちにも人気で、国民たちからも最も支持を得ていると聞く。
本当に第二王子として不甲斐ないとは思うが。
そんな可愛い妹は、臥せり気味だ。
理由はわからない。だが、シスは知識も魔法もマナーも教養も何を取っても完璧だし、今は社交界シーズンでも無いし、好きにさせてやろうと言うのが父親の決定らしい。
俺も……あっちゃあいないがクソジルベールも同意見だ。
正直これ以上王都や他の領地に行かれても困るのだろう。ジルベールが王位を継ぐのは半ば決まったようなものなのに、これ以上シスの人気が高まってしまうと、システィタニア派が勢力を強くしてしまうから。
それで、クソジルベールは会議に参加したり、色々勉強することがあって忙しそうだが、基本的に暇な俺は王城で剣を振り回すのも飽き、馬を走らせて少し遠出をしてみることにした。
所詮スペアと言っても、何か間違いがなければ俺が王位を継ぐことは無いだろうしな。
着いた先は北方の国境――神秘の森と呼ばれる場所。
森は二分されていて、その道を通れば隣国……エルフの国アルフヘイムに着く。ただ、その道から逸れれば森に迷い込み生きて帰ることは困難となる、らしい。
そんな森に、自ら立ち入ったのは……俺は、もしかしたら死にたかったのかもしれない。
「あの、誰かいませんかー?んーと、迷ってたりしませんかー?」
明るく弾むような声が、森の中で響いた。
決して落ち込んでいたわけでは、断じてないが。ほんの少し下がっていた気分に、似合わない鈴の鳴るようなソプラノボイスだった。
「ん?こんな森の中に人がいんのか?」
俺と同じく……まあ俺は故意だが……迷った人間か。
俺は心中を悟られたくなくて、極力明るく返事をかえす。
木の陰から見えたのは……妖精と見まごう人外れたこの世のものとは思えない美貌の少女がそこにいた。
こんなに綺麗な人間、シス以外に見たことない。
「おにっ、ぅゔんッ、貴方は誰…ですか?」
俺知らない……という風じゃないな。
ほんの少しだが、口調が正されたものになったのを感じた。
「あー、俺はアルだ。お前は?……人間か?」
「アルですね。私はセーラです、人間……ですね、きっと」
「ふぅん、セーラか……もしかしてその容姿に名前、噂の精霊か?」
精霊なんて烏滸がましい!って顔だな……。
貌はものすげぇ整ってるのに、分かりやすいヤツだ。
「人間だよ!ちょっと、人間とは違う能力はあるけど、基本は人間と同じだから、精霊と一緒にしちゃダメだよ!……ん、とだめです!」
「ははッ、話し方、そのままでいい。お前おもしれぇ奴だな?」
こんな素直な奴は、王城にあんまいねぇしな。妹にさえ気を遣われてるのが分かる。
だからこそ素で俺にぶつかってくる奴は、貴重な存在だ。
「分かった。もう、とにかく私はただのセーラだから!とりあえずこの森から出よう?」
「なんでだ?」
「えっ、ここは、精霊さん達の住処だから……本当は許された人しか入っちゃだめなの」
その言葉の意味は、アホでも分かる。
この少女、セーラは許されているが、俺は許されていないっつーことだ。
「つまり、俺は入れられねぇってわけだな?」
「う、うん……でも、その………精霊さん、アルもここにいちゃ、駄目かな……?
…………、…………。
わぁ、ありがとう!ねぇアル、精霊さん達良いって!じゃぁ、ちょっと一緒に行かない?」
どうやらこの場にいるらしい〝精霊〟と会話したらしいセーラは、それらの承諾を得てはしゃいでいる。いやいや、入れるのは確かに光栄なことだが、マジでこいつなにもんだ……?
でも今から出るのも、と考えると着いていくしかない。
「どこに連れてってくれんだ?」
「私の、秘密基地!人間を連れて行くの、初めてなんだよ!」
「へぇ、なんかわかんねぇけど俺のことかなり信頼してくれてるんだな」
「まあね!」
だからちょっと、カマをかけてみることにした。
「やっぱ俺がシスの兄貴だからか?」
「そうそう!アルがシスティのお兄様だから――ってえ!?どうして!」
案外……簡単に引っかかったな。
「いや。だってお前、システィぐらい顔綺麗だし。そのアンクレット、シスとお揃いだろ。なんか雰囲気似てる気がするしやっぱ友達か」
「友達?」
「違うのか?」
シスがお揃いの物をあげるのはよっぽどだろうし。
さっきから話してて素直でいい奴なのは分かるからな。
「ちっ、違わないよ!そうなの、このアンクレット、システィに貰ったの!」
まあ、だがそれなら。
「セーラとシスは友達だったのか。それなら俺も少しは気が休まりそうだ」
「?アル、いつもは休まってないの?」
「……まーな」
「あっ、この先だよ」
話変えてくれたか。空気は読める奴らしい。
ここで食い下がられると、壁を作っちまうとこだった。
「へぇ……随分先まで来たか?」
「到着……ってえ!?」
「お邪魔しているよ、セーラ」
なんか居た。
*
「もうっ、リュシーのばか!来るなら来ると言ってよ!」
「あははは、ごめんごめん。驚かせようと思ったんだ――それはいいんだ。セーラ、その人間は何?」
セーラとかなり仲の良いらしいソイツは、耳が長く、容姿端麗な男だった。
色素の薄い髪を撫で付けたその男は、如何にも優男でどうにもクソジルベールを思わせる。
俺を敵視するかのように、青い眼を細めて睨みつけてきた。
「セーラ、こいつは……エルフか?」
「う、うん。えとね、リュシー。こちら、人族のアルベール。私のお友達のお兄さんで、さっき知り合ったの。それから、アル、彼はエルフのリュシアン=ルネ。リュシーは、この森で出会ったの。私のお友達だよ」
俺たちはお互いに観察し合う。
「へぇーアルベール君ね。どこかで聞いた名前だけど、よろしくね」
「ふーん、リュシアンな。あぁよろしくしてやるよ」
……こいつ俺のこと知ってやがんな。
だが、特に気にした様子もなく、リュシアンという男はセーラに向き直す。
「でもセーラ、人間をここに連れてきて良かったの?」
「うん、精霊さんたちも良いよって言ってくれたし」
「……そりゃぁまあ、君が命令したなら聞かない精霊はいないだろうけどね」
「何か言った?」
どういう意味だ?
セーラが精霊に命令すれば聞かないことはない……愛された乙女という噂は本当だったのか。
だがセーラにはその小さな声は届かなかったらしい。
「なんでも無いよ。それより、セーラにプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?私誕生日まだだよ?」
「もう、贈り物は生誕に限ったものでも無いでしょう?それにエルフにそんな生まれた日に祝う習慣はほとんど無いし……プレゼントというか、お土産かな」
そう言ってリュシアンが取り出したのは、まだ透明な輝きを放つ、片手に収まるサイズの綺麗な石だった。
ああ、俺もなんか持ってこればよかったな。
「わあ!すごい、綺麗!これ、もしかして願い石?」
……これが願い石って奴なのか。
つくづく俺は無知だ。これじゃあ、クソジルベールに馬鹿にされても仕方ねぇ……かもな。
「流石セーラ、博識だね。これ程純度の高い願い石はなかなか見ないから、セーラにあげようと思って。ほら、何か願い事をしてみて?」
「えっ、お願い事!えっと、あう……あっ!この森や精霊さんたちが、良き主人となる王に恵まれて、みんなが幸せになれますように!」
セーラが石を握り、願いと魔力を込める。すると石は、鮮やかな虹に輝いた。
俺はセーラの願い事が酷く、眩しくも愚かしく思えてしまった。
「セーラ、そんな願いで良かったのか?」
「え?」
キョトンとした顔のセーラは、俺やリュシアンが不思議に思う理由がわからなかったのだろう。
更に説明してやる。
「それは城でもお目にかかれないほどのモンだ。もっと、自分の為になるような願いにすれば良いじゃねーか」
俺が言うのもなんだが、人間は強欲なもんだ。
望みならいくらでもあるはずだ。俺が石を持っていたなら、クソジルベールを見返せる力を手に入れたいとか、城で自分の居場所を作りたいとか、自己中心的になってしまうだろう。
だがきっとそれが普通だ。
「私ね、単純なんだけど、この世界が好きなの!」
溜めて溜めて、答えたのはそれだった。
思わず聞き返す。
「は?」
「……あのね、アルとリュシーの2人だから言うけど。元々はこの世界の人間じゃないんだ。異世界人だったの」
「「冗談?」」
声が揃った。
異世界人だなんて、突然の告白過ぎる。
何処かの国で、勇者召喚として異世界から人間を喚び出すことは稀にあるらしいが、この国では歴史上そんなことは起きていない。お隣のエルフの国でも同様だ。何しろ呼ばれるのは人間だからな。
だが、セーラは嘘を付いている風でも冗談を言っている様子でもなかった。
「あははっ、ほんと!私の元いた世界は、魔物も魔獣もいなくて、エルフも精霊も存在しなかったんだ」
「セーラは、そんなこと一言も言わなかったじゃないか」
隣で黙って聞いていた、リュシアンが口を挟んだ。
それなりに長い付き合いだったのかもしれない。
「だって、そんな簡単に言えることじゃないでしょ?」
「……確かに」
確かに。いや、俺出会ったばっかだけどな?
「この世界では、私がありえないと思うことが平然と起こってしまうから、毎日が驚きの連続だよ? 元の世界は不便なく過ごしてきたことが、とても難しいことだってあるし」
それから少し……セーラは前の世界のことを語った。
もう記憶もあやふやだというが、かなりのことを覚えていると思う。魔法が無い世界でどう生きるのか疑問に思ったが、その世界の方が不便なく暮らせていると語った。
だけど、とセーラは続ける。
「今がとても楽しいの。とてもとても幸せなの。ここで過ごす一日も、こうして二人といる時間も。だから、この世界が好き。精霊さんたちも好き。みんなが幸せでいることが幸せなの。それは綺麗事じゃないの、私の願望でありエゴなのよ」
あまりにも純粋な願い。
俺にはとても触れられない程の透明さを持つ少女に、距離を置きたくなった時、
「ほら、私は悪い女でしょう?」
セーラが戯けた風にそう笑った。
その笑顔に引き込まれるように、その全てに魅了された。
今まで出会ったどんな女にも感じなかった、未知の感情を知ってしまった。それは、きっと。
「あ……」
「お前……」
「……参ったな。まさかそんな答えが返ってくるなんて……それに、そんなに可愛いお願い事をしておいて、悪い女だなんて。純粋すぎて心配になるよ」
「セーラが、どうしてそんなに俺を買ってくれてるのかわかんねぇけど。本当に、知れば知るほど……いや、いいか。本当にお前みたいな奴、初めてだぜ」
リュシアンは前髪をかきあげると、嘘偽りない笑顔を浮かべた。これも、セーラだからこそ向ける笑顔だろう。
「とっ、とりあえず!ほら、紅茶でも淹れるよ!ちょっと待っててねっ」
何を焦ったのか、セーラはその場を逃げるように去っていった。
まあ紅茶を淹れるとか言ってたし帰ってくるだろうからいいけど……こいつと、二人取り残すのはやめてほしいよな……。
「僕はね。人間が嫌いなんだよ」
セーラの姿が見えなくなると、リュシアンがポツリと言った。
「大抵のエルフはそうだろうな。だけどセーラも人間だぞ?」
「そんなことは、知っていたさ。けど、彼女は出会った頃から僕をエルフとして見ていなかったんだ。だから、僕も人間として見るのをやめた」
人間は、エルフを神聖視するか、亜人と見なすかのどちらかに分けられることが多い。
美しいエルフはかつてエルフ狩りによって奴隷とされたり殺されたり、散々な扱いにあっていた。だからこそ、クロシスナ王国ではどちらかと言えば神聖視されることが多かった。
それこそが、エルフにとっては生き辛い環境だったのだろうか。
「セーラは、誰かと誰かを比べたり、差別することはねぇだろうな」
「そうさ。セーラは精霊もヒトもエルフも、みな友達だと言って笑うんだ。とても甘くて、優しくて、純粋な子なんだ。異世界人だからなんて関係ない。セーラはセーラだ。」
「そ、」
「だからこそ、君に容易く立ち入らないで欲しい」
成る程。これは牽制であり警告か。
この男は、人間と理解した上でセーラを想い、そして守ろうとしているわけだ。
さぞ俺は不純物に見えるだろうな。
「だが、俺は引くつもりはねーぞ。俺もセーラを守りたい気持ちは同じだ」
「二人とも、お待たせ! お昼時だし、パイも焼いてきたよ」
セーラが戻ってきたことで、会話はそこで終わった。
***
「もうこんな時間か……」
夕日で空が赤く染まり、俺はそろそろ帰らなければならない時間になった。
紅茶の炭酸とやらも、クッキーも、パイもめちゃくちゃ美味くて、セーラは俺たちがぶつからないように話しに入ってくれて楽しい時間を過ごせていたが。
それもどうやら、終わりだな。
「僕はもう少しセーラとお話しして帰ろうかな」
「分かった。リュシー、ちょっとまってて。……外まで、送るね」
「……ああ、頼む」
何か最後に言っておきたいと思った。もう会うことは叶わないかもしれない。俺は王子で、セーラは神秘の森で自由を好む異世界人。またここに来ても、セーラが許さなければ会えないかもしれないのだ。
気付けば、酷く静かだった。
「なあ。セーラは、クロシスナ王国をどう思う?」
やっと出た言葉はそんなものだった。
だが、聞きたかった問いでもあったのだ。
「良い統治者がいる。その国は、良い国だよ。それは、アルが一番よく分かっているんじゃない?」
「統治者……か」
統治者。それは、現国王である父であり、おそらく次期国王であるジルベールのことか。
この国が良く正しくあるには、不必要な物もある。
俺はしばし考え込んだ。
気付けば、森の外に出ていた。
「アル、」
「またここに来ても、いいか?」
俺らしくもなく請うような言い方になった。
だが、自分の顔が熱くなっていることも知らないふりをして、尋ねた。
「また、会いたい。来てほしい……せっかく、友達になれたんだから」
欲しい答えとは少し違ったが。
俺はもう決めてしまった。全てを投げ打つことも、お前を手に入れる決意も。
「……ああ。お前に会いにくる。絶対、また会いに来るから。5日後……いや3日後に」
「うん、待ってるね」
俺は行きよりもずっと早馬で、王城の父の元へ、帰還した。
王位継承権を捨てるために。
コンプレックスの塊。