3. 神秘の森での出会い
「んーっ、よく寝た」
昨晩はディミトリを宿に放り込み、ジルベールお兄様と別れてから、また森へ向かい王宮の自室へ転移で戻った。
帰るといつものようにアレンがお帰りなさいませ、と笑顔で出迎えてくれた。小食と湯浴みの用意をすると、さっと下がってくれる。
本当に出来た侍従だ……。
さて、今朝は天気がいい。
こんな天気の良い日は、セーラとして森に出掛けようかな……。
朝食を摂ると、すぐにアレンが予定を確認しにやってくる。
「本日のご予定はいかがなさいますか?」
「うん、今日はセーラに変装して森へ行こうかなって。今度はアレンにもお土産に、グルルの実を貰ってくるね」
「えっ!本当ですか!?わぁ、それはとても楽しみです!」
グルルの実は前の世界で言うチェリーみたいな果物。色は杏色だけど、とっても甘くて美味しいくて、実は滅多にお目にかかれない高級食材。
精霊達の住処には、山ほど生っている実だけど、そこに入れる人間は限れているらしく、私のちょっとした秘密基地みたいな場所。
前は私だけで堪能してしまったから、今日は持って帰ってこよう。
「それじゃぁ、【コンバート・アピアランス】行ってきます!」
「はい、行ってらっしゃいませ王女殿下」
こうして今日も、平和な日常が訪れる――。
そう信じて、疑わなかった。
テレポート先の森で、あの人に出会わなければ。
「なんだか、森が騒がしい……?どうしたの、みんな」
エルフとしての力で、精霊達に語りかける。
『あのねっあのねっ、森に変な人が迷い込んできたの!』
『呼んでないよ!呼んでないのに来ちゃったよ!』
精霊達が言うには、招かれざる客がいるとのこと。悪さをしているわけじゃないけど、精霊と話が通じないので困っているらしい。
迷っている方も、もしかすると困っているかもしれない。
良心で、動く……それが良いところでもあり、悪いところでもあることを思い知ったのは、その直ぐ後だった。
「あの、誰かいませんかー?んーと、迷ってたりしませんかー?」
「ん?こんな森の中に人がいんのか?」
返事は思いの外早く帰ってきた。
だが、その声は非常に聞き覚えのあるものだった。
「おにっ、ぅゔんッ、貴方は誰…ですか?」
流石に一目見て分かると、王都にいるとか王族の顔を知ってるとかで身バレしそうだからな。第一王子ならまだしも、第二王子は然程有名でないのが現状なのだ。
うん、そうだ。
「あー、俺はアルだ。お前は?……人間か?」
「アルですね。私はセーラです、人間……ですね、きっと」
「ふぅん、セーラか……もしかしてその容姿に名前、噂の精霊か?」
精霊!?ないないない!!
エルフもある意味妖精みたいなものだけど、精霊ってもっと概念的なもので、神聖な存在なんだから!
「人間だよ!ちょっと、人間とは違う能力はあるけど、基本は人間と同じだから、精霊と一緒にしちゃダメだよ!……ん、とだめです!」
「ははッ、話し方、そのままでいい。お前おもしれぇ奴だな?」
あちゃー、アルベールお兄様に気に入られちゃった。
昨日といい今日と言い、なんの縁でこんなに別の姿でお兄様達に会うのかね!?
「分かった。もう、とにかく私はただのセーラだから!とりあえずこの森から出よう?」
「なんでだ?」
「えっ、ここは、精霊さん達の住処だから……本当は許された人しか入っちゃだめなの」
なんだか、言ってて申し訳なくなる。
だって、私は許されていて、アルは許されていないって言ってるようなものだ。
それは、勘のいいアルベールにはバレバレだったみたいで。
「つまり、俺は入れられねぇってわけだな?」
「う、うん……でも、その……精霊さん、アルもここにいちゃ、駄目かな……?」
元日本人の私は、おもてなしの心を常に持っていたいのである。
ごめんよ、精霊さん達……。
『いいよー、セーラのお願いなら』
『しょーがないなー、そいつだけだよー?』
「わぁ、ありがとう!ねぇアル、精霊さん達良いって!じゃぁ、ちょっと一緒に行かない?」
人間と一緒にこの森に入るのは初めてだ。エルフでさえ、半分くらいしか入ることのできないこの森に、お兄様と一緒に入れるなんて!
うん!バレたらどうしよう終わりだね!
「どこに連れてってくれんだ?」
「私の、秘密基地!人間を連れて行くの、初めてなんだよ!」
「へぇ、なんかわかんねぇけど俺のことかなり信頼してくれてるんだな」
「まあね!」
「やっぱ俺がシスの兄貴だからか?」
「そうそう!アルがシスティのお兄様だから――ってえ!?どうして!」
「いや。だってお前、システィぐらい顔綺麗だし。そのアンクレット、シスとお揃いだろ。なんか雰囲気似てる気がするしやっぱ友達か」
いやあのね!話を聞いて下さいおにぃちゃん!違うの!私はシスティじゃなくて―――ん?
「友達?」
「違うのか?」
「ちっ、違わないよ!そうなの、このアンクレット、システィに貰ったの!」
あー。これ、透明化の魔法解けちゃったか。魔力切れだな……。
昨日は忙しかったし、確認する暇なかったもんなぁ。
まあ、これで少しはアルとも話しやすくなったのかな?
「セーラとシスは友達だったのか。それなら俺も少しは気が休まりそうだ」
「?アル、いつもは休まってないの?」
「……まーな」
おっと、触れられたくない案件かな?
こういう思春期の男子は、心を開いてくれるまで待とう。
「あっ、この先だよ」
「へぇ……随分先まで来たか?」
森は深いし、とても複雑だ。きっと普通の人間じゃあ迷ってしまうのも無理ない。一度奥に入れば、案内無しには出られないだろう。
ここ、北の森は広大で、そして隣国との一本の道から逸れれば迷うこと間違い無しとも言われている。その奥の私の秘密基地には。
「到着……ってえ!?」
「お邪魔しているよ、セーラ」
先客がいました。
もちろん知人であります。
「もうっ、リュシーのばか!来るなら来ると言ってよ!」
私の友人、リュシー。
ひょこっと私の近くに現れたと思ったら、ふらりと消える美形の変人。変人です。
悪いやつじゃないんだけどね。
「あははは、ごめんごめん。驚かせようと思ったんだーーそれはいいんだ。セーラ、その人間は何?」
悪びれもなく笑うリュシー……その笑みは明らかに愛想笑い。
キッとその青い理知的な眼を細めて、アルを睨みつける。
アルはアルで、観察するようにリュシーを見ているし。
「セーラ、こいつは……エルフか?」
そうだ、リュシーはエルフ。私の友人の中でも有数の人間嫌いだ。
アルベールは種族にどうこういうタイプでは無かったはずだけど。
「う、うん。えとね、リュシー。こちら、人族のアルベール。私のお友達のお兄さんで、さっき知り合ったの。それから、アル、彼はエルフのリュシアン=ルネ。リュシーは、この森で出会ったの。私のお友達だよ」
アルベールも、人族ではあるけど、リュシーに引けを取らないイケメンだ。
野性味の強いアルベールと、やや線の細い王子様エルフのリュシー。めちゃくちゃ絵になる。
見惚れる余裕がないくらいこの場の雰囲気がピリピリしてなければ、もっと堪能していましたが。
「へぇーアルベール君ね。どこかで聞いた名前だけど、よろしくね」
「ふーん、リュシアンな。あぁよろしくしてやるよ」
ちょっとー?なんでこう一触即発な空気なんですかね??
二人ともよろしくの意味分かってるのかなー。こんなに仲良くする気の無いよろしく初めて聞いたよ。
「でもセーラ、人間をここに連れてきて良かったの?」
「うん、精霊さんたちも良いよって言ってくれたし」
「……そりゃぁまあ、君が命令したなら聞かない精霊はいないだろうけどね」
「何か言った?」
「なんでも無いよ。それより、セーラにプレゼントがあるんだ」
「プレゼント?私誕生日まだだよ?」
「もう、贈り物は生誕に限ったものでも無いでしょう?それにエルフにそんな生まれた日に祝う習慣はほとんど無いし……プレゼントというか、お土産かな」
「わあ!すごい、綺麗!これ、もしかして願い石?」
「流石セーラ、博識だね。これ程純度の高い願い石はなかなか見ないから、セーラにあげようと思って。ほら、何か願い事をしてみて?」
願い石とは、その名の通り、願いを叶える石である。と言っても、前世でいうミサンガやお守りのような迷信めいたもので、お金持ちになりたいだとかモテたいだとか、そんな簡単なものを願う人が多い。
願い石は、魔石の種類でもあるんだけど、願いとともに魔力を注げば、あとは肌身離さず持っていると良いとされている。願い石は普通の魔石よりもとても綺麗で、魔力を注ぐと色が変わり特有の輝きが増す。純度が高いものは込めた者の魔力によって、より綺麗な輝きを放つ。
要は、とても高級で、珍しいものなのである。
「えっ、お願い事!えっと、あう……あっ!この森や精霊さんたちが、良き主人となる王に恵まれて、みんなが幸せになれますように!」
ぎゅっと石を握って、願いと魔力を込める。
すると石は、鮮やかに輝いてどんな宝石よりも神秘的な虹のような色を映し出した。
やっぱり願い石は、とても綺麗。
「セーラ、そんな願いで良かったのか?」
「え?」
アルベールが、心底不思議そうに尋ねてきた。そんなにおかしなことだろうか?
リュシーは何も言わずにただ笑を堪えている。
「それは城でもお目にかかれないほどのモンだ。もっと、自分の為になるような願いにすれば良いじゃねーか」
つまり、あれか。
前世の漫画の続きを読ませて下さいとか、次の総理大臣は誰になったか教えてくださいって頼めばよかったということか。
うーむ。
「私ね、単純なんだけど、この世界が好きなの!」
「は?」
「……あのね、アルとリュシーの2人だから言うけど。元々はこの世界の人間じゃないんだ。異世界人だったの」
「「冗談?」」
「あははっ、ほんと!私の元いた世界は、魔物も魔獣もいなくて、エルフも精霊も存在しなかったんだ」
もしもそういう存在があったとしても、私達が認知することは無かった。
「セーラは、そんなこと一言も言わなかったじゃないか」
「だって、そんな簡単に言えることじゃないでしょ?」
「……確かに」
それで納得してしまうリュシー。
ファンタジーなこの世界では、エルフから見れば大したことでもないのかもしれない。
「この世界では、私がありえないと思うことが平然と起こってしまうから、毎日が驚きの連続だよ? 元の世界は不便なく過ごしてきたことが、とても難しいことだってあるし」
私にある「前世の記憶」。
それは17年経った今、かなり不鮮明だ。
物や文化は覚えているけれど、人や思い出の記憶はだんだんと薄れてしまう。私の人生がそれだけ薄っぺらいものだったのかもしれないけど、なによりも今。
「今がとても楽しいの。とてもとても幸せなの。ここで過ごす一日も、こうして二人といる時間も。だから、この世界が好き。精霊さんたちも好き。みんなが幸せでいることが幸せなの。それは綺麗事じゃないの、私の願望でありエゴなのよ」
とっても綺麗な石に、ちっとも綺麗じゃないことを願ってしまった。
だけど、私はそれが一番なんだ。
何もしていなくても幸福が与えられる人生だからこそ、周りにも幸せになってほしいと願う。
「ほら、私は悪い女でしょう?」
てへ、と茶目っ気たっぷりにウインクして、べっと舌を出す。
二人は私を嫌いになってしまっただろうか?
リュシーなんかは、私を神聖な存在みたいに扱っていたから、ただの異世界の記憶を持つ人間と知って距離を置かれるだろうか。いやいや、アルベールに嫌われたら私ちょっとメンタル死んじゃうかも。
二人の顔を恐る恐る見ると、馬鹿みたいにポカンと惚けた顔をしていた。
「あ……」
「お前……」
え?なに?めちゃくちゃ写真撮りたいくらい良い絵面なんだけど。
どうしよう、魔法で撮っちゃおうかな。いや、あとが怖いからやめよう。特にリュシアンさん。
「……参ったな。まさかそんな答えが返ってくるなんて……それに、そんなに可愛いお願い事をしておいて、悪い女だなんて。純粋すぎて心配になるよ」
「セーラが、どうしてそんなに俺を買ってくれてるのかわかんねぇけど。本当に、知れば知るほど……いや、いいか。本当にお前みたいな奴、初めてだぜ」
んん、好感触すぎませんか?
なんか他にある気がするんですが……まーいっか!
「とっ、とりあえず!ほら、紅茶でも淹れるよ!ちょっと待っててねっ」
この森の四阿の最奥には、私だけが知る精霊の部屋がある。
そこには、キッチンみたいな場所があって、お友達が来るとそこで用意をするようにしている。入ろうとしても何故か私しか入れないみたいだけど。
「うーん、リュシーはいつも通りのダージリンで良いとして、アルベールお兄様が紅茶を飲んでるイメージって全然無いなぁ……炭酸系、そうだ!ティーサイダーにしよっと!柑橘系がいいかなぁ〜」
それと、紅茶に合うお菓子も用意しなきゃ。グルルの実を使ったパイでも作ろうかな?
あとは、リュシーに好評の手作りクッキー!
お城じゃなかなか作れないし、誰かに食べさせることもできないし、ここでは自由でいいよねー!
「よし、完成!」
魔法で保管していたクッキーと、出来上がったパイを精霊さんたちに手伝って貰いながら運ぶ。
クッキーは精霊さんたちも大好きなので分けてあげている。
「二人とも、お待たせ! お昼時だし、パイも焼いてきたよ」
「おっ美味そ!つかグルルの実じゃねーか!」
そうです!
お土産の分は別としても、今日は妖精さんたちがたくさん持ってきてくれたから、ふんだんに使っているのです!超贅沢です!
「!手作りのクッキーだね!これは本当に大好きなんだ!このシンプルなお菓子一つにしても、どんな高級店でもセーラの作る料理には敵わないね!」
凄い太鼓判を押してくれているリュシー。
まあ、昔から料理は得意だったけど、この間ジルと行ったケーキ屋さん含めて、普通のお店も美味しいと思うけどなぁ。リュシーは舌が肥えているんだよね。
「ふたりとも、ありがとう!紅茶も今日は少しブレンドしてみたから、飲んでみてね!」
「いただきます……ああ、これももしかして異世界の言葉だったのかな?」
「なんだ?いただきます?」
「そうそう!私の元いた世界で、食事をするときに、食べ物やそれを育てた人、作った人に感謝を伝える言葉なんだよ!最後にはごちそうさまって言うんだ」
「へぇーそんなもんがあんのか。じゃあ、俺も。いただきます」
アルベールみたいなタイプは、元の世界じゃきっとグレてていただきます。なんてしないだろうなぁ。アルベールって以外に真面目なとことか素直のとことかあって可愛いよね。
なんて考えてたら、思考を読まれでもしたのか、アルにギロッと睨まれた。野生の獣だぁ。
なんてふざけながら、紅茶に口をつけ、パイを口に含む。
うむ、我ながら最高に美味しく出来たな。
と勝手に完結していたけど、二人はまたしても黙り込んでしまった。
「えっと、口に合わなかったかn「んまい!!」」
……食い気味ですね。
「めちゃくちゃうめぇ!なんだこれ、グルルの実自体なかなか食べられねーからんかんねぇけど、パイ生地も負けないくらい美味いのが分かる!くそ、食っちまうのがもったいねぇー!」
「セーラ、これ、本当に美味しいよ!ああ、クッキーも美味しいんだけど、また違うしっとりとした食感がたまらないし、味付けのキャラメルの焼き加減もベストだし、何よりこの、」
「「紅茶!!」」
「シュワッてすんの、炭酸だよな!紅茶に炭酸だなんて考えたこともなかったが、このオレンジの酸味と甘味がちょうどいい中に茶と炭酸がマッチして最高だな!紅茶なんてつまらない飲み物だと思ってたけど、こんなに美味いもん初めてだ!!」
「何を言っているんだ君は!紅茶は手を加えなくたって美味しい……けれど、けれど!
この紅茶のブレンドは本当に最高だね!新緑のような爽やかな森のエッセンス、これはセーラが以前言っていたハーブティーというやつかな!?」
……めちゃくちゃ仲良いじゃん。
凄いなぁ、紅茶とスイーツ出しただけだよ?
いや若干言い合いしてる?けど、結局息ぴったりじゃん……。
「う、うん。ミントを入れたんだ。癖にあまり強くない、この森で採れるミントだから、元の紅茶にも合うでしょう?」
「ああ!一番のお気に入りだよ」
二人とも興奮冷めやらぬと言った様子で、茶菓子を楽しみながらしばらくの時間を過ごした。
***
「もうこんな時間か……」
夕日で空が赤く染まった頃、アルベールがそう呟いた。
楽しく話しに花を咲かせていた私は、その言葉によってはっと現実に引き戻された。
アルベールは、とても残念そうな表情で、私を見た。
リュシーはもう少しここに居られるらしい。
「外まで、送るね」
「……ああ、頼む」
リュシーに見送られながら、二人で出口に向かう。
自分が素でいられて、気安い兄と過ごすこの時間が、これほど楽しいなんて。
限りある時だとわかっていても、辛くなってしまう。
もう思い出せないけど、かつて前世で学生だった頃、友達と遊びに行った帰りもきっとこんな気持ちだったんだろう……。
帰り道は、酷く静かだった。
「なあ。セーラは、クロシスナ王国をどう思う?」
アルベールからの、突然の問いかけだった。
ほんの少し、返事に迷う。けど、思うがままに答えた。
「良い統治者がいる。その国は、良い国だよ。それは、アルが一番よく分かっているんじゃない?」
「統治者……か」
何か、考え込む素振りをして、黙り込んでしまった。
それから少しして、森の出口が見えてくる。何度も行き来した、クロシスナ王国側の出口だ。
私は努めて笑顔で、見送ろうと思った。
「アル、」
「またここに来ても、いいか?」
アルベールの頬は、夕日で照らされて赤く色づいていた。
私は、アルベールの目を真っ直ぐに見て答えた。
「また、会いたい。来てほしい……せっかく、友達になれたんだから」
「……ああ。お前に会いにくる。絶対、また会いに来るから。5日後……いや3日後に」
「うん、待ってるね」
アルベールは背中を向けると、近くに繋いでていたらしい馬を走らせて城へ帰っていった。
そのあと、リュシーといつも通りお茶をしながら過ごしたけれど、何だか少しアルベールの事が気になって、集中出来なかった。
少し、ほんの少しだけ、何かが変わるような、心がもやっとした気がした。
それが杞憂でない事を、この時の私は知らない。