Vol.20 『カタカナ三昧』
《ユーリはコーヒーの入ったカップをお盆に乗せ、カチャカチャと揺らしながらドアの前に立った。
トントン――
ユーリは両手が塞がっていたため、仕方なく口を開いた。
「やあ、ユーリありがとう。トーマスが君に会いたがっているよ」
中からドアを開けたユーリの父、ジョルジュがお盆を受け取り、促した。
「こんにちは、ベルト様」
ユーリはソファーから立ち上がったトーマスの前まで来ると、ドレスを持ち上げて礼をとった。
トーマス――トーマス・ベルトはジョルジュの幼少の頃からの友人で、ここアントナーク国と隣国パシュビルの国境にあるエクステリ地区を〜》
……登場人物の名前がカタカナのみ、国名もカタカナのみ、擬音もカタカナのみで、文章がほぼカタカナで出来ているんじゃないのか?と、自分の文章を読み直して呆気にとられたことはありませんか?
私は、あります。
いつも思います。
何を書いてんのか目がしょぼしょぼするときがあります。
「この文章は目に優しくねーわ」
そう思い、物語のあらゆる名前がカタカナばかりのときは、擬音くらいは控えようと頑張るようにしています。上手くは出来ていませんが…満足出来ることはないのですが、ひらがなで書いた方がいい場合、またカタカナの方がより表現しているわと思うときありませんか?
ひらがなで、カタカナで、「今の音はどうだろう、動きはどうだろう」をそれだけで表せると思うのですが、まあ…一番は我に返ったときになんだかなぁと、それまで夢中に書いて読んでいたのに疲れてしまうことがある――
という本当に個人的な話です。





