9、愛を叫ぶ男(朱里)
マンションに帰る前に行きたいところがあると言われてやって来た場所は、私達の母校のK大だった。
一回りも年上の匠とは、もちろん同じ年代にキャンパスで学んだことはなかったが、一応先輩後輩だ。
K大に着いた時刻は3時をまわっていて、キャンパスには学生がかなりいた。
授業が終わり帰る学生や、サークルに向かう学生、友達とおしゃべりをする学生・・・様々だ。
そんな学生達の横を通り過ぎ、匠に手を引かれやってきたのは。
私の気持ちを・・・未来を変えた、チャペル。
「懐かしー。ここへ来たのって、日本を発つ前だからー、5年ぶり!?」
匠はそう言いながら、チャペルの近くに設置されているおしゃれなベンチに私と並んで腰かけた。
「どうしても、この場所に・・・この銀杏の木の横に、このチャペルを建てたかったんだー。」
2人で手をつないだまま、しばらく何も喋らず。
ただチャペルを眺めていて、随分たった頃、ポツリと匠がつぶやいた。
「え・・・何か、その木に、意味があるの?」
そう尋ねると、匠は私の手をぐい、と引き。
私を銀杏の木の下まで、連れて行った。
大きな高い、銀杏の木。
「・・・ここで、お袋が出会ったんだってー。運命の、出会い。」
匠が、匠のお母さんの話をしだした。
驚いたのは、匠のお母さんの運命の出会いの相手は、匠のお父さんではなかったことだった。
「親父はさー、お袋より4つ上の幼馴染で。ずっと小さい頃からお袋が好きだったらしいんだけどー、ほら、不細工だろ?フラれ続けてたらしいんだよねぇ。でも、それでも諦められなくて、まあ、兄貴的な?そんな感じでいいからって付き合いは続いていて・・・で、高校の時に、モデルデビューして、それから女優になって、親が心配したんだろうな・・・親父との結婚話をすすめて・・・お袋の家は代々医者の家で、薬屋の氷室の家ともつながりがあって・・・周りが強引にすすめて、20歳で結婚。すぐに兄貴が生まれて、3年後に俺が生まれて・・・・・で、兄貴が小学校に、俺が幼稚園に行くようになって・・・女優業を再開しようと思ったお袋がさ、体型をもどすのに当時この大学の近くに住んでいたから、ここをジョギングコースにしてたらしいんだよ。で・・・当時、短期留学をしていた、ダグラスって、王子様系美青年と運命の出会いをしたんだとー。」
匠はいつもの緩い口調だったので、昔々の匠のお母さんの若かりし頃の甘酸っぱい恋物語だろうと思って聞いていたのだが。
「えっ、ちょ、ちょっと!匠?・・・・それって・・・・。」
ヘビーな話の内容に、私は驚きを隠せなかった。
匠は、そんな私を見てクスクス笑った。
「そー、不倫ってやつー?しかも、ダグラス!!」
軽く言っちゃってるけど・・・。
しかも、ダグラスって、外人ってこと!?
「まあ、さ・・・俺は当時本当に訳が分かんないくらい小さくて・・・だけど、うっすら・・・クリスマスの頃、お袋がいなかったなぁって、記憶にあるんだけどー、実際は・・・2か月くらい、お袋その王子様と逃避行してたらしいんだけどー。結局、その男に捨てられて、親父が迎えに行ったんだって・・・・お袋、未だに作品とかリバイバルされていたり、恋多き女とか、特集組まれたりして、メディアに登場するけど。実際はさ、親父が初めての男で。恋をしたのは、その王子様ダグラスだけだったんだってー・・・お袋がさ、俺が留学から戻って大学どこ行こうか考えてた時・・・あー、その時はもう病気だったんだけど・・・そこらへんの昔の話をしてくれてさー。できたらK大に行ってくれって・・・・それで、自分の代わりに4年間、この・・・銀杏の木を見つめてくれって。多分、その時、お袋もう自分が長くないって、気が付いてたんだろうなー・・・本当はそのままNYで大学行くつもりだったけど、急に日本に呼び戻されたし・・・。」
何か・・・衝撃的な内容で、リアクションがとれない。
でも。
「匠・・・ショックじゃなかった?・・・その・・・言い方悪いけど、お母さん一度、匠たちを置いて出て行ったんだし・・・。」
私の言葉に匠は、だって親父不細工だしー、王子様が相手じゃ無理じゃない?なんて、軽く言っているけど・・・。
それから、また手を引かれて・・・今度はチャペルの中へ連れていかれた。
そう、ここは・・・。
私が、気持ちを変えた場所・・・。
「何で・・・ここに来ると・・・気持ちが、自由になるんだろう・・・。」
仏教徒のくせに・・・教会なんて、来たことなかったのに。
ここに来た途端、自分の気持ちが解放されるような、そんな気持ちになる。
私のそんな呟きに対して、匠が私の顔を覗き込んだ。
「じゃあ、よかったー・・・このチャペルをデザインして・・・寺ちゃん、ずっと頑張って・・・頑張って・・・我慢してきたもんなー。」
匠はそう言うと、まるで小さい子をほめるように、よしよしと私の頭を撫でた。
「頑張って、なんて・・・・私は、別に――「寺ちゃん。」
頭を振る私に、匠は珍しく真剣な目を向けた。
「俺・・・・やっと、わかった・・・寺ちゃん、無意識だろうけど、毎日朝の4時過ぎになると、体を固くして、一度目を覚ますんだよ。変なクセだなーって思ってたけど・・・おつとめの鐘・・・あれが鳴る前に起きてたんだろ、ずっと・・・・やっぱり、あんないい叔父さん、叔母さんでも・・・親じゃないってことは・・・目に見えない遠慮をずっとしてきたんだろうなーって・・・・特に、寺ちゃんの性格なら・・・・・何かさ、今日のあの素直な中学生のお坊さん見てたら、当時の寺ちゃんの姿が想像できて・・・・泣きそうになった・・・でも、そういう思いして、頑張ったから・・・あのお坊さんに、あんなに優しくできるんだなって・・・自分より弱い者、下の者に、優しくできる人って、俺大好きー。」
吃驚した・・・。
誰にも言ったことのない思いを、いとも簡単にこんな風に言い当てられてしまって。
ここが、気持ちを自由にしてくれる、場所だからだろうか。
だから、普段なら言わないことでも、こんなに簡単に――
「匠・・・ずっと、側にいて――」
私が震える声でそう言った途端、匠は優しく私を抱き寄せた。
安心する温もりに包まれて、知らない間に嗚咽が漏れていた。
8年分の、涙だった――
シュウちゃんに・・・信じられない、って言われた時以来の、涙だった。
私は小さい頃から、8歳上のシュウちゃんが好きだった。
シュウちゃんはすごく格好が良くて、優しくて。
いつも違う女の人を連れていたけれど・・・でも、ずっと、好きで。
私が小学校の頃、シュウちゃんのお母さんが亡くなって・・・ますます、女の人の出入りが激しくなったけれど・・・それでもやっぱり好きで、ずっとシュウちゃんだけを見ていた。
私は、性格がキツくて乱暴な割には、男子からよく告白されたりしたが。
シュウちゃんが好きだったので、見向きもしなかった。
高校へ入ってすぐの頃、そんな私にシュウちゃんが付き合おうって言ってくれた。
色々な人から告白されるのに、付き合わない私を見て、私なら信じられるって言ってくれた。
シュウちゃんのお母さんは男性関係がハデで、シュウちゃんも、お兄さんのケイタさんも女性不振だったから、私を信じられると言ってくれたことが嬉しかった。
本当に、嬉しくて嬉しくて・・・・でも何故か、お父さんはシュウちゃんと付き合うことに反対をしたけれど。
私は聞く耳持たなくて・・・付き合って1か月たつ頃には、もうシュウちゃんとは体の関係になっていた。
幸せだった・・・。
だけど、ある日・・・お父さんにそれがバレて。
大喧嘩になった、魚富士の店の前で。
興奮する私を止めようとしたノリオがいきなり倒れて、救急車で運ばれた。
ノリオは持病があり、興奮しすぎると呼吸困難になったりして、意識を失い倒れる。
私もいけなかった。
いくら、シュウちゃんとの仲を反対されたからって・・・・。
「お父さんなんて、大っ嫌い!!」
暴れる私を止めようとしたのが、金平のじいちゃんと、カフェのマスターと、花屋と、マケタスポーツの女将さんで・・・・。
その時の私の、憎しみのこもった眼を見たのだろう。
そして、大人たちに止められた私に、お父さんが。
「あの男は、絶対にダメだぞ!」
そう吐き捨てて、飲みに行ってしまった。
それが。
私たち親子の、最後の会話だった――
夜中、家が火事だって聞いて、金平のじいちゃんのところを飛び出して。
そして――
お父さんの遺体の前で、呆然とする私・・・・。
そんな私を何故か、遠巻きに見る人達・・・。
浜ジィと金平のじいちゃんは、私の代わりに現場検証に行っていて。
出かける前に、普段商店街で親しくしている人達に、私を頼むと言ってくれた。
だけど、その頼まれた人達が、私を遠巻きに見ている人達で―――
しばらくして、私は放火の疑いで、警察に連れていかれた。
誰も、私をかばってくれない・・・。
ただ、目も合わせない人たち――
警察に連れていかれる私は、昨日以来ようやく会えたシュウちゃんとすれ違った。
助けてと言った私に、シュウちゃんは。
「やっぱ、お前、信じらんねぇわ。」
そう吐き捨てると、顔をそむけた。
その横でニヤニヤ笑うのは、リサ。
私とつき合う前に、よく遊んでいた2つ歳上の女だった――
絶望って・・・こういう事なんだって、思った。
そして、ふと・・・思った。
もしかしたら、お父さんも、絶望したのかも。
私が最後に、放った言葉で。
それは、決して言ってはいけない言葉だったのに・・・。
「お父さんなんて、大っ嫌い!!」
匠の胸で、泣いた後。
そのまま、匠の胸に顔をつけたまま。
ぽつり、ぽつりと・・・心の内にあったものを吐き出した。
こんな気持ち、誰にも話したことはなかったのに。
「絶対に、寺ちゃんのお父さんは絶望なんてしていないよ。」
私が一通り話し黙りこむと、匠が静かな声でそう言った。
「え?」
「だって、どんなことがあったって、お父さんは寺ちゃんのこと大好きだよ?」
「だって、あんなに酷い事言ったんだよ?」
「確かに悲しかったかもしれないけど、大好きなのはかわらないよ?・・・だって、俺が寺ちゃんに対してそうだしー。それに、今なら・・・親父の気持ちが凄く、よくわかる・・・王子様に捨てられたお袋を迎えに行った時の気持ち・・・・俺だって・・・考えたくないけど、横須賀の・・・その男の所に・・・寺ちゃんが行っても・・・・俺、絶対に迎えにいくし。」
「それは・・・浮気しても・・・許す、ってこと?」
「いや、浮気じゃないだろ。お袋も・・・寺ちゃんだって、もし、他の男のところへ行く時は、本気だろー?それこそ、命かけるくらいの・・・。」
確かに・・・浮気でなんて考えられない。
「俺もー、寺ちゃんがお父さんに放った言葉みたいに・・・お袋に対して、後悔していること、あるんだ。」
匠が悲しい顔をして、そう言った。
こんなに優しい匠が・・・信じられない。
「まさか・・・。」
そう言うと、匠は首を横に振った。
「俺さー、ずっと浮気した男の子供だって言われてただろー。だけど、そうじゃなくて、俺を産んだ後に他の男とそういうことになって・・・非常に複雑でさぁ・・・高3の時にお袋からの、このカミングアウトで・・・親父の顔を思い出したら、納得もするし・・・で、つい言っちゃったんだよねぇ。『一度別れようと思った男ともう一度なんて、どうかしてる・・・別に俺たちのためなんて言わないで、お袋だったらもっといい男いたのに』って・・・・そしたら、お袋が泣きだして・・・『あなたのお父さんほど、いい男はいないわよ』って・・・じゃあ、何で他の男の所にいったんだ、という話になるんだけど・・・・でも、お袋わんわん泣いちゃったからさぁ、いや、俺が泣かせちゃったんだよね・・・だから、もうそれ以上言えなくて・・・別に責めてたわけじゃないけど、本当にその時はお袋の気持ちがわからなくて・・・だけど今思うと、酷いこと言っちゃったなぁ・・・って思ってる。」
何となく、匠の言わんとすることが分かった。
確かにそうだ、いい男だと思うなら、何で・・・。
「・・・・・。」
考え込む私に、匠が、こっちへ来てと手を引っ張った。
そこは、沢山並んだ礼拝堂の作りつけの木の椅子・・・前から10列目の右から3番目の場所で。
匠が、そっと・・・背もたれを優しく撫でた・・・。
え・・・何か・・・字が・・・彫ってある?
英語だ。
私が、じっと見つめると・・・匠が、その英語を読んだ。
「匠・・・それって・・・。」
私は、それ以上言葉にならなかった。
ただ、その、背もたれをじっと見つめた。
「うん・・・『ダグラス・・・全ての苦しみは、今の幸せにたどり着くために必要だったこと。あなたとの愛の日々に、今は感謝しています。あなたの心にも、どうか、幸せを――』って、K大に入ったら、銀杏の木に向かってそう念じて欲しいって・・・お袋が死ぬ3日位前に、俺にそう言ったんだ・・・・その時、気がついた。そいつのこと、愛してたんだよ・・・だけど、今、愛しているのは親父なんだって。親父との生活が幸せだって・・・お袋の気持ちがわかった。幸せだから、同じように、ダグラスにも幸せになってほしいって・・・捨てられたことよりも、愛を知って・・・親父の愛に気づいて・・・『親父よりイイ男はいない』って言った、お袋の気持ち。だけどお袋が死んで、後から親父に聞いたら・・・そいつが親父に連絡したんだって・・・・迎えにきてくれって・・・・。」
「え、それじゃぁ・・・その人は、嫌いで匠のお母さんと離れたんじゃなくて?」
「ああ、ヨーロッパの・・・何たら国ってちっさい国の・・・皇太子だったって。つまり、本物の王子様ー。」
「えええっ!?」
凄すぎる、匠のお母さん・・・スケールが全然違う!
やっぱり、大女優?
驚愕の顔の私を見て、匠が噴き出した。
「ふふっ・・・吃驚した顔も寺ちゃん、かわいいー。」
「そうじゃなくてっ、皇太子って・・・じゃあ、国の事情で・・・別れたの?」
「うん。国策で、政略結婚が決まったらしくて・・・で、決まったから逃避行?・・・随分、王子様悩んでたみたいで、デートはいつも教会・・・祈ってばっかだったって。ぷぷ・・・。」
いやいや、笑い事じゃないし。
「でも、何で・・・前から10列目の・・・3番目?」
そう聞くと、今までおちゃらけていた匠がふっと、さびしく笑った。
「2人の出会った日が・・・10月3日だったんだって。で、教会に行くたびに10列目の3番目に王子様が座るんだって・・・多分、翌年の10月3日は一緒に過ごせないってわかってたんだろうなぁ・・・だから、俺は。大学時代、何かあるとそこの銀杏の木の所にきて、お袋とその王子様のことずっと考えてた・・・そんで、卒業制作はすぐにこれが浮かんで・・・そもそもさぁ、銀杏の木に念送ったって、伝わらないと思うんだよねぇ?お袋エスパーじゃないしー。いくら4年かけたって、銀杏だって妙なプレッシャーかかって辛いだろうし・・・だから、10列目の3番目の席に、メッセージを残したんだー。果たして・・・王子様がこれを見てくれるかわかんないけどねー。でも、何となく・・・お袋の思いは、これで昇華されたんじゃないかって・・・自己満足かなぁ・・・。」
そう言うと、匠が、スン、と鼻を鳴らした。
私は、胸が一杯になって・・・・。
気がつけば、ぎゅうっと、匠に抱きついていた。
「うわっ、て、寺ちゃんっ、積極的!?も、もしかしてっ、応用編のシスタープレイ狙ってる!?」
「そうじゃなくって!なんかっ・・・こう・・・・。」
「何か?・・・・こう?・・・・何?」
口ごもる私に、匠が顔を覗き込む。
「匠のお母さんの気持ちが・・・分かった気がする・・・裏切られたとか。その時の苦しみとか・・・もう、そんなの・・・人を愛しいって思う・・・その思いが全てなんだって・・・人を愛せた事・・・そんな人に出会えたことが、すべて喜びになってるんじゃないかって・・・もう、許すとか、そんなことで悩んでいた自分が、何なんだろうって・・・そう思って。」
上手く言えないけれど、一生懸命匠に伝えたのに。
だけど、匠は私の言葉を聞いた途端、悲しそうに笑った。
「そっか・・・あいつを愛したことが、喜びかぁ・・・。」
そう言って、涙ぐむ匠。
あっ、完全に勘違いしてる!?
私は、慌てて匠の耳を引っ張った。
「い、痛いっ!?痛いっ!!寺ちゃん、何するのっ!?」
「そうじゃなくてっ、良く聞けっ!!私も・・・シュウちゃんとの辛かったことは・・・匠に・・・匠に出会うために・・・ううん、匠と愛し合うために、必要な事だったんだって。シュウちゃんに対しての愛じゃない!今の言葉は、匠にだっ!!」
誤解されては堪らないから、声を張り上げた。
かなり、棒読みだったと思うけど。
「・・・・・・。」
「だ、だけどっ、お母さんとは違って、過去形じゃない!これから匠を愛していくんだからっ!!未来に向かうのっ!!」
もう、最後の方は、恥ずかしくてやけくそだったけれど。
だけど、やっぱりここは、心を自由にしてくれる・・・思いを伝える場所なのだと思った。
「て、寺ちゃぁぁんっ。」
「な、何で、泣いてるの!?」
「だってぇぇぇ、寺ちゃんが、初めて俺のこと愛してるって言ってくれたー。嬉しくてぇぇぇー。俺もー、愛してるぅぅぅぅ!!!!・・・うわぁぁぁんん・・・。」
夕暮れのチャペルに。
思いを伝える男の絶叫と、号泣が聞こえた・・・。
アーメン。
仏教徒だけど――