5、側にいたい女(匠)
すぐにわかった。
こいつ、寺ちゃんの前の男だと。
そして、寺ちゃんがこの街を出るきっかけになったのが、この男のせいだと。
電車の中で寺ちゃんは、この男と何があったのか、詳しく話してくれなかった。
ただ、フラれたと言っていた。
「ジュ、ジュリか?」
手にしていた紙袋が、男の手から滑り落ちた。
寺ちゃんの、瞳が揺れる。
やだ!
俺以外の男のことで、そんな顔をさせたくない!
いや・・・そうじゃない。
俺のことでだって、こんな顔はさせたくない。
寺ちゃんにはいつだって、楽しい顔をしていてほしい。
そう・・・この男が来る前まで、素を出して楽しげに笑っていたような・・・。
「・・・はい、寺ちゃん、あーん。俺、やさしいから、最後の一口は、寺ちゃんにあーげーるー。」
そう言って、最後の一口となったステーキをフォークで寺ちゃんの口へ放り込んだ。
「ムグッ・・・何言って・・・んだ!・・・も、ともと・・・これ・・・私の・・・・ステーキ!!」
ステーキを噛むのと、俺に苦情を言うのと同時進行でやろうとする器用な寺ちゃんに、俺は噴き出した。
いや、できてないし。
でも、かーわーいーい!
「・・・ククッ・・・・・はい、ビールのんでー。」
ようやく、ステーキを飲み込めた寺ちゃんに、ビールの入ったグラスを渡す。
慌てて食べたのか、寺ちゃんは素直にビールをゴクゴクと飲んだ。
寺ちゃんがグラスのビールを飲み干した事を確認すると、俺は寺ちゃんのバッグを寺ちゃんに押し付け、反対の手をとった。
立ち上がる俺につられて、寺ちゃんも立ち上がる。
「綾乃ちゃん、紺野さん、これで打ち合わせは完了でーす。予定地の図面ももらったしー、寺ちゃん優秀だから、今の皆さんの話をちゃーんとメモってくれてるしー。俺も、皆さんの話をきいてー、イメージビンビン立ってきたしー。綾乃ちゃん、俺お袋の法事終わったらデザイン完成したのまた見せにくるからー。じゃぁ、寺ちゃん帰ろっかー。」
結局、ホテルの打ち合わせなんかより、ここで商店街の人達と気さくに飲んで話ができたことの方が、俺には収穫があった。
綾乃ちゃんや紺野丈治のライブハウスへの思いと商店街の発展は、深く結びついている。
彼らの熱い気持ちが伝わって、俺の中にイメージがすでに出来上がりつつあった。
だから、仕事としての打ち合わせはもう今回は終了だ。
それに、寺ちゃんをこの男から早く離したくて仕方がなかった。
「えっ、匠さん、今日はうちへ泊って下さるんじゃっ!?」
綾乃ちゃんが、慌てて立ち上がった。
「そうだぞっ、ジュリッ、まだ魚富士のババアだって会ってねぇじゃねぇかっ。それにっ――「紺野さん、はっきり言いますけどー。実はー、俺。もう二度と日本で仕事する気はなかったんですよー。いや、日本に二度と戻るつもりがなかったんですよー。まあ、ばあちゃんに、お袋の法要があるからってNYまで迎えに来られちゃったしー・・・でも、それより、寺ちゃんともう一度会いたかったから、俺日本に帰ってきてー・・・・そしたら、紺野さんのライブハウスの仕事をもちだされてー・・・・綾乃ちゃんには悪いけど、いくら綾乃ちゃんの頼みでも・・・仕事断るつもりだった・・・・でもさー、ばーちゃん怖いしー・・・・・まぁ、寺ちゃんが俺についてくれるならぁ?仕事うけよっかなー、って。だから――」
俺は、そこで一旦言葉を切った。
そして、綾乃ちゃん、紺野丈治・・・店の中にいる人達をぐるりと見回して。
それまで、ヘラヘラと顔に張り付けていた笑顔を消した。
そして、最後にドアのところに呆然と立ち尽くす男を睨みつけ。
「だから、今の俺には。悪いけど、仕事よりも、綾乃ちゃんよりも、ばーちゃんよりも、お袋の法要よりも・・・・そして・・・・自分の、こだわっていたちっせぇ意地なんかよりもっ・・・・・寺島朱里が一番大事だってことだ。だから、今日は帰ります。」
俺はそう言うと、寺ちゃんの手を引き、ドアに向かって歩き出した。
立ち尽くす男の前まで来ると、俺は落ちていた紙袋を拾い上げた。
そして。
「さっきの、質問だけどー。使うのは俺ー。でも、あんたには、ぜぇぇぇぇぇぇぇぇっったい、貸しませんから!」
俺はそういい終わると、舌を出して、ぐいっ、と寺ちゃんの手をひっぱって外に出た。
「ちょ、ちょっとぉっ、何か、このナース服!この流れだと、私が着るみたいな風にきこえちゃったじゃない!?」
店のドアを閉めた途端、寺ちゃんが噛みついてきた。
あー、こういう状況で、こういう寺ちゃんの突っ込み、好きだなー・・・とニマニマしてしまう。
「だいじょーぶ!似合うから!」
「そうじゃなくて、私ナース服なんて着ないからっ!!」
「えー・・・・・・じゃあ、何も着なくてもいいから、白いストッキングと、ナースキャップだけかぶって?・・・・うわー、想像したら、めっちゃエッローい!!やだー、やだー、寺ちゃんもしかして、やる気満々!?」
俺がそう言った途端、頭をはたかれた。
あー、やっぱり。
髪の毛があると、あのおじいちゃんみたいにいい音しないんだ・・・と、残念な気持ちになった。
「もうっ、何考えてるんだっ!?」
「・・・・俺ってスキンヘッド似合うと思う?」
「はっ!?」
俺の質問に、ギョッとした顔をする寺ちゃん。
やっぱり、似合わないのかな・・・・。
そう思って、ちょっとヘコんでいたら。
「ブハッ。」
後ろで、盛大に噴き出す声がした。
振り返ると・・・白髪の、滅茶苦茶イケてるオジサン。
そういえばさっきこの人、寺ちゃんの頭を俺に黙って撫でていた人だっ。
思い出して不愉快になり、ギロリと睨んだのだけれど。
ジロリ、と睨み返されて・・・速攻、睨むのをやめた。
・・・なんか、変なワキ汗が出た。
「浜ジィ。」
寺ちゃんが、イケてるオジサンの名前を呼んだ。
それだけで、かなり親しい間柄だと、直感した。
でも、別にそれは男女の間柄というわけではなくて、多分親子のような・・・そんな親しさだろうけれど。
だから、頭を俺に断りもなくなでたのは許してやろうと思う。
俺って、寛大だよな・・・。
「・・・2年ぶり・・・だな?・・・元気そうで安心した。住職は、たまに、東京に来た時にてっぺんに飲みに来るから、お前の様子は聞いてたけどな?・・・・仕事で、またこっちに来る機会あるだろ?・・・皆お前が心配なんだ・・・特に、金やんと、魚富士のおかみ・・・お前のダチだって、そうだ。会いたくないやつには、会わなくたっていい。俺にいえばちゃんとしてやる・・・・だから・・・朱里、また来い。」
低いけれど、艶のある・・・優しい声だった。
なんか、オジサンがあんまり格好よすぎて、ムカついてきたから。
「じゃあ、寺ちゃんいこー。」
そう言って、俺は寺ちゃんの手を引いてさっさと歩き出そうとした。
だけど。
「おい。」
無視できないくらい、迫力のある声で呼び止められた。
「何っすかー?」
何か、寺ちゃんに対するのと口調が違っているような気がして、ちょっと贔屓だと思ったけれど、俺は大人なので頑張って笑顔で対応した。
まぁ、ちょっと顔は引きつっていたかもしれないけど。
「ちっせぇ、意地でも・・・意地って、生きていく上に、大事なもんだと思うんだよ。意地がなきゃ生きていけない時だってある・・・・生きていくってのは、ただ息吸ってるっていうんじゃねぇぞ?生きてるって、実感することだ。意地もクソもねぇやつは、生きてるとは言えねぇ。ただ、生かされているだけだ。生きていくのは大変なことだ。歯を食いしばっても耐えなきゃいけねぇ時だってある。だけどよ、今までかじりついていた意地も、どうでもよくなっちまう存在に出会えるってことは・・・すげぇ幸せなことだと思う・・・・だからよ、ジュリのこと、頼んだぞ?」
低い声で、噛みしめるようにそう言ったオジサンは、自分にも何かを言い聞かせているように思えた。
「何か、すごーく良い事言ってくれたんですよね?・・・もうちょっと、優しい口調なら俺、わかりやすかったのにー。前半、ナース服返せって、脅されるのかと思ってー、漏らしそうだったしー。でもー、わかりましたー。確かに、寺ちゃんといたらー、会いたくないやつや嫌な思い出も、どうでもよくなっちゃうしー。寺ちゃんと話してる方が、嫌なこと思い出すより楽しいしー。楽しいか楽しくないかって言ったら、楽しい方がいいですもんねー。」
と、思ったことを正直に言ったんだけど。
オジサンは微妙な顔で少しの間沈黙をした後、変な質問をしてきた。
「・・・・お前、確か。綾乃ちゃんの、従兄だったよな・・・・もしかして、『正しいか、正しくないか。居心地がいいか、悪いか。面倒か面倒じゃないか。』の・・・感覚で、物事決めるタイプか?」
「何ですか、それー。ちょっと失敬だなぁ。俺、綾乃ちゃんじゃないし。面倒でも、楽しい事なら滅茶苦茶頑張るタイプですよー。だから・・・あ。寺ちゃーん、俺、本当に頑張るタイプだからっ。寺ちゃんが、ベッドの中で最低3回イくまで・・・・いてっ!?」
突然寺ちゃんに、バッグで殴られた。
革の丈夫なバッグだから、かなり痛かったのに。
何故か、オジサンは爆笑している。
寺ちゃんはため息をついて、涙目の俺を見た。
「氷室さん、帰りますよ?」
急に寺ちゃんの口調が、ビジネスライクになった。
せっかく近づいたと思った心の距離がまた広がったようで、俺は正直ムカついた。
だから、積極的に自分の気持ちを伝えないと、距離は縮まらないと思った。
だから。
「そんな他人行儀な、寺ちゃんの言うことは聞きたくありませーん。素の寺ちゃんが俺は好きなんですー。普通にしゃべってー。」
素直に伝えた。
すると、寺ちゃんは少し困ったような顔をしながら。
「オラ、匠。帰るんだろっ!?」
口調を戻してくれた。。
しかも。
「うわー、名字じゃなくなった!しかも、さん付けなくなったー。うん、うん、匠って、これから呼んでー。」
嬉しくって俺は、寺ちゃんとつないでいる手をブンブン振った。
そして駅へむかって歩き出した俺に。
「お前にとって、ジュリは。イイ女で。居心地が良くて・・・楽しいから面倒でも滅茶苦茶頑張りたくなる・・・そんな、存在なんだな?」
オジサンがそう問いかけてきた。
って、まだいたんだ・・・・。
まあ、大体あたっているんだけど。
でも。
それだけじゃないような・・・。
ちらりと、隣の寺ちゃんを見た。
それと同時に、寺ちゃんも俺を見上げた。
絡み合う視線。
ああ、そうか!
俺は、後ろを振り返った。
そして、胸をはってオジサンの質問に答えた。
「寺ちゃんはっ、俺が側にいたい人!いつも・・・ずっと、側にいたい人!」