3、猫を脱いだ女(匠)
品川で、横須賀線に乗り換えた。
久しぶりの日本という事とは別に。
横須賀へは行った事がなかったので、本人はかなり不本意であったようだが、交換条件を出してよかったと改めて思った。
「この車両はグリーン車ですが、指定席ではありません。空いている席なら、どこに座っても構いません。」
淡々とした口調で、寺ちゃんが俺にそう言った。
もー、クールなんだから。
まぁ、いいけど、俺グイグイ行くし。
「寺ちゃん、そこ座るー?」
「はい、どうぞ。」
「いやいや、寺ちゃんは、窓側へどうぞー。」
車両はガラガラなので俺の横には座らず、他の席に1人でゆったりと座ろうと考えていたであろう寺ちゃんの考えを無視して、俺は寺ちゃんの背中を押した。
はあ、と寺ちゃんがため息をつく。
どうやら自分の主張を通すのは諦めたようだ。
俺は、してやったりと、満面の笑みを向けた。
帰国して、気がついた。
あの、狸ばあちゃんにまんまとハメられたんだと。
そう思ったが、後の祭りで。
日本では二度とやらないと思っていた仕事を、請けざるを得ない状況となった。
何が受けざるを得ない状況なのかというと。
つまりは、嫌だといった俺に、綾乃ちゃんが泣き落としをしてきたわけだ・・・。
俺は、昔から綾乃ちゃんに弱い。
仕事の依頼は、従妹の綾乃ちゃんの旦那のライブハウスの設計デザインだった。
綾乃ちゃんの旦那は、国内外で有名なジャズピアニストの紺野丈治で。
紺野の地元横須賀の商店街に、ライブハウスを作るそうだ。
綾乃ちゃんと俺は、4歳違いだが。
鼻もちならない氷室一族の中では考えられないくらい礼義正しく本当にいい子で、時々しか会う機会はなかったが、妹の様に可愛がっていた。
小さい頃、親の無責任な行動で病気が悪化し、結婚をあきらめていたが。
昨年幸せな結婚をしたと、兄の利一から聞いてホッとしていた。
今年の春に行われた結婚式、披露宴の招待状は送られて来ていたが。
俺は帰国したくないばっかりに不義理をし、お祝いとメッセージを送っただけだった。
だけど。
綾乃ちゃんからは丁寧な礼状と、幸せそうな結婚式の写真が送られてきて、実は少し良心が痛んでいた。
「横須賀へは13時42分到着です。今日の宿泊先、および15時からの打合せは、グランドヒロセ横須賀で行われます。グランドヒロセ横須賀は、駅から見える場所にありますので、徒歩でも5分はかかりません。」
俺が、綾乃ちゃんの事を漠然と思い出していたら、テキパキとこれからの予定を寺ちゃんが伝えてきた。
本当に、そつがない。
確か、入社2年目の23歳と聞いたが・・・ばあちゃんが気に入っているわけだ。
俺は、綾乃ちゃんの仕事を請ける代わりに、寺ちゃんを俺の秘書として付けてもらう事を条件に出したのだった。
だって、こんな不利な状況、何か美味しい思いしないとやってらんないし?
どうやって、冷静な寺ちゃんを口説こうかと思案中だったから、一石二鳥ってわけで。
ばあちゃんは想定内だったのか、ニヤリと笑い、寺ちゃんさえ了承するなら構わないと言った。
だけど、三浦室長が渋い顔をし。
寺ちゃんは、何故か困った顔をし、出来たら他の人にしてもらいたいと言ってきた。
三浦室長に関しては、何となく理由がわかったが。
寺ちゃんがそんなにはっきり断るなんて思いもしなくて、思わず眉間にシワがよった。
そして。
「そっかー、じゃあ、俺も仕事請けるの、やーめーたー。」
と、答えた。
すると、寺ちゃんがため息をついて。
「わかりました・・・・仕方がありません、お受け致します。」
と、諦めたようにそう言った。
ということで、寺ちゃんは俺が綾乃ちゃんところの仕事を終えるまで、俺の秘書として付く事になったのだった。
無神経な俺は・・・その時、寺ちゃんの瞳が揺れていた事に、全く気づかなかった。
「だけどさー、寺ちゃん。横須賀の下準備、ばっちりだなー。ホント、助かるー。」
確かに寺ちゃんがいなかったら、横須賀まで1人で移動だったし、こんなにスムーズにいくわけがない。
綾乃ちゃんからの仕事を請けると気持ちを切り替えたのなら、やはり納得のいく仕事をしたいわけで。
となると、寺ちゃんに細かい雑務をしてもらえるという事は、下心ありで寺ちゃんを付けてくれと言ったわけだが、実際はかなり助かっている。
そう思い、素直な言葉を俺にしては珍しく口にしたのだが。
「・・・・・・・。」
寺ちゃんは、黙りこんだ。
その沈黙が気になり、寺ちゃんの顔を見ると困惑した顔をしていて。
俺は、ため息をついた。
そして、寺ちゃんが嫌がった理由を察して、俺は問いかけた。
「我儘な俺に付くのは、嫌だったー?」
俺の問いに、寺ちゃんはハッ、として。
慌てて首を横に振り、もう一度ため息をつくと、仕方が無くと言った感じで口を開いた。
「・・・どうせ、向こうに行ったら・・・分かる事なので、お話しますが・・・私は16歳まで横須賀に住んでいました・・・・それで、今回のライブハウスの紺野丈治さんとも・・・顔見知りで・・・父が・・・商店街のパチンコ屋に勤めていたので・・・商店街の方々とも、顔見知りです。」
意外な言葉に、俺は呆然とした。
横須賀について、想像していた都会とは違った雰囲気のホームに立つと。
どこからともなく――
ふわり、と・・・潮の香りがした。
その途端、横で寺ちゃんが大きくため息をついた。
寺ちゃんの長い話を聞いて、俺はかなり寺ちゃんに酷な選択をさせたのかもしれないと、今更ながら戸惑い。
「寺ちゃんさ・・・もし、嫌なら今からでも――「氷室さん、大丈夫です。事情があろうと、今回仕事を引き受けたのは私です。それに・・・実は、私・・・母校のK大の・・・あのチャペルに凄く惹かれて・・・本当は大学へ行くつもりがなかったのですが、あのチャペルを見て進学することを決めたのです。」
「え・・・。」
思いもよらない言葉に、俺は寺ちゃんを見つめた。
K大は俺の母校で、そのチャペルの設計は俺の卒業記念の課題で。
その課題の内容とは、大学内の建物の設計デザインを皆が提出し・・・その中で最も優れた作品1点だけが選ばれ、それが採用されるというものだった。
それで、俺の作品が選ばれ、チャペルが建てられたわけだけど・・・。
まさか、俺の作品を寺ちゃんが知っていたなんて・・・驚きだった。
だけど、次の寺ちゃんの言葉は、もっと俺を驚かせた。
「先程、お話しましたように・・・色々あって。でも、あのチャペルを見て進学を決めて・・・結局、あのチャペルが今の私を導いてくれたのです。だから・・・すみません、氷室さんの5年前の事は・・・後からですが、知りました。本当に残念で仕方がありません。でも、もう一度、あのチャペルが私の心を動かした様に・・・また誰かの心を動かす様な、そんな作品を日本で作って欲しいんです。実際、ここに戻る事はためらいがありましたが・・・でも、それよりも、近くで氷室さんのお手伝いをしたいという気持ちの方が大きかったんです。だから・・・・これは、私が決めた事です。」
そう言って、正面から俺を見据えた寺ちゃんは、言葉こそいつものように敬語だったが。
いつもの控え目な表情ではなく、強い目をしていた。
その、強い目に俺は、俺をもっと映してほしいと、その時何故か思ったのだった。
何が吃驚って・・・。
打ち合わせのために、俺の部屋に訪れた綾乃ちゃんが。
「匠さんっ!お久しぶりですぅ!!」
そう言って、いつものように飛びついてきたのを、雑誌やポスターなどで見るよりも強面の紺野丈治が、俺を殺しそうなくらいの目で睨みつけてきたことでもなく。
いや、それもちょこっとビビったことは、ビビったが。
「丈治さん、ご無沙汰しております。」
いつものように品良く柔らかな感じで、ソファーから立ち上がって挨拶をしたスーツ姿の寺ちゃんに、紺野丈治が大声を張り上げたことだった。
「・・・あっ!?、じゅ、朱里かっ!?」
本当に驚いているのだろう、紺野が呆然と寺ちゃんを見ている。
「丈治?・・・・寺島さんと、お知り合いでしたか?」
俺に飛びついてきた綾乃ちゃんが、紺野の声を聞いて2人を振り返った。
そして、その声は堅かった。
「あっ、ああ・・・・え?寺島!?朱里・・・お前いつ名字が変わったんだよ!?」
綾乃ちゃんの声に、紺野が事情を説明しようとしたのだが。
それよりも、寺ちゃんの姓が変わったと怪訝そうに眉をひそめた。
「叔父・・・母の弟に引き取られまして、姓が変わりました。」
寺ちゃんがそう言うと、紺野は安堵したようにため息をついた。
そして、俺に向き直ると。
「朱里は・・・俺にとって、妹みてぇなもんだ・・・訳あって、こっから8年くらい前にいきなりいなくなって・・・商店街の奴ら、みんな心配してんだ・・・悪ぃけどよ・・・打ち合わせの場所、商店街の方に変えていいか?」
いきなり、さっきまで殺人的な勢いで俺を睨みつけていた紺野が、そんな事を言ってきた。
俺は電車の中で寺ちゃんの事情を聞いていたから、もちろんと頷いたが。
「丈治さん、申し訳ありませんが、今回の事は私の帰郷が目的ではありません。氷室さんにデザインの依頼があったので、氷室会長の指示で秘書として同行したのです。今、商店街の方へ行ったら打ち合わせになりません。先にこちらで打ち合わせは済ませたいのですが。こちらとしても、氷室さんの日本での仕事は5年ぶりです・・・綾乃様もご存知のようにトラブルがあり、氷室さんは日本での活動を一切絶ちました。でも、綾乃様のご依頼ということで、氷室さんが日本での活動を再開されるのです。私としては、氷室さんがより良い状態でお仕事ができるようにお手伝いをすることが役目ですから。」
そつのない言葉使いで、淡々と寺ちゃんがそう言った。
綾乃ちゃんは、そんな寺ちゃんと紺野を見比べている。
目を見開いたままの紺野に近づき、腕に縋り付くように自分の腕をからめると、名前を呼んだ。
「丈治?」
「あっ・・・ああ・・・おい、綾乃・・・お前、朱里のこと知っていたのか?」
「・・・ええ、氷室の祖母のところの、秘書室の方ですけど?確か・・・祖母の担当でしたよね?」
「あ?・・・秘書って・・・この間、俺らの結婚式にはこなかったじゃねぇか。」
「はい。秘書室には8人ほど秘書の方がいらっしゃいますから。先日は秘書室長がいらっしゃったので、寺島さんはいらっしゃいませんでした。」
「おいっ、朱里っ、お前それ・・・わざと避けたのか!?」
紺野がそう聞いた。
寺ちゃんはその問いかけに、紺野を強い目で見つめ頷いた。
「もう・・・心の中の、いろいろな気持ちは・・・収まりましたが。それでも、やはり・・・ここに来ると色々思い出してしまいそうなので。もう二度と、横須賀へは戻るつもりはありませんでしたが・・・今回氷室さんの仕事のからみでどうしても断れずに・・・でも、もう・・・昔のことです・・・・って、もう10分経ちました。打ち合わせをしましょう。」
そう言って表情を変えると、寺ちゃんは紺野と綾乃ちゃんにソファーに座るよう勧めた。
そして、思いついたように、綾乃ちゃんに向き直ると。
「誤解があっては申し訳ないので、かいつまんでお話ししますと。私の父が金平のおじいさんのパチンコロイヤルで働いていまして・・・母が早くに亡くなったので、丈治さんや浜田さん、商店街の皆さんにはとてもかわいがって頂きました。でも、私が高校1年の頃・・・父が、自宅から出火した火事で亡くなり・・・その直前に、父と商店街で派手に喧嘩をしていた私が一時疑われたのですが・・・火事当日、喧嘩をして家に帰らないといった私を、金平のおじいさんが家に泊めてくださって話を聞いてくれていて・・・無実を証明してくださり、警察から釈放されました・・・そこへ丁度母の弟・・・叔父が警察へ迎えに来てくれて・・・そのまま、叔父に私は引き取られたのです。」
「そんな・・・疑うって・・・。」
綾乃ちゃんが、寺ちゃんの話を聞いて絶句した。
紺野が、ため息をついて、言葉を続けた。
「俺、丁度その時、大阪公演でいなかったんだけどよ・・・・商店街の・・・カフェのマスターとか・・・マケタスポーツの店の奴らとか・・・花屋とか・・・ああ、シュウもだ。朱里のこと疑っちまったみたいでな・・・・なぁ、朱里・・・あいつら死ぬほど後悔してる・・・悪かったって。未だに、思ってる・・・あの後、金平のじいさんキレてな、今まで朱里の何を見てたんだって。あいつらに・・・会ってやってくんねぇか?そうだ、犯人も、それから3か月くらいたって、捕まったんだぞ。」
紺野の言葉に、寺ちゃんがハッとした。
「・・・どういう、人、でしたか?」
「お前の親父に、前の週ポーカーで負けた、ヤク中男だった・・・。」
「そう、ですか・・・・。」
「まあ、あの、クソ親父が追い込みかけてよ、どうにか捕まえたんだよ。お前に知らせようと、お前のこと探したんだけどよ・・・見つからなくてな・・・まあ、名字を変えてちゃ、わかんねぇか・・・で、どこに引っ越したんだよ?」
「和歌山県です。」
「あっ!?和歌山だぁ?」
驚く紺野に、綾乃ちゃんが補足した。
「寺島さんの叔父様は、金色千院のご住職ですよね?確か・・・それで、茶道寺島流のお家元でもいらっしゃって。」
「そういや、哲やん、何かよく・・・抹茶立ててたよなぁ?・・・アル中のくせに、って皆言ってたけどよ・・・。字も上手くて、近所のガキに習字も教えてて・・・俺らも習ったよな・・・タダで・・・クッ・・・まあ、教える場所が、金平のじいさんとこのラブホの空いてる部屋だったから、金なんかとれねぇけど?」
紺野丈治が懐かしそうに、つぶやいた。
「今思えば・・・寺島流宗家の血を引く私に小さい頃から稽古をつけてくれていたんですね・・・父は、寺島の家の内弟子で・・・叔父の寺に行ってから、父が知らないうちに叩き込んでおいてくれた色々なことが・・・お茶の事だけではなく、字も・・・季節の事も・・・恥をかかずにすみました。叔父の話によると、父はとても才能があったそうです。ただ、身寄りが無く、小さい頃寺に預けられたそうで後ろ盾がないものですから、母の結婚相手には選ばれず・・・人知れず好きあっていた父と母は、思いつめて駆け落ちしたんだそうです。」
淡々と寺ちゃんは話していたが。
そうやって冷静に人に話ができるようになるまで、どれだけ泣いたんだろうかと。
寺ちゃんの顔を見ながら、胸が締め付けられた。
そして、俺は本気で・・・寺ちゃんが好きだと、思った。
寺ちゃんの話に呆然と黙り込んでいた綾乃ちゃんと紺野丈治に、寺ちゃんは空気を変えるように打合せを進めたいと言い出すと、仕事モードになり手帳を広げた。
そんな寺ちゃんにとりあえずコーヒーを入れてと頼んで、俺も愛用のスケッチブックを広げると、お仕事モードになるべく・・・上着と靴、靴下を脱いでソファーに胡坐をかくと、今回の発注者である2人に向き直った。
「俺は、わりとメンタルな部分から発想を広げるタイプなんでー。うーん、どんなのがいいか・・・立地条件とかよりもまえに、コンセプトとか・・・要望?それを聞きたいんですけどー。」
俺は昔から、あんまり物事にこだわらないタイプで。
好きか、嫌いか。
居心地がいいか、そうでないか。
楽しいか、楽しくないか。
そんな感じで、物事を選んで判断してきた。
まあ、綾乃ちゃんもわりとそういうタイプらしく。
親戚が集まると、その子供同士も自慢話とかつまらない話ばっかりで。
俺たちは早々にその輪から外れ、いつも2人で絵を描いたり本を読んだりしていた。
そんな俺の態度と言葉に、紺野丈治は唖然とし。
綾乃ちゃんは、クスリ、と笑った。
「匠さん、やっぱり、匠さんですぅ。匠さんにお願いしてよかったですー。」
綾乃ちゃんがそう言うと、紺野丈治は大袈裟にため息をついて。
「はぁぁぁ、綾乃と同じタイプかよ・・・。」
ガックリと、うなだれた。
何故かその紺野丈治の様子で、綾乃ちゃんが今幸せなんだと実感できて、嬉しくなった。
それからしばらく。
綾乃ちゃんや、紺野丈治の話を聞きながら、頭の中でイメージを膨らませていたら。
ドンドンドンドン―――
突然、凄いノックの音がした。
「ええー、ここインターホンあるのにー。」
ドアが壊れそうなくらいの音に、つい突っ込んでしまった。
「いや、インターホンとか言う前に、こんなにドアをノックする方がおかしいのを突っ込むべきなんじゃないですか?」
俺の発言に、冷静に寺ちゃんが突っ込む。
「さすがー、寺ちゃん!」
寺ちゃんが俺に話しかけてくれたのが嬉しくて、とりあえず拍手して褒めてみた。
「いや、その前に、こんなにドア叩くバカは誰だ、じゃね?」
「「・・・・・・。」」
紺野丈治の鋭い突っ込みに、俺も寺ちゃんも無言になった。
そこへ。
「じょ、じょおぉぉじぃぃぃ、たいへんだぁぁぁぁぁ!!!」
耳をつんざくような、大声が聞こえた。
「ノ、ノリオくんっ!?」
綾乃ちゃんが、ハッとした顔をして。
「チッ、やっぱ、バカだったじゃねぇかっ。」
舌打ちしながら、ドアに向かう紺野丈治。
だけど。
「丈治さん!ドア、開けないでください!・・・まだ、この街の人と会うのは、私っ・・・・。」
寺ちゃんが叫んだ。
それは、思わず出てしまった、心の叫びだと思った。
俺は、そんな寺ちゃんを見て・・・まだ、8年前の心の傷は、癒えていないんだと悲しくなった。
寺ちゃんの悲痛な声に、紺野の足が止まった。
俺は、黙って立ちあがり冷蔵庫の前に行くと、中からオレンジジュースを取り出した。
オレンジジュースを抱えグラスを持ってソファーに戻り、俺が座っていたソファーに寺ちゃんを座らせ。
そして、オレンジジュースを注いだグラスを寺ちゃんに持たせた。
怪訝な顔をする、寺ちゃんに。
「イッキ、イッキ、イッキ、イッキ、イッキ・・・・。」
一気コールをしてみた。
俺と、オレンジジュースを見比べ、かなり呆れた顔をした寺ちゃんだったが。
自分が飲むまで、一気コールがやみそうにないと悟ったらしく、オレンジジュースを飲み干した。
ため息をついて、グラスをテーブルに置いた寺ちゃんに。
「オレンジジュースってさー、一気飲みが一番うまいと思うんだよねぇ。特に、寺ちゃん、さっきすごく喋ったしー。今、ちょっと気持ちが下降気味だしー、こういう時は甘―いオレンジジュース一気が、一番だよー。」
結構いい事を、力説をしたつもりだったのに・・・寺ちゃんに笑われた。
しかも、その笑いは何となく、失笑で・・・。
不本意だったけれど、まあ笑ってくれたからいいか、と思ったのだが。
「あのなぁ・・・オレンジジュース一気飲みして、旨かったかどうかなんて話している間もよ・・・あいつ、この通り叫び続けてんだけど!?周りの部屋からも苦情くっぞ?ここのホテル、誰のホテルかわかってるよなぁ、朱里?」
空気を読まない紺野丈治が、水を差してきた。
なんだよ、せっかく寺ちゃんが笑ってくれたのに、こういうのをデリカシーがないっていうんだよね・・・と、紺野を睨みかけたんだけれど。
ゴンッ――
ドアに何かが当たる、すっごい、音がした。
すると、寺ちゃんがいきなり立ち上がり。
「あんのぉ、バカッ!!!しんじらんねぇっ!!!!」
NYで岡部に『ケ☆の穴』と言った時の表情になって。
完全に素がでたなとワクワクした時には、ドアを寺ちゃんが開けていた。
そして。
「この、バカッ!!いい歳してっ、お前は、あいかわらず、大バカだなっ!!!」
転がるようにして入ってきた小柄な男に、寺ちゃんがそう怒鳴りつけ。
バシッ――
と、音をさせて、頭を叩いていた。
な、なんか・・・叩き慣れてる感じ?
寺ちゃんが、完全に・・・・かぶっていた猫を、脱いだらしい。
その証拠に、さっきまで寺ちゃんを見る目がどこか悲しそうだった紺野丈治が、口角を上げて、笑っていたから―――