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2、恵まれた男(朱里)

私からすれば、この・・・氷室匠という男は、とても恵まれた男だと思う。


天下の氷室製薬の会長の孫で、その系列の大手ゼネコン氷室建設の会長の息子で、社長の弟だ。

まず、経済的にはとても裕福に育ったに違いない。

その上、建築デザイナーとしてのその溢れんばかりの才能は、天才的だと思うのに・・・。

そう、天才だと思う。

人の心を動かすような、そんなものを普通の人はなかなか創り出すことなんてできないはずだ。


なのに。

たった1度のトラブルで、全てを放りなげてしまう執着心のなさ。


これはきっと彼が、恵まれた環境に育ったからそんなことが出来るわけで。

そして、家族の心配も考えずに、1人好きな事ができるというのは。

やはり・・・恵まれた星のもとに生まれたから、自分本位なのかもしれないのだと。


しかも、自分に寄せられる愛情にさえ、鈍感だと――

氷室会長との電話でのやり取りを日本で聞いていて、そんな風に思っていた。


でも、それは私の勝手な想像の上の勘違いだった。





海外出張は初めてだった。

そもそも氷室会長の海外出張は、いつも三浦秘書室長が同行するのに。

しかも、私はまだ入社して2年目の下っ端で・・・。


私の叔父が住職を務めるお寺の、氷室家が檀家ということもあり、私が叔父の家に引き取られてからはかなりの頻度で墓参する氷室会長とは顔見知りだった。

というか、私の何が気に入ったのかやたらと声をかけてくれて、頻繁に世間話をする仲ではあった。

そして、私の点てるお茶が気に入っているようで、大学在学中からぜひ氷室製薬の秘書室に来いと誘われ。

叔父の勧めもあり、そのまま就活とは無縁で、天下の大企業にあっさり就職できたわけだ。


元々お茶の関係で、叔父が出かける際は私がついて歩くこともあり、秘書的な業務はそれとなく身についていて。

入社してからは社内の人間と得意先の人間を覚える事に苦労したぐらいだが。

それも、半年もたてばクリアし――

英語も、叔父の寺に身を寄せるイギリス人の僧侶ジョンから教えてもらっていて、宿坊も兼ねている叔父の寺は、海外からの旅行者も多く、会話は身についていた。

いや、身に着いたというか・・・。

以前住んでいた土地では、もともとブロークンな英語をよく使っていたので、聞き取りは苦労しなかったが、ブロークンすぎる物言いと発音は、こっぴどく徹底的に直され身に着いたのだが。

まあ、そのおかげで今があるのだけれど。




NYに着いて、何故か今回の出張に持参するように言われた着物に着替えさせられ。

氷室会長から、ロビーに氷室匠を迎えに行くように指示をうけた。

だけど氷室匠と面識のない私は、顔がわからない旨を伝えたが。


「ああ、背ぇが高うて、ええ男や。そやなぁ・・・目ぇが自然に引き寄せられる男が、匠や・・・顔がわからんでもそういう男やから、すぐわかる。」


と、氷室会長にしては、曖昧な事を言ったので驚いたが。

本人を目にした途端、成程と思った。


玄関のガラスのドアを通し、優雅にタクシーから下りる彼の姿を目にして。

本当に、一目で惹きつけられた・・・。


しかも、その容姿は男くさい彼の父親や兄弟とは全く違う、長身スリムな体系に。

35歳という年齢にはとても見えない甘いマスク。

さぞかし、女性には不自由しないだろう。

何となく、皮肉な気持ちにもなった・・・。

こういうタイプの男は、良く知っているから――


多分、冷たい男だ・・・。

経験上から、警鐘が心の中で鳴った。


だけど。

岡部という男に偶然絡まれて、今時ありえない口説き文句にあきれ返っていた時。

横を通り過ぎようとしていた氷室匠が、盛大に噴き出した。


見上げると、氷室匠の顔はどこか人懐っこくて。

でも、岡部に気がつくと、眉をかすかにひそめ。

直ぐに氷室匠は目で、誰かを探す素振りになった。


会話と、氷室匠の表情を見ていたら、多分5年前の関係者だと悟った。

その経緯から、探しているのは氷室会長だろうと、何となく理解した。

そして、ロビーに会長の姿が無い事を確認すると、ホッとした顔をしていた。


そんな彼を見て、氷室匠なりに祖母への思いはちゃんとあるんだと。

少し意外でもあり・・・心のどこかで、ホッとする気持ちもあった。


それから、この状況に不釣り合いな。


「ごめんねー。久しぶりに聞いた日本語が、衝撃的なほどダッさくてー、挨拶忘れちゃったんだよねー。」


というふざけた言葉に、今度は私がつい噴き出してしまって。

それで益々ヒートアップした無礼な男が、抵抗できないポーターに理不尽な言いがかりをつけて怒鳴り出した事で、5年前の経緯も頭をよぎり。


つい・・・素に戻ってしまって――


しまったと、思った時は。

岡部と言うクソ野郎のみぞおちに、肘を入れていた。


せっかく、今まで、猫を被って上品にふるまってきたのに・・・。

この、恵まれた男のせいで――


まさか、この時。

氷室匠が、私にもう一度会いたいなんて思っているとは、考えもしなかったけれど。








耳を疑った。


「え、会長・・・私が・・・お迎えにあがるのですか?」


氷室会長に今点てたばかりの抹茶を出そうとした手が止まり、思わず彼女の顔を見つめてしまった。


「そうや、悪いなぁ。私はこれから会議やし、あの子ぉ、三浦が迎えに行くと絶対に車に乗らんし・・・他に秘書室であの子ぉの顔知っとう人おらんやろ?それに、この間吃驚するほどNYで寺島さんと一緒の時は、素直やったからなぁ・・・な?頼むわ。」


つまり、秘書室長でも無理な・・・そんなに我儘な男を、私に空港まで迎えに行けということですか・・・。

先日の、NYでの彼を思い出して、ため息が出そうになった。


だけど、会長命令だ。

逆らうわけにもいかない。


私は、会長の前に抹茶を置くと。


「かしこまりました。」


そう、答えた。







到着ロビーで、氷室匠が出てくるのを待っていたら。

自然と、ため息がもれた。

やはり、恵まれた男―――


ラインの綺麗なスーツに身を包んだ細身の体は、まるでモデルのようだし。

そして、サングラスをかけていても整っていると分かる顔は。

周りの女性の視線を、集めていた。


まあ、何となく。

氷室会長が可愛がっているのも、分かる気がする。




「あれー?・・・寺島さん?迎えに来てくれたんだー?」


何故かすぐに私を見つけた、氷室匠は。

緩い口調とともに、ニコニコ笑いながら足早に私の所へやってきた。


「おかえりなさいませ、匠様。本日、氷室会長は会議にご出席ですので、代わりにお迎えに上がりました。」


そう言って頭を下げると、何故か。


「ブハッ・・・。」


頭上で噴き出された。

驚いて顔を上げると、ゲラゲラと笑っている。


「あの・・・どうされましたか?」


「アハハハッ・・・・クックッ・・・あ、あのさ・・・その口調、やめよー?おかえりなさいませ・・・って・・・プッ・・・メイド喫茶じゃないんだしー。それに、あんた、ケ☆の穴って、すんげえ事言ったのにー、今更その口調にもどされてもー・・・ああ、ばあちゃんの前とか、会社の奴らの前なら、まあ仕方ないけどー?俺と2人の時に、そのバカ丁寧な口調で話されると、嘘くさくなーい?・・・俺、嘘が嫌いだしぃ。」


「・・・・・・。」


やはり・・・先日うっかり、素の自分を出してしまった事がいけなかったようだ。


私はため息をつくと。


「はい、わかりました。じゃあ、さっさと行きましょう。会長がお待ちかねです。」


一応敬語だが、かなり口調を崩した。

その変わり身の早さにも、氷室匠はクスクスと笑った。


かなりの自由人かもしれない。


そんな不安はよぎったが、今更気にしても仕方がないと思い直し、氷室匠が手にしていた大きなスーツケースに手を伸ばしかけた・・・ら。


「ああ、大丈夫ー。自分で持つ。どう考えても、そんな華奢な寺ちゃんに持たせられないってばー。」


いつのまにか、寺ちゃん・・・!?

驚いて顔を見上げたが、氷室匠は平然とスーツケースを手に、出口へ向かって歩き出した。


・・・自由人ではあるけれど、紳士的ではあるらしい。





だけど。

そんな、私の考えは、甘かったようだ・・・。


「あのっ、困ります!これから、社にもどらないとっ・・・・。」


氷室会長専用のリムジンが待つ駐車スペースには向かわず、なぜかタクシー乗り場へ向かう氷室匠。

その後を追って、必死で声をかければ。

丁度氷室匠が開けたタクシーの後部座席のドアから、私はタクシーに放り込まれた。

そして、運転手に荷物をトランクに入れるよう指示を出すと、素早い行動で彼は私の隣に乗り込んできた。


「ちゃんと、ばあちゃんとこへは行くしー。大丈夫ー、大丈夫ー。」


そう言って、外したサングラスをスーツのポケットに差し込むと、ため息をつきながら深くシートにもたれこんだ。


「でも、運転手の松原さん待ってますけど。」


私が非難の声をあげると、俺あの車きらーい!と子供の様に返してきた。


って、子供かっ!

まあ、確かに・・・あのリムジンは目立つけれど。


私はため息をつくと、バッグからスマホを取り出し、松原さんの携帯に事情を話すべく連絡を入れた。




それから・・・。

途中何度も、氷室匠の自由行動で帰社時間を変更せざるを得なくなり、室長に連絡を入れなくてはならない状況となったが。

何故か、電話の向こうの秘書室長は困った様子ではなく、むしろホッとした安堵の様子であった。







当初の予定より、2時間遅れで帰社した私は。

完全にキレていた。


途中で、丁寧な対応は諦めた・・・。


久しぶりに帰国したんだからと何故か途中仕事用の道具を買うとかで、大きな文房具店

や専門書店をまわり、最後は氷室会長が待っているというのに、デートには不可欠!とか意味不明な言葉で、喫茶店でケーキを食べて帰ろうなんて言い出す始末・・・。


我慢の限界で、怒鳴りつけて却下した。






「おや、思ったより早かったなぁ・・・。」


氷室会長に帰社時刻が遅れたことで、謝罪しようと思ったのだが。

気が抜けるようなのんびりとした氷室会長の言葉に、私は毒気を抜かれた。


唖然とする私に、氷室匠がわざとらしく後頭部をさすりながら、口を開いた。


「いい加減にしろ!って、寺ちゃんにキレられてー、頭はたかれてさー・・・。」


「はっ!?」


信じられない嘘を言う、氷室匠を私は思わずにらみつけた。

その途端、氷室匠が噴出した。


「ブハッ、嘘、嘘・・・頭は叩かれてないけどー、この睨みと『いい加減にしろっ!』って怒鳴られたからさー・・・・怖くってー、つい言うこときいちゃったー。」


「・・・・・・・。」


確かに、言うとおりだけど・・・いくらなんでも、それ今言うことじゃないと思うけど。

とりあえず謝ろうと思って、息を吸い込んだのだけれど。


「寺島さん。やっぱり、あんたに頼んで正解やった。この子ぉ、ほんとにいくらゆうても聞かんし・・・今回も下手したら、法事まで顔合わせんかもしらんと思うとったけど・・・寺島さんの言うことは、聞くんやなぁ・・・助かったわ。」


「いえ・・・・こちらこそ、失礼を申し上げて・・・。」


普段は厳しい氷室会長の、意外すぎる言葉にかなりドン引きしながらも、私はそういって頭を下げた。

で、それを機に・・・タイミングよく、退室しようと試みたのだけれど。


「ほい。ばあちゃんの好きな、吉村のフルーツケーキ、買ってきたぞー。」


先程、いきなり神戸で有名な珈琲店に入ろうとした氷室を怒鳴りつけた時。

それでもケーキだけを買った氷室匠が、その紙袋を氷室会長に渡した。

その途端、氷室会長が嬉しそうな顔をした。


そして。


「寺島さん、コーヒー淹れてくれるか?そおや、寺島さんの分も淹れや。ここで一緒に食べよう?」


退室することは、どうやら失敗したようだった・・・・。









「そおや、匠・・・ちょっと使い頼まれてくれんか?」


フルーツケーキをご満悦で平らげ、コーヒーカップを持ち上げた氷室会長が、突然そんなことを言い出した。


「何?」


不機嫌に氷室匠が、聞き返した。

その声で、隣の三浦室長が、コーヒーカップを置いた。


そう。

何故か・・・・。

氷室匠が買ったケーキを、氷室会長と氷室匠、私、そして偶々書類を持ってきた三浦秘書室長とで、会長室の応接セットで食べていたのだ。


しかも、書類をもってきた三浦室長を氷室会長が誘った途端、氷室匠は物凄く不機嫌になって。

せっかく美味しいケーキなのに、部屋の空気が凍っていて味がわからないほどだった。



「そういうことか・・・だけど、何言われたって、俺は日本ではもう仕事はやらないって決めてるし、無理ー。」


空気が凍る程でもなぜ三浦室長をケーキに誘ったのか・・・・最初からこの話をするためだったのだと、改めて氷室会長の狸ぶりに感心してしまった。

しかも、この空気をものともせず、氷室会長は携帯を取り出しどこかへ電話をかけだした。


イライラしながら、氷室匠は席を立とうとしたが。

ゼスチャーでそれを防ぐよう、氷室会長に目くばせされた私は。


「匠様、お座りくださいませ。」


すかさずそう言った。

いや、氷室匠が不機嫌だったから、つい丁寧な言葉になってしまったのだが。


だが――


「ブハッ!」


また、噴き出された。


「・・・・・・。」


「だからっ、その、メイド口調やめろって・・・ウケ狙ってるのー?・・・ククッ・・・もう、可愛いなぁ。」


立ち上がりかけた氷室匠がソファーにまた腰かけると、体をくの字にしてゲラゲラと笑った。


・・・最後の一言は、スルーしよう。


その様子を、三浦室長が驚いた顔で見ていたが。

氷室会長が、氷室匠に携帯電話を差し出したことで、また空気が固まった。


「何だよ。」


目の前に出された携帯を受け取らず、ただ見つめて氷室匠は問うた。


「あーちゃんや・・・あんた、あーちゃんの結婚式にも帰ってこんかったやろ。お祝いくらい、言い。」


どうやら、電話の相手は、先日結婚式を挙げた浜田綾乃さんのようだった。

綾乃さんは、氷室会長の義理の娘の子供で、義理の孫にあたるが、多分一族の中で一番かわいがっている人だ。

結婚した相手は、世界的に有名なジャズピアニストの紺野丈治で・・・。






「・・・チッ、ばあちゃんっ!!ハメやがったなっ!?」


早々に、電話を切った氷室匠は。

電話を氷室会長の横のソファーに投げつけると、そう怒鳴った。


「なんや、えらい、人聞き悪いなぁ?・・・誤解や。ただ、あーちゃんから、ぜひ匠に頼みたい、匠以外はいやや言うてきてなぁ・・・あんたら、仲良かったやろ。」


口調はとぼけていたが、氷室会長の表情はニヤリとしていて。

私でさえ、ああ、氷室匠はハメられたんだと、そう思った。


さすが百戦錬磨の氷室会長にかかれば、この自由人の氷室匠も形無しだと、私は心の中でほくそ笑んだのだったが。


甘かった。


本当に、ハメられたのは・・・私だったのだ。


そして、改めて。

氷室匠は、恵まれた男だと――


思い知った・・・・。





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