最終章~ステーキブルー(朱里)
綾乃さんとジョージが、神戸へ遊びに来た。
塾講師である綾乃さんは、これから受験シーズンに入るため、忙しくなる前に休暇をとり氷室会長の顔を見に来たのだろう。
会長はとても嬉しそうで、お気に入りの料亭へ私と匠も誘い、連れてきて下さった。
匠は、NYの事務所を完全に引き払って、神戸へ戻ってきた。
今は、氷室製薬の店舗企画部の取締役だ。
本来ならば、氷室建設の設計部門の方が適任なのに。
私が氷室製薬の所属だから、別会社への配属は嫌だと言う。
全く、仕事なのに、何を考えているのか・・・。
いや、聞かない方がいい・・・経験上、まともな答えが返ってきたためしがない。
まあ、嫌だと言っても、建設も氷室製薬の総合ビルの中に入っているから、建設の方で仕事があればそっちにも駆り出されるのだけれど。
いや・・・・ゴネる匠を怒鳴りつけ、建設の仕事をさせるのは私なのだけれど。
将来の、義父や義兄に泣き落としで、毎回頼まれるし。
そればかりか・・・何故か、匠のお母さんの法事の後から、氷室製薬の役員がやけに素直に私の言う事を聞くようになって。
若干、23歳の私にありえないと、匠にそう言ったら。
「なんかー、あの法事の時の、晃に切った啖呵の迫力がぁ、ばあちゃんに通じるものがあったしー。ほら、あれから寺ちゃんかぶってた猫脱ぎ捨てて、今までのバカ丁寧な口調とか態度をやめて、テキパキ度上がってさー、仕切りもやたら逆らえない迫力でしかも的確だしー。皆、ちょっと寺ちゃんにビビッてるのかもー。」
なんて、恐ろしいことを・・・。
「ふふ・・・結婚式まで、あと2か月ですねぇ・・・・すごーく楽しみですぅ。」
綾乃さんがご機嫌で、冷酒を飲みながら笑顔でそう言った。
その笑顔で、事が上手く運んでいるのだろうと推測できるが。
「工事は、順調ですか?・・・・来週末には、匠と一度工事の進捗状況を見に伺いたいと思って予定を組んでいるのですが・・・。」
請け負った以上、ミスが出ないように完成まで気は抜けない。
なのに。
「えっ、寺ちゃん、そうなのっ!?来週は、寺ちゃんと海にでも行こうかと思ってたのにぃ・・・・今週末は新店舗予定地の地鎮祭だしー、週末まで仕事なんて、やだー!」
泣きまねをする、匠。
お前は、いくつのガキだよ!
私はため息をつくと、匠の足にケリを入れた。
「役員が、仕事の完成前に甘いこと言ってんじゃねぇよっ。働けっ。社員と社員の家族の生活背負ってんだ。上に立つものの責任だっ。社員の倍は働けっ!」
そう言って私が匠の頭を叩くと、匠は寺ちゃんの鬼!と叫び。
氷室会長は、口角を上げてニヤリと笑った。
「思ったとおりや。朱里ちゃんは、上手いこと操縦してくれるなぁ。あの法事から、氷室の男どもも、朱里ちゃんのいう事よう聞くし。結婚しても、秘書室で、働いてな?子供できても、ちゃんと働けるようにするし、朱里ちゃんがおってくれたら、氷室は安泰やし。なぁ、頼むわ。」
うん、なんだか、すべて氷室会長の思う壺にハマっているような気もするけれど。
でも、匠を野放しにしておいたら、せっかくの才能もこの性格でもったいないことになるかもしれないし・・・。
「まあ、ジュリらしくていいんじゃねぇか?お前、ガキの頃から、商店街の男ども仕切ってたじゃねぇか。今回だって・・・ククッ自分の結婚式、安く上げようって・・・皆、使えるもんは使って・・・・そら、あんな無茶な注文・・・8年前の事チャラだよなぁ・・・主犯もわかったしよ・・・。」
丈治が笑いながら、サラリとそう言った。
そう・・・私の家に火をつけたのは、お父さんにポーカーで負けたヤク中の男だったけれど。
その男を焚きつけたのは、リサだった。
いや、多分そうだと思っていたけれど。
何故なら、自宅放火を疑われ、警察で取り調べを受けた時。
証拠として、100円の赤いライターを出されたから。
それには、私の指紋がついていて、それが疑われる決定打となったのだった。
ライターは火事現場の近くに落ちていたそうだ。
確かに、その赤いライターは私のライターだった。
シュウちゃんがよくライターをなくすから付き合うようになって、私が予備をいつも持っていたのだ。
青い色が好きなシュウちゃんだから、私はいつも青い100円ライターを買って持っていた。
でも、その日はたまたま青いライターがコンビニで売っていなくて、代わりに買った赤いライターを差し出したら。
「赤なんて、女みたいな色使えるか。もう、ライターなんて用意しなくていいから。」
そう言って、シュウちゃんは喫茶店のマッチを擦った。
今思えば、そんなに気を遣うなってことだったんだろうけれど。
幼い私にはわからなくて・・・ただ、ショックだった。
丁度、喫茶店にいて、その会話を聞いていたリサがクスクスと笑った。
私は、悔しくて・・・赤いライターをそのまま置いて、喫茶店を飛び出したのだった。
だから、その赤いライターを私が持っていたわけはなくて。
持っていたとするならば・・・それは、シュウちゃんか、リサ。
でも、さすがにシュウちゃんなわけははいから・・・。
だけど、黙っていたのは―――
シュウちゃんが私に冷たくなったのは、リサと付き合うことになったからだと思ったから。
私が疑われて、警察に連れていかれたあの時。
リサはシュウちゃんと腕を組んでいて、シュウちゃんは私を信じられないと言った。
ずっと、女の人を信じられなくて苦しんできたシュウちゃん・・・きっと、リサのことは信じられるのだと思った。
私には嫌な女だったけれど。
リサはシュウちゃんのことが本当に好きだった。
見ていればわかる。
私も、シュウちゃんを本当に好きだったから。
だから、シュウちゃんがリサと付き合って幸せになれるのなら・・・そう思って、リサのことは口にしなかった。
お父さんには、悪いと思ったけれど。
お父さんの言う通り、シュウちゃんと別れたし・・・ってフラれたんだけれど。
それで、勘弁してほしいって思った。
これからは、頑張って、いい子になるから・・・そう、心に誓った。
だから・・・和歌山へ行くことは良かったのだ。
一心不乱に働くことは、自分の心の罪を認められて・・・楽にはならないけれど、向き合えた。
逃げないで、自分を戒めるという状況は・・・ただ罪を悔やむということよりは・・・前に進めた。
何となく・・・お父さんが、命をかけて・・・そう導いてくれたような気がした。
だから、正しい心を持たなければ・・・そう自分に言い聞かせた8年間だった。
でも、半月くらい前。
退社時刻になる頃。
いきなり、浜ジィから電話が入った。
グランドヒロセ神戸にいるから、来いといわれた。
案の定。
「俺も行く。絶対に、行くっ!」
と、言い張る匠とともに、告げられた番号の部屋へ行くと。
青い顔のシュウちゃんがいて、私の顔を見るなりいきなり土下座をした。
魚富士のおっちゃんの話と、この間のヒロシの話をジョージから聞いて、あの事件の事をもう一度浜ジィが調べなおしたのだった。
そして、私の家を知らないヒロシがどうして、酔っぱらったお父さんを家まで送ることができたのか・・・ヒロシは、リサに私の家の場所を教えられたことがわかった。
それから当時、何故私が犯人と疑われたかということを、もう一度当時の担当刑事に聞いたらしい。
広瀬っていうふざけたオッサンの知り合いに、鎌倉の警察署長がいるらしく、そのツテで聞いたらしい。
そこから、赤いライターの話になって・・・シュウちゃんがそれを聞いて・・・あの喫茶店でのことを思い出したらしい・・・私が、喫茶店を出ていった後・・・シュウちゃんは、リサと遊んだから・・・覚えていたのだという。
結局・・・私と付き合っていても、シュウちゃんは他の女とも遊んでいたのだ。
お父さんは、それを知っていて、反対した――
「け、結局・・・哲さんを、死なせたのは・・・・俺の、全部俺のっ、せいでっ・・・・お前のことは好きだったけどっ、お前・・・まっすぐすぎて・・・俺みたいに汚れた男でいいのかって・・・だけどっ、お前がっ、ヒロシを家に入れたって写真みてっ・・・やっぱ、お袋とおんなじじゃねぇかって・・・・お、お袋とおんなじだったのは、俺っ、だったのに・・・お、お前はっ、なんも悪くねぇのにっ・・・全部っ、全部っ俺がぅう・・・悪いのにっ・・・・お袋が死んだ時だって・・・・お前、ずっと、一緒にいてくれたっ。あ、兄貴がっアメリカでっ・・・帰ってくるまで、一緒にいてくれてっ・・・あの時から、お前は特別だったのにっ・・・・。」
シュウちゃんは、嗚咽交じりに部屋のカーペットに顔をこすりつけて・・・自分の気持ちを話しながら、懺悔を繰り返した。
こんな、シュウちゃん・・・初めて見た。
いつだって格好良くて。
クールで。
だけど、優しくて・・・会話がうまくて。
傷ついているくせに、そんなところは見せなくて。
こんな、感情をむき出しの、シュウちゃんは・・・・私の知っている、シュウちゃんじゃなかった。
本当は、心の中では・・・感情がぐるぐると渦巻いて、こうやってのたうち回るほど苦しんでいたのかもしれない。
私はそれを、わかってあげられなかった・・・。
「結局、今更リサを警察に突き出すなんてことできねぇし?・・・まあ、仕方がねぇから・・・別の方法でだな――「ジョージ、それ以上はもういい。」
私は、ジョージの話を遮った。
どうせ、浜ジィの事だから、とんでもない制裁を加えたんだろう・・・多分、もう・・・リサに会うことはないだろう。
私の言葉にハッとして、慌てて綾乃さんを見るジョージ。
綾乃さんは首を傾け、可愛らしい顔をジョージに向けた。
「別の方法って、なんですかぁ?」
いや、知らない方がいいと思うけど・・・。
焦る、ジョージ・・・答えに詰まって、俺もよくわかんねぇから親父に聞けと浜ジィに面倒を擦り付けた。
ぷ、浜ジィも大変だな・・・綾乃さん帰ったら、質問攻めだろうし。
私は・・・シュウちゃんに許すも許さないも言わなかった。
ただ。
「シュウちゃんのことはすごく好きだったし、好きになった気持ちは・・・今も大切にしたいと思っている・・・・だけど、愛じゃなかった・・・匠と出会って愛するってことがどんなことか、わかった・・・本当に私がシュウちゃんを愛していたのなら、シュウちゃんのために嫌われたって、リサはダメだって、言っていた。人を陥れるような人間、やっぱり、ダメだ・・・・シュウちゃんのためって思いながら、もっと嫌われるのが怖かった・・・私が、シュウちゃんにあの時、本当のことを言っていたら、もっとシュウちゃんの心は違っていたのかもしれない・・・だから、私達は、お父さんの言った通り、ダメ、だったんだ。シュウちゃん、よく考えろ!曲がった心では、幸せになれない・・・ううん、人を幸せにできない・・・浜ジィを見てみろ!こんなに辛い顔させてていいのか?私に謝る気持ちがあったら、まず、自分の心を見つめろっ!そして、周りを見ろ!私に悪いと思うなら、横須賀で、今よりもっと頑張れ!私に、頑張っている姿、根性入れてみせろっ!それが謝罪だっ!わかったか!」
シュウちゃんに、あの時の事に、いろんな思いがお腹の中にあったけれど。
だけど、匠とあのチャペルで話をして、心が解放されて・・・今、思うすべてが伝えられた。
もう、シュウちゃんに対しての、心の重りはない。
「シュウな・・・あれから、完全に女切って・・・頑張ってるぞ、店・・・・お前、すんげぇ啖呵きったんだってなぁ?親父が、すげぇこえぇぇって言ってたぞ?」
ジョージが笑いながらそう言った。
私はむっとしたが、匠が大げさに頷いて続けてしゃべりだした。
「そうだよっ。さっきの話は本当なんだからっ。もう、氷室の役員連中全部シメてるんだよっ?寺ちゃんっ・・・もう、ばあちゃん並みの迫力だよぉ。」
失礼なことを言う、匠に再びケリを入れる。
だけど、この人も続けてまさか、失礼なことを言い出すとは・・・。
「何、言っとう。今の朱里ちゃんに比べたら、私なんてもうパワー不足や。あかんなぁ、もう、歳や・・・。」
氷室会長の言葉は、謙遜にしても謙遜過ぎて笑えない・・・何がパワー不足だ。
昨日、氷室晃取締役を、アホオタクッ!甘えるんじゃないっ!と叱りつけて、2時間説教をしていたのは誰だ・・・。
だけど、もっと笑えない自由人がいた。
「えー、ばあちゃんには、もっと頑張ってもらわないとー。俺、困るぅ。ほら、中国秘境の仙人に頼んで――「だから、中国秘境の仙人の知り合いは私にはおらんっ。知ってるなら、あんたが紹介しい。」
どうも、この2人の『中国秘境の仙人』というバカな話題は、お約束のようだ。
氷室会長も笑いながらいつものように返している。
だけど・・・今日の展開は、ここからが違った。
「うん、いいよぉ。俺、中国の人じゃないけどぉ・・・もう、いろんな意味で到達した、凄い人と知り合ってさぁ・・・その人、仙人的な雰囲気?要素?を持っていて、例えば気功的な?息を吹きかけて殺菌できるとか・・・あっ、パワーを注入できる、秘薬も作ってるんだよぉ。」
え。
何か。
物凄く。
嫌な、予感が。
する・・・?
ちらりと向かいに座る、ジョージと綾乃さんを見ると。
今の匠の言葉に、2人とも私と同じように思っているようで・・・。
「でさー、その人、人間的にもすごく独自の哲学?っていうのがしっかりあって、話しているとぉ、もう勉強になるんだー。」
「ほぉ、哲学?どんなんや?」
「あー、例えばー・・・そうだっ。何事も基本が大事だって。いきなり専門的なことをしてもダメだって。基本を踏まえてから、応用だって。」
「なるほどぉ、哲学やな。」
「「「・・・・・。」」」
感心する、氷室会長に。
固まる、私とジョージと綾乃さん。
もうやめろ!そう言おうとしたその時、匠がポケットから何かを取り出した。
「って、ことでぇ!ジャーン!!その仙人的な要素?を持った、哲学者?そのおじいさんからもらった、秘薬!!ばあちゃんっ、これで、パワー注入してみてー。これ、そのおじいさん秘伝の朝鮮人参とマム・・・・・・・・ウ、ウナギのっ、コラボが実現した強壮剤だって!!」
匠が取り出したものは、何ともいえないドブ色の・・・。
金平のじいちゃんのとんでもない、自称強壮剤だった。
しかも、マムシとは言えず、ウナギにすり替えやがった。
何も知らない幼気な子供の頃、私たちはソレを飲まされた・・・その結果。
ノリオの双子の弟ヤスオは、1週間下痢をした。
ジョージは、3日頻尿になった。
シュウちゃんは、2日間40度の熱を出した。
奇跡的に、私とシュウちゃんの兄貴のケイタさんは・・・平気だったけれど。
だけど、味はっ。
この世のモノとは思えないシロモノで・・・1週間位、あのドブの味と臭いが口に残った。
よかったことといえば、そのあと誰も風邪をひかなかったことくらいだ。
ソレで地獄を見た私とジョージは、匠を押さえつけて。
綾乃さんがそのドブ色の瓶を、匠から奪い取った。
私に叩かれた頭をさすりながら、匠が残念そうに私たちを見た。
「チェッ。ちょっと勇気出ないから、ばあちゃんで1回試してみようって思ったのにー。」
とんでもないことを言う匠に、すかさずおしぼり3つが投げつけられた。
そんな私たちを、声を上げて笑い楽しそうに嬉しそうに見る氷室会長。
「アハハ、ホンマにあんたら、アホやなぁ・・・私がそんなもん、飲むわけないやろ。私は私で、パワー注入するもんがちゃんと、ある・・・本当は、誰にも教えないんやけど・・・今日は特別や。ああ、そうや。実は、これ朱里ちゃんのお母さんにも食べさせたことあったなぁ。えらい気に入ってくれて・・・昔々や・・・・。」
懐かし気にそう氷室会長が言うと、襖があいて料理が運ばれてきた。
「お祖母様、ステーキですか?」
綾乃さんが、ホッとした顔をした。
パワー注入と聞いて不安になったのだろう。
だけど、氷室会長がその肉にナイフを入れて、切った断面を見た途端。
「な、生です!お祖母様っ。もう少し焼いていただかないと、お腹を壊しますっ!」
「何、言っとう。カツオのたたきやて、中は生や。それとおんなじや。これが旨いんや。まあ、あんたらは、焼き加減好きに頼み。」
そう言ってたっぷりとニンニクの浮かぶタレに肉をつけ、とても美味しそうに、笑顔で肉をほおばる氷室会長を見て。
私と匠はゴクリと喉を鳴らした。
そして、声を合わせて、高らかに注文した。
「「ステーキ、ブルーで!!」」
【完】
ここまでおつきあいただきまして、ありがとうございました。
「ステーキブルー」これにて完結ですが、ひとつだけ番外編があります。次話に投稿したいと思いますので、もう1話おつきあいいただけましたら嬉しいです。明日、投稿予定です。