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第12話 走るロメロとベリラの獲物 その6


──処分されるべき遺産──




 朝日も昇り、山肌を明るく照らしている。

 昨日の暗雲立ちこめる雨雲に覆われた空とは違い、今日は完全な晴天。雲一つない青空だった。



 りぃぃぃん。

 りぃぃぃん。


 りぃぃん。



 森を抜け、木々の中に岩と茂みが多くなった山の中。


 そこに、鈴が鳴るような音が響いている。

 長く長く一定の長さ、一定のタイミングで何度も音を響かせる鈴の音と、不規則に鳴らされる短い音の二つだ。



 りぃん。



 不規則な短い音を鳴らしているのはあの館でメイドに扮していた女性だった。



 一度足をとめ、長く一定に流れる鈴の音に耳を済ませる。



 りぃぃぃん。



 耳をすまさねば聞こえぬほど小さな鈴の音だが、その音色は徐々に大きく聞こえるようになってきていた。

 それは、目的の場所に近づいているという証である。


 なぜならその音こそが、この地に住んでいたベリラを遠ざけ、遠方の地へ追い払った元凶であり、その場所が彼女の目指すお宝のありかだからだ。


 あの音が鳴り響いている限り、ベリラは決してここに近寄ってこない。



「きっひっひっ。近い。近いよ!」


 着実に近づいていることを確信し、メイドは口元をゆがめた。



 りぃぃぃん。



 鈴の音を耳に残しながら、メイドは先へ進む。



 財宝の夢を抱きながら、彼女はついにそこへ到達した。



 ピーナッツが地面に突き刺さったような形をした岩に、なにか金属のような扉がついている。



 りぃぃぃん。


 りぃぃぃん。



 鈴の音は、この奥から聞こえてくる。



「ここだね」


 メイドはその扉を見てにやりと笑い、懐からギシェから奪った鍵を取り出した。



 それを、見つけた鍵穴へさしこんだ。



「きっひっひ。さぁて、一体どんなお宝をあの男はここに隠しておいたのか、じっくりと拝見させてもらうよ……!」


 かちり。と鍵の開いた扉を開ける。

 金属製の扉だけあってとても重たかったが、お宝が手に入るという喜びの前には無力だった。


 メイドはしっかりとその扉を開け、中をのぞく。



 太陽の光が入り口から中を照らし、扉の奥がよく見える。


 そこは、二畳ほどの広さがある四角い部屋だった。

 例えるならば倉庫や物置。またはエレベーターのような、真四角い形をしていた。


 想像より圧倒的に狭い。

 さらに、そこにあったのは真ん中少し奥にぽつんと置かれたティッシュ箱ほどの大きさの、小さなキューブだった。



 りぃぃぃん。



 そのキューブから、鈴の音が聞こえる。



「え? こ、これだけ?」



 おかしい。と思いながら、メイドはそれに近づき、それに触れた。


『ピッ』


 すると、なにかが彼女の指に反応したようで、彼女にはなじみのない電子音が聞こえたかと思えば、鈴のような音はぴたりと止まることになった。


 直後、キューブの表面に光る文字が走る。


 アルファベットではない彼女の知らない文字で、なにかの文字か言語なのだろうとはわかるが、次々に左から右にそれが流れ、消えてゆく。


「こ、こいつは……!」


 彼女にわかることは、これは間違いなく人類の作ったものではなく、『遺人』が作り出した遺産なのだろうということだった。

 今の技術でこんな小さな箱に光の文字を走らせるなんてできるわけがない。

 いや、ひょっとしたら軍の最新兵器ならできるかもしれないが、それだとしてもこれはまさしくお宝だ。


 好事家に売れば、どれだけの金に換わるか想像もつかない!



「きひっ、きっひっひ。こいつはイィものを……」



 メイドがお宝の入手に笑おうとしたその時。



 唐突にキューブから軽快な音楽が流れはじめた。


「っ!?」


 このイントロは、彼女も知っている。

 最近流行の歌謡曲のイントロだ。


 酒場に行けば誰かが口ずさみ、ラジオがあれば響いてくる、流行曲。

 当然だが、それが古の時代にあったとは到底思えない、今の人類が生み出した音楽という文化がそこから流れはじめている。



「ちょっ、これはどういう……?」



 そして、イントロが終わると歌が流れはじめた。


 その歌声は、お世辞で言っても上手くはない。

 声の質はガラガラだし、音程は外れ、息継ぎも下手。声の出し方も全くなっていない素人の歌う調子外れのカラオケ。


 そんな歌が、キューブから流れ出したのである。



 メイドはこの声に聞き覚えがあった。


 一時は主と呼んだ、ターゲット。死んだあの館の主人の声だ。


 つまりこれは、録音された音。



 メイドはそれに気づき、青ざめる。



「ちょ、ちょっと待ちなよ。これ、録音機器なのかい?」


 そういえば、最初流れていた鈴の音もこれから流れていた。

 つまり、これはそういう機材ということになる……



「ふっ、ふざけるんじゃないよ! いくら遺産だからってこれならすでにあるよ! 蓄音機も、スピーカーも! あるんだよ!」


 メイドは感情にまかせ、床にキューブをたたきつけた。

 音楽を録音して流す機材はすでに存在している。


 マシンドールなんかより遥かに早く、遥かに簡単に実用化され、軍ではもう使われて当然のものとなっている。

 東部の金持ちだって、自前でソレくらいの設備は整えている。


 これがそれらに比べ優っているのは、そのサイズ。

 だが、これならむしろ壊れて使えない方が謎の遺産ということで売れる!


 これの実際の使い方がわかれば、むしろ価値が激減する代物だった。



「これが、宝……いや、ま、まさか……!」


 ギシェから聞いた手紙の内容を思い出し、彼女はあることに気づいた。



 気づいてしまった……!



「まさか、絶対に破壊して欲しい理由って、この歌声を誰にも聞かせないため!?」



 彼女は、気づいた。

 あの願いは、ここに危険な代物が埋まっているからではない。


 このキューブから流れる下手糞な歌を、誰にも見つからないよう処理して欲しいということだったのだ!

 誰にも聞かれることなく歌を練習していた。


 こんな下手糞な歌が見つかれば、確かに恥だ。死んだあと、皆に笑われるだろう。



 これは宝でなく、ただの黒歴史だった!


 館の主人はそれを避けるため、日誌で危惧し、手紙で破壊して欲しいと頼んでいたのだ!!



 メイドは肩を震わせながら、床にたたきつけたキューブを見る。



『ふー。まだまだだな。こんな歌声、他人に聞かれたら高所から落ちて死ぬしかない。絶対に聞かせられないな……』



 メイドの推理を裏付けるような主の声が流れる。

 そして再び、イントロからのカラオケがはじまった。



「ち、ちくしょう。畜生! 馬鹿に、馬鹿にしやがって! ぶっ殺、ぶっ殺してやる! いやすでにアタシがぶっ殺してやったけど、もう一回ぶっ殺してやる! これじゃ大損も大損! くたびれ損じゃないか!」



 歌を流し続けるキューブにむかって何度も何度も足を振り下ろす。

 光っていたパネルと思われる個所が黒ずみ、流れる文字も映らなくなる。


 古の遺産だというのに、その強度もたいしたことがないようだった。


 これならもう、高性能の蓄音機とスピーカーを作ってもらった方が早い。壊れて動かず謎の遺産として売り払った方がいいレベルの代物だと彼女は確信した。



 何度も何度もガンガンとキューブを蹴る。

 だが、なかなか完全に動作を停止させるにはいたらない。


 だから余計に頭にきた。


 さらに頭に血が上り、彼女はそれを完全に失念してしまった。



 それの接近に、全く気づかなかった。



「ぐるるるるるぅ」



 メイドの背後から、大きな唸り声が聞こえてきた。


 日の光が照らしてた入り口に、なにかが覆いかぶさったかのように影がかかる。



「……っ!」



 メイドの顔から、さあ。と血の気がうせた。


 頭に上った血が一瞬にしてなくなり、冷静さが取り戻される。

 メイドはこの時になってやっと思い出した。


 やっと気づいた。



 あのキューブから流れていた鈴の音をとめてしまったら、どうなるのかを。



 冷や汗と脂汗をダラダラと流しながら、メイドは振り返る。

 口元はカチカチと歯をぶつけあわせ、顔はもう土気色だ。


 どうかどうかと神に祈るが、やはり神はいなかった。



 入り口からのぞくその目と、メイドの目があった。



 巨大ななにかがかがみ、こちらをのぞきこんでいる。

 らんらんと輝く瞳がこちらを見て、荒い息と巨大な牙と爪が見えた……



「いっ……!」


 慌てて手元にあるソレを鳴らそうとするが、遅かった。

 メイドはなにか声をあげようとしたが、続きは声にならなかった。


 その巨大ななにかは入り口から強引に手を入れ、逃げ場のないメイドを鷲づかみにしてしまったのだ。



 指と爪が体に食いこみ血がにじむ。体を掴まれたメイドは必死にもがくが、がっちりと捕まえられたその手からは逃れることはできなかった。



「いや。いや。いやあぁぁぁぁ!」



 メイドは必死に叫ぶ。


 だがそれは、その声など全く気にせず、その大きな口を開いた。



 あーん。



「たすけ……」



 ばりっ。ゴリッ!

 続いたのは、なにかが噛み砕かれ、ごくりと飲みこまれる音だった……




「……おいおい」


「地図にしるしのあった目的地は、あそこで間違いないぞ」



 半ピーナッツの形をした岩の前。そしてそれのいる前に、リゥとジャックも到着していた。


 ベリラが嫌がる鈴の音はすでに鳴り響いていない。

 そのことから、そこにいるものがなんなのかもすぐに理解できた。



 目的地の前に身をかがめ、なにかを必死にむさぼっているそれ。

 キューブを隠していた扉の前にいる、一匹の獣。



 それはきっと、いや、間違いなくベリラなのだろう。



 だが、最初はそれがベリラとは思えなかった。



 それはぼりぼりとなにかを食らい、その味にうっとりとしているように見えた。

 口からはメイドが着ていた服の切れ端がこぼれている。


 ロングスカートの切れ端だろうか。血がにじんでいないのはジャックにとって幸運だった。


 あの口の中にあるのがなんなのか、二人にはすぐにわかった。



「……音が消えれば戻ってくる。当然の話か」

「まさかすぐに戻ってくるとは思っていなかったんじゃろうな……」


 メイドの計算違いに、二人は哀れという感情が浮かんだ。



 ごくん。と飲みこむ音が聞こえ、手についた血までもすべて舐めとり、その味を堪能しきったのち、そのベリラはゆっくりとリゥとジャックの方を振り返った。

 座っていたそれが、ゆっくりと立ち上がる。



 ぬぅっ……



 そんな音が聞こえたような気がする。


 立ち上がったそれは、それだけ大きかったのだ。



 体長は約十メートル。



 館でであったベリラのサイズは大きくても三メートルだったから、これはその三倍をこえる大きさがある。


 それは、ジャックが乗りこなす機鎧と変わらぬサイズである。



 これだけのサイズがあれば、女の一人を丸かじりにして余りあるサイズだ。



「……どうやったらこんなにデカくなるんだよ」


 立ち上がったそれを見て、ジャックは思わずそんなことを口にした。



 にいぃ。

 二人を見下ろす巨大ベリラの口元が歪む。


 二人を見てそれはよだれをたらし、じゅるりと舌なめずりをして笑った。



「どうやら人を一人食べたくらいでは満足しておらぬという顔じゃな」

「ああ。どうやら次の狙いは俺達みたいだぞ。よだれまでたらしていやがる。そんなにうまいのかよ。人間は……」


 はぁ。とジャックはため息をついた。


 館でも群がられたがゆえ、ジャックはこの事態にため息をつくしかできなかった。



 相手はこちらを食らう気満々。



 こうなってしまってはもうしかたがない。


 人の味を知ってしまった獣は次また人を襲う。

 こんな巨大な獣を放っておいて、街に出没したらどれだけの被害が出るというのだ……



「リゥ、ちょっとさがってろ」

「うむ。ここは任せた。ワシは邪魔にならぬよう空にでも避難しておる。思いっきりやれ」


 リゥは額に火の紋様を浮かべ、背に翼を纏ってふわりと浮かび上がった。


「もちろんだ」


 あんなデカブツ相手に加減などしていられない。

 ジャックは背中から気配が遠ざかるのを感じながら、懐に手を入れた。


 取り出すのは館でも使ったあの黒い棒。

 漆黒の巨人を呼び出すキーだ。



「があぁあぁぁぁぁ!」



 巨大ベリラが、吼えた。

 威嚇というより、これはもう巨大な音波兵器と言ってもいいような大声だった。



「ごおぉ!」



 咆哮に全くひるまないジャックを見て、巨大へリラはドラミングのように胸の前で腕を振り、ジャックを威嚇する。


 しばらく腕を振り回し、巨大ベリラはその長い腕を大きく振り上げ、ジャックのいる場所へと振り下ろした!



 ただでさえ長かった腕が、巨大になったことでさらに長くなっている。


 巨大ベリラは封印されていた扉の前から一歩も動かず、ジャックのいた場所へ手を振り下ろす!



 ずどぉん!



 巨大な手形が衝撃で地面に生まれ、さらに周囲を打ち崩す。


「?」


 だが、巨大ベリラは疑問符を浮かべた。



 手ごたえが、なかったからだ。



 巨大ベリラはおかしいと首をひねり、のぞきこむようにしてその手をどかし手形のついた地面を見る。


 じっと穴が開くほど見ても、そこに潰れたジャックなどは存在しなかった。



「こっちだ」



 巨大ベリラの頭上から声がした。


 ベリラが顔をあげると、朝日が遮られ、自分に影が落ちたのに気づいた。


 日の中に、なにかがいる。

 巨大ベリラは目を細め、それがなにかと見た。



 それは、巨人だった。


 漆黒の鎧を纏う、巨大な人型。



 これが館の中で腕だけ現れた、機鎧と呼ばれる人型の兵器!



「悪いな。お前に恨みはないが、全力でいかせてもらうぜ」



 その中から、ジャックの声がする。

 ジャックが呼び出し、その中にジャックが乗りこんでいるのだ。


 振り下ろされた手をかわし、空に飛んでいたのである。




 くるりと体を一回転させ、黒い機鎧を駆るジャックの右拳が巨大ベリラの顔面に突き刺さる!



 ゴッ!



 巨大な獣が吹き飛ばされ、木々が立ち並ぶ林へとそれは吹き飛んだ。


 木をなぎ倒し、その巨体は林の奥へと消える。



 すたりと着地したジャックは、その吹き飛んだ方を睨みボクシング。いわゆるピーカーブースタイルと呼ばれる両拳をアゴの近くにあげるスタイルをとった。

 人の動きをそのまま寸分の狂いもなくトレースするだけでなく、その正確さ、パワーを何十倍にもあげる鎧。それが機鎧というものだった。


 ジャックは巨大ベリラが吹き飛ばされた場所をじっと睨む。


 警戒は解かない。


 あの巨体がこの一撃で絶命するとは思えなかったからだ。



「っがあぁぁぁぁ!」



 怒りの吼え声があがる。


 どん。と木々を跳ね上げ、それは林の中からそこへと跳んできた。


 右の爪を振り上げ、ジャックのもとへと迫る。



 ゴッ!



 地面が爆ぜ、土が舞う。


 巨大ベリラの一撃は、ジャックの乗る機鎧にではなく、地面に突き刺さった。


「遅せえ!」


 するりとそれをかわしたジャックは、地面に腕を突きたてたベリラの顔面に左ジャブからのワンツーを叩きこむ。



「ぐおぅぉ!」



 ベリラが吼え、地面にめりこんだ腕を強引に引き抜き、その手でジャックをなぎ払おうとする。

 だがジャックは大きくバックステップをし、その長い腕をかわす。


 右腕が振り切られた直後、再びジャックは前に進もうとして足をとめた。

 右腕を大きく上げ、迫るそれをガードする。


 後ろには下がらず、あえてそこで受けることを選択した。


 ジャックがあげた腕にぶつかったのは、巨大ベリラの左腕。


 右腕を引き抜いた反動を使い、左腕も一緒に振り回したのである。



 だが、機鎧に激突したのは伸ばした爪ではない。

 機鎧にぶつかったのは、人で言うところの前腕の部分。手首のあたりだ。


 ジャックは前にも出ず、下がることもせずあえてそこで受けたのだ。


 前に出れば防御が間に合わず、下がれば爪の餌食となっていたからである。最もダメージの少ないぎりぎりの判断。


 だが……



「ぐっ……!」



 ガードごと黒い機鎧は吹き飛ばされた。


 機鎧は操者の思ったとおりに動く人機一体型の操縦方法だが、その痛みが機鎧から操者にフィードバックされるわけではない。

 乗っている者は痛みを感じたりはしないが、機鎧が受けた衝撃やきしむ音などは感じてしまう。


 特に殺しきれない大きな衝撃はコックピットを酷く揺さぶる。



 ジャックは即座に態勢を立て直し、左腕も振り切った巨大ベリラの懐へ跳びこんだ。



 がら空きのわき腹。そこに鋼の拳を叩きこむ。



 その衝撃を嫌がったのか、ベリラは左腕を肘ウチのように振り回しジャックを放そうとするが、黒い機鎧は頭を振ってそれをかわし、ベリラのアゴへと拳をぶつけた。


 ほんの少しだけ、ベリラがよろめく。



 さらにボディへショートブローを二発。


 そしてベリラの顔面は力一杯のフックが決まった。



 機鎧と一心同体となったジャックの方にもはっきりとした手ごたえが感じられた。



 ボクシングとは人を効率よく殴り倒すための技術である。

 その技術を学んだジャックと一体となっているこの機鎧もその技術を生身の時と寸分の狂いもなく使うことが出来る。


 その拳は、ジャックが思い描いた位置へきっちり叩きこめた。


 だが、それはあくまで人ならば倒れる一撃。

 人とつくりの違う獣相手にそのすべてが有効というわけではなかった……!



 横に触れたベリラの頭が、ぐりんと戻る。


 確かにジャックの一撃はその頭を揺らしたが、人間とつくりの違うその脳は揺らし意識を断ち切ることはできなかったのだ!


「がぁぁ!」


 大きな口が開かれ、ジャックの機鎧へ迫る。



「ちっ!」


 即座にジャックはバックステップを行い、その顔面へ拳を放った。

 さがりながらの一撃とはいえ、鋼の一撃だ。


 その鼻はつぶれ、顔がへこんでもおかしくはない。


 人ならば一撃で気絶する威力でアゴを打ちぬいても、ボディをいくら殴っても顔面を殴ってもこのベリラは平然としている。

 生身でこれほどの巨体なのだから、そのボディに収まる筋肉や脂肪は人では中々想像もできないレベルに達しているのかもしれない。

 その毛皮も、とても強靭なのだろう。


 だからといって、鼻を叩かれてひるみもせず平然としているのは生物としておかしい。



(まさかこいつも……)



 ジャックは嫌な予感がよぎる。



「ん?」

 空から二つの巨体がぶつかり合うのを見ていたリゥは、巨大ベリラが動くたび白い粉が舞っていることに気づいた。


 殴られたり、殴ろうとするたび、どこかにこびりついた石灰のような小麦粉のようなそれが飛んでいる。



 その粉に、彼女は見覚えがあった。

 館の中で暴れたベリラ達にもついていた、白い粉。いわゆる麻薬である。


 それを見て、リゥはあの巨大ベリラがジャックの攻撃に痛みを見せない理由を察した。



「ジャック、そいつも館のヤツ等のように麻薬も口にしている! お前の攻撃にひるまぬのも同じじゃ! これでは、火も恐れぬじゃろう!」


「やっぱりか!」


 同じく怪しんでいたジャックも、リゥの言葉に確信を得た。



 この巨大ベリラも、館のベリラと同じで麻薬をたしなんでしまっていたのだ。


 この巨大ベリラが群のボスならば、麻薬や人を他のベリラ献上されている可能性は十分にありえる。

 その味を覚えたのなら、独り占めして頭がダメになるほど摂取していても不思議はなかった。


 群のボスならば、それだけの権利を持っているのだから。



「がああぁぁぁ!」

 巨大ベリラが吼える。


 ダラダラと涎を垂らし、その瞳の視線は定まっていないように見えた。



 巨大ベリラは両腕を広げ、ジャックを抱きしめるようその両手を振り回す!



「やべっ!」

 その行動にジャックはぞっとする。


 このリーチの長さで掴もうと手を回されたらどれだけバックステップをしようとかわしきれない。


 腕の下をくぐってかわせればベストだが、体が近すぎる。

 それは自分を押しつぶすように前にも出てきている。


 下手にかがめばそのまま押しつぶされてしまうだろう!



「くそっ!」



 ならばとジャックは一つの賭けに出た。


 前に出て、巨大ベリアのアゴめがけてアッパーを放つ。

 跳ね上がった首のスペースを利用し、ジャンプしてこの包囲網を避けようというのだ。



 だが……!



 鋼の拳を食らった巨大ベリラは、その一撃に全くひるまなかった。


 痛みは感じない。動きも衰えない。薬でパワーのリミッターも解除されている。



 これらが重なり、ジャックの一撃に完全に耐え切ったのだ!



 後ろへの逃げ場を塞ぐよう機鎧の後ろ手をクロスし、その手が迫る。

 熊のような巨体がジャックの機鎧を包み、その両手が体を抱きしめた。



 簡単に説明すればベアハッグ。


 ぎゅっと抱きしめ、締め付けるなりかみ殺すなり、ベリラに生殺与奪が与えられた必殺のホールドである!



 背中を押しつけられ、地面から足が浮く。



「ちいぃっ……!」


 ジャックは拳を振るうが、腰の入らないその一撃では痛みを感じないそれに全くダメージが入らなかった。



 ぎしぎしと、機鎧がきしむ。


 古の技術で作られた鎧だというのに、リミッターを解除された怪物のパワーはそれさえおしつぶさん勢いだった。



 ぎざぎざの牙がついた口を開き、機鎧の喉元へ食らいつこうとする。


 ジャックはその上アゴと下あごを掴み、なんとかその一撃が食いこまぬよう必死に抵抗するしかできなかった。



 ぎしぎしと締めつけられ、牙が体に迫る……!



「ジャック!」


 一転大ピンチに陥ったジャックを見て、リゥは声を上げた。


 ジャックのピンチに、リゥは必死に頭を働かせる。


 館に来ていたのと同じくあの巨大ベリラも麻薬を大量に摂取しているとすれば、あれも火を恐れるということはないだろう。


 ならば火の精霊を活性化させ自分を炎に見せて脅す意味もないし、痛みを感じていないならば炎をぶつける意味もない。

 そもそもあのサイズでは中途半端な火球では効果がないだろうし、生半可な炎では逆に手負いの獣を生み出すだけになってしまう。


 となると使えるのは火の大精霊の炎だけだが、肝心のリゥがそれを制御できるかが問題だった。

 今日リゥはすでに散々火を操っている。


 多くの火の玉を作り、炎熱圧縮でかなり精神も消耗した今、大精霊の炎を制御できるだろうか?

 失敗すればリゥが命を落とすだけでなく、さらにこの山が炎で覆われ全てを焼き尽くしてしまうかもしれない。


 そうなっては本末転倒だ。


 さらに万一制御できたとしても、巨大ベリラはジャックを捕まえている。

 ほぼ重なった状態では、ジャックも巻きこむのは間違いなく、これでは火の大精霊の炎は放てない。


 火の大精霊。『フェニックス』の力は機鎧はおろか『遺人』の遺産に連なる巨大戦艦も焼き尽くすパワーがあるが、そのせいで今度はジャックまでも燃やし尽くしてしまう。

 とてもじゃないが、今のリゥにジャックだけを避けてそれを使うことは不可能だった。


 ジャックの機鎧は胸の部分にコックピットがある。あれではコックピットハッチは開かない。機鎧も動けないのだから、ジャックではどうしようもないことだった。


 一時機鎧を戻して生身のジャックに戻させる?

 いや、そんなことをすればジャックは高さ五メートルを超える地点から落ちるこになり、その後は足で潰されるか手で潰されるかになってしまう。

 いくらジャックが運動能力に秀でようと、あのサイズの手足が襲い掛かってきたらひとたまりもない。



(この事態を打開できるのはワシだけじゃ。どうする? ワシに、なにができる!)



 リゥは必死に頭を働かせる。

 だが、迷っている時間も考えている時間も少ない。


 このままではあの機鎧はリミッターの外れた獣のパワーに破壊され、ジャックは食われてしまう!



 きらっ。



 リゥの視界に、なにか光るモノが入ってきた。


 そちらへ視線を向けると、ピーナッツ型の岩の中でなにかが輝いている。

 開いた扉の中で、なにかが太陽の光を反射していたのだ。


「っ!」


 リゥはそれが、なにかすぐ気づいた。


 キラキラと光を反射するそれ。



 巨大ベリラに掴まれた時、落としたのだろう。


 それは、あのアウトローメイドが持っていたベリラよけの鈴だったのだ!



(これじゃ!)



 リゥは炎の翼をはためかせ、そこへと飛んだ。

 着地し床に靴を滑らせながら、それを手に取り大きく振り上げる。



「ジャック!」



 りぃぃぃぃん!


 ジャックの名を呼ぶのと同時に、鈴の音がその場に大きく大きく鳴り響いた。



 りりぃぃん!



「がぎぃ!?」


 その鈴の音が耳に届くと、巨大ベリラの顔が歪んだ。


 機鎧を掴む腕の力が緩み、噛み付こうとした口元が歪み、顔を背ける。



 ジャックはこのチャンスを逃さなかった。


 機鎧をホールドする腕の緩みを感じた瞬間、腹に膝を入れ掴んでいた両アゴに力を入れる。

 腕の力を使い体を上に引き抜きその足を顔面に叩きつけ、ジャックは脱出に成功した。


 空中に飛んだ機鎧は太陽の光を鈍く反射し、くるりと一回転して地面に着地する。



「ぐおぉぉぉ!」


 りんりんと鳴り響くその音に、ベリラは頭をおさえうなり声を上げもだえる。


 麻薬によって痛覚が麻痺しているにもかかわらず、なにかが傷むように顔をゆがめていた。


 それは、痛みやかゆみなどとは違い、ベリラにとって生理的、本能的に許容できない音なのだろう。

 どれだけ薬で理性や思考が吹き飛んでいようと、決して消せない嫌悪感がその音にはあるのだ!



 その理由は、ベリラという生き物になってみないとわからない。


 生理的に無理。というのはその人、その生き物にならないと他者には決して理解できないものなのだから。



 これほどまでに苦しむ音なのだ。そりゃこの群生地を離れ、人里の方へとやってくる。



 巨大ベリラは耳を押さえ、そしてこの場から逃げ出そうとする。



「悪いが、逃がすわけには行かない!」



 ジャックは腰に手を回し、一本の黒い棒を取り出した。


 それをぐっと握ると、どろりとした液体のようなものが伸び、黒い片刃を形成した。

 これはこの黒い機鎧に最初から設置されていた白兵用のナイフ。液体のような金属であり、伸ばして鞭のような使い方をしたり、針のようにして隙間をさしたりと、多様な使い方の出来る装備である。


 麻薬によって打撃が効きにくいあの体を倒すには、これを使うしかないと判断したのだ。



 ドンッ!



 と黒い機鎧の足元が爆ぜ、一瞬にして巨大ベリラとジャックの間合いが縮まった。



 ザンッ!



 黒く伸びた刃が、短く煌いた……



「……」



 そのベリラは、目を大きく見開き、動きを止めた。

 空を見て、その目から真っ赤な涙を一筋流す……



「……悪いな。お前を逃がしてこれ以上の被害を出すわけにはいかないんだ」



 ぱちん。と黒いナイフを腰の所定の位置へ戻し、ジャックは呟いた。


 同時に、ベリラの巨体はゆっくりと倒れてゆく。

 首と、胴が、別々に……




 ……



 …………




「……これが、殺された館の主が隠してあのメイドが探していたお宝か?」


 機鎧を収納し、床に残された録音キューブを見おろす。


 それはパネルの一部が壊れたが、触れればまた録音された鈴の音とカラオケを再生させることができた。


 それを聞き、ジャックはメイドと同じくこのキューブを壊して欲しいと頼んでいたのだと気づいた。



「これを歌うためにここのベリラを追い出したのかよ。なに考えてんだ……」



 カラオケの練習をする。確かに人の来ないこの場所はうってつけだろう。だが、その結果ベリラが人里に近づき、大勢の被害が出た。

 すでに死んでしまった男のようだが、一発分殴ってやりたいとジャックは思った。



「……いや、このキューブのためだけと考えるのは早計かもしれんぞ」


 ジャックと同じようにキューブを見つめ、その後この狭い物置の中を見回したリゥが言った。



「? どういうことだ?」


「この狭い物置にも見える部屋。これはエレベーターかもしれん」


「なんだって!?」


 リゥはかつて住んでいたルルークシティで『遺人』の残したエレベーターを見て、乗っていたことがある。

 この四角い箱は、そのエレベーターの箱によく似ているのだ。


 リゥの言葉に驚き、ジャックは部屋の中をキョロキョロと見回した。

 だが、壁も床も皆同じつるりと綺麗に磨かれた石で作られていて、なにかボタンがあるようには見えなかった。



「なにもないぞ……」



「それはこのキューブも一緒じゃろ。じゃが触れれば、この通り音が流れる。文字も光る。ここもそれと同じならどうじゃ?」


「確かにありえないことじゃねーな」


 ジャックがそう言いながら、壁をぺたぺたと触った。


「……どこ触れりゃいいんだ?」


 だが、どこを触っても反応はない。



「それはワシにもわからん」


「つまりここはただの物置の可能性も十分にあるってことか」


「否定はせん」


 そう言いながら、二人は壁の側面を同時に触れた。



 ピッ。



 すると、なにか電子音のようなものが響いたのが聞こえた。



「お?」

「なにか反応があったようじゃな」



 どうやら二ヶ所を同時に押すことではじめて反応する仕掛けのようだった。

 これでは知識もなく一人でやってきたメイドには無理なことである。


 最低でも杖を用意しなければ一人では無理な距離だ。


 入り口の正面。入って真正面の壁に、なにか文字のようなものが現れた。

 当然だが、二人はこの文字らしきものの意味はわからない。


 そして、その文字は、ゆっくりと姿を変えてゆく。


 一定の間隔で、別の文字に変わるのだ。


「なんだこりゃ?」

「なんじゃろうな」


 エレベーターであるなら、階層が下がるのを現す数字なのかもしれない。

 だが、外の扉は開いたままだし、地上から全く動いてもいない。エレベーターが動いての数字というわけではないようだった。




 ゴゴゴゴゴゴ……




 足元から、なにか嫌な予感のする振動が感じられた。


 一定の間隔で数字が動いているような文字の動き。なにかが鳴動するような足元からの音。



 ジャックとリゥは二人で顔を見合わせ、同時にうなずいた。



「「に、にげろぉぉぉ!」」



 二人は同時にこの場から駆け出した。


 確かにここはエレベーターだったのかもしれない。ひょっとしたら、『遺人』の遺産だったのかもしれない。

 地下に行けば、金銀財宝はおろか、人類では想像もしていないような英知が眠っていたのかもしれない。


 だが、その入り口には侵入者よけのトラップが仕掛けてあった。



 なにも知らない盗掘者に対し、その愚か者を懲らしめるための仕掛けが……!



 ジャックはもう一度機鎧を呼び出し、リゥを片手で持ち上げ、全力でその場からジャンプした。

 重力制御を司るふくらはぎの装置が働き、まるで飛ぶように距離を稼ぐ。


 一瞬にして森をこえ、別にあった大岩の影に隠れた。



 直後。



 チュドッ!!!



 光の柱が、さっきのピーナッツ型の岩があった場所から立ち上がった。

 まるで噴火でもしたかのような白い煙があがり、バチバチと雷光も見える。



 二人の直感は当たった。

 あそこのお宝は見事に吹き飛んでしまったようである。


 岩の上にのぼり、もくもくと煙を上げる岩があった方向を見て二人は大きくため息をついた。



 ああなってしまってはもう、お宝は望めないだろう。



「はー。地下になにかあるかもってのは当たってたが、まさか入り口から入ろうとしただけで自爆かよ」

「まあ、しかたがないことじゃなぁ……」


 うかつに触れてしまったのはどうしようもないし、まさか入り口で全てを終わらすトラップが仕掛けてあるなんてのも予想外だ。


 もっとも、リゥの方はお宝など期待していなかったからダメージは少ないし、キューブの時点で一度諦めたジャックもお宝が手に入らなかったことについてさほどダメージもなかった。



「あー、いたいた。さっきの爆発にまきこまれたのかと思ったよ」


 岩に登り煙を見ていた二人に声がかかる。


 振り返ると、館の方角から森をかきわけ顔を出したアズマの姿があった。



「おう。遅かったな。てっきり途中で乱入してくるかと思ったぞ」


「こっちもこっちで大変だったんだ。急いであの館に行って事情を聞いて駆けつけたんだから、むしろ早い方だと思うよ」


「間に合ってねーんだから一緒だ」


「それもそーか」


 ジャックの言葉に、アズマがケタケタと笑った。



「ともかく、こちらも終わったぞ。ベリラももといた森に帰るじゃろうから、今回のような被害はもうでないじゃろう」


「おおー。やるもんだね。これで旅人も安心できる」


「当然じゃ」

 アズマに誉められ、リゥはえっへんと胸を張った。



「それに、ベリラを近寄らせない鈴もあるからの」



 リゥが懐から鈴を取り出し、りぃぃん。と鳴らした。


 ギシェの言うお宝は手に入れることはできなかったが、ベリラが近くにいるさいのそれを避けることができる道具というのは非常にありがたいものと言えた。


 ある種これがお宝と言ってもいいだろう。



「まあ、そっちも終わったのなら、一度戻ろうか。あの人達も街に送らないといけないだろうし」


「そうじゃな。そういえば、馬車の馬はベリラに襲われていなかったか?」


「ああ、大丈夫みたいだったよ」


 リゥの疑問に、アズマが答えた。


「あの時のヤツ等人間しか目になかったんだな」


「そのようじゃな」


 アズマの答えにジャックとリゥがうなずいた。


 それは、森の中で作られた麻薬のせいなのか、それとも別に理由があったのかはわからない。

 少なくとも、ギシェの財産が失われたということはないのだから。



 彼等は今回の一件を双方で話ながら、一度二人の待つ館へと戻るのだった。




──エピローグ──




「俺達」

「私達」


「「考えを改めました。これからまっとうに生きようと思います」」


 山を降り、あと少しで街に戻るというところで御者のギシェとハイジャック犯のハインドートは突然馬車を降り、共に来たジャック達三人へ同時に頭を下げた。



 彼等はジャック達三人が館に戻ってくるまでの間、二人は地下室でベリラにおびえ必死に鈴を鳴らし続けていた。

 その間、死の恐怖におびえ、色々なことを考え、そして全ては自分達が悪いことをしようと考えたのが原因であると思い当たったのだ。


 盗みとハイジャック。共に罪を認め、もうしないと決め、まっとうにやり直すことを決めたのである。



「アタシは、今回のハイジャックについては訴えでないことに決めたよ。泥棒のアタシがそんなことする資格ないからね」


「俺は、そのわびとしてしばらく馬車を修理できる代金が稼げるまで仕事を手伝おうと思う。それがせめてもの償いだ」

 彼女が訴えでないと言うのなら、このハイジャックはなかったということになる。

 だが彼はそれで気がすまないのだろう。


 彼女の馬車を修理のためにかかった金を返すまで、御者業に従事するのだ。



「そうか。まあ、おぬし等がそれでよいというのならそれでよいじゃろう」

「そうだな」


 話を聞いたリゥとジャックはうなずいた。


 もう一人の被害者、ロメロは今回のハイジャックについてはそれどころではなかった上、下手に大事にされると面倒が増えるのでこちらにはノータッチだ。


 ゆえに、ハイジャックの一件はこれにて落着となる。



「そういえば、なんでハイジャックなんかを?」

 ジャックが、疑問に思ったことを聞いた。


「……ヤクをあつかう一団がこの森の中にいるって聞いて、その仲間になろうと思ってよ。ハイジャックをして箔をつけて、自分を売りこもうとしたのさ」


 ぽりぽりと頬をかきながら、ハインドートは言った。


 それを聞いたジャック達は、思わず苦笑いを浮かべる。


 その一団は少し前にベリラによって壊滅していた。

 むしろ、このハイジャックが成功していたままなら、結果はより悲惨なものになっていただろう。


 そう考えると、彼は幸運だったのかもしれない……


「そうか。これからまっとうに生きるとよいぞ」


 リゥがこれからのことを応援する。



 アウトローを目指すジャックはこの件についてはもうなにも口にはしなかった。

 自分もアウトローであるから、そういう行動をもうするなよ。とは言えなかったからだ。



「それでアタシは、この手紙をきちんと届けるべき人に届けようと思うんだ」


 彼女はカバンの中から盗んだ手紙を取り出した。



「そこまでしなくてもいいと思うけどな」


 ジャックが律儀だな。と素直な感想を伝える。



「ううん。まっとうに生きるためにはこれから逃げるわけにはいかないよ!」


「そうか。なら俺等がなにか言うもんじゃないな」


「そうだね。手紙を渡したらやるべきこともすでに終わっているし逆に感謝されたりして」

「勝手なことをと怒られる可能性もあるけどな」


 アズマの言葉に、ジャックが苦笑いを浮かべる。

 相手によってはどちらもありえる可能性だった。



「……その宛先はどこの誰なのかわかるか?」



 場合によってはついていってもよいなんて考えたおせっかいのリゥがその手紙の宛先を問う。



「えぇと、ジェイ・レンズフォールドって人あてよ。場所は東部」


 ギシェが封筒に書かれた住所を読み上げると、ジャックがどこか驚き、そして納得して安心したように息をはいた。

 そして苦笑し、笑う。


「知っている名か?」

 それを見たリゥは、ジャックがその宛名の人物知っていると見た。



「その孫ならリゥもアズマも知っているさ。カレンの爺さんが使う仮の宛名と宛先だ」


 ジャックに言われ、リゥは誰の偽名なのかすぐぴんときた。


 カレンの祖父、ジョン・リッチフィールド。この大陸随一のリッチフィールド商会の会長である人物だ。

 その人物を宛先にして、素直にリッチフィールド宛なんて書いたらトラブルが起きるのは明白。それを避けるために使われる一種の暗号。偽名と仮の宛先で送ったのだろう。


 となると、その宛先に手紙を持って行ったとしても届けるべき人物にそれは届けられない。


「そうか。それでは直接届けるのは無理じゃな」



「どういうことさ?」


 宛名を聞き、三人が納得したのを見てギシェはどういうことかと首をひねる。


 ある意味、当然の疑問だろう。



「その手紙の宛先に家はないってことさ」


「なんだって!?」


「ただ、ちゃんと手紙を送っていても、結果は今回と変わらないのは断言できるぜ。むしろ面倒が減ったと誉められるだろうな」


 ジャックはその宛先の主、ジョン・リッチフィールドのことを知っている。


 手紙がきちんと届いていたのなら、あの館に行ってあの黒歴史と遺産を消し飛ばしにきたのはカレンで間違いない。となると、やることは変わらなかったのも間違いないのだ。


 今回、その役目がカレンではなくギシェになっただけで、結果はこの館の主の願いどおり、あの遺跡は破壊されただろう。



「どういうことよ?」


「直接謝りに行くんじゃなく、お詫びの手紙を書けばいいってことだ。それを改めて郵便局にまわせ。そうすればちゃんと手紙は届く。きっとそれで許してくれるよ」


 直接謝りに行くのは無理なので、ジャックは一つの妥協案を伝えた。

 あとでカレンに今回の一件を伝え、フォローさせれば誉められることはあっても怒られることはないだろう。



「……そう。直接謝りに行きたかったんだけど、行っても会えないんじゃ仕方がないわね」


 しょんぼりとしつつ、彼女はジャックの言うことを素直に聞いた。

 会えないというのだからしかたがないだろう。



「わかった。アタシの言葉で謝罪の手紙を書いて一緒に送るわ。ありがとね」


「いや、無駄足にならずに済んでよかったよ。御者の仕事、がんばれよ」



「ええ。これからはもう悪魔の誘惑に負けないよう、がんばるよ!」


 にっと、ギシェは笑った。




 こうして、ひと時の誘惑に負けた者達の冒険は終わりを告げた。


 これから二人は、まっとうに生きてゆくことだろう。




「さってと。俺達も行こうか」

「そうじゃな」

「ああ」



 二人で街へ戻る馬車の姿を見送り、アズマ達も改めて次の街へと歩き出した。



 山ごえのルートは使えないので、南回りのルートだ。



 次の街では、どのようなことが待ち受けているのだろう。



 それは、行ってみなければわからない……




 おしまい

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