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第05話 ゴーダタウンの死闘 前編


──プロローグ──




 リシアの里が、燃えている。



 少女の目の前で、真っ赤な炎が、まるで生き物のように、里を飲みこんでいる。




 父も母も、兄も妹も、隣人も友人も、少女は、里にいた全ての家族を、その日失った。




 その日彼女は、たまたま里を離れていた。


 森の中で、見たこともない蝶を見つけ、好奇心にかられた彼女は、それを追いかけ、森の外へとお出かけしていたからだ。

 蝶を追った先で見つけた花畑。


 新しい遊び場を見つけた少女は、そこで時を過ごしていた。



 どれほどの時が流れただろうか。



 突然の轟音が場を揺すった。


 驚き目を向ければ、里から黒い煙が立ち上がっているのが目に入った。

 少女は嫌な予感を覚え、花畑から、里を目指し走り出した。



 途中、深手を負った女にあった。


 里でよく世話になった年配の女性だ。少女は彼女から、里が人間に襲われ、次々と家族が殺されているのを知った。



 彼女は、「兄を! 妹を!」と叫ぶ少女を押しとどめ、里は終わりだと告げた……



 森の先に、真っ赤な炎が見えた。


 揺れる木々の間から、真っ黒い人影が、ゆらりゆらりと揺らめいているのが見える……



 まるで、踊るように。なにか、逃げ惑うモノを、追いかけるように……



 気づけば、音はやみ、少女を押しとどめていた女性は冷たくなっていた。

 彼女は、最後の力を振り絞り、少女が見つからぬよう、精霊の力を借り、森の中に隠し続けたのだ。




 里に戻ると、動くものは誰一人としていなかった。


 母と妹は折り重なるように倒れ、父と兄は、戦ったのだろう。無残に変わり果てた姿だった。

 隣人のおじさんも、友人の子も、一人残らず、動くものは存在しない。


 あるのは、なにも語らない、屍だけ……



 しかもその躯は、少女の見ている前で、黒い、光のチリへと帰ってゆく。



 そいつらの所業は、死を弔わせてくれさえしないのだ。



 家族全ては光に消え、残されたのは、荒れ果てた里のみ。


 そこはまるで、最初から誰も住んでいなかったかのようだ。



 残されたのは、一人呆然とたたずむ幼い少女と、里の中央にあった、長老樹と呼ばれる大樹に刻まれた、襲撃者の一団が残した巨大な紋章だけだった。


 黒い龍を思い起こさせるそれが、大樹に刻まれていたのだ。まるで、ここが自分達のモノであるかのように……



 そこには、目に焼きついた紋章と、少女の慟哭だけが残された。



 その後、里を失った少女は、荒野をあてもなくさ迷い歩いた。

 行くあても、目的もなにもなく、ただただ、歩き続けた。



 そうしてさ迷い、力つき、倒れた少女を救ったのもまた、人間だった……



 少女を救った人間の名は、クローディア。


 彼女は、力なき人々を守るため、なにもかもを背負いこみ、身を粉にして動くおせっかいな人間だった。

 彼女と同じように故郷を焼き払われた子を保護し、たった一人で、彼等の光となっていた。



 この時代、少女のような境遇は、珍しくもなかったのだ……



 少女は知った。戦争が終わったのはいいが、その混乱で、人同士の間でさえ、そのような無法が繰り返されていることを。


 そんな無法と暴力の世の中だというのに、そのクローディアは無謀にも、自分の弱い力で、弱き者を助ける努力をしていたことを。


 彼女の優しさに触れ、同じ境遇の者達と暮らすことにより、人の全てが悪ではないと知り、少女は憎むことにむなしさを覚えた。


 逆に、そんな世の中でも諦めず、人々を守ろうとするクローディアに憧れをさえ抱いた。



 そして彼女はいつしか、復讐に生きるのではなく、自分と同じ境遇の者を出さぬよう、力なき者を守り、生きたいと願うようになった。



 それが、今のリゥの原点。



 クローディアと出会わなければ、のたれ死んでいただろうし、憎しみに飲まれ、闇にも落ちていただろう。


 彼女に出会わなければ、前向きにおせっかいできるようにならなかっただろう。



 夢の中、荒野で倒れた少女へ、手を差し伸べる者がいる。


 逆光の中、手を差し伸べる人影を見あげたところで、少女は目を覚ました。



 朝日がまぶしい。



「うなされていたみたいだけど、大丈夫か?」


 逆光に照らされた人影が、リゥに声をかける。



 それはまるで、夢の続きのようだ……



 リゥは一瞬、その姿に、呆気にとられてしまった。



 目の前に手を差し伸べたのは、夢に出たクローディアという女性ではない。


 西部では見ない、異貌の装束を纏った少年である。

 年齢も性別も服装も雰囲気もなにもかもが違う。それでも少年を、少女の憧れた英雄。クローディアと間違えたのには、理由がある。


 目の前の少年は、少女の憧れたクローディア。そのクローディアの原点であるからだ。


 過去にクローディアを救い、彼女はその弱者を助けるその背中に憧れ、願わせたものこそが、目の前に手を差し伸べた少年なのだ。



 少年。というが、その正体は南北戦争において最強の英雄と呼ばれた巨人。『アーマージャイアント』である。



 幻の英雄とさえ言われ、実在を疑われているが、その巨人は、巨大なカラクリ鎧であり、その操者が、彼なのだ。

 カラクリ鎧。すなわちロボットなのだから、少年でも怪しまれず戦場で戦えたのだ。


 つまり、めぐりめぐって生まれた、リゥのおせっかいの原点。それが、目の前に手を差し伸べる少年。アズマなのである。



 少年の姿を確認したリゥは、小さく笑い、その手をとった。

 毛布がわりの外套とともに、むくりと体を起こし。



「いや、問題ない。少し、夢見が悪かっただけだ」



 もう滅多に見なくなった悪夢を思い出し、かぶりを振る。


 クローディア達と出会ったころはよく見た悪夢。だが、彼女への憧れを抱き、憎しみが薄れた時から自然と見なくなった闇を、ひさしぶりに見たのだ。


 外から見て、うなされていたというのも、仕方のないことだろう。



 などと、自己分析していると……



「そっかー。エッチな夢でも見たかー」


 少年は、なぜかしたり顔でうんうんと頷いた。



「なんでそーなる!」


 言葉とともに、頭の下に敷いてあった枕をアズマに投げつけた。


 アズマはけらけら笑いながら、それを顔面に受け、跳ね返った枕は、リゥの手元に戻った。



 まったく。とため息をつけば、その心にたちこめかけた暗雲が消えていることに気づいた。



 この手の悪夢は、一度見るとしばらくは気を重くするものだったが、そのような重石は、全くわいてこない。まるで、なにかで発散してしまったように……


 ひょっとして、先の言動はワザとかとアズマに視線を向けるが、彼はすでにリゥから視線を外し、毎朝の日課でもある型稽古を再開していた。こうなっては、返答は期待できない。


 この新大陸と呼ばれる場所では見ない細長い剣。刀と呼ばれる刃物が、風を切って振り下ろされている。


 姿なき敵を前に振るわれた刀が、鋭く唸る。



 彼は、サムライと呼ばれる、はるか東方の戦士でもある。



 その技術は、銃弾さえも弾き返し、一本の刀で、一騎当千の強さを誇る、モノノフでもあった。


 彼が今行っている型稽古とは、その流派の正確な所作、動作を理解するため、基礎ともいえる型を、振るう稽古である。

 上段からの振り下ろしや、中段からの突き、下段からの振り上げなど、全ての基礎となり、応用へと繋がるための、基礎中の基礎の稽古なのだ。


 これらの努力なくして、一騎当千の強さは決して得られない。


 見えぬ敵を前に振るわれるその型は、一刀一刀の動きがまるで舞を踊っているようでもあり、かすかにはじける汗が朝日に煌き、どこか幻想的な光景にも見えた。



(こうして真面目にしていれば、相応の戦士に見えるというのにな……)



 普段のへらへらした頼りない姿を思い出し、リゥは小さくため息をついた。



 まあ、それについて今さら言っても仕方がないことなので、リゥは諦め、朝食を作るために、昨日作成、利用した簡易かまどへ、再び火を入れることにした。



 リゥは、この時気づかなかった。


 今朝見た悪夢。それが、精霊の導きにおける、精霊のお告げであったことに……




──三度の邂逅──




 カッ! という擬音が似合うほどに、その日昇った太陽は、雲ひとつない青空の元、その光と熱を大地に照らしていた。


 じりじりと焼けた砂浜のように熱を持った荒野に陽炎が立ち、その中を、一人のガンマンがへろへろと歩いていた。


 埃避けもかねた赤いマフラーにベスト。拍車をつけたブーツにジーンズ。さらに腰のベルトにぶら下げた二丁の銃と金色の髪を隠すカウボーイハット。

 身長百七十八センチで金髪碧眼、十八歳のジャック・サンダーボルトが、道中拾った棒を杖にして、街道を歩いている。

 フラフラと足元もおぼつかなく歩いていたが、力尽き、道の真ん中でぽてりと倒れふしてしまった。


 小さく「ううう」とうなり、それでも西へ向おうともがいていると、ふと、自身に影がさした。



 人影だ。



 なんとか顔をあげてみたが、逆光によってその姿は影となり、顔は見えなかった。

 逆光ということは、今向っていた方向は東だったわけだが、今その事実に彼は気づいていない。


 朦朧とする意識の中、「大丈夫か?」と心配する声が聞こえた気がする。



「み、みず……」



 彼は、天の助けかと、その人影に手を伸ばした。


 先日世話になった建設会社の給金と食料と水が道中で尽きてしまい、途方にくれてこうなっていたところなのだ……



 人影はこくりと頷くと、背に吊るしてあった革のベルトポーチをまさぐった。


「はい」


 と、アズマは『ミミズ』を一匹取り出した。



「いやー、助かった。これで喉が……ってふざけんなー!」


 体を持ち上げ、にっこり満面の笑みで微笑んだジャックが一転。『ミミズ』をアズマに投げ返し、ツッコミを入れた。


「というかなんでまたお前なの! なんで困った人に追い討ちかけるの! 悪魔なの!?」

「いやー、一回やってみたくって」


 えへへ。と頭に手を回し、アズマは自称可愛く笑った。


「可愛くねえ。つーか俺でネタをやるな! 大体なんでミミズなんだよ。俺が望んだのは水! ウォーター!」


 力の限り、叫んだ。

 体が水分を求めていなければ血の涙さえ流していただろう。



「意外に余力あるな」


 水筒を取り出したリゥが、目を半眼に開き、呆れている。


「ねーよ! 死力を振り絞ってんだよ!」



「わかったわかった。ほれ、飲め。ゆっくりな」


 水筒からカップに水を注ぎ、ジャックへ差し出した。

 ジャックはそれをひったくるようにして持ち、喉を鳴らして一気に飲み干した。


「うっ、げほっ、気管に……はいっ……! た」


「だから言っただろうに」


 リゥはため息をつきながら、もう一杯カップへ水を注いだ。



 それを受け取ったジャックは、今度はゆっくりと、喉を潤すようにして、飲み干す。



「ふー。助かったぜ」

 アゴに流れた水を手で拭い、ひと心地ついたジャックが感謝を述べる。


「しかし、よくよく縁があるな」

「まったくだ」


 リゥの半分苦笑した言葉に、ジャックも苦笑しながら返す。



 別に示し合わせたわけではないというのに、道中で三度も出会うとは、驚きの確率である。



「きっと僕等は、結ばれる運命にあるのさ。きゃっ」


 両目をつぶり、両ほほを手で押さえて照れるアズマがいた。



「ねーよ! 気色悪い声だすな!」

「きゃっ」


 照れる、アゲイン。


「「なんでそれも照れる!」」


 二人のツッコミが、一言一句同時に響いた。



 顔を見合わせたツッコミ二人は、無言でその手を力強く握り合わせる。


 ツッコミ二人、どこか、通じ合ったようである。



「もういっそ、我等と一緒に来るか?」


 ジャックの目的は、西へ行き、東部まで名を轟かせる稀代のアウトローになることである。


 対してアズマとリゥも、西へ行き、星を滅ぼすという者を倒すことを目的としている。

 同じく西に向うのだから、その方が効率がよいだろうと、リゥは提案した。


 ちなみに、彼女とともに旅をすることになり、アズマは街から街へわたる間での食料配分をミスって野垂れ死にしそうになったりすることはなくなった。

 それだけでも、リゥがついてきている意味はあったはずである(リゥがいるから無茶できないという可能性もあるが、それもリゥがいるおかげだ)


 ちなみに、こうして難儀しているジャックへ手を差し伸べるのは、いつものリゥのおせっかいからである。



「ちっ。誰が小娘の世話になんか……」



「ならば、この場で捨て置くが? 金がないのなら食料などもわけてやれるぞ」

「ご一緒お願いします!」


 飛び立ち上がり、見事に腰を折るお辞儀であった。

 大変見事な低頭である。


 金も食料も水もないジャックは、ただ頭を下げるしかできなかった……



 こうして合流した三名は、ジャックの進んできたルートを少し戻り、ふらふらになって間違て左折してしまった十字路からさらに西へ向い、一つの街へとたどりつく。



 時間は、太陽が中天まで昇り、お昼の時間であった。




──ゴーダタウン──




 少し小高くなった丘から見下ろせる位置に、その街はあった。

 百人ほどの人口がありそうな集落だろうか。街の南には山が見え、そこには山の一部を切り崩した採石場が見える。


 さらに見回すと、なぜか街の南西側の外れに、街の規模には不釣合いな大きさの豪邸が建っているのが見えた。


 背に、小高い丘を抱え、周囲に真っ白な壁を控えさせている。



「なんだありゃ?」

 丘の上に立ち、帽子の上からさらに手でひさしを作り、見回していたジャックが、場に不釣合いな豪邸の存在に気づき、首をひねる。


「街の食堂などで聞けば教えてくれるだろうさ」


 豪邸にたいして興味も示さず、リゥは街の方へとさっさと歩き出していた。

 アズマも興味はないのか、うんうんと頷きながら、豪邸の方を一瞥するだけで、歩き出す。



「ちっ。俺だけかよ……」



 豪邸に興味を示したのが自分だけで、なんか俗っぽいと感じてしまったジャックは、舌打ちをして二人の後を追った。


 ジャックのブーツについた拍車が、小さく鳴り響く。



 しばらく歩けば、街の門にたどりついた。


 門の上には、『ゴーダタウン』と記されている。

 門を支える両脇の柱はずいぶんと古いものだが、かかげられた看板の部分は新しかった。


 街の中にある家なども、支える柱と同じように古い木材なので、この看板の真新しさだけが、逆に目立つ。


「最近名前がかわったのかな?」

「じゃねーか?」


 見上げたアズマとジャックが、そう見た感想をつぶやいた。


「ま、そんなのどうでもいいさ。ひとまずメシにしようぜ」



 見上げた看板よりも、腹の虫を収めなくては頭も働かない。ジャックは視線をおろし、街へと足を踏み入れた。



「ちなみに借金の返済は?」

「当然もうちょっと待ってくれ」


 リゥには頭を下げたが、アズマには頭を下げない強気な債権者であった。

 なんせ、ない袖はふれない。


 ちなみに今回は、アズマ金融ではなく、金利ゼロのリゥから借りることになっている。


 見た目十二くらいの少女に借金する十八歳。

 別パターンでは、見た目十二、三の少年に借金する十八歳。



 はっきり認識すると涙が出てきそうなので、ジャックはその現実から目をそらしていた。



 門をくぐり、街に入ると、それはすぐに感じられた。


「活気がないな」

「活気ないね」


 ジャックとアズマが、誰もいないストリートを見て、そう言った。


 街そのものは、どこか潤っているかのように感じる。築年数は多いが、綺麗に手入れされた建物と、整備された道路はとても整然としている。


 なのに、そのストリートを歩く人はほとんどおらず、そこで商売をしている人もまったくいない閑散とした有様だった。


 人がいないわけではなく、人々は家に隠れ、息を潜めているようだ。


 リゥは、この人のいない景色に見覚えがあった。



 まるで、偽の『アーマージャイアント』に包囲されていた時期のルルークシティのようだ……



「……また、なにか問題を抱えた街のようじゃのう」


 リゥが、誰ともなくつぶやいた。



「とりあえず、宿か食堂にでも行くか」

「さんせーい」


 街の情報収集の基本は、やはり宿か食堂。そして、サルーン(酒場)である。



 そこに行けば、街の情報は大体手に入る。



「ま、全部同じ場所にあるじゃろうがな」


 ジャックの提案に、アズマが賛成し、リゥが答え、三人は歩き出した。


 たいていの場合、宿は食堂もかねており、酒場もかねているからだ。



 ストリートを歩く三人に向け、家々の窓の奥から、ちらちらと彼等を見る視線を感じる。

 なにかに怯えている雰囲気と共に、もう一つ。『ああ、またか……』という、心配の視線も感じられた。



 門の通りを歩き、一本曲がった大通りの先に、それはあった。

 がらんとしたストリートの中で、そこだけは、なぜか活気に溢れた人の気配がある。馬どめの柵にはたくさんの馬がつながれ、そこからは、大笑いする男の声が、ストリートにまで響いてきていた。


「どうやら、あの馬がたくさんとまっている場所が宿屋のようじゃな……」



 リゥの言うとおり、そこは宿屋だった。



 綺麗に塗装された宿屋の看板が掲げられ、前にせり出した木の歩道や、階段も欠けたり折れたりもせず、きちんと補修されている。

 二階建てのそこは、中身の綺麗さも期待できそうだったが、残念なことに、そこで食事をしている大勢の気配は、綺麗さと程遠い存在のようだった。


 馬の雰囲気からして、街の者。というよりは、リゥ達と同じ、流れ者のようだ。ただ、ガラの悪いという枕詞がつくが。


 馬達は手入れもたいしてされていないし、溢れてくる笑いは、下品で品がなかった。

 宿に近づけば近づくほど、それがはっきりと耳に入ってくる。



(……ま、タチの悪さで言えば、ワシ等の方が上じゃろうが)



 なんてことをリゥは思いつつ、なんの気兼ねもなく踏みこんでゆく男二人のあとについて、入っていった。


 片や一騎当千のサムライ。片や正確無比の腕前を持つガンマン。この二人は、五十人ばかりのアウトロー一家を一夜のうちに壊滅させる実力がある。


 それに劣るが、リゥとて炎を操り心を読むエルフの秘術も使え、この三人組の実力を知るなら、相手にするのはお断りしたい一団と化していた。



 スイングドアを開き、宿屋兼酒場へ足を踏み入れると、多数の視線が彼等を振り返った。

 カウンターやテーブルに座るならず者達が、一斉に振り返ったのだ。


 中に居たのは、予想通り、流れのアウトロー達だった。


 たまたま別の目的があってここで休憩しているのか、それとも、この栄えているのに寂れた街が目的地なのかは、振り向かれただけではわからない。



 ただ、なにかの景気づけのように、彼等は酒を注文し、宴会していたのはわかった。



 カウンターやテーブルを占拠し、空になったカップがそこら中に転がっている。


 街の者はこの場に誰一人としていないようだ。唯一、女主人が男達の振る舞いに、呆れるようにしてカウンターの裏に立っている。

 散々絡まれたりしたのだろうが、それでも凛として立っているのは、この酒場兼食堂兼宿屋を切り盛りしているだけはある。

 ちなみに、女主人の年齢は、二十代後半で茶色に近いブロンドの髪が印象的だ。



 ぎらりと視線を投げかけた男達のうち、入り口の近くにいた一人が立ち上がり、アズマ達へ近づいてきた。


「おいおい。ここは坊や達が来るような場所じゃねえゼ。それとも、まさか噂にひかれてやって来たんじゃねえだろうな?」


 木で作られたカップを片手に、酒を煽る。現れたのがただの少年と見て、馬鹿にしているようだ。



「噂?」


 ジャックとアズマが顔を見合わせる。


「知ってるか?」



 ジャックに問われたアズマは、目の前にいる男達を見回し、なにか思い出したように、ポンと手を叩いた。



「あー、知ってる知ってる。あれだよね。あれ。うん。あれ。だよね!」



「ぜってー知らねーくせに見栄はんな!」


 ぺいんとジャックがアズマの側頭部へ平手のツッコミを入れる。



「ワシ等は偶然この街によっただけじゃ」


 アズマとジャックの小コントを無視し、リゥが代表して男達へ告げた。



「おー。そうかいそうかい。そいつはついていなかったな」


 目の前の少年少女がなにも知らないことを理解した男は、にたにたと笑い、わざとらしくかぶりを振った。

 手を肩の高さに上げ、やれやれと肩もすくめる。


「最近この街では、こそこそなにか掘り返しているって噂だぜ。だからオレ達が管理してやろうってわけさ!」


 満面の笑みという表現がしっくりくるほどの笑顔で、得意げにその噂とやらを説明する。



「あー」

「あー」

 ジャックとリゥが、納得したような声を上げた。



 西部。そこは、誰もが夢見る、一攫千金の眠る世界。


 金を掘り当てれば、一夜にして大金持ちになれる、夢の場所。



 そのように、金。もしくはダイヤなど、金の元であるなにかを掘り当てたという噂が流れれば、当然そこに群がる者が現れる。



 その際、採掘を邪魔されないよう守ってやると法外な用心棒代を請求するアウトローや、その鉱山そのものを力ずくで奪おうとする者があとを絶たずに現れるのも、西部が無法地帯などと呼ばれるゆえんでもある。

 この街でも、そのように、なにか金になるモノが出た。という噂が流れたのだろう。


 その結果、こういうやからが街を闊歩するというわけだ。



「つーわけで坊主達。ここであったのもなんかの縁よ。おじさんたちに、ちーっとばっかし、用心棒代を、はらわねぇかねぇ?」

 にたにたと笑いながら、酒の匂いを漂わせた口を開く。


 子供相手に大人気ないと思うだろうが、男の視線が向いているのは、アズマの腰に下げられた、刀だった。



 真っ黒い鞘に、紅色の下緒が巻かれ、同じく黒で彩られた柄に、細かい細工の入ったツバという、東方の芸術品。



 立ち上がった男は、それに目をつけ、こうして絡んできたのだ。


 他の男達の視線も、アズマの刀に集まっている。



「あらまー。珍しい。抜いてもいないのにこれの価値をしっかり見抜くなんて」



「ひひっ。そう思うなら、大人しくわたしな。素直に渡せば、命ばかりは助けてやるぜ。もっとも、商品としてだがな」


 男達の視線は、アズマの刀だけではなく、身なりや顔、さらに、リゥにまで集まっている。当然ながら、刀だけではなく、若い少女や、新大陸では珍しい異邦人の少年なども、高値で売れる。

 特にアズマは、身なりを整えれば、神秘的な魅力にあふれる、中性的な魅力で大人気となるだろう。


 当然、美しいエルフは、元から人気であるのは、一応補足しておく。



 あと、おまけであまったジャックの方は、大人しく従えば、荷物もちくらいには使ってもらえるかもしれない。



「はっ」


 その言葉を聞いたジャックが、鼻で笑い、大げさに肩をすくめた。当然、そんな用心棒代など払う気もない。そう馬鹿にした態度だ。


「逆に俺等に用心棒代を払うことを勧めるぜ、おっさん達。でなけりゃ、帰えんな」


 首をかたむけ、右手親指で自分の入ってきた入り口を指差す。

 ジャックの挑発に、男達が一斉に立ち上がった。さすがならず者の集団である。売られた喧嘩は、その場で即決。即売買契約成立だ。



 ぺきぱきと指を鳴らし、男達は三人をにらみつけた。



「じゃっくんがんばってー」

 なぜか一歩後ろのリゥの位置へさがって応援する気満々のアズマが応援の構えに入る。


「なんでお前まで後ろに下がってんだよ!」

「まったくじゃ!」


 ジャックに襟首つかまれ、リゥにはげしっと後ろから蹴られ、アズマはしぶしぶ前に出た。



「ちょっと。ここでの争いはやめておくれよ!」


 と、女店主の言葉が響いたが、誰もそれに反応は返さず、ただむなしく響いただけだった。



 男達が、じりじりと入り口の三人へ、間合いを狭める。

 売り物の顔に傷でもつけてしまえば大変だから、今は、素手だ。


 たった三人しか居ない相手に対し、こちらは酒場を埋め尽くす三十オーバーの人数。負けるはずなどない。当然の考えだ。


 だが、この三人組は、そんなならず者の圧力に全く動じていない。後ろに立つ少女など、むしろ呆れてさえいる。

 さらに少女の前に立った少年二人は、この人数を相手に、怯えるどころか、笑みさえ浮かべているのだ。


「はっ。あまりの恐怖でおかしくなっちまったのか?」


 ならず者達も、まさか本気で余裕があるなどとは思っていない。自分達の数的有利は揺るがないと信じ、自分達の都合のいいように解釈する。



 ニヤニヤと笑い、最初に立ち上がった男が、ジャックに引っ張り出され、一番前に出ることになったアズマの襟首を掴むため、近づこうとした、その時。



 ひゅっ。



 小さな風切り音が、男の鼻先を掠めた。

 刹那。すぐ近くにあった柱へ、一本のナイフが突き刺さる。


「なぁっ!?」


 鼻先を通り抜けたものがナイフだと気づき、あまりのことに男はのけぞり、足を止めた。

 ざわりと男達がざわめき、視線はそのナイフが投擲された場所へと向う。



 そこは、カウンター。



 カウンターの隅に、男が一人、座っていた。



 真っ黒いレザーのズボンと同色のジャケットを羽織り、それに反するかのような流れる銀色の髪が印象的だった。

 男は足を組み、場にいるもの全てに背を向け、カウンターに肘をつきながらグラスをかかげ、ミルクをあおっていた。


 ナイフの飛んできた方向からして、その男が投げたに違いない。



 だが、ならず者達は、こんな男がカウンターに座っていたなど、記憶になかった。



 先ほどまで、男の座っていた席は、空だったはずなのだ。

 いくらなんでも、カウンターに座っていれば、誰かが気づく。


 つまり、いつの間にか、男はそこに現れたことになる!


「な、なんだお前は。どっから現れやがった!」

 ならず者の一人が、叫んだ。



 男はゆったりと喉を鳴らし、ミルクを飲み干した。


 足を解き、ミルクの代金をカウンターに置き、けだるそうに立ち上がると、男達へと振り返る。



 立ち上がった男は、細身だが、身長百八十センチを超え、引き締まった体躯をしていた。

 目つきは鋭く、瞳は真紅。そのまなざしは、肉食の獣を想像させる。


 立ち上がっただけでも、そのたたずまいは、どこか只者ではない冷たさも感じさせた。

 ただ、アズマと同じく整った顔はしているが、へらへらとどこかしまりのない軽い顔をしている。



 男はならず者達を見回し、やれやれとため息をついた。



「せっかく人が親切心で助け舟を出してやったってのに、その態度かよ」


 呆れたように肩をすくめる。


「俺は、お前達の恩人なんだぜ」

 男は、敵だらけの店内で、ふてぶてしく笑った。



 突然声を上げた男に、ジャックは口笛を鳴らす。

 わかっているじゃないかこいつ。という意味だ。


(……つまりこいつは、アズマとジャックの実力に気づいているということか)


 男のどこか飄々とした態度を見ながら、リゥは考えをめぐらせる。


 周囲をさらに観察していると、リゥの前にいたアズマが、小さく肩を震わせているのが見えた。


「?」

 リゥがどうしたのかと思った瞬間。



「バアさん。バアさんじゃないか!」



 煽るだけ煽ってぼけーっとしていたアズマが諸手をあげ、駆け出した。



「おうよアズマ。俺だぜひさしぶり!」



 バアさんと呼ばれた黒ジャケットの男も、同じく喜びの諸手をあげ、駆け出した。



 二人は酒場の中央で手を合わせ、きゃっきゃと再会の喜びを分かち合っている。


 両手を合わせたまま、喜びのステップダンスまで飛び出している始末だ。



「な、なんだぁ」


 酒場で完全に置いてきぼりを食らった者達の呟きがもれていた。



 ならず者の中心で、男二人はそんなことなど気にも留めず、再会のダンスを踊っている。



「って、結局なにがしてえんだおめーらは!」


 ならず者のリーダー格が怒りのお言葉とともに、天井へ銃をぶっぱなした。


 それはやはり、ナイフが目の前を掠めた男であり、最初に立ち上がり、アズマへ声をかけた男だ。



 アズマ達に持っていかれた視線と主導権が、その男へと再び集まる。


 結局西部は、これがモノを言う世界である。

 男は手に持つ銃を、バアさんと呼ばれた男へ向ける。

 売り物にならない男になら、遠慮はいらない。


 相手はナイフさえ手放した丸腰だ。



「てめえ、ナニモンだ? ここの用心棒か?」


 突然現れた、ガキの知り合い。だが、反応から、こいつらを助けに来たというより、ここで起きた騒ぎをかぎつけてやってきたと考えた方が自然である。


 そこからの推測で、リーダー格はこの質問を発した。



 睨まれた黒ジャケットの男は、アズマと踊るのをやめ、リーダー格の男を見返す。

 やれやれと、けだるげに手を腰に当て、残った左手を耳の穴に入れた。



「なんだよ。せっかくひさしぶりの再会だってのに、水を差すなよ」



 かりかりと小指で耳の穴をかき、空気の読めないヤツだな。といった空気をかもし出す。

 質問に答えも返さず、そんな飄々とした態度の男に、リーダーは、こめかみに怒りのマークをぴきぴきと浮かび上がらせた。



「うるせえ! だから、てめえはナニモンだって聞いてんだ!」


 顔を真っ赤にし、今にも引き金を引きそうになっている男の怒声が響き渡る。


 アズマにバアさんと呼ばれた黒ジャケットの男は耳に入れた小指の先をふっとふいてから、しょうがない奴だ。といった感じで自己紹介をはじめた。



「ったく。俺は、バァン。この小僧の昔なじみで、今はこの街外れにあるお屋敷の用心棒だ」



 にっかりと笑い、耳かきした左手の親指で自分を指差した。



 すると、顔を真っ赤にしていたリーダー格は納得したように、うんうんと頷き、そのバァンへ銃を向けた。


 自分の納得す理由を得てたおかげで、一気に冷静さが戻ったようだ。



「ふふ。こいつはちょうどいいぜ。次はそのお屋敷ってヤツに行きたかったところだ。ここで死にたくなけりゃ、素直に案内するんだな」


 飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのことだった。次に襲おうと考えていたところへの道案内役がみずから迷いこんできたのだ。



 男達にしてみれば、小躍りしたいほどの収穫である。



 自分に向けられた銃口を見て、銀色の髪をたなびかせたバァンは、にやりと笑った。



「いいのか? 俺の後ろには、あんたのお仲間がいるんだぜ?」


 親指で、自分の背後を指差した。


 そこには、駆け寄った時から呆気にとられたままだったならず者がいる。

 意図せずアズマ達二人を囲むようになったているが、リーダーが下手に銃を外せば、味方に当たるような状況にもなっているのだ。


 それは、顔を真っ赤にして頭に血が上っていたままのなら、生まれなかっただろう。


「うっ……!」


 味方に当たる。


 一瞬、リーダーが引き金を引くことをためらった瞬間だった。



 床が爆ぜたかと思うような音とともに、食堂に疾風(はやて)がふきすさみ、リーダー格の男は銃を持つ手をつかまれ、ねじりあげられ、さらにその喉元に、ナイフを突きつけられていた。



「はい、おめーらも動くな。動いたら、この男を殺す」


 バァンが、周囲をにらみ、言う。



 一瞬の早業だった。



 躊躇した瞬間に間合いをつめ、形勢を逆転させてしまったのだ。

 ならず者の一人も反応できていない。


 ジャックさえも、「速い!」と驚いたほどだ。


 そしてなにより。



 男の喉に突きつけられたナイフは、男の手首から直に生えていたのだ。



 手首が上に少しずれ、その隙間から刃物が突き出している。




「マ、マシンソルジャーか……」




 ナイフを突きつけられたリーダー格の男が、しぼり出すようにつぶやいた。

 床が爆ぜたのかと思った音も、その足にしこまれた、爆発的加速を生み出すマシンであったに違いない。


 相手は丸腰などではなかった。



 むしろ、全身凶器の男と言えたのだ!



 外見に機械を露出していないこのタイプは、このような油断を招きやすい!

 リーダー格は、この油断に、ほぞをかんだ。


「さあて。このまま大人しく帰れば、見逃してやるぞ」


 男の顔つきが、獣のそれに変わった。



 背からは、身を震わすようなプレッシャーがもれる。



 ライオンや虎を目の前にしているようだ。

 男達の背筋に、得体の知れない恐怖が走った。


 刃物が触れた喉から、小さく血が流れる。


 仲間を見捨てられなかったリーダーヨロシク、残った男達も、たった一人の人質に、手も足も出なかった。



「さらに言っておくが、俺より、あっちのボウズのがつえーぞ」


 にやりと笑い、男はアズマを見た。



 言われた少年は、にこにこと笑ったまま、相変わらず飄々とした態度を崩さない。集まった視線に、どーもどーもと手を上げて挨拶を返している。

 ガキでしかない異邦人を、そうまで言うのは、ただのはったりのようにも聞こえた。



 だが、さらに得体の知れない恐怖を男達に与えるには、十分だった。



「くっ、くそっ……!」

 男の指示で、代金を支払い、ならず者達は店の外へと出てゆく。


 最後にリーダーが外へと放り出され、「覚えていやがれ!」という捨て台詞とともに、ならず者達は馬に乗って逃げていった。



 ぱんぱんと手のほこりを払い、黒ジャケットの男は宿屋の入り口から中へと戻ってきた。


「さて……って、なんでそっちのガンマンは気絶しているんだ?」


 そこにはなぜか、目を回して床に倒れているジャックの姿があった。

 戻ってみて、なぜか気絶している男がいれば、さすがのマシンソルジャーも困惑する。


「なはは」


 同じくアズマも苦笑している。


 まさか、脅しでちょっと触れた刃から流れた血を見て気絶したとは、説明しづらかったからだ。

 リゥも、手を額にあて、ため息をついていた。


「まー、しばらくすれば目を覚ますよ」



「そうか。なら、ベッドに運んでやるかー。マスター、どーせ他に泊まるやつもいないだろうから、ちょっと部屋借りるぜー」



「あ、ああ。二階のはじが開いているから、そこ使いな」


「ほいほーい」


 女主人の言葉に答え、アズマが倒れたジャックを軽々と頭の上に持ち上げ、二階へ運んでいく。


 一瞬、バァンの言葉に、女主人が言いよどんだようにも感じたが、事態が事態なので、皆気にしなかったようだ。

 バァンが先導し、その部屋の扉を空け、アズマはその荷物をベッドにめがけ放り投げる。


 食堂に、ずどーんというなにかがベッドへたたきつけられた音が聞こえてきた。



「いえーい」

 と、二人は二階で高らかに上げた手を叩きあい、一階へ降りてきた。



「さー、これで今度こそ再会を祝えるな、アズマ!」


「そーだねー。おひさしぶりー」

 食堂でもう一度、二人はハイタッチを敢行する。



「……ひさしぶり。というのはどういうことじゃ?」



 再会を喜びあうアズマに向かい、その裾を小さく、遠慮がちにひいたたリゥが、問う。



 アズマと昔の知り合いであり、しかもマシンソルジャーときたことで、大体のことは予測できている。



 だが、確信がないゆえ、自己紹介を求めているわけだ。

 アズマも、リゥの意図を察したのか、頷いた。



「ひさしぶりってのは、前に経験してから、再び同じことがあるまで、長い年月がすぎていたこと。または、そのさまのことさ!」


 アズマは自信満々に、親指を立て、国語的な意味を答えた。



「そんな言葉の意味なんてきいとらん!」

「うん。知ってるー」


 ひさしぶりの頭突きがアズマのわき腹に決まりましたとさ。



「これひさしぶり!」


 ゴンロロンゴと派手に転がって、入り口から外へとすっ飛んでったそうな。



「ったく、このスカタンが」

 ぷくーっと頬を膨らまし、怒りのリゥが、はき捨てた。



「ははは。相変わらずかわらねーな」

 バァンはそんな様を見ながら、からからと笑っている。


 その様子から、アズマの人を食った態度にも慣れているようだ。



「で、貴様は何者じゃ。もうアホに紹介を促すとか、やってられん!」


 きっと、目を吊り上げ、リゥはバァンを睨んだ。


 身長百三十五しかないリゥは、身長百八十センチを超えるバァンの顔を見るのは、だいぶ見上げることになる。だが、それでもひるまず、大きな目がぎらりと音を放つんじゃないかと思うほど鋭く、きつくにらみつけた。



「おおーこわっ。こりゃアズマもちょっかいかけるわけだ」


 やれやれと肩をすくめ、視線から逃げるように体を後ろにさげる。

 視線をそらしたりするわけでもなく、笑っているのだから、本気で逃げているわけではない。


「ま、お嬢ちゃんは話し方からして、あいつの正体も知っているようだな」

「ああ。知っている」



「なら、話は早いな。俺の名はバァン。元々は、こいつと一緒の部隊にいた男さ。ちなみに……」


 リゥの方へ体をかがめ、その耳へ顔を近づける。



「『マシンビースト』なんて呼ばれたこともあるが、あんま呼ばないでくれ。はずい」



「っ!」

 ひそひそと、手でひさしを作り、耳打ちされたその名のことは、リゥも知っていた。



 アズマの通り名。『アーマージャイアント』と同じく有名なその名前。


 戦場という舞台で活躍した『アーマージャイアント』と違い、砦などにおける狭い場所での白兵戦で名をはせた、もう一つの最強。

 華々しい活躍の『アーマージャイアント』の裏におり、マシンソルジャーの試作機ということで新聞を大きくにぎわせることはなかった、もう一つの伝説。



 伝説の小隊の一員であり、『アーマージャイアント』の仲間だった男。



 それが、目の前にいるバァンという黒ジャケットの男だ。


(やはり、か)


 リゥも、心の中で頷いた。アズマの真の強さを知り、マシンソルジャーでかつ元仲間となれば、その可能性が最も高かった。



「いやー、しっかし、まさか連れが二人もいるとはなー。驚きだ」


 腕を組み、うんうんとうなずいた。



「ほら、あいつさ、あれじゃん? 基本人に誤解されるような行動ばかりするじゃん? だからよー、ちと心配でよー。戦争の後もいつの間にか姿消していたし」


「あー」


 リゥも、バァンの言葉に納得できる心当たりがあった。

 やはりアズマは、昔から栄誉も名誉も求めず、人知れず戦い、影ながら人を守る戦いを続けていたのだ……



 ならば、リゥはあえてアズマの過去は聞かない。

 興味はあるが、聞いたところで、あのスカタンのやっていることは、昔も今も、変わらないのだから。


「……」


 そんなリゥを見たバァンも、そんなリゥをどこか感心するかのように頷いた。



「でも……えーっと?」


「リゥじゃ。ワシの名は、リゥ。リゥ・リシアじゃ」

「そっか。でこりんは、それでもアズマと旅するなんて、すげーなー」


「いやちょっと待て。なんのために名を聞いた。完全に名前と関係ないじゃろそれ!」


 きぃ! と、目を吊り上げ、頭から湯気が出たかのように頬を膨らませた。


「わははははは」

「わははじゃない!」


 怒鳴るが、全くひるむ様子はない。

 目の前の男は、アズマを相手にするのと同じく、どこかつかみどころのない男であるのは確かだった。



「悪い悪い。だがよ。お前みたいな相棒がいれば、俺も安心だよ」


 すっと、バァンは手をリゥの頭の上にかざした。おかげで、リゥの視界には大きな掌が広がり、その言葉を発した男の表情は見えない。



 その左手は、ゆっくりと、リゥの頭を撫でる動きを示し、彼女の頭へ迫った。




 がしっ。




 手が頭にのろうとした瞬間。その手首が、バァン達の横から伸びてきたアズマの手によってつかまれた。


「いやー、危ない危ない」

「……」


 バァンが、手を握ったアズマへ視線を向けた。

 体の位置が少しずれたことにより、リゥの視界に、二人の表情が入ってきた。


 リゥの目に、その時のバァンの顔は、驚くほど冷たく見えた。


 機械がただ、アズマを視界に捕らえている。感情もなにもかもが消えうせたかのような、そんな冷たい機械のようだったのだ。



 ぞっと、背筋が凍る。



 さらに、アズマの顔も、見たこともないような、真面目で、シリアスな顔だった。



 リゥにさえ、緊張が走る。



 緊張した面持ちのアズマが、ゆっくりと、その口を開いた。



「危うく、噛みつかれるところだったよ、バアさん」

「マジで!」



 にっかリウインクするアズマに、口を三角形にして驚くバァンがいた。

 おっかなびっくりと、リゥから手をひっこめる。



「って、誰が噛みつくかこのスカタンどもー!」


 しぎゃー! と、目を吊り上げ、怒りをあらわにするしかないリゥであった。



「きゃー。にっげろー」

「わー。まってアズマー」



 追いかけられた二人は、宿のドアから逃げていった。


 宿の入り口で立ち止まったリゥに向け、二人はストレートの真ん中でアカンベーをぶつける。

 当然ギラリと睨まれたので、二人は抱き合って、道の真ん中で震え上がることとなった。


 本当に、仲のいい二人である。



「ったく。なにがしたかったんじゃあいつ等は……」

 宿の入り口で腰に手を当て、リゥはため息をついた。



 そうこうしていると……



 ごーんごーんごーん。



 街の外から、大きな鐘の音が鳴り響いてきた。

 リゥもアズマも、音の鳴り響く空を見上げる。


「おっといっけねぇや。呼び出しの鐘だ。ちょっと行かないとな」



 鳴り響く鐘の音を同じように見上げ、バァンがあちゃーと頭をかいた。



「街の外のお屋敷?」

「そ。勤め人の辛いところだな」


「辛いですなー」


「まったくだ。だが、待遇はかーなーり、いい。なにせ俺やりたいことやっていても怒られないからな!」


 わっはっはと、胸を張って笑った。



「わー。でもそれって、ただ戦ってることイコール用心棒の仕事だからでしょー」

「その通りさ!」


 わっはっはと、二人で笑いあった。



 ごーんごーんとなっていた鐘の音が、なりやんだ。



「っと、戻んねーとな。んじゃ、またな。次あう時は、もっと色々語り合おうぜ」

「あいよー」


 拳を突き出したバァンに同じく拳をぶつけるアズマ。



 それから二人は手を振り、別れた。




──バァンとお屋敷──




 アズマ達と別れ、バァンは一人、街から屋敷へ向う道を歩いていた。


 街から屋敷は、徒歩で十五分ほどの距離にある。距離にすれば、一キロといったところか。

 少し盛り上がった丘の上にあり、街を見下ろせるような格好の立地だ。

 さらにその屋敷の背中。南西の方向には、さらに大きな丘がそびえたっている。



「ふっ、ふふふ」

 あと少しで屋敷というところで、バァンの顔が、歓喜に歪む。



「本当に、昔と変わらなくて、安心したぜアズマ」



 酒場でのやりとりを思い出す。


 人を食ったような言動に、飄々とした態度。


 出会った時から、本当に変わらない。どんな絶望的な局面も笑顔で跳ね除け、自分を犠牲にしてでも他人を気にかけ、鼓舞して勇気づける。



 有言実行にして、無言実働。



 他人の誤解もいとわず行う、あの行為も同じだった。



 左手を持ち上げ、その掌を見る。



 バァンがリゥの頭を撫でようとしたあの時、アズマはその手を掴んできた。



 実はアレは、頭を撫でようとしたのではない。バァンは、あの少女の頭を捻ろうとしたのだ。

 頭を掴み、首ごと回す。それを実行しようとした瞬間に、アズマはバァンの腕を掴んだ。アズマは、それを見逃さなかったのだ。


 それでいて、あの少女に心配かけまいと、あの場は馬鹿を装った。


 あの反応。あの態度。昔と全く変わっていなかった。いや、むしろ、動きの鋭さは増していたくらいだ。



「やはり、相手にとって不足はないな。むしろ、最上の相手だ」


 舌なめずりがとまらない。



 同じ隊にいた時から、ずっと思っていた。


 いや、はじめてあった時から、ずっとだ。




 いつか、殺してやりたいと……!




 あの戦場を圧倒するあの強さ。生身で弾丸さえかわす、あの理不尽さ。


 すべての狂気をつめこんだかのようなあのサムライと、正面から戦い、殺す! ともに戦いながら、いつも夢見ていた。

 仲間であったから、戦う機会はずっとめぐってこなかった。


 なによりあの時は、絶対に勝てないとわかっていた……!



 だが、今は……!



「昔は確かに、お前の方が強かっただろうさ。だが、今の俺は、昔の俺とは違う。だから、思いっきり暴れようじゃないか。お前が逃げない舞台はすでに整えてある。ふふ、楽しみだな……」



 やっとめぐってきた機会。ついにやってきたこの時を、逃がすわけにはいかない……!


 アズマと出会う、その次を想像し、にやりと笑う。



(あ、やべぇ。そう考えていたら、おさまらなくなってきちまった……)


 それは、マシンソルジャー特有の、攻撃本能の高まり。


 闘争本能。戦闘欲。一度あふれ出してしまった、他者への攻撃性。それが、とまらない。



 彼は、それがマシンソルジャーの中でも、ひときわ大きかった。



 獣としての本能が大きく出た彼は、機械の身体を持つというのに、獣と同じ嗅覚や、本能を持つかのような戦いもできた。




 機械にして獣。それゆえついた名が、『マシンビースト』




 この、湧き出た衝動は、なかなか収まらない。近くに獣でもいれば、それで少しは収められるだろうが、この周囲の獣など、バァンの気配を感じ、逃げてしまったに違いない。


(どうするか……)


 そう思案したその時。



「おうおう」



 ──格好の獲物が、そちらから現れた。




 先ほど追い払ったならず者達。

 それが、屋敷を前にして、待ち伏せしていたのだ。



 岩陰や物陰から、三十人ばかりのアウトローが飛び出し、バァンをとりかこむ。



 当然、その手には銃やライフルが握られ、油断なくバァンに睨みを利かせている。


「へへへ。あのくらいで俺達が諦めるとでも思ったのかよ。今度は違うぜ。さっきのようにはいかねぇ。さあ、ぶっ殺されたくなけりゃ、俺達をこの馬鹿でかい屋敷に案内するんだな!」


 バァンの前に、リーダー格の男が立ち、銃を構えた。


 油断はしていないが、状況からして勝利は確信した顔だ。



 現に、このならず者達を前にしたバァンは、呆気にとられ、立ち止まり、その身を小刻みに震えていたからだ。



 ならず者達は、この不意打ちに戦意を喪失したものだと考え、大きく笑った。


 だが、それは大きな間違い……



 にぃぃ。



 獣の口が、笑みに歪み、荒野に小さな風がふきぬけた。


 刹那。バァンの姿が、男達の前から掻き消える。



 どすっ。



「え?」

 次の瞬間。バァンの前にいたリーダー格の男は、そんな間抜けな声をあげた。


 男は、自分の身になにが起こったのか理解できなかった。



 突然目の前から男が消え、自分の胸から、刃が生えていたのだ。



 背中からナイフで刺されたのだと気づくのに、しばしの時間が必要だった。


「え?」

 もう一度、その刃を見て、男は声を上げた。


 胸からは、赤い血がどくどくと溢れている。痛みはない。熱が、じんわりと胸から広がっているのだけが感じられた。



 ごふっ。



 喉から血があふれ、目玉をぐりんと回転させ、男は膝から崩れ落ちる。

 ならず者達は、目の前でなにが起きたのか、まだ理解できなかった。


 呆気に取られた間に、リーダーの近くにいた男二人が、喉から血を噴出し、倒れる。



「て、てめえ!」


 我に返った誰かの叫びとともに、銃声が響く。



 だが、その弾丸が、バァンを捕えることはなかった。



 銃声が響いたその時すでに、黒ジャケットの男はそこにいなかったからだ。


 大勢の男達に囲まれていたはずなのに、男達はバァンを見失ってしまったのだ!



「がふっ」

「ごふっ」



 硝煙をくゆらせた二人の男から断末魔が上がる。


 気づけば、先ほど銃を撃った男と、その近くにいた男の二人が、喉から血をあふれさせ、崩れ落ちる。


 遅れて倒れた二人目の男の背後から、ぬるりと黒ジャケットの男が姿を現した。


 酒場で投げたナイフの刃は血で滴り、男の顔は笑みで歪んでいる。

 逆手に持ったそのナイフの血を、バァンは舌で舐めとった。



 にいぃぃ。



 獣が、笑った。



「ひっ、ひぃぃ!」

 バァンの姿を見た瞬間。一斉に銃を向けようとした。



 だが、またも男の姿が掻き消える。



 男達は、なにが起きているのかわからなかった。


 彼等の目に、バァンの姿は捕らえられない。

 わかるのは、次から次へと、仲間が血をしぶかせ、倒れてゆくことだけだ。


 響くのは、刃が肉に食いこみ引き裂かれる音と、断末魔の悲鳴。



 疾風が男達の間を駆け抜け、血の花が咲く。



 時間にして十秒。

 それだけで、二十人以上の男達が地面に倒れ、物言わぬ屍と化していた。



「こ、こいつ……」

 残った男達は、すでに腰が引けている。



「あ、あああーっ……!」


 男達の中の一人が、なにかに気づいたような声を上げ、口を手で覆った。



「なにか知っているのかボビー!」



「し、知っているもなにも、あれだ。こ、こいつは、あの伝説の、伝説のマシンソルジャー! 最初の機械化兵。『マシンビースト』だ!」



「な、なにぃぃ!」

 血に濡れた姿から、ボビーと呼ばれた男は、バァンの素性を思い出した。



 だが、思い出すのが、遅すぎた……



 男達全員に衝撃と驚愕が伝わった。


 生きた男達は即座に勝てぬと判断し、銃を捨て、命乞いをはじめようとした。



「す、すまねえ! 知らなかったとはい……」


 だが、それは最後まで行うことは、できなかった。



 男達の隣を風が吹きぬける。


 気づけばまた、目の前にバァンの姿は、なかった。



 風が吹きぬけたと感じた次の瞬間に、男達の喉から、血が噴水のようにあふれ出た。


「……え?」


 命乞いをしようとした男が目を大きく見開き、焦点のあわぬ瞳を揺らしながら崩れ落ちた。



 それを発端に、残りの男達も血を吹き、倒れてゆく。



 三十人もいたならず者は、二十秒もかからず、全滅したのだ……



「ふっ。ふはは。ふはははははは」


 倒れふした男達の真ん中で、バァンはまるで狂ったかのように笑い出した。



「ふははははは。はははははははははは……」


 動くものなどいない荒野で、バァンはただただ、笑う。



 笑い、大笑いしたあと……



「……はぁ、つまらねぇ」



 がっくりと、肩を落とした。


 衝動は満足したが、バァンそのものの飢えは、満足しなかった。




 ──やはり、昔はよかった。




 老人が昔を懐かしむようで、バァンはこの感傷が嫌いだったが、思わずそう思ってしまう。


 戦争の時の敵は『遺人』由来の装備にアホみたいに強化された兵士だったし、脳がキリキリと痛むほどの緊張感があった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際の戦いで、常に生きていると実感できる戦いばかりだった。


 なのに今は、そんなものさえ感じない。



 人を殺すのも、ただ衝動にまかせた作業のようなものだ。悦びも、快感も、感動もない。



「やっぱ、残りはあいつしかいないな」


 自分を満足させてくれる男を思い出し、落とした肩をあげ、背を伸ばす。




 ぱちぱちぱちぱち。




 すると、屋敷の入り口である扉の奥から拍手が響いてきた。


 ゆっくりと、高さが二メートルはある扉が開き、中から軍服のようなものをきた、スキンヘッドの黒人男が姿を現した。


 よく見れば、軍服に思えるそれは、むしろ欧州の貴族が着るようなきらびやかに飾られた貴族風の服だった。

 赤い上着に、肩には金のラメの入った装飾。そして、白いタイツにブーツと、開拓時代の西部に場違いな服装である。


 しかも百九十センチを超える大柄な体躯を、窮屈に押しこめているから、ぴっちぴとな様相となっていた。



「なんだ、ルイか」

「ハーイ。わたしデース」


 ルイと呼ばれたスキンヘッドの黒人男は、どこか癖のあるしゃべりで、バァンに答えを返した。


 バァンはその男を一瞥すると、手に持ったナイフを投げ捨て、けだるそうに両手をポッケに入れ、屋敷の中へと歩き出した。



「後始末は任せた」

「ハーイ。お任せくだサーイ。立派な立派なソルジャーにして差し上げマース。アルジまたお喜びになりますネー」


 ルイが指をパチンと鳴らすと、控えていた男達が、門の奥より現れた。


 一糸乱れぬ動きで倒れた男達へ駆け寄り、二人一組で一人の男を持ち上げる。一人が上半身。もう一人が足を持つ格好だ。

 全員が、ルイと同じく軍服を思わせる格好をしており、頭には帽子をかぶっている。ただし、服の色は地味で、こちらは無理に身体を服に収めているようなものではない。

 その顔は、帽子から垂れ下がった一枚の布により隠され、うかがい知るしるはできない。


 ただ、その男達は一言もしゃべることはなく、まるで息さえしていないかのように、黙々と殺されたならず者の死体を門の中へと運びこんでいる。


 それはまるで、死体が死体を運んでいるかのようだ……



「そういえば、主さんは?」


 屋敷の門をくぐったところで一度足を止め、バァンはルイへ質問した。


「オゥ。今下にいますヨ。せっかくです。ご一緒しまショー」

 どこか人懐っこい笑みを浮かべ、白い歯を見せながら、ルイはバァンの隣へ走ってきた。どすどすと、重たい足取りだが、なぜか足は速い。


「えー。俺、お前きらーい」


「酷いデース。わたし好きデスヨー。ソングを送りたくなるほどニー。一曲、イカがデスか?」


「いや、いらないな」


「ザンネンデース」

 大きな体を縮め、ショボーンとするルイ。


 彼の趣味は、自作の歌を歌うこと。

 体躯も大きいので、その声量はすさまじいものがあった。



 バァンはけらけらと笑いながら、ルイとともに屋敷のドアをくぐり、その中へと入っていった。



 さらに、三十の死体を運ぶ無言の男達も、彼等の後に続く。




 屋敷に入ってロビーを抜け、奥へ進んだところに、エレベーターがあった。


 バァンとルイはそれに乗り、地下を目指す。



 地下に降りるとそこは、洞窟の中だった。


 人工的に掘られた洞窟。

 それが、鋼の格子で作られたエレベーターの仕切りから見える。


 そこは、発掘現場だった。

 木の足場が組まれ、黒い包帯を巻いた男達と、巻いていないが、手足に鎖をつけた男達が、つるはしやスコップをふるい、なにかを掘っている。



 それを、腕を組み、見物する男が一人。



 エレベーターを降りた二人は、その人物のもとへと向った。


 そこには、ふくふくとした、まるで巨大な狸のような男がいた。


 身長はルイと同じくらいの百九十センチはあろうか。だらしなく横に広がっている分、よりサイズが大きい。

 さらに、その服装、肌の様子から、その男はアズマと同じ人種に見えた。

 羽織と呼ばれる上着に袴をはき、羽織の背中にはでかでかと巨大な紋が刻まれている。


 ただ、サムライではないのか、刀はなく、かわりに扇子が帯にささっていた。



「ゴーダさん」

 名を呼ばれた男は、バァンの方へと振り返った。


「おお、バァンか。また、素材を見つけてきたのかね?」

「ええ。それと、報告があります」


 軽く片手を挙げ、挨拶を交わす。


 一応敬語ではあるが、態度は飄々としたいつものバァンのままだ。


「デスからバァンガイ……」


 ルイはその態度を見て、バァンをたしなめようとするが、ゴーダと呼ばれた和服の男に手で制され、頭を下げ引き下がった。



「で、なにかね?」


「ついに、あいつが来ました」


「ほう。『オオカミ』が、かね?」

「はい。『アーマージャイアント』です」


「やはり、きましたか……」


 男は扇子を顎に当て、ふむ。と小さく考えこむしぐさを見せた。


「もう少しあとだったらよりよかったのだが、まあ、頃合か。さすが『オオカミ』鼻が利く」


 ちらりと、掘り進めている人足達の方へ視線をむけ、洞窟の奥を見る。



「それで、どうだった? 旧い知り合いと再会した感想は」


 再び視線をバァンに戻し、ふくふくとした顔がにやりと笑う。



「相変わらずでしたよ。身を粉にして、誤解を受けても人を救う。その徹底した道化は、本当に変わっていない……」


 どこか懐かしむよう、バァンはその左手を見ながら、つぶやいた。



「でも、その強さは、昔とは段違いになっているでしょうね。そりゃ昔も鬼のように強かったが、今は、もっと強くなっている」


 そこまで言って、バァンはなにかに気づいた。



「おっと。鬼はあんたに使う言葉じゃなかったか」



 失敬失敬と、手をあげ、わびた。



「ふふふ。よい。ワシは気にせんからな」

「そりゃあよかった」


 狸オヤジがからから笑うのにあわせ、バァンも同じように笑った。



「ち、ちくしょう、もう嫌だ! こんな地獄、もう嫌だ!」



 突然、洞窟の奥からそんな叫びが上がった。


 鎖で手足をつながれ、つるはしを振り上げた男が、振り下ろすべき土の壁ではなく、バァンと話をしている男のもとへ走り、そこへ振り下ろそうとしていた。

 鎖でつながれ、走ることもままならないが、男は必死に、ゴーダの元へと走る。


「おやおや」


 ゴーダの反応は、冷ややかだ。



 それも当然で、つるはしを持った男とゴーダの間に、ルイが飛びこんだからだ。


 巨漢の体に似合わぬ俊足で間に立ちふさがり、ゴーダの盾となるよう、両腕と体を大の字に広げる。



「わあぁぁぁぁ!」


 男のつるはしが、間に入ったルイの胸板に突き刺さった。



 がぃん!



 それは、まるで鋼の板を叩いたかのような音だった。


「うっ、ああ……」


 男は、つるはしを取り落とす。



 なんと、そのつるはしの先端は逆に折れ曲がり、男の腕は、びりびりと痺れ、痙攣していた。



 渾身の一撃を放ったというのに、それは逆に、男の腕にダメージを与えただけという結果しか残さなかった。

 しかもルイは、その振り下ろされた部分を軽く手で払ったくらいで、全くの無傷であった。


 ぬぅっとルイの大きな手が伸び、手の痺れた男を、ルイが取り押さえる。


 両腕を背中に回し、そのまま床に押さえつけたのだ。



「ちくしょう! 殺せ! もういっそ、ころせぇ!」



 床に押さえつけられた男は、もがきながら叫ぶ。



 その眼前に、ゴーダは歩を進め、男を見下ろした。


「むしろ、お前さんは命を救われたのだよ? ワシは、一発食らえば、必ず一発返す。そうなればお前は、どうなっていたことか……!」



 ぞっ!



 殴りかかろうとした男は、ゴーダの姿を見て、恐怖の表情を浮かべた。

 顔色は青ざめ、目は絶望に染まっている。


 その迫力は、ふくふくとした狸オヤジから出るものではなかった。まるで、鬼にでもあったかのようだ。


「ひっ、ひぃ……」


 かたかたと、歯を鳴らし、さっきまでの威勢は、一瞬にして吹き飛んでしまっていた。



「それに、君が死んでも、誰も喜ばぬ。家族は路頭に迷うだけだし、彼等の仲間入りを果たすだけだ」



 扇子がさした先には、こんな騒ぎの中でも黙々と発掘を続ける、黒い包帯に身を包んだ男達の姿であった。


 さらに、エレベーターが開き、布で顔を隠した男達が、バァンに殺されたならず者達を運んでくるのも見えた。

 男達は、その『素材』を、発掘の進む洞窟の奥へと運んでゆく。



 それが、死んだ先にある、男の未来……



「あ、あああ……」


 男は頭を抱え、ガタガタと震える。死ぬことにさえ、恐怖を覚えた顔だった。



 死んでも、地獄。生きても、地獄……



 恐怖と絶望に歪んだ顔を見て、ゴーダは満足したようにうなずいた。



「ふふ。さあ、仕事に戻りたまえ。ワシはね。お前達のそういう顔が見たくて、お前達を生かしているのだから」



 声を上げ笑うゴーダ。


 他にももう一つ、使い道としての理由があるが、最大の理由は、街の人達が苦しむさまを見ることだった。


 解放された男は、足をふらつかせながらも、素直に作業へ戻って行く。


 唯一の希望は、この発掘が終わり、生きて解放される可能性しかないからだ……



 逆らう気は、もうないだろう。



 ゴーダは、そんな男の顔を見て、ニヤニヤと笑う。その絶望の顔を見るのが、楽しくて仕方がないという表情だ。



「さっすが」


 ぱちぱちと、その様子を見ていたバァンが拍手を送る。



「あんたとやるのも面白そうだが、それは終わってからだな」



「その通りだよ。まずは、当面の目標を駆逐することを考えてくれたまえ。そのために、君に声をかけたのだから」


「へいへい。それじゃ、あいつが来たことは報告したから、俺はもう行かせて貰いますよ」


「うむ。いきたまえ。君の戦いは邪魔しないよ。今の状況を存分に使い、是非『オオカミ』を倒してくれたまえ」


 男の言葉に手を上げ、バァンは去ってゆく。



「あ、お待ちくだサーイ。バァンガイ。地上までオトモしマース」

 ルイがどすどすと音を立て、バァンのあとを追ってきた。


 バァンはうっとおしそうに手を振るが、ルイはひるまずついてゆく。



 ゴーダは去り行くバァンの背中を見て、にやりと笑った。



 まるで、計画通りに話が進んでいると、ほくそ笑んでいるかのようだ。




 エレベーターが地上に向けて進む。


「んで、なんできたの?」


 エレベーターの入り口で、地上への階数を見上げていたルイへ、バァンが聞いた。

 バァンは、この男が理由もなく、あの主。ゴーダから離れるとは考えにくいと思ったからだ。



「そりゃあ、バァンガイ、あなたが倒れたあと、『オオカミ』サンが来た時の準備をするためデス」



 無邪気で口に指を当て、あっけらかんとしたあまりに身も蓋もない言葉に、バァンは思わず苦笑する。

 可能性として考えるのは正しいが、本人を目の前にして言う言葉でもないだろう。


 このアズマより空気を読まず、遠慮のない言葉を発するところが、バァンは好きではなかった。


 あっちは意図的だが、こっちは天然だ。なので、余計にタチが悪い。



「はっ。残念だが、その順番は回ってこないさ。あの小僧は、俺が殺すんだからな」


 ルイの言葉を鼻で笑い、その自信を覗かせる。



「それが一番デース。それでも、相手が相手。保険をかけるのは当然デショウ。勝負は時の……ハテ?」



 ルイが首をひねる。



「どうした? その言葉の続きなら、勝負は時の運。だぞ?」


「イエイエ。そうではなく。わたしが聞いたところによると、『オオカミ』は天にも届くような大男と聞きましたガ?」


 バァンの独り言を聞いたルイが、首をひねった。

 体の大きなスキンヘッドの男がとるそのしぐさは、可愛いではなく、どこか不気味だ。


 バァンは、その発言にため息をつく。



「そいつはガワの『アーマージャイアント』のことだろ。俺が言っているのは中身のことだ」



 伝説として語られる英雄『アーマージャイアント』は、巨人と見まごうサイズの大男である。だがそれは、カラクリ鎧であり、その中にあの小さなアズマが乗りこみ、操縦する。


 であるから、誰もあの少年が伝説の英雄だとは知らないし、そんな勘違いも生まれてしまう。



「お? おお。オー」


 首をもう一度反対側にひねったルイが、言われて納得したような声を上げた。



(仮にもアイツと争う一派の構成員なんだから、ちゃんと知っておけって)



 一度だけ、アズマに聞かされた、西へ向って星を救うという目的。その、星を滅ぼすというアズマの敵が、ゴーダ達の一派だ。


 なのにその構成員が、敵の顔もよく知らないとは、笑える話である。


 とはいえ、その敵にさえ顔を知らせないというのは、出会った敵すべてを抹殺し、情報が敵に渡らぬよう、完全に封殺している。という意味でもある。



(やっぱあいつは、おっかねぇな)



 だが、だからこそ、戦いがいがある……!



「さあ、アズマ。今回こそ、逃げずに本気で相手してもらうぜ!」


 男は、歓喜の喜びに唇を歪め、エレベーターを降り、再び屋敷から出てゆくのだった。



 開かれた扉より外に満ちる日の光は、とてもまばゆかった。




──街と現状──




「うっ……俺は……」

 宿のベッドの上で、ジャックは目を覚ました。頭を振り、体を持ち上げる。


 ぱさりと、かけられた毛布が体からすべり落ちた。


 状況を思い返す。



(ああ、そうか、またか……)



 ほんの少しだけ流れた、アウトローの血を見て、自分は気絶したのだと思い出した。


 手を頭に当て、気持ちがずーんと沈む。



 本当に、厄介なトラウマだ……



「ああ、目を覚ましたか」

 桶とタオルを持ったリゥが、部屋に入ってきた。


 どうやら水を入れ替えて戻ってきたばかりのようだ。



「一つ聞いてもよいか?」



 部屋にある机へ桶を置き、リゥはジャックを見据え、そう言った。


 その瞳は、しばらく前の半信半疑を払拭し、今は確信しているようなまなざしだ。

 ジャックからの返答はない。だが、リゥはそのまま続けた。


「……血、なのか?」


 リゥがこうしてジャックの気絶を目の当たりにするのは二度目である。

 その時の状況から、彼最大の弱点とも言えるトラウマを推測していた。



「ちっ」

 肯定も否定もせず、ジャックは舌打ちをして、視線をそらした。それは言外に、肯定と認めているようなものだった。


「……これは、アズマも知っているのか?」

「ああ。知ってるよ」


 このリゥの言葉で、アズマは彼女に話していないことがジャックに知れた。彼女もアズマと同じように、倒れたジャックを見て、推論を重ねた結果なのだろうと、彼も推測する。



「……こいつは、あいつにも言ってねえことだが、俺は過去に暗殺騒ぎに巻きこまれて、死にかけたことがある。おかげで血がトラウマになって見ると意識を失っちまうんだ……」


 ついでに、暗殺が嫌いなのもそれが原因だ。


「そうか」

 リゥは小さく、頷いた。



「……笑うかよ?」



 ふてくされたように、ジャックはそっぽを向いたまま、口を尖らせる。


「? なぜじゃ?」



 だが、返ってきたのは、また、予想外の言葉だった。


 かつて、あのサムライと出会った時と、同じような。



 明後日の方向を向いたまま、ジャックは思わず目を見開いた。



「むしろ、感心している。そんなハンデを背負いながらも、あれほどの腕を磨いているというのは、驚嘆に値する男じゃよ。お前は」


 彼女の声に、笑いは欠片もなく、至極真面目な声だった。


 それは、前にアズマがしたのと同じ反応だ。



「ちっ。くそっ。この、似たものコンビめ」


 小さくそんなことをつぶやいてから、彼はまた、ふてくされたように毛布をかぶりなおした。



「あいつと似たものとは、失礼な男め」



 口では怒ったような言葉だが、その実は、そう悪い気はしていないリゥだったりする。が、壁の方へ寝転がったジャックにその姿は見れなかった。



「まあ、もうじきアズマが食事を運んでくるだろうから、もうしばらく寝ていろ。栄養が悪ければ、気絶の時間も長くなるかもしれんからな」


「ふん」




 一方。


 階下、一階にてトレイに乗せた食事を運ぼうとするアズマへ、宿の女主人が声をかけていた。



「いやー、あんた、あの人の知り合いなんだってね?」

「そうだよー」


「毎回ああいう手合いが出てくると、いつの間にか現れて、ああして追い払ってくれるのさ」

「バアさん喧嘩好きだからねー」


「そうそう。それでなぜか毎回ミルクを一杯飲んでね」

「ミルクはみんな好きだったからねー」


 女主人の言葉に相槌を打ちながら、アズマはカウンターに並べられた料理や飲み物をトレイに乗せている。

 なぜか無駄に器用な手つきで、蕎麦屋の出前のような三段重ねの塔を作っていた。


 それゆえ、返答は間延びした受け答えになっている。


「お屋敷には行くのかい?」

「たぶんねー」


「そうかい。なら、その時にいつも感謝してるって、伝えておいておくれ」

「へーい」


 トレイタワーも完成し、バランスを確かめる。



 その最中……



「ねえ、おかみさん」

「なんだい?」



「そんなに、出て行って欲しい?」



 ポツリと発せられた一言。



 その、アズマの言葉に、女主人の作り笑いが、一瞬乱れた。



「な、なにを言っているんだい。あの人の知り合いなんだろ。なら、いつまでいてもらってもかまわないくらいさ!」


「マジで!」


 乱れたのも一瞬で、女主人はすぐ表情を建て直し、笑顔に変える。知らぬ者が見ていたならば、見落としていたほんの一瞬の動揺だったろう。

 アズマの方も、その一瞬に気づかなかったように喜んでいる。



(よかった。気づかなかったみたいだね)



 女主人は、心の中で安堵した。万一そんな本音がむこうに伝わってしまったら、大変なことになる……

 なんのために、心を鬼にして媚を売っているのか、わからなくなってしまう。



(とにかく、気づかれなくてよかったよ)



 内心。冷や汗をたらしながら、そう思った。




 アズマはいやっほいと喜びながら、両手に三段重ねのトレイを持って、階段を駆け上がっていった。

 部屋の前で一度立ち止まり、真面目な視線を、階下にいる女主人の方へと向ける。


 当然、アズマが一瞬の動揺を見逃しているはずはなかった。


 気づいていて、あえて追求しなかったのだ。



 ふむ。と可能性を考える。



 すると、外にアズマがいるのに気づいたリゥが扉を開け、顔を出した。


「どうした?」

「ん? ああ。ちょっとねー」


 向けた階下の視線に気づき、問うたリゥへ、あいまいな返事を返す。


「……ひょっとして、あの女主人のことか?」


「あ、リゥも気になった?」


「当然だ。ワシはお前より正確に人の嘘が見抜けるのだぞ?」



 リゥは心の真贋を読むことのできるエルフの秘術が使える。そんなリゥに、嘘やごまかしは通用しないのだ。



「とはいえ……」

「うむ」


 嘘がわかったとしても、話してもらえない真実がなんなのかはわからない。

 今の状態では、なにか言いたくない秘密がある。としかわからないのが現状だった。


 そしてなにより……



 ぐー。



 アズマのおなかが、自己主張の音を立てた。

 ついでに、リゥのお腹も、つつましい主張をしている。


「……」


 リゥが、その頬を赤く染めた。


「ご飯、食べてから考えようか」

「そうじゃな」


 リゥはアズマの頭の上にあるトレイタワーを見上げた。


 当然料理に毒など入っているわけがない。

 女主人の言動からして、むしろ満足して波風立てることなく去って欲しいことがうかがえるからだ。




 部屋に食事を運び、テーブルを中央に移して和気藹々とした──


「てめえ! それ俺のだ!」

「早い者勝ちですー」

「もっと大人しく食えお前達!」


 ──食事も、終わりを告げた。



 殺伐、違うヨ。



「満足満足」

「あー、食ったー」


 腹をポンポンと押さえるアズマと、椅子に体を預け、足を伸ばすジャックがいる。


「味はなかなかよかったのう」

「個人的にはリゥのが上かなー」


「な、何故そこでワシを例えに出す!」



 不意打ちで褒められたリゥは、思わず顔を赤らめ、腰を浮かしてしまった。



「ん? なにが?」

「い、いや、なんでもない……」


 追求しようとも考えたが、これ以上言われたら余計に混乱するので、すとんと座りなおし、居住まいを正した。

 さらにアズマから視線を外し、明後日の方を見て心を落ち着ける。


「にひひ」

(絶対笑ってる……! 絶対からかってる……!)


「シチューはメラインシティの方がうまかったな」

「あれはまた別格だったからねー」


 メラインシティとは、ジャックとアズマ達がはじめて顔をあわせた街のことだ。詳しくは第三話参照である。



「……実を言うとな、あの秘密のレシピ、教えてもらっているぞ」



 そっぽを向いていたリゥが、ぽそりとつぶやいた。



「マジか!」


 ジャックがその言葉に反応し、だらりとしていた頭を上げる。



「手間と暇と時間と調理器具と材料全てが必要じゃがな」


 はっきり言えば、あのレベルの煮こみ料理を器具もない旅先で作るのは無謀といえた。



「んだよ。期待しちまっただろ」

「じゃっくんあのシチューお気に入りだったみたいだしねー」

「あのパンと一緒に食べるの、最高だったからなー」


「……」


「なんでお前少し赤くなってんだ?」

 ジャック、あのパンリゥが作ったことを、すっかり忘れているようだ。


「ま、まあ、機会があれば挑戦してやろう」


 うつむいて赤くなったリゥが、小さく咳払いをし、また明後日の方を向きながら言う。

 もっとも、ことことと溶けるほど牛肉を煮こむことになるので、なかなか機会に恵まれそうにないのが難点だが。


「そっかー」


 再びだらりと、ジャックが椅子に体を預けようとする。



「……」


 すると、アズマがちらりと窓へ視線を向けたのが、ジャックの目に入った。


 リゥも同じくアズマの行動に気づき、そちらへ視線を送る。

 視線の移動の間に、沈黙が訪れた。



 すると……



「まってよー」

「うるさい。ついてくんな」


 部屋の窓の下。


 宿の横にある路地から、ひそひそと声を潜め話す子供の声が響いてきた。

 ひと時生まれた注目で、沈黙が生まれていたから聞こえたほどの小さな声である。


 なにより、彼等が騒いでいれば、下の声の主たちも声など出さなかっただろう。



 部屋の三人は何事かと、こっそり窓から顔を出した。



 窓の下には、リゥの外見年齢より少し年下。

 八、九歳くらいの男の子と、女の子が一人ずついた。


 身をかがめ、物陰に隠れるようにして街の外へ行こうとする少年と、そのあとを子ガモのようについて歩く少女が。


 当然上から見ている三人から、その隠伏は丸見えだ。


「今から俺は、とうちゃんを助けに行くんだから、ついてくんなよ」

「やだ。私もいくの。私だって、パパ助けるんだから!」


 ひそひそと小声だった少女の声が。感情のあまりか、その主張だけ大きくなってしまった。



 とさっ。



 路地の入り口で、なにかが落ちた音が聞こえた。



 全ての注目が一度、そちらへ集まる。



 そこには、宿の女主人が驚いた顔をして立っていた。


 それは、宿の女主人にしてみれば、偶然だった。

 たまたま裏手にゴミを捨てるため、そこを通りかかったのだ。そして、声を聞いた彼女は、そこで秘密の会議をしている男の子と女の子を見つけてしまったのだ。



「やっ、やばっ!」


「ま、まちなさい!」


 大人に見つかったことに気づいた男の子は、女の子の手をとり走り出した。


 男の子と女主人の追いかけっこがはじまる。



 やはりこの街にはなにかある。そう直感したリゥは、窓から身を乗りだし、飛び降りようとするが、さすがに二階の高さからぽーんと身を投げるだけの身体能力を、彼女は持ち合わせていなかった。

 いくらおせっかいな彼女でも、自分の身の丈を超えた行動は不可能である。


「ちっ」

 だが、隣のガンマンは違った。


 リゥと同じように、追いかけっこがはじまった瞬間、舌打ちとともに窓から身を乗り出し、そのまま飛び降りてしまったのだ。

 地面に両足から落下し、さらに前転し、衝撃を逃す。


 リゥとは違い、高い身体能力を持つジャックだからできる無茶だ。



「というかなんでお前が!」

「なんとなくだ!」


 上から降ってきた疑問にそう短く答え、ジャックは走り出していた。



「なんとなくって、なんじゃそれは……」



 ジャックの返答に、リゥは呆れる。


 リゥが飛び降りようとしたのは、この街や女主人がなにか秘密を隠していると疑問に思っていたからだ。

 当然困っているならば助けたいというおせっかいからでもある。


 だというのにあのガンマンは、なんにも知らないのに『なんとなく』で追いかけていったのだから、呆れるしかない。


 横を見れば、アズマもすでにいない。いた場所の窓枠には、『待ってろ』というメモ書きが挟みこんであった。

 リゥはそれを見て、ドアから飛び出し、追いかけっこに参加するのを思いとどまった。


 アズマも行ったのなら、心配はないからだ。



 だが、ただ待つだけというのも性に合わない。なので、リゥは待つついでに、食器を片付けはじめるのだった。




 裏路地を必死に逃げる少年少女と宿の女主人の追いかけっこ。

 軍配は残念ながら、追いかける女主人に上がった。


 女の子の手をとり逃げる、男の子の手を掴み、捕まえる。


 それでも逃げようとする男の子を、女の子ごと、大きく広げた手が包みこんだ。



 女主人は、二人を同時に、抱きしめたのだ。



 膝をつき、頭の高さをあわせ、ぎゅっと、二人を逃がさぬよう、抱きしめたのだ。



「ダメだよ。ダメ。気持ちはわかるけど、ダメなんだ……」



 声を殺し、必死に子供達へ訴えかける。手に力が篭るが、子供達に傷みを与える強さではない。その声は、必死に怒りを堪えている感情がわかるが、その怒りの矛先は、子供達に向いていないことがはっきりと感じられた。


 不甲斐ない大人や、どうしようもない自分達。


 そう言い聞かせることしかできない、自分への、怒りにも思えた。

 その感情が伝わったのか、男の子と女の子も抵抗をやめ、しょんぼりとうつむいた。



「……ごめんなさい」



 女の子が、泣き出しそうな声で、つぶやいた。


「いいんだよ。でも、もうダメだよ。もし見つかったら、あんたらのお父さんも、おじいちゃんも、ただじゃすまないんだから……」

「うん。でも……」


 女の子は、眉を八の字に下げ、瞳に涙をたたえていた。今にも泣き出しそうだ。



「気持ちは、痛いほどわかるよ。でもね、今は耐えるしかないんだよ。そうすればいつか……!」



 それは、淡い期待だ。だが、可能性がないわけではない。

 その時まで、今は我慢、と、女主人は泣きそうな女の子を優しく抱きしめた。


「うん……」


「あんたも、わかったかい?」

「……うん」


 ずっとうつむいていた男の子に向かい、女主人が微笑むと、男の子も同じように、頷きを返した。



「ありがとう。よかったよ。あんた等が、強い子で。それに、いつか必ず、アンタのお父さんも、おじいちゃんも、あの人も解放されるから」



 子供達を優しく包みながら、女主人は優しく言葉をつむいだ。

 その言葉に、子供達がもう一度頷いた直後……



「話は聞かせてもらった」



 女主人の背に、そんな言葉が降り注いだ。

 彼女はぞっとした表情を浮かべ、少女達を背に隠そうとするが、さらに背後。元は正面からも、なにかが姿を現した気配がした。


(挟まれた!)


 子供達を路地の壁に動かし、自分の背中で守るようにして、腕を広げた。

 そこにいたのは、あの男の知り合いであるアズマと、気絶して宿の部屋にいたはずのガンマンだった。


 あの男にゆかりのある者達に聞かれてしまった。



 このままでは、自分はおろか、子供達やその家族にまで迷惑がかかる……!



「? おい」

 ガンマンが、手を伸ばし、近づこうとする。

 それに反応したのは、男の子だった。


「ち、近づくな!」


 なんと、背中に隠していた銃を取り出し、若いガンマンへ向けたのだ。子供の手には余りある、大きな銃。きっと、家にあった父親のものなのだろう……



「や、やめるんだよ! お願いだよ。私はどうなってもいい。だから、この子達は、この子達だけは……!」



 子供達を抱きしめ、女主人は、必死の懇願をはじめる。

 あいつらに慈悲は期待できないかもしれない。それでも、この小さな子だけは守ろうと……!



「……え、えーっと……」


 だが、一人困惑するのは、赤いマフラーをたなびかせる、金髪のガンマン。ジャックであった。



 助けになろうと声をかけたのだが、なぜか、敵と思われ命乞いをされていた。


 なんで? と、同じく追いかけてきたアズマへ視線を向けると……



「くっくっくっくっく」


 なぜか腕を組み、悪そうに高笑いをあげているアズマがいた。



「そうか。どうなってもいいか。ならば、我の言うことを聞くがいい!」



「なっ!」

 なぜか、とんでもないことを言い出すアズマに、ジャックも思わず絶句する。


 女主人達も、ぎゅっと身を寄せ合い、覚悟を決めた。



「よいか女主人よ! この街でなにが起きているのかを素直に話し、そして快くこのガンマンとあの宿にいる小娘に助けを求めるがいい! いいな!」



「は?」

「へ?」


 くわっと高らかに宣言したアズマの言葉に、女主人もジャックも、目を点にしてポカーンと口を開けるしか答えは返せなかった。

 予測と正反対の答えが返ってきたからだ。


 唯一なにも知らない子供二人が、希望の光を目の当たりにしたかのように、目を輝かせたのである。



「つーわけで、詳しいことをお話してもらいましょっか」


 くるくるっと人差し指で空中に円を描き、アズマは悪戯小僧らしい笑みを浮かべたのであった。




 あの場で話すのもなんだし、リゥも宿に待たせたままなので、一度宿の食堂へと戻ってきた。


 女主人も半信半疑だったが、この状況で逆らっても寿命が縮むだけなので、彼女は大人しくしたがった。

 さらに、子供精神旺盛なアズマは、一瞬にして子供二人の心を掴んでしまったので、抵抗することさえできない。


 子供達はカウンターに座らせ、オレンジジュースとミートソースを与え、出迎えたリゥをふくめた三人に街の事情を話すこととなった。



「でも、その前にちょっといいかい?」

「ん? なーに?」


 子供達から離れたカウンターに陣取った三人へ、女主人が問う。



「あんた達は、何者なんだい?」



 冷静に思い返してみれば、あいつらの仲間ならばこちらの事情を聞く必要などはない。


 ひょっとしたら。という思いが芽生え、彼女はそう聞いてみたのだ。



「ふふ。良くぞ聞いてくれました!」



 アズマが鼻息荒く立ち上がる。

 次いでリゥも懐に手を入れ立ち上がった。


「それはもうやるな!」

「そう。この右……てぇ!」

 いつものサンダラー放り投げガンマン主張をしようとするアズマの後頭部を、リゥのハリセンが襲った。



 もう流れがしっかり決まったコントのようである。



「ぶすぶすぶす……」

 頭からほんのり煙を上げ、アズマは床につっぷすのであった。



「見ての通り、ただのスカタンだが、一応五十人程度のならず者など相手にならん実力者じゃ」



 説得力はまるでないが!



 当然、そんな説得力のない姿を見せられ、納得できるはずがない。

 女主人は小さくため息をついて、それを場を和ませようとしたジョークと判断し、小さく笑った。


「はは。それは心強い話だね。でも、そもそも無理さ。あの屋敷にはね、千人近い傭兵がいるんだから」

「なっ!」


 その人数に、リゥも驚きを隠せない。



「驚くだろう? いくらあんな大きな屋敷だからといって、千人も養う広さがあるわけじゃない。それでも、千人は居る数で、歩いている姿が見かけられるのさ」



 時折、街の外れで軍事行動のような演習が行われているのが、街の者に目撃されている。

 正確な数はわからないが、千はくだらない数がいるのは間違いないのだ。


「ふふ。怖気づいたのなら、いいんだよ? そのまま話を聞かず、おしまいにしても」


 彼女は、どこか諦めたような目で天井を見上げた。



 ジャックの方は、千人という人数に驚きもせず、カウンターに出された飲み物を飲んでいる。この無謀を絵に描いたような若者は、どれほど多くの敵がいたとしても恐れは抱かないようだ。


 リゥは、ジャックへ視線をめぐらせた後、ちらりと、倒れたアズマを見た。



 すると、その視線にあわせたように右手が動き、力強く親指を立てる姿が目に入った。


 つまり、その千人にも勝てるという意思表示である!



「いや、大丈夫じゃ。続けてくれ」


「……わかったよ」


 それでもひるまない三人を見て、女主人は覚悟を決め、事情を話すことにした。


「でも、お願いだから、無理はしないでおくれよ……」



 そう、最後の断りを入れ。



「街外れの豪邸を見たかい?」

「ああ」


 食堂の中、その屋敷のある方向へ視線を向けた女主人に追従し、リゥもそちらへ視線を向けながら頷いた。



「あくる日、いつの間にかあそこに建っていたんだよ。新しい産業を作り出すとかなんだとか言ってさ、石切り場の男達を連れて、発掘をはじめたんだよ」


 その時は、傭兵などは連れておらず、数人の召使をつれ、その男は現れた。

 このあたりの産業は、採石場の石くらいしかなかったのだが、その男が言うには、この街の近くにはとんでもないお宝が眠っているのだという。


 石の切り出しの倍以上の給金が支払われ、街が活気だつと期待された。


「最初はよかったんだが、しばらくして、あいつ等は本性を現したのさ……」



 採掘の現場。掘られた洞窟の中で、金属の壁が見つかったという話が浮かんだ。



 そこから、状況が一変する。



「街の男達は、家にも帰されずに働かされるようになり、私達は人質として、ここに住まわされているのさ。あの人達が人質になり、私達も逃げることはできず、私達がいるから、あの人達は逆らうこともできない……」



 人足としての男達には街が。街に残された者達には男達が、それぞれ人質なのだ。

 これでは、どれだけ反逆の意思があろうと、抵抗はできない。


 男は、この街を完全に支配した。



 そして、その証として、街の名を自分の名を冠した、『ゴーダタウン』へと変えた。ここがまるで、自分の所有物であるかのように……



「そうか……」

 これで、彼女達の態度も納得がいった。


 下手に助けを呼べば、自分達の大切な者が傷つけられてしまうのだから。

 だが、それだと一つ、納得がいかないことがある。



「ならば、なぜ、あんな噂などが流れる?」

 そう。それは、あのアウトロー達がやってきた理由である、この街でのもうけ話の噂。


 街全体を人質にとっているのだから、話が外に漏れるというのも、おかしな話だ。



「それは、こっちもわからないよ」

 女主人は、首を横に振った。


「でも、あの噂が流れてから、街にはならず者や、その発掘目当てにやってくる人が増えたわ。でも、屋敷に向った後、誰も帰ってこなかった……」

「……」


 リゥもアズマもジャックも、無言で女主人の言葉を聞いている。



「どうして噂が流れているのかはわからないけど、きっと、発掘に使われているんでしょうね」

「じゃろうな……」


 理由を考えれば、それ以外に考えられない。この街の男だけで足りないから、旨みのある噂をわざと流し、いなくなってもおかしくない者達を人手に使っているのだろう。



「あの人達は、ばらばらに、不定期に、私達に顔だけ見せに戻ってくる。だから、私達は辛くても、耐えるしかない。あの人達が、無事に戻ってくると信じて……!」


 戻ってくるたび、街の男達はボロボロになっていく。

 疲労と、怪我で。


 まるで、奴隷のようにこき使われているのが目に見えた。



 このままでは、いつか彼等は、死んでしまうだろう……!



 なのに、彼女達は、なにもできない。すれば逆に、この街がなくなってしまうから……!

 いつの間にか集められた、千人近い傭兵に蹂躙されてしまうから……



 女主人は、苦しそうに、今まで誰にも話せなかったことを、吐露した。



「……」

 リゥは、この苦しさを知っている。

 圧倒的な力で街を支配しようとするヤツと、彼女も戦ったことがあるからだ……


「……そうか」


 話を聞いたジャックが、ゆっくりと立ち上がった。



 ここでかっこよく、「俺達に任せろ」と宣言するつもりなのだ!



「わかった。ならば、ワシ等がどうにかしよう!」


 が、言葉を発する前に、リゥが高らかと宣言してしまった。

 やる気満々の彼女に、女主人の視線も向く。


「ほ、本当なのかい……?」


 希望に満ちた視線が、リゥへ注がれた。



「ああ。もちろんじゃ!」



 リゥが力強く頷く。それは、この街にとって、大きな希望の光のように、女主人の目に映った。



 ちなみに、ジャックはゆっくり無言で、元いた席に腰を下ろした。


(ぷっ、くくく)


 どこかで声を殺して笑っている声が聞こえた気がするが、きっと気のせいである! なので、後ろで転がる異邦人へ木製のコースターをぶん投げるのもなんら不思議ではない!



「でも、あの男と、あんた達は知り合いなんだろう? だったら……」


 希望の光が見えた気がしたところで、女主人はその事実に気づいた。


 あの屋敷の用心棒。バァンと、リゥの仲間。アズマ。この二人は知り合いだ。

 知り合いと戦うことになるというのは、辛い。それでもいいのかと、彼女は心配してくれているのだ。


「むっ……」


 リゥも、彼女に言われ、アゴに手をあて考えた。


 相手はアズマの元仲間。『マシンビースト』などとも呼ばれる伝説の小隊の一人だ。知り合いということを差し引いても、相手にするのは避けたいところだった。

 そこまで考え、ひらめくものがあった。



「いや、待て。そもそも、あいつはアズマの知り合い。ならば逆に、ワシ等やお前達の助けになるかもしれん」



「……あっ、確かに!」


 アズマの説得に応じて、彼も住民側に力を貸してくれるかもしれない。それならば、とんでもなく心強い援軍となる。

 思わず嫉妬してしまうかと思うほど仲のよい二人なのだ。応じてくれる可能性も高い!


 女主人もその希望に気づき、嬉しそうに手を叩いた。



 二人の視線が集まったアズマの体がむっくりと起き上がる。


「んー。無理じゃ……ない……いや、でも、説得してみる価値は、確かにあるか……」


 一瞬否定しようとしたようだが、そう言われればといった風にアゴに手を当て、価値はあると思いなおしたようだ。

 可能性の上では、確かにゼロではない。



「とはいえ、最初にやるのは人質の解放からだけどね」

「それはその通りじゃな」


 アズマの言葉に、リゥもうなずいた。


 アズマが正面突破すれば、勝てる可能性は確かにあるかもしれないが、街の男達という人質がどうなるかわからない。

 ゆえに、最初に考えるのは、街の男達の解放が最優先となる。



「まー、お前なら前みたいに潜入できるんじゃねーか?」



 これは、やっとちゃんと口を開いたジャック。

 前みたいにというのは、自分と初めて出会った時、ならず者のドゥーン一家へ忍びこんださい、気配を消して誰にも見つからず偵察してきた実績があるからだ。


「それもいい考えだけど、相手にバアさんいるからねー。正面からはけっこー難しいと思うなー」

「あー」


 リゥが、納得したようにつぶやいた。


 アズマとバァンの正体を知るリゥだからできる、納得の頷きであった。

 仮にもバァンは、アズマと同じ伝説の英雄。アズマとて一筋縄ではいかない。


「ならなんとか説得しろ」

「それはがんばるけど、皮算用はいくないよ」


「ちっ」


 確かに、失敗すれば人質の命が危なくなるのだ。見こみだけで動くのは、大変危険である。

 アズマに言われたのはしゃくだが、正論なのでジャックは、ひとまず大人しく引き下がった。


 隅っこで大人しく、ミルクをすする。



「しかし、いかんせん発掘となると、洞窟内じゃろうからなぁ」

 男達を逃がすにしても、なにをどうするにしても、潜入しなければはじまらない。


 だが、洞窟というところは入り口が限られている。そこへ潜入するのは、容易には行かないだろう。



 そこで再びジャックが立ち上がった。

 そう。「ならば俺が金目当てでやってきた人手として行こうじゃないか」とかっこよく言うつもりなのだ!



 危険な潜入を引き受けようというのだ!



「正面からじゃダメならさー」


 だが、今度はカウンターから幼い声が響いてきた。

 二人でオレンジジュースとミートソースに舌鼓をうっていた男の子が、声を上げたのだ。



「わたしたち、他に入れるとこ、知ってるよ」

 続いて、女の子が続ける。



「え?」

「本当か!」


 その言葉に、リゥと女主人は子供達の方へ振り返る。



 ちなみに、ジャックの座っているカウンターは、子供達とは反対側! 二人の女性の視界外だ!



「……」


 なので大人しく、ジャック、座る。


(ぶくく!)


 声を殺した笑いが再び響いたのは、もちろん気のせいである! なのでジャックはシャドーボクシングをはじめるが、決して後ろの異貌の装束を纏った少年を殴るためではない。決して!

 さらに関係ないが、すでにジャックもバァンに顔を見られているから、潜入は難しいなんて……ないよ!



 男の子と女の子が言うには、街から出てしばらく行ったところに、その洞窟からの空気穴があるのだという。


「木と岩があるところの下に、小さく穴が開いてるんだ。そこから、おれたち、入って見たんだよ……」

 しばらく前に、その空気穴から入り、父親が酷い目にあっているのを目撃したことがあるというのだ。


 鞭で打たれ、発掘を強制される、そのさまを……



「だから……!」


 ギュッと、オレンジジュースの入ったカップを握る。

 女の子も、思い出してうるりと瞳に涙をためる。


 確かに、そのような惨状を目撃していては、いてもたってもいられないだろう……



 ゆえに、背中に父の銃を持ち、助けに行こうとしたのだ。



「とうちゃん。手も足も鎖でつながれて、延々と穴を掘らされているんだよ。ゆるせないよ!」


 とはいえ、たった一丁の銃でのりこもうなど、無謀極まりない。



 響いた、切なる少年の怒りに、食堂に沈黙が舞い降りた。

 それは、反抗したくともできない、力なき少年の吐露。涙を浮かべ、拳を握る少年に、場にいる者は、かける言葉も見つからない……



 シャドーボクシングとシャドー回避を行っていたガンマンズの動きも止まる。



 そして、アズマは入り口へ、ジャックは、少年の頭をなで、入り口へ歩き出した。



「そこまでわかりゃ、十分だ。あとは任せろ。お前のオヤジも、街の男達も、俺がみんな助けてやる!」



 入り口に立ったジャックが、子供達へ向け、笑顔で言い放った。


 アズマはなにも言わないが、笑顔で中の三人へ視線を送り、ひらひらと手を振って外へ出て行った。

 ジャックも、呆然と見送る子供達の視線に見送られながら、外へと出てゆく。



 あまりに突然すぎて、女主人も子供達も、反応することができないようだ。


 当たり前だ。あんな話を聞いて、こんなあっさりと、あんな言葉を言って行こうとする奴等が居るなんて、誰も思わない。



「ったく。いきなりすぎじゃろ」



 いきなりの行動に、苦笑し、リゥも二人のあとを追いかけていった。

 リゥが宿から飛び出したあと、はっと男の子が気づく。



「う、うん! おにーちゃん、お願いします!」


 少年は、できる限りの大声で、声援を彼等の背中へ送った。


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