亡きその子に捧ぐは青春を彩る水彩画
「先生、この学校の七不思議に遭遇しました」
「ああそうか」
放課後の教室でクラスメイトの雫は、担任に七不思議の一つに遭遇したことを伝えた。
それは放課後になると、誰もいないはずの美術室から悲しげな声が聞こえるという内容だった。
担任の先生はそんな雫の言葉を適当に聞き流した。
バカらしいと思ったからだ。
「ねぇ、二人とも聞いた?」
「聞いた聞いた」
「笑っちゃうよね!」
廊下で雫の話を盗み聞きしていたのは、人をからかうのが大好きな悪戯娘の優香だった。
友人二人を含む彼女たちは、霊的な存在を微塵も信じていない。
だから七不思議を真剣に語る雫が、滑稽な存在に映っていた。
「いいこと思いついた!」
優香はニヤニヤしながら、スマホをカバンから取り出した。
「ねぇ、いいこと思いついたから二人とも協力してよ!」
「雫に何する気なの?」
「いじめに加担するのは嫌だよ」
「そんな酷いことはしないって!ちょっとからかうだけだよ!」
優香はこれまでに度が過ぎて相手を怒らせてしまうことが度々あった。
だから二人の友人は、すぐに協力するとは言わなかった。
いじめの加害者になりたくないからだ。
だが、話を聞くことは拒まなかった。
そんな二人に向けて、優香は悪戯の計画を話し始めた。
①「たすけて」というセリフをスマホに録音する。
②録音した音声を着信音に設定する。
③自分のスマホを美術室の見えにくい場所に隠す。
④放課後の美術室に雫を呼び出す。
⑤そのタイミングで友人二人のどちらかに、電話を鳴らしてもらう。
⑥幽霊と勘違いした雫に後日ネタバラシをする。
⑦やっぱ幽霊なんていないんだよとからかう。
という流れだった。
「面白そうでしょ?」
「ほんと小学生みたいなことを考えるよね」
「言えてる言えてる」
「えー、面白そうじゃん!」
「あはははっ」
優香のアイディアは呆れるほどに幼稚だった。
だからこそ遊びの範囲を逸脱していない──そう思った二人は優香の悪戯に付き合うことを決めた。
二人の協力が得られた優香は、放課後になると駆け足で美術室に向かった。
先に自分のスマホを隠すためだ。
それからしばらくすると雫が姿を現した。
「えーっと、話って何かな?」
雫はこれまでに優香と話したことがほとんどない。
だから、自分を呼び出した優香のことが怖かった。
そんな不安を抱きながら質問した雫に、優香は笑いながら答えた。
「あたし聞いちゃったんだよね。ここに幽霊がいるって話」
雫はすぐにからかう目的で呼び出されたことを理解した。
けれどもそれだけの意図だと分かった雫は、ホッと胸を撫で下ろした。
「たすけて……」
美術室に助けを求める声が響き渡った。
その声はもちろん優香が自分で録音したものだ。
友人から届いた着信に、優香はニヤりと表情を歪めた。
一方の雫は突然聞こえてきた声に、ドキッとした表情を見せた。
「優香さんも聞こえたよね?」
「え、何が?」
優香は幽霊を信じる雫を変人扱いするため、わざと聞こえないフリをした。
「え~」
雫は聞こえてきた音声の正体に気づかなかった。
作戦は成功だ。
「あはははっ、やっぱ変な声が聞こえるのって雫だけじゃん!」
「む~」
雫は不満そうな表情を浮かべた。
「あたしが確認したかったのはそれだけ」
悪戯に成功した優香は、(建前上の)用件が済んだことを雫に伝えた。
「じゃあ、もう帰っていい?」
「いいよー」
「分かった。じゃあね」
雫は美術室を後にした。
優香は彼女が部屋を出ていったことを確認すると、自分で隠したスマホの回収をした。
そして、出入り口に向かって歩こうとしたその瞬間だった。
「かえして……」
優香は悲しげな声を耳にしたのだ。
彼女は慌てて後ろを振り返ったが、そこには誰もいない。
(いるはずないよね)
優香は恐怖心を抑え付けるように、自分へと言い聞かせた。
だが、その声は再び彼女の耳へと響いた。
「かえして……」
「こ、これはあたしのだから!」
優香は声を震わせながら、誰もいない美術室で声を上げた。
返答はない。
その静寂さえもが怖かった。
何せ会話が成立しないのだから……
優香は冷や汗を掻きながら美術室を抜け出すと、待たせていた二人の友人と合流した。
「遅かったじゃーん」
「もしかして優香も幽霊に会っちゃった?」
「かもしれない……」
「えっ……」
「まじで言ってるの?」
二人は唖然とする。
優香は幽霊の存在を信じるような人間ではないからだ。
「私たちも入ってみる?」
「そうだね」
「えー……」
優香はもう美術室に入りたくなかった。
けれどもそんな彼女をからかうように友人二人は優香の腕を掴んだ。
「えっ……」
「じゃ、いこっか」
「だね」
「やめてって!」
そして二人は優香を引っ張りながら、美術室へと入っていった。
「やっぱいつもの美術室だよねー」
「そりゃそうでしょ」
優香の不安をよそに二人は呑気にくつろぐ。
必死に冷静を装っていた優香だが、その声はまたも彼女の耳に響いた。
「かえして……」
しかも、友人二人は気にも留めていない。
「二人も聞こえたよね?」
「えっ?」
「何が?」
「はあっ、嘘でしょ……」
優香は動悸が止まらなかった。
さっき自分が雫をからかったときとは違う──あの二人は本気で声が聞こえていない。
そう理解した矢先、優香の視界に映っていた景色はゆらゆらと歪み、やがて目の前が真っ白になった。
そして気が付くと、教壇の付近に同じ制服を着た見知らぬ少女が立っていた。
きっと彼女こそが不気味な声の主だ。
「え、ちょっと待って、助けて!」
優香は必死に逃げ出そうとするが、まるで全身を締め付けられているかのように体が動かなかった。
しかもさっきまで隣にいたはずの友人二人は見当たらない。
怯える優香のもとに、幽霊らしき少女はじわじわと距離を詰めてきた。
「あ、あたしに返せるものなんてないからさ!」
優香は少女に会話を試みる。
「……ベルを返して……」
「ベル?」
「ポケベルを返して……」
「なにそれ?」
優香は混乱していた。
彼女はポケベルなんて知らない。
「私のポケベル……」
少女は、優香のカバンを漁ると中に入っていたスマホを取りだした。
「ふふふっ、私の……」
「それは私のスマホだよ!」
少女は優香のスマホを覗き込んだ。
けれども少女はすぐにスマホを手放し、カバンの中へと戻した。
「違う……」
少女はそう口にして、目の前から消えていった。
「うっ……」
立ち眩みが優香を襲う。
そして、気が付くと友人二人が彼女の顔を覗いていた。
「あっ、気づいたみたい」
「乗っ取られてないよね?」
「!?」
二人によると、優香は突然意識を失い倒れたのだという。
優香は困惑しながらも、先程見た光景を二人に説明した。
「マジで幽霊を見たの?」
「雫よりもオカルト少女に目覚めてるじゃん!」
「うるさいなぁ、それよりポケベルって何か知ってる?」
「うん、スマホの原型みたいなやつだよ」
「お母さんなら使ってたことあるんじゃない?」
「へぇ……」
優香はポケベルのことを聞くと、ひとまず納得して二人と共に下校した。
帰宅した優香はすぐさま母親の元へ駆け寄った。
「……ってことなんだけどさ、ママはなんか知ってる?」
ポケベルを返してと言っていたあの幽霊は、恐らく母親と同世代のはずだ。
だから母親なら何か知っているかもしれない。
優香はそう思って母親に質問をしたのだ。
「何を馬鹿なこと言ってるのよ。でも、そんな子はいたわね」
「!?」
当時二つ上の先輩だった少女がある日を境に学校へ来なくなった。
その少女は教師にポケベルを没収されたことがきっかけで、首を吊って自殺したらしい。
そして、没収された場所はあの美術室だったのだ。
翌朝学校に登校した優香は、すぐさま雫に謝罪した。
「えっ、どうしたの?」
「昨日のあれ、あたしが仕掛けたの」
「そうだったんだ。でもどうして急に謝ったの?」
「それがさ、あたしも聞いちゃったんだよね」
「優香さんも聞こえたの!?」
雫は嬉しそうに返答した。
雫は自分と同じ体験を共有できる仲間に巡り合えたことが嬉しかったのだ。
「うん……」
優香は昨日の出来事を説明した。
自分が気絶してしまったこと。
そのときにポケベルを返してと言われたこと。
当時ポケベルへの指導が原因で自殺した学生がいたこと。
「すごい、そこまで分かったんだ!」
雫にとって、優香の話はこれまでにない刺激だった。
「それならさ、今日の水彩画の授業はポケベルをテーマに描いてみない?」
「いいね!」
成仏させてあげられる絵を描こう──その提案に優香は迷わず同意した。
そして水彩画の授業が始まると、二人はいつになく真剣な表情で絵を描いていた。
その画力はお世辞にも上手とは言えない。
けれども、二人の絵には物語があった。
雫はポケベルを手に入れた瞬間の感動を描いた。
優香は5394と入力したポケベルを片手に、教師を殴り飛ばす絵を描いた。
二人は互いの絵を見せ合うと、満足そうな表情を浮かべた。
「部屋の空気が軽くなったね」
雫は感じたことをそのまま言葉にした。
「あたしもそんな気がする」
優香はそんな雫の言葉に共感を示した。
本当に成仏したのかは分からない。
けれども雫と言葉を交わした優香の心は、もうすっかり軽くなっていた。




