帰魂譚【終わりでよかったはずなのに】
終電後の駅のホームには、人の気配がなかった。
蛍光灯の白い光と、遠くで響く機械音だけが、静かに空間を満たしている。
制服の男は、ベンチに腰を下ろし、缶コーヒーを開けた。
その隣に、男が立っている。
線路側へ体を向けたまま、動かない。
普通の人間なら、こんな時間にこんな場所へ立ち続けてはいない。
そもそも――立っていられない。
「別に困る奴もいねぇし」
幽霊の男は、線路を見たまま言う。
「悲しむ奴もいねぇし」
肩をすくめる。
「終わりでよかったんだよ」
少し間。
「なのにさ」
苦笑する。
「ここから動けねぇんだよ」
制服の男は一口飲む。
「ダセぇな」
幽霊が睨む。
「は?」
「死んだのに」
「まだここにいるとか」
「未練タラタラじゃねぇか」
沈黙。
「ねぇよ」
幽霊が吐き捨てる。
「家族とも疎遠」
「友達もいねぇ」
「恋人もいねぇ」
「職場でも空気だったし」
笑う。
「消えても誰も困らねぇよ」
制服の男は言う。
「じゃあ聞くけどよ」
少し間を置く。
「なんで、終わらせたかった?」
幽霊は言葉に詰まる。
「……疲れたんだよ」
しばらく沈黙。
「誰かに」
小さく続ける。
「誰かに、大丈夫って言ってほしかっただけだよ」
夜風が吹く。
制服の男は、ベンチに腰を下ろしたまま言う。
「それ、死ぬ理由じゃねぇだろ」
幽霊が顔を上げる。
「……は?」
「楽になりたかっただけじゃねぇか」
少し間。
「終わりたかったんじゃねぇだろ」
沈黙。
幽霊の顔が歪む。
「……じゃあ、どうすりゃよかったんだよ」
制服の男は肩をすくめる。
「甘えてんじゃねー」
「でも」
少しだけ真面目な声になる。
「もう一回やりゃいいだろ」
夜の音が流れる。
「今度は、適当に生きろよ」
幽霊の体が、少しずつ薄くなる。
「……適当、か」
苦笑する。
「そんくらいで、いいのかもな」
声が消える。
ホームに残ったのは、夜風と遠くの線路の軋む音だけだった。
制服の男は、しばらくその場所を見ていた。
誰もいない線路。
誰も立っていない、同じ位置。
やがて、小さく息を吐く。
「次は、死ぬなよ」
もちろん、返事はない。
制服の男はポケットに手を突っ込み、そのまま階段へ向かう。
始発前の静かな駅に、足音だけが響く。
ホームには、もう何も残っていなかった。
ただ夜だけが、静かにそこにあった。




