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短編集

雪降る夜に、君の吐息だけが溶かした

作者:
掲載日:2026/01/27

 冬の午後。窓の外は、灰色の空だった。

 晴れてるはずなのに、部屋まで冷えて見える。


 ガラスに息を吐く。白く広がって、すぐに消える。

 指でなぞったら、ひやっとして、爪の先まで冷たさが走った。思わず肩がすくむ。


 コートのポケットに両手を突っ込んだまま、駅前のロータリーを横切った。

 足元のアスファルトは湿ってて、靴底がきゅっと鳴った。


 雪は、まだ本降りじゃないけど、ときどき舞い落ちる小さな粒が頬に当たってちくっとする。

 痛いってほどじゃないのに、なんか寂しい。冷たさだけ残って、そこだけしばらく消えなかった。


「綾」


 後ろから声がした。

 振り向く前に、もう分かっていた。

 柔らかいのに、少し掠れていた。

 冬の空気の中でも、余計に甘く響く声。

 もしかしたら私だけそう感じるのかもしれないと思った。

 

 リサだった。

 紺のダッフルコートに、白いマフラーをぐるぐる巻きにした姿。

 いつもより少し頬が赤くて、鼻の頭が冷たそうに赤くなっている。

 目が合うと、彼女は小さく息を吐いて笑った。


「待たせちゃった?」


「ううん。まだ五分も経ってないよ」


 嘘だった。

 私はもう二十五分近く、ここで立ち尽くしていた。

 でもリサの前では、こういう小さな嘘が自然に出てしまう。

 待たされたくないとか、寒くて死にそうだったとか、そんな弱い言葉を全部隠したくなる。


「手、冷たいね」


 リサが私の右手をそっと掴んだ。

 ポケットから無理やり引っ張り出されて、彼女の両手で包まれる。

 マフラーの端が私の指に触れて、ふわっとウールの匂いがした。

 シャンプーの匂いと混ざって、頭の奥がふわふわになる。


「ほら、もっとぎゅってして」


 彼女が私の手を自分のコートのポケットに押し込んだ。

 そのまま、自分の手を重ねてくる。

 狭いポケットの中で、四つの指が絡み合って、熱がじわじわ移動していく。


「あったかい……」


 私が呟くと、リサはくすっと笑って、


「綾の方が熱いよ。今」と言った。


 そう言われると自分でも顔が熱くなっていることに気づいた。

 きっと耳まで真っ赤になっているんだろう。

 雪がまた一粒、まつ毛に落ちて溶けた。視界が一瞬だけ滲む。


 駅前のイルミネーションが点灯し始めた。

 青と白と淡いピンクの光が、雪の粒に反射してきらきら揺れる。

 まるで私たちの周りだけ、別の季節が訪れたみたいだった。


「ねえ、綾」


 リサが少し声を落として、私の耳元に顔を寄せてきた。


「今日、うち来る?」


「……うん」


 即答だった。

 考える間もなかった。

 リサの吐息が耳たぶに当たって、ぞくっと背筋が震える。


「じゃあ、コンビニ寄ってカイロ買おう」


 彼女はそう言って、私の手を握ったまま歩き出した。

 雪が少し強くなってきた。


 肩に積もる白を、リサが指で払ってくれる。

 その指が、私の頬に触れたとき。


「綾のここ、冷たい」


「……リサのせいだよ」


「え、なんで?」


「近くにいるから。心臓がうるさくて、熱が全部そっちに持ってかれちゃう」


 リサが一瞬、目を丸くした。

 それから、ふっと息を吐いて、笑った。


「ずるい。そういうこと言うの」


「ずるいのはどっちかなって、いつも思うけど」


 私は彼女のマフラーの端を指で摘んで、軽く引っ張った。


「リサの方が、ずっとずるい」


 雪が降りしきる中、私たちはゆっくり歩き続けた。

 駅前の喧騒も、車のクラクションも、全部遠くに聞こえる。

 ポケットの中で繋がった手だけが、この世界でいちばん確かなものだった。


 まだ、始まったばかりだ

 そう思った瞬間、リサが私の肩にそっと頭を預けてきた。


「ねえ、綾」


「ん?」


「大好きだよ」


「……私も」


 声が震えた。

 雪のせいか、リサのせいか、自分でも分からなかった。

 ただ、この冬はきっと、忘れられないものになる。

 そんな予感だけが、胸の奥で静かに、熱く、広がっていった。

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