現代怪談:剪定
ええ、どうも。怪談師の『忌部 骸』です。
……ふふ、どうしました? 私の顔に何かついていますか? ああ、この頬の傷跡ですか。
いやですねぇ、これは昔、飼っていた猫に引っ掻かれた……ということにしておいてください。
本当のことを言うと、すぐにお縄になりかねませんから。
さて、ご存知の方もいるかもしれませんが、私、戸籍上の名は『佐藤 留吉』と申しまして、これまでに4度の結婚と、4度の死別を経験しております。
世間では、鬼嫁だの恐妻家だのと騒ぎますが、私に言わせれば、怒鳴り散らす奥様なんて可愛いものですよ。
本当に怖いのはね、「貴方のためを思って」という顔で、微笑みながら刃物を研いでいる女です。
私の2番目の妻がそうでした。 私が「爪が伸びて切りにくい」とこぼしたら、寝ている間に私の指ごと詰めようとした……なんて笑えない冗談はさておき。
今日は、そんな「愛しすぎる妻」を持ってしまった、ある男性のお話をしましょうか。
これは、結婚3年目を迎えた会社員、Sさんのお話です。
Sさんの奥様は、周囲も羨むほどの「尽くす妻」でした。
Sさんの健康を気遣い、毎日の食事はカロリー計算が完璧。
着ていくスーツやネクタイも、毎朝玄関に綺麗に揃えられている。
Sさんは、そんな妻に感謝しつつも、少しだけ息苦しさを感じていました。
ある日、Sさんは仕事の付き合いで、妻に内緒でこってりとしたラーメンを食べて帰りました。
帰宅すると、妻は笑顔で出迎えてくれましたが、夕飯の食卓には、消化の良いお粥だけが並んでいました。
「Sさん、今日はお昼が重かったでしょう? 胃を休めないとね」
Sさんは背筋が凍りました。
レシートは捨てたはず。
匂いも消臭剤で消したはず。
なぜバレたのか。 妻はただ、にっこりと笑うだけでした。
それから、妻の「管理」はエスカレートしていきました。
Sさんがタバコを隠れて吸うと、翌日には家中から灰皿が消え、Sさんのスーツのポケットすべてが糸で縫い付けられていました。
「吸殻を入れる場所がなければ、吸わないでしょう?」
Sさんが休日にパチンコへ行こうとすると、靴箱の革靴の底が、すべて切り取られていました。
「歩き回ると疲れるでしょう? お家でゆっくりしましょうね」
それはまるで、盆栽の枝を整えるようでした。
Sさんという木から、妻にとって「不要な枝」——趣味、嗜好、そして人間関係——を、一つ、また一つと「剪定」していくのです。
恐怖を感じたSさんは、ある夜、妻が寝静まったのを見計らって、家出を決意しました。 寝室を抜け出し、玄関へ向かおうとしたその時です。
ジャキッ……
暗闇のリビングから、硬質な音が響きました。 ハサミの音です。
Sさんが恐る恐る振り返ると、暗がりの中で、妻がSさんの脱ぎ捨てたコートを切り刻んでいました。
それも、ただ切っているわけではありません。
袖を切り落とし、胴体部分を切り開き、何か別の布と縫い合わせているのです。 それは、妻自身のワンピースでした。
「……Sさん、どこへ行くの?」
妻は手元を見ずに、暗闇の中からSさんを見据えて言いました。
その手には、裁ちバサミだけでなく、太い手術用の針と糸が握られていました。
「私たちは夫婦でしょう? 一心同体でしょう? だからね、余計な『隙間』なんて、なくなればいいのよ。 服も、趣味も、身体も……全部繋げてしまえば、もう離れられないでしょう?」
妻が針を振り上げ、Sさんに迫ってくる──。
「うわああああああ!」
Sさんは叫び声を上げて、飛び起きました。 心臓が早鐘のように打っています。全身は冷や汗でぐっしょりと濡れていました。 そこは、いつもの寝室。隣には妻が寝ているベッド。
(……夢、か……)
Sさんは荒い息を整えながら、胸を撫で下ろしました。
あまりに妻への恐怖心が高まりすぎて、あんな悪夢を見てしまったのでしょう。
時計を見れば、深夜の3時。 Sさんは水を飲もうと、ベッドから身を起こそうとしました。
ふと、視線を感じて隣を見ました。
暗闇の中で、本当にすぐ目の前に、吐息があたるほど間近に妻の顔がありました。
目はカッと見開かれ、まるで瞼を縫い留められているかのように眼球を剥き出しにし、瞬きひとつせずにSさんを凝視しています。
それなのに、口元だけがだらしなく、とろけるように緩んで、笑っていました。
「……Sさん」
ぱっくりと開いたその口の中は、この部屋のどの闇よりも深く、暗いものでした。
「……怖い夢でも、見たの?」
言葉の端々から覗くその口腔には、底なし沼のようなヌメヌメとした陰湿さが満ちており、Sさんの意識をずぶずぶと引きずり込もうとしているようでした。
「大丈夫よ。私が、ずーっと……見張っていてあげるから」
妻の手は、布団の中で、Sさんのパジャマの裾を力強く握りしめていました。
まるで、二度とこの布団から出さないとでも言うように。
Sさんは悟りました。 自分はもう、この「剪定」された箱庭から、一生出ることはできないのだと...。
……いかがでしたか?
夢ならば覚めれば終わりますが、覚めた先が本当の地獄なら……もう眠ることもできませんねぇ。
Sさんは今でも、その奥様と仲睦まじく暮らしているそうですよ。
ただ、少し痩せて、目から光が消えてしまったようですが。
私の3番目の妻もそうでしたねぇ。
「死んでも一緒よ」
と言って、毎晩私の寝顔をビデオカメラで撮影しては、「今日の寝言集」を朝食時に流すのが日課でしたっけ……。
さて、あなたの隣で眠るパートナー。
あなたが悪夢にうなされているとき、心配そうに見ていると思いますか? もしかしたら、その悪夢の「元凶」のような顔で、あなたを観察して楽しんでいるかもしれませんよ。
ほら、今夜も……視線を感じませんか?
では、また金曜日の22時にお会いしましょう....。




