第8話 一線を越えない距離
彼女と別れたあと、駅のホームで電車を待ちながら、俺は自分の足元を見ていた。
近づきすぎている。
そう自覚しているのに、ブレーキが効きにくくなっている。
スマホが震えた。
【今日はありがとう】
【久しぶりに、安心できた】
安心。
その言葉が、胸に重くのしかかる。
【こちらこそ】
【無事に帰れた?】
【うん】
【ちゃんと電車乗ったよ】
他愛ないやり取り。
それなのに、終わらせ時が分からない。
家に帰っても、やり取りは続いた。
昔の給食の話。
部活の話。
同級生の噂話。
笑いながら打っている自分に、途中で気づく。
これは、危険だ。
【ねえ】
【今さらだけど】
前触れがあるときは、だいたい良くない。
【あのとき】
【蓮見くんに、どう思われてたか】
【ちょっと気になって】
胸が、きゅっと縮む。
ここで、正直になるべきじゃない。
分かっている。
でも、嘘をつくのも、同じくらい怖い。
【普通に】
【友達だと思ってたよ】
半分は嘘で、半分は本当だ。
既読がついて、少し間が空いた。
【そっか】
【じゃあ、やっぱり私の勘違いだね】
その一文に、胸の奥がちくりと痛んだ。
勘違い。
その言葉は、俺が自分に言い聞かせてきたものだ。
【勘違い、ってほどでも】
【楽しかったのは、本当だし】
フォローになっているのか、分からない。
【ありがとう】
【それで十分】
また、十分。
画面を見つめながら、俺は大きく息を吐いた。
これ以上、踏み込めない。
踏み込んだら、戻れない。
翌週、仕事終わりに突然の雨に降られた。
駅まで走ろうとして、結局間に合わず、同じコンビニの軒下で雨宿りをする。
そこに、彼女がいた。
「……え」
「……あ」
間の抜けた声が、同時に出る。
「奇遇だね」
「ほんとに」
雨音が、二人の間を埋める。
「傘、持ってない?」
「持ってない」
「私も」
苦笑いするしかなかった。
コンビニの明かりの下。
距離が、自然と近づく。
彼女の肩が、ほんの少し濡れている。
手を伸ばせば、触れられる距離。
俺は、一歩だけ、下がった。
「……濡れるから」
「こっち、入って」
それだけで、精一杯だった。
彼女は一瞬、驚いたような顔をしてから、静かに頷いた。
「ありがとう」
雨が弱まるまで、他愛ない話をする。
近すぎず、遠すぎず。
一線を越えない距離。
それは、理性の距離であり、
同時に、これ以上近づいたら壊れるという境界線だった。
雨が止んで、別れる。
背中を向けたあと、彼女が小さく言った。
「……大人だね」
その言葉を、褒め言葉として受け取れなかった。
大人でいることが、
こんなにも苦しいなんて、知らなかった。
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