第2話 初恋は、美化されている
相沢美咲が窓口を離れてから、十分も経たないうちに、俺は後悔し始めていた。
――どうだろうな。
なんだそれ。
もっとマシな答えはいくらでもあったはずだ。
「分からない」
「きっと違ってた」
「それでも、今が一番だよ」
どれも嘘になる気がして、結局、曖昧な言葉で逃げた。
中学生の頃と、何ひとつ変わっていない。
「次の方どうぞー」
アナウンスに呼ばれて、俺は無理やり仕事に戻った。
書類を受け取り、説明をして、確認をして、印鑑を押してもらう。
いつも通りの業務。
なのに、視界の端に彼女の背中が焼き付いて、なかなか消えてくれない。
昼休みになって、弁当を持って休憩室に入った。
テレビはついているけれど、内容は頭に入ってこない。
箸を動かしながら、俺は考えてしまう。
初恋なんて、だいたいが美化されるものだ。
時間が経てば、嫌だった部分は削ぎ落とされて、都合のいい思い出だけが残る。
分かっている。
分かっているのに――。
中学二年の春。
クラス替えで、席が隣になった。
それだけで、世界が変わった。
相沢美咲は、クラスの中心にいるタイプだった。
運動もできて、友達も多くて、誰とでも自然に話せる。
俺みたいな目立たないやつにも、分け隔てなく声をかけてくれた。
「蓮見くん、その問題どうやるの?」
ただそれだけで、胸がうるさくなった。
でも今思えば、特別扱いなんてされていなかった。
彼女は誰にでも優しかっただけだ。
それを、俺は勝手に勘違いした。
夏休み前。
放課後の教室で、二人きりになったことがある。
夕方の光が差し込んで、机の影が長く伸びていた。
あの空気を、今でも妙に鮮明に覚えている。
――今なら言える。
そう思った瞬間、チャイムが鳴って、彼女は笑って言った。
「じゃ、また明日ね」
それで終わった。
結局、何も言えなかった。
そのまま卒業して、進学して、連絡を取ることもなくなった。
俺の初恋は、始まらないまま、終わった。
そして今日。
役所の窓口に現れた彼女は、ちゃんと大人になっていた。
落ち着いていて、丁寧で、少しだけ距離を保つ話し方。
――ああ、と思った。
あの頃のままじゃ、いられないよな。
俺は、弁当の最後の一口を飲み込んで、ため息をついた。
思い出は、思い出のままでいい。
そう決めたはずなのに。
午後の仕事が終わる頃、スマートフォンが震えた。
見慣れない通知。
メッセージアプリの新規追加。
【相沢美咲です。さっきは、ありがとう】
指が止まる。
連絡先、交換した覚えはない。
でも、申請書類には電話番号も書いてあった。
公務員としては、アウトだ。
個人的には、完全にアウトだ。
それでも、画面から目が離せない。
【急に変なこと聞いて、ごめんね】
【懐かしくて、つい】
「つい」で済ませられるほど、軽い話じゃなかった。
俺はしばらく悩んでから、短く返信した。
【こちらこそ、変な返事でごめん】
【お幸せに】
送信して、スマホを伏せる。
これで終わりだ。
終わらせるべきだ。
そう思った直後、また通知が鳴った。
【ねえ】
【友達としてなら、たまに話すのは……だめかな?】
心臓が、嫌な音を立てた。
初恋は、美化されている。
分かっている。
分かっているのに――。
俺は、画面を見つめたまま、しばらく動けずにいた。
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