第12話 いい人だという事実
翌日の昼休み、俺は食堂の隅で、味のしない定食をつついていた。
高瀬 恒一。
その名前が、頭の中で何度も反芻される。
顔も声も知らない。
それなのに、「いい人だ」という情報だけが、やけに重たい。
悪いところがあれば、まだ楽だった。
無理に納得しなくていい理由ができる。
でも、いい人。
真面目で、誠実で、彼女を大事にする。
――それなら、なおさら。
「蓮見」
同僚の声で、現実に引き戻された。
「今日さ、高瀬が顔出すかもって言ってた」
箸が止まる。
「……顔出す?」
「ああ。再開発の件、関係してるだろ」
「向こうの会社、委託で入ってるから」
そんな偶然があるか。
いや、あるから現実なんだ。
「無理なら、俺が断っとくけど」
同僚の気遣いはありがたかった。
でも、逃げ続けるのも違う気がした。
「……いや」
「仕事だし」
自分で言っておいて、少し後悔した。
午後、会議室の空気は少しだけ張り詰めていた。
外部業者との打ち合わせ。
資料を並べ、プロジェクターを準備する。
扉が開いて、数人が入ってくる。
その中に、彼はいた。
高瀬 恒一は、想像よりもずっと普通の男だった。
派手さはない。
背が高いわけでも、威圧感があるわけでもない。
でも、立ち居振る舞いが落ち着いていて、
周囲への気配りが自然にできるタイプだと、一目で分かる。
「本日はお時間ありがとうございます」
「高瀬と申します」
名刺を差し出されて、受け取る。
「蓮見です」
それだけ。
握手もしない。
視線も長く合わない。
なのに、胸の奥がざわついた。
打ち合わせは、滞りなく進んだ。
資料の確認、スケジュール調整、質疑応答。
高瀬は、終始丁寧だった。
意見を押し付けることもなく、こちらの都合も汲んでくれる。
――いい人だ。
その評価が、何度も頭に浮かぶ。
終盤、同僚が何気なく言った。
「そういえば、高瀬くん、今こっちに戻ってきてるんだよな」
「ええ」
「私事ですが、婚約中でして」
その言葉に、会議室の空気が一瞬だけ和らぐ。
「おめでとうございます」
誰かがそう言い、拍手が起こる。
俺も、遅れて手を叩いた。
音が、やけに大きく聞こえた。
「ありがとうございます」
高瀬は、少し照れたように笑った。
――彼女は、こういう人を選んだ。
それは、間違いじゃない。
間違いなわけがない。
打ち合わせが終わり、人がはけていく。
資料を片付けていると、高瀬がこちらに近づいてきた。
「蓮見さん」
「はい」
「相沢のことで」
「いつも、相談に乗っていただいていると聞きました」
一瞬、言葉に詰まる。
「……いえ」
「同級生だったので」
「そうでしたか」
高瀬は、納得したように頷いた。
「彼女、真面目すぎるところがあって」
「無理してないか、少し心配で」
心配。
その言葉に、胸が締め付けられる。
「大丈夫だと思います」
「ちゃんと、自分で考えてます」
嘘じゃなかった。
「そうですか」
「それなら、安心しました」
そう言って、高瀬は頭を下げた。
いい人だ。
本当に。
だからこそ、俺は――。
会議室を出たあと、窓の外を見た。
空は晴れていて、何も知らない顔をしている。
いい人だという事実は、
誰かを憎むことさえ、許してくれなかった。
俺は、ただ静かに理解してしまった。
この恋は、
始まる前から、負けている。
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