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初恋の人と再会したけど、彼女はもう婚約していた  作者: はねださら


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第1話 名前を呼んだ瞬間、初恋が戻ってきた

この物語は、

「好きなら奪え」ではなく、

「好きでも、選ばないことがある」

そんな恋愛を描いています。


派手な展開は少なめですが、

心が静かに揺れる物語がお好きな方に、

読んでいただけたら嬉しいです。

 役所の窓口は、人生の分岐点が淡々と処理される場所だ。


 婚姻届も、転入届も、離婚届も、死亡届も。

 どれも書類の名前は整然としているのに、提出する人の顔はだいたい整然としていない。


「次の方どうぞー」


 番号札の表示を確認して、俺は机の上のファイルを揃えた。窓口のアクリル板越しに、少し遅れて足音が近づいてくる。


 顔を上げた瞬間――心臓が、変な跳ね方をした。


 息を吸うのが遅れた、という感じに近い。

 知っている顔だ。いや、知らない。大人になった顔だ。けれど、目の形と、笑う前の口元の癖が、記憶の底から一致して浮かび上がってくる。


 そんなはずがない、と思った。

 でも、名前を確認するために書類を見た指が止まる。


 申請者欄。


 ――相沢 美咲。


 脳が追いつく前に、声が出た。


「相沢さん……」


 目の前の女性が、ぴたりと動きを止めた。

 一秒。二秒。

 その間に、俺は中学生の自分に引きずり戻される。


 体育館の床の匂い。廊下のワックス。雨の日のグラウンド。放課後の昇降口。

 そして、彼女が笑ったときだけ世界が明るくなった、あの感じ。


 女性は小さく息を吐いて、それから困ったように笑った。


「……久しぶり。えっと……」


 名前が出てこないのが普通だ。

 十数年ぶりに、役所の窓口で再会する同級生なんて、漫画みたいな話を現実にされても。


 でも、彼女は続けた。


「蓮見くん、だよね?」


 喉が鳴った。

 俺の名前を呼ぶ声を、確かに知っている。


「……うん。蓮見。久しぶり」


 言った瞬間、馬鹿みたいに照れくさくなった。

 役所の制服が、急に居心地悪い。周囲の視線を意識してしまう。背後で別の窓口が何か説明している声が遠い。


 彼女は、きちんとした服装だった。

 淡い色のコートに、髪はまとめていて、指先まで清潔感がある。中学の頃の「明るい人気者」だった雰囲気は残っているのに、どこか落ち着きが増している。


 俺は仕事の顔に戻ろうとして、書類を確認した。


「本日は……婚姻届の事前確認、ですね」


 言いながら、心臓の裏側が冷たくなる。

 役所の窓口で再会して、提出書類が婚姻届。

 こんなタイミングの悪い運命があるか。


 彼女は、目を伏せて頷いた。


「うん。来週、提出する予定で……」


 予定、という言い方が妙に刺さった。

 決まっているはずのものに、わざわざ予定と言うとき、人は何を考えているんだろう。


 俺は書類をひとつずつ確認していく。

 氏名、住所、本籍。証人欄。印鑑。


 ただのチェック作業。慣れた手順。

 でも、手元が少しだけぎこちない。


「不備は……いまのところ大丈夫です。証人欄の住所表記だけ、番地まで入れてください。ここ、ちょっと省略されてます」


「あ、ほんとだ。ごめん」


 彼女がペンを取り出して、すらすらと書き足す。

 昔から字が綺麗だったことまで、思い出すのが悔しい。


 俺は視線を上げないようにして言った。


「……おめでとう」


 公務員の定型文のはずだった。

 けれど、口から出たのは、妙に本音に近い声音だった。


 彼女のペン先が止まった。


 沈黙が落ちる。

 周囲はいつも通りに騒がしいのに、ここだけ空気の密度が違う。


 彼女はゆっくりと顔を上げた。

 笑顔を作ろうとして、作れなかった顔だった。


「……ありがとう」


 その一言の裏側に、何があるのか分からない。

 けれど俺は、分からないふりをして、続けなければならなかった。


「提出は来週ですか。本人確認書類と、印鑑を忘れずに。あと、戸籍謄本が必要な場合があるので本籍地がこちらじゃないなら取り寄せを」


「うん、分かった」


 形式的なやり取り。

 それだけで終わるはずだった。


 なのに彼女は、書類を受け取って立ち上がる直前、少しだけ身を乗り出してきた。

 アクリル板越しでも分かる、躊躇の気配。


「ねえ、蓮見くん」


「……なに?」


 俺は反射的に顔を上げた。


 彼女の目は、昔よりも少しだけ大人になっていた。

 でも、迷うときに視線が揺れる癖は変わっていなかった。


「もしさ」


 そこで言葉を切って、唇を噛む。


 俺は、嫌な予感と、どうしようもない期待を同時に抱いた。

 これは聞きたくない。聞きたい。聞いたら戻れない。戻りたい。


 彼女は、ほんの少しだけ笑って――泣きそうな声で言った。


「もし、あのとき告白してくれてたら……私たち、どうなってたと思う?」


 世界が、音を失った。


 窓口の向こうの空気が止まる。

 俺の中でだけ、十数年前の放課後が再生される。


 答えなんて、出せるはずがない。

 出したくない。でも――出さなきゃいけない気がした。


 俺は、喉の奥に刺さる言葉を飲み込んで、笑ってしまった。


「……どうだろうな」


 それが精一杯だった。


 彼女は、少しだけ目を細めて、静かに頷いた。


「……そっか」


 そして、いつもの役所の利用者みたいに書類を抱え直して、立ち去っていく。


 俺はその背中を見送ってから、ようやく息を吐いた。


 役所の窓口は、人生の分岐点が淡々と処理される場所だ。


 ――でも、俺の人生の分岐点まで、今日ここで処理されるなんて聞いていない。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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