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均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


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第7章 人間の限界

2024年8月15日 14:45

スイス、チューリッヒ湖を見下ろす山中 エレナの隠れ家・書斎


エレナはノートPCを開き、暗号回線で会議に接続していた。

送信元は「RoFPC」――ローゼンタール家保存委員会。

画面に映し出されたのは、顔を覆うマスクを着けた7つの影。

地下会議室で円卓を囲んでいる。


委員長の老人が、革の手帳を開いた。

「エレナ……君は一族の掟を破ろうとしている」


彼は視線を上げる。

「“特別な喪失をゼロにする”?

世界の均等化とは……ずいぶん突飛な計画に加担したものだ」


別の委員が、呆れたように言う。

「歴史が証明している。

中間層が最も豊かだったのは、1945年から1975年までの“黄金の30年”だ」


説明は淀みない。

「なぜか?

ヨーロッパと日本の工場と港湾が焼け野原になり、

アメリカ本土だけが、ほぼ無傷で残った。

マーシャル・プランによる復興需要がアメリカに集中し、富が独占されたからだ

超富裕層の資産は戦争債券に変わり、労働者は一軒家と車2台を手に入れた。」


淡々と結論を述べる。

「つまり、“強制的な均等化”は、過去2度、世界大戦という形でしか実現していない」


3人目の委員が、冷たく告げた。

「今は核がある。

もう誰も世界を焼き払って“ゲームチェンジ”は起こせない。

残念だが……変化は、必ず何かの犠牲の上にしか成り立たない」


一拍置き、言い切る。


「記録する。それで十分だ。介入は禁忌だ」


エレナは、静かに首を振った。

「私はローゼンタール家の末裔です。だからこそ言わせてください。

記録だけでは、足りない」


彼女の声は穏やかだった。

「人間は、自分に都合のいい“特別な喪失”しか救わない。

先進国で犬に打つワクチンで、アフリカの子どもを何人救えるか……

計算は簡単。でも、誰もやらない」


一瞬、視線を落とす。

「私はそれを、若い頃に嫌というほど教えられました」


委員長が眉をひそめる。

「それが人間の限界だ、受け入れるしかない。

……お前は違うと思っていたが、あの者と同じ思想か?

やはり幼き頃から受けた近しき者の影というのは計り知れんな……」


エレナは、かすかに微笑んだ。

「……正反対な性格だと思っていましたが、

どこか似ているのかもしれませんね……」


そして、はっきりと言う。

「私は、私の考えで進みます……人間の限界を認めたうえで、均等化を進める。

成功しても、失敗しても

――私は800年ぶりの“新しい教科書”を残すだけ」

沈黙が落ちた……やがて、通信は静かに切断された。



──15分後

廃倉庫地下3階 サーバールーム


巨大なホログラム地図に赤いピンが無数に刺さっている。

千歳(20歳)はタブレットを確認しながら、掠れた声で呟いた。

「あと3年でアメリカから始めて……最後は2029年に世界同時。

紛争地帯も後進国も、必ず最後にちゃんと均すから……」


エレナが静かに近づいてきた。

「千歳、あなたは本気で後進国も救えるって思っているのね……

でも先進国を均した後、後進国はいつ救われるのかしら。

10年後? 50年後? それとも永遠に蚊帳の外?」


千歳は息を呑む。


エレナは少し寂しげに続けた。

「勘違いしないで……私は先進国から始めることに反対じゃない。

私が言いたいのは、ある国では昨日まで遊んでいた子どもが今日地雷で両足を失う。

でも人間は、自分の飼い犬が死んだときの方が泣く。

人間は自分に都合の良い“特別な喪失”しか悲しまないし救わない」


千歳はかすかに反論しようとする。

「……そうかもしれないけど……私は、後進国も必ず……」


エレナの声は和らいだ。

「千歳、あなたは優しい。

でも――あなたは“人間の業”からまだ目を逸らしている」


エレナはふっと視線を彼方へ向けた。

それは、千歳が今まで見たことのない種類の誰かの影を帯びたエレナの表情だった。

「……人はね、“誰かの喪失”を公平に扱えないの。

何千人の死より、名前を呼べる距離の“たった一人”の痛みの方が、

世界を簡単に壊してしまう……それが人間の業よ

私は、それを若い頃に嫌というほど教えられたの」


千歳は小さく息をのむ。

しかしエレナはそれ以上語らない。

その沈黙が、逆に“誰を失った痛みなのか”を問いかけるようだった。


千歳は唇を噛み、俯いたまま呟いた。

「……私は、それでも全部の特別な喪失をゼロにしたい」


エレナは静かに微笑んだ。

「私はローゼンタール家800年分の記録を見て学んだからわかる。

“人間は醜い”と嘆くだけでは、罪は減らない……繰り返すだけ。

だから私の一族はひたすら記録を続ける傍観者であることにした。

今回もし戦争なしで“ゲームチェンジ”を起こすことができても、一族はただ記録する。

成功しても失敗しても、次に同じ過ちを繰り返さないための“教科書”にするために」


千歳が掠れた声で問う。

「……エレナさんは私のこと、見捨てるの?」


エレナは首を振る。

『いいえ、私は見届ける……まずは“ゲームチェンジ”を起こすこと……

いずれにしろ、そのことが全てのスタートとなる。

……むしろ私の願いはそれだけといってもいいけど……』


「でも千歳、あなたが“すべての特別な喪失をゼロにできたときはもちろん……

私はその結末を、800年ぶりの“新しい教科書”として残すわ」


千歳は何も言葉を発しない。

ただ、震える指でタブレットを握りしめたまま、俯いた。


そしてそのとき、巨大モニターの隅

――神子の赤いステータスランプが、

二人には気づかれぬまま、一瞬だけ強く瞬いた。


その光は、まるで

「私は、お母さんを絶対に見捨てない……お母さんの夢を壊さない」

と誓いを立てた瞳のようだった。


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