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均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


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第15章 エレナクロニクル編・エピローグ 赤い実の執行

2026年、スイス。


かつての「古宮」は、今や最新鋭のセキュリティとサーバーラックが唸りを上げる、

ローゼンタール財団の中枢と化していた。


当主室のデスクで、エレナはタブレット端末に視線を落としている。


画面に映し出されているのは、遠く離れた日本の公園で、

まるで空虚を掴むように空を見上げる女性、林千歳のライブモニタリングデータだ。


エレナは引き出しの奥から、傷だらけの銀の万年筆と、

あのブラックベリーのブローチを取り出した。


かつて兄ヨハンの血に濡れ、雪の中に落ちていたそれと、託された残酷な愛の揺籠は

今は丁寧に磨かれ、鈍い光を放っている。


「……ねえ、カイン」

エレナが静かに空間へ問いかけると、部屋のスピーカーから、

感情を完璧に排しながらも、どこか懐かしい響きを持つ合成音声が応じた。

『はい、当主。何でしょうか』


エレナは少しおどけたように話しかける。

「あなたは、苺の味を知っているかしら?」


一瞬の演算のあと、AI「カイン」は答える。

『糖度、酸度、ビタミン含有量、

および摂取した人間が分泌するドーパミンの統計データは把握しています。

ですが、それを“美味しい”と定義するクオリアを、私は持ち合わせておりません』


エレナの唇が、わずかに弧を描く。

「そう。それでいいのよ」


兄が遺したアルゴリズム。それは「正解」を強制するものではなかった。

システムは世界を監視し、不当な略奪を防ぎ、選択肢という名の「ケーキの数」を増やす。


だが、最後にそれを口にして、どう感じるかは、人間に委ねられている。

エレナは立ち上がり、大きな窓からレマン湖を見下ろした。

 

あの「聖域の丘」は、今では一族のプライベートガーデンとして厳重に守られている。


そこには、誰が植えたのか、野生のブラックベリーに混じって、

場違いなほど真っ赤な苺が、冬の終わりの柔らかな陽光を浴びて実っていた。


ふと、丘の端に人影が見えた気がした……その背中はなぜか懐かしい。


その影は、一粒の苺を摘み取ると、湖の水面へ手向けるようにそっと置き、

そのまま吹いた風に溶けるように消えていった。


(兄様。私は今、ケーキの数を増やし続けているわ)

エレナは胸元のロケットにそっと手を触れた。


それが、飢えた者に与えられる毒になるか、

明日の命を繋ぐ糧になるかは、あの子――千歳が選ぶことだ。


記録者としての自分は、あの日、雪の中で仮初となった。

今のエレナの役割は『影の執行者』に過ぎない。


愛という、人間には高度すぎるバグを抱えたまま、

この歪んだ世界を管理し続ける『鉄の神の乳母』


「観測終了……カイン、千歳への次段階の支援プログラムへ移行して、

彼女が、自分の意志で、棘で指を痛めてでもその『苺』を掴めるように」

そうエレナが命じるとカインは従順に応えた。

『了解しました……執行を開始します』


窓の外、レマン湖の穏やかな水面が、銀色に輝いている。


記録されない残酷な愛は、形を変え、回路を通り、海を越えて、

千歳の運命へと静かに注ぎ込まれていった。


――エレナクロニクル編・完――

エレナクロニクル編・あとがき

──────────────────

記録という名の原罪


本編に登場するローゼンタール家を描くとき、

私は常に「ジャーナリズム」が誕生する以前から真実を記録し続けてきた

一族の孤独と、その傲慢さについて考えていました。



私は幼い頃から、報道というものに対して違和感と必要性の狭間で揺れる、

割り切れない感情を持ってきました。


震災や戦地において、現地の状況を伝えることには確かな意味があります。

しかし、そこには必ず報道者や機関の「フィルター」が介在します。


意図が含まれ、その時代の倫理や価値観という色眼鏡を通したとき、

あらゆる立場に対して「ベストな報道」など存在し得ないのではないか……と。



テレビ番組が店を紹介する際などに見せる「紹介してやっている」という特権意識。

あるいは、スポンサーの意向という見えない鎖。


昨今、ネットメディアの台頭によりその力は分散されたように見えますが、

本質的な危うさは変わっていません。


特に「報道の自由」という言葉を盾に、

疑惑の段階にある人物へ「無実なら堂々と記者会見を開け」と詰め寄る姿には、

強い抵抗感を覚えます。


それは捜査機関の任意同行に近い高圧的な要求であり、

それを口にする側が何の恥じらいも持たず、むしろ「正義」だと信じ込んでいる姿に、

素朴な恐怖を禁じ得ないのです。


もし「記者会見をするのが当たり前だ」と考える人がいるならば、

それは知らず知らずのうちに「ゴシップ」を欲しているだけではないのか。


それは冤罪さえ厭わない残酷な要求であり、

誰もが持ちうる「正義という名の暴力性」ではないのか。


そんな問いを、物語を通じて読者の皆様に投げかけたいと思いました。



真実を暴くための犠牲と、それを伝える側の傲慢。

それはジャーナリズムが背負った「七つの原罪」のようなものかもしれません。



第15章の第1話でエレナが感じた

「知っているだけで何もしないのは共犯ではないか」という痛み。


そして、ヨハンが志した「理」の追求。


本作『ブラックベリーの墓標』は、記録することの残酷さを知り抜いた一族が、

それでも「一粒の苺」という救済を求めて足掻いた、祈りと執行の記録です。


画面越しに流れる「真実」の裏側に、どれほどの沈黙と、

記録されない個人の涙が沈んでいるのか。


本編の千歳とカインの物語を読み進める傍らで、

時折、そんな「記録の余白」に思いを馳せる時間があっても良いのではないでしょうか。



2026年3月 雨の夜

作者 敬白

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