第15章 第4話 審判の銀筆
数日後、ローゼンタール家の本宮。
マルクスは当主イザベラと長老たちの前で、
自分に都合よく書き換えられた「記録」を報告していた。
「……誠に遺憾ながら、ヨハン様は逆恨みしたノアの反逆に遭い、崖から転落。
ノアはエレナ様をも手にかけようとしたため、私がやむなく射殺致しました。
エレナ様の行方は今も不明です」
マルクスは勝利を確信し、悲劇の功労者を演じていた。
ヨハンもエレナも消え、今や歴史は彼の指先ひとつでどうにでもなるはずだった。
だがその時、広間の重厚な扉が開き、一人の少女が姿を現した。
全身を包帯と痣で覆いながらも、その瞳に冷徹な炎を宿したエレナである。
「……その『記録』、訂正が必要ね。マルクス」
エレナの手には、あの銀の万年筆が握られていた。
万年筆に仕込まれたカメラと盗聴器が捉えていたのは、マルクスが私設の殺し屋を雇い、
一族の掟を無視して継承者を殺害しようとした「独断の罪」のすべてだった。
あの惨劇の最中も、万年筆の記録スイッチは無慈悲に稼働し続けていたのだ。
エレナは、広間に満ちる沈黙の中で、あの夜の不思議な記憶を反芻していた。
谷底へ落ち、死を覚悟した彼女は、夢の中で言いようのない温もりに包まれていた。
親しんだ香りと自分を丸ごと包み込む大きな毛布の温もり。
目が覚めたとき、彼女は家の近くの馬小屋で、厚い毛布に包まれて横たわっていた。
吹雪の中、誰が自分を運び、命を繋ぎ止めたのか。
その答えを口にする前に、エレナは眼前の現実に意識を戻した。
彼女を包んでいた温もりは今、冷徹なまでの決意へと昇華されている。
「マルクスの記録を処理して!」
母イザベラの悲痛な命が、鋭く広間に響いた。
「待て! 違う、それは……!」
マルクスの必死の叫びは、一族の「掃除屋」たちによって無造作に遮られた。
彼は歴史の正当な審判を受けることさえ許されず、
ただの「不要なノイズ」として、光の届かない場所へと引きずられていった。
騒動が去り、その場に残ったのは、800年の歴史が求める静寂だけだった。
エレナは、感情を削ぎ落とした歴代当主たちの肖像画を見上げ、覚悟を決めていた。
それから一カ月が経ちローゼンタール家、
次期継承者候補第一位となったエレナは継承資格の儀を終え、
独り、雪の残る丘に立っていた。
公式の記録では、ヨハンは行方不明、ノアは反逆者として処理された。
一族の記録のどこにもヨハンの名は「救済対象」としては記されなかった。
ノアの名は最初から「救済」という項目を持たない分類に振り分けられていた。
しかしエレナは、馬小屋に残されていた毛布の端に
「ブラックベリーのレリーフ」が施されたブローチが留めてあったのを見つけており、
取り外し、隠し持っていた。
それはかつてヨハンがエレナに贈ってくれたロケットと同じデザインの物だった。
(もしかしたら、私を助けたのは兄様……
兄様は一族を裏切るハッキング行為をしてしまった。
だから……その発覚を自覚して、姿を消してしまったのだろう……
けれど、もし生きているのなら、会いに来てほしい……)
レマン湖の底へ沈んだはずのこの聖者の行方は、誰にもわからない。
ただ、次期新当主となったエレナの胸ポケットには、
傷だらけの銀の万年筆が差し込まれている。
彼女は今、兄が夢見た「ケーキの数を増やす理」を見つけるため、
血塗られた記録のペンを手に取り、力強く握り締めた。
その瞳は、もはや少女のものではなく、
記録と実史を監視する「鉄の不戦争女神を予感させる」ものだった。




