表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/21

第15章 第2話 継承された漆黒の懺悔

ヨハンが18歳の誕生日を迎えたその日、

古宮パレの空気はいつも以上に張り詰めていた。


この日はヨハンがローゼンタール家の次期継承者として、

一族の深淵に触れる「継承予備儀式」の日である。


儀式への列席を許されるのは、

現当主である母イザベラと、最高意志決定機関である数人の長老のみ。


マルクスのような実務階級の人間は、その重厚な扉の前に立つことさえ許されない。



エレナは、儀式の間も家庭教師ハンスによる「歴史教育」を義務付けられていた。


地下書庫へ続く冷たい通路を歩きながら、ハンスは感情を排した足取りで語り始める。

「エレナ、今日ヨハン様が踏み入る領域は、

我々教育者ですら触れることを許されない禁忌だ。

だが、君もいずれは悟ることになる。

我が一族がなぜ、800年の間『観測者』という孤独な立場を貫いてこられたのかを」


ハンスは、ある映像が映るモニターの前で足を止めた。


映し出されたのは、1945年の日本、広島と長崎のモノクロ記録映像だ。

爆風が街をなぎ倒し、人々が黒焦げの土塊へと変わっていく光景に、エレナは息を呑んだ。


ハンスはゆっくりと映像を進める。

「この映像を撮った米軍の観測者は、

被爆者の苦しみを救うためにシャッターを切ったのではない。

これは新型爆弾の効果を測定するための『兵器評価データ』だ。

当時の彼らにとって、これは核の抑止力を誇示するための戦果報告に過ぎなかった……」


ハンスはエレナの肩に手を置き諭すように呟いた。

「だが、エレナ。今、この映像を原爆資料館で見る人々は、

そこに『二度と繰り返してはならない悲劇』という、

撮った者の意図とは正反対の価値を見出す」


ハンスは、エレナの視線を画面に釘付けにした。

「これがジャーナリズム、ひいては『記録』の本質だ。

撮った人間の意図がどれほど残酷なものであろうと、

記録として残された事実そのものの価値は、

個人の働きかけや人間性などより遥かに巨大なのだ……」



画面から目を一切逸らさないエレナを見つめながらハンスは続ける。

「一秒後に死ぬ子供を救うより、その子が死ぬ姿を記録し、

数百年後の人類にその事実を突きつける。

これこそが、ローゼンタール家の家訓であり、世界の残酷な真理だ。

君も、そしてヨハン様も、この宿命からは決して逃れられない」


エレナは唇を強く噛んだ。

この家の恐ろしさは、

その冷酷さが「ある角度からの理論的な正しさ」に裏打ちされていることにある。



そこへ、儀式を終えたばかりのヨハンが現れた。

その顔は死人のように青白く、碧眼には深い絶望の影が差していた。


駆け寄るエレナに対し、ヨハンは無理に微笑んで見せた。

「……エレナ、今日の授業はどうだった?

悪いけど僕は少し、疲れた……今は一人にしてほしい……」


ヨハンは一人、自室へと消えていった。


そんな見たことのないようなヨハンの姿にエレナは動揺し、その場に立ち尽くした。



部屋に入ったヨハンの目に、机に置かれた小さな箱が留まった。


ノアが誕生日の祝いに贈ってくれた、アメジストが嵌め込まれた銀の万年筆だ。


ヨハンはそれを手に取り、震える指先で愛おしそうに撫でた。

「……ありがとう、ノア。君だけは、この家の澱みに埋もれないでくれ」


ヨハンはその万年筆を胸ポケットに差し、

決意を固めたようにデスクの隠し端末を起動させた。


それは儀式で知らされた、一族の「血塗られた記録」――

それを救済へと書き換えるための、孤独な反逆の引き金だった。


だが、その様子を、地下の監視室で一人、マルクスが眺めていた。


モニターには、ヨハンの視線と、彼が操作する端末の画面が克明に映し出されている。


あの万年筆に仕込まれた極小のカメラと集音マイクが、

ヨハンの「密かな反逆」をすべてマルクスに伝えていた。


「やはり、ヨハンは危険分子だったか……」

そう言ってマルクスは歪んだ笑みを浮かべ、傍らに立つノアを振り返った。


ノアは、まるで感情を抜き取られた人形のように、硬直したままモニターを見つめている。その瞳には、主を裏切っていることへの凄惨な絶望が張り付いていた。


マルクスは指をクルクルと回しながら囁いた。

「よくやったよ、ノア君。君の『贈り物』のおかげで、

反乱分子のハッキングの動かぬ証拠が掴めた。

あの男の命運は、今や私の指先一つにかかっている」


ノアは掠れた声で呟いた。

「……約束、しましたよね。

僕が言われた通りにすれば、故郷の彼女とその家族には手を出さないと」


マルクスは卑しい微笑みを浮かべながら告げた。

「ああ、もちろん。彼女とその家族は今も、

ローゼンタール一族が秘密裏に監視している農場で『違法移民』として平穏に働いている。

君が忠実な猟犬であり続ける限り、彼女達が当局に売られ、

荒れ果てた無治安の地へ送り返されることはないだろう」


マルクスは、ノアの肩を親しげに叩いた。

「誤解するなよ……これは全て、ローゼンタール家を救うための行為だ。

……そしてそれは同時に君の大切な人を救うことにもなる。

さあ、次の仕事を教えよう。あの反乱分子を、あの『聖域の丘』へ誘い出すんだ」


ノアの指先が、白く震えた。


ヨハンの純粋な愛情、ノアの悲痛な身の上。

そのすべてが、マルクスという男の卑劣な罠に絡め取られていた。


窓の外、予言めいた冷たい雪が、古宮の森を白く染め始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ