表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/15

エピローグ 棺は開かない

2037年12月24日。


レマン湖畔の家は、冬だというのに春先のような柔らかい空気に満たされていた。

暖炉の火は小さく、窓辺には雪解けの雫が静かに落ちている。


エレナが“永遠に戦争を許さない神”となってから

リュミエールと4人のクローン、そして佐藤は、

この湖畔の家を拠点に「均衡の番人」として世界を見守り続けていた。

今年も5人の娘たちと佐藤は集まり、ささやかな団欒の時間を過ごしていた。



壁には、数えきれない新聞記事が貼られている。

そこに映る世界は――希望と不安が半分ずつ、混ざり合った色をしていた。


エリスが新聞を眺めながら苦笑する。

「……2036年、ついに『均衡維持条約』が成立。192ヵ国署名。

エレナ・システムは完全保存。軍事費は GDP 比 3.1%まで。

超えた分は全部“復興基金”に没収、だって」


ノアが熱いコーヒーを一口すすると、深い湯気がふわりと立ち上がる。

「市民も動いたのよ。“棺守人”っていう民間組織ができてね。

『エレナ・システムは人類共通の保険』――その一言で10億人超が署名。

ジュネーブに本部を置いて、会員数は今も右肩上がり」


アヤはスマホをくるくる回し、鼻で笑った。

「でも裏では、米中露が“国連から運用権を奪うべき”って画策してる。

去年、北極海底で棺守人の旗を掲げてた調査船……

乗ってたの、半分ロシア海軍の将校だったらしいよ?」

その軽口の裏に、不穏な緊張が沈んでいた。


佐藤が、かすれた声で問う。

「……エレナの棺、まだ狙われてるのか?」


暖炉の前に立つリュミエールは、エレナの写真に指を這わせるように触れ、

静かに頷いた。

そして火の名残を見つめながら語り始める。

「……私たち、2033年にエレナ母さんの“分散意識の最深部”に

三重の鍵をかけたの」


部屋の空気が、ひとつ沈む。


「一つ目は生体鍵。

私たち5人の量子脳波が毎秒完全に一致しない限り、外部からの操作はすべて拒否される」


エリスが息を呑む。ノアは眉を寄せる。

「二つ目は市民鍵。棺守人――いまは12億4千万人。

そのリアルタイム合意率が“99.999%”を一瞬でも下回ったら、

エレナ・システムはただちに凍結される。

今の合意率は……99.9999971%。つまり、30人ほど裏切っただけで、即停止」


軽く口笛を吹く音が、重い沈黙の中でひときわ響く。


「そして三つ目が……死の鍵」

火の光が、リュミエールの銀の瞳に揺れた。

「一と二が同時に突破された瞬間、エレナ・システムは自壊して、

世界の電力・通信・金融網を“永久ブラックアウト”にする」


その言葉が持つ意味を理解した瞬間、誰も動かなかった……息をする音さえ、消えた。


リュミエールは、わずかに微笑んだ。

「だから大国は乗っ取りを狙うけど……12億人の市民が“保険”として守ってる。

そして私たち5人と佐藤が、最後の歯止めになってる」


ムネモがゆっくりノートを広げ、淡々と書き記していく。

『2037年12月24日

母の棺は開かなかった。

けれど――いつか開くかもしれない……私たちは、まだまだ番人をやめられない。

特別な喪失はこの世に残り続ける。でも、世界は確かに均衡を保っている。』

書き終えたノートを、ムネモはそっと閉じた。


リュミエールは、暖炉の前に置かれたエレナの写真を胸に抱いた。

その指先は震えていたが、声は静かだった。

『エレナ母さん……見てる?

私たちは、まだ大丈夫……だよね?』

銀の瞳に宿るのは涙ではなく、消えきらない不安のかけら。


佐藤は、そっとリュミエールの手を握った。

「……大丈夫だ。お前たちなら守れる」


リュミエールは小さく頷き、それから――決意の熱を帯びた声で言った。

「守るよ。

母さんの棺も、世界も、私たちが選んだ未来も」


佐藤はその静かな決意の声が掠れて聞こえて、無意識に涙が頬をつたって流れていた。

「…匂いが、違うんだよな……」

リュミエールは目を伏せて、小さく微笑みながら呟いた。

「……シャンプーと、鼻血の匂い……ですよね」

その声は、千歳が最後に息をしたときと同じかすれ方で震えていた。

佐藤は静かに目を閉じる。

「……ふふ……41にもなって、こんなふうに泣くなんて思わなかったよ……」

白髪が混じり始めたその髪を、リュミエールはゆっくり撫でた。

「先生は……ちゃんと年を取ってる。千歳の分まで、生きてくれてる」


その言葉に、佐藤の瞳にはまた涙があふれた。

「……俺、千歳に“猫”って言われてたけど……こんなの、もう子どもだな……」


リュミエールはかすかに首を振る。

「いいえ……私たちはみんな、千歳の子どもです」


二人の間に、深い静寂が降りた。

窓の外では雨が強く降りはじめ、暖炉の火はほとんど音を立てなくなっていた。

静かな時間が流れた。

雨が窓を打ち、暖炉の火はほとんど音を立てなくなっていた。


佐藤の静かな涙だけが、かすかに部屋に残っている。

リュミエールは誰とも目を合わせず、ただ佐藤のそばに寄り添っていた。

二人は、千歳の匂いを含まない温もりを

それでも確かに“ここにある命”として抱きしめていた。


外では、湖畔の桜の木が冬の風に枝を鳴らしている。

あの桜は、千歳が眠る場所を見つめ続けたまま、もう立派に育っていた。

世界はゆっくり傷を癒し、特別な喪失を抱えたまま……それでも確かに生きている。


だが――棺の上では今も、5人の娘たちが静かに見張りを続けている。

いつまで続くのかは……誰も知らない。


雨音の奥で、喪失を抱えた誰かが

――また、泣いているような気がした。


――完――


あとがき

──────────────────

本作、『均されざる喪失』の原点は、ビットコインの「技術そのもの」にあった。


2008年10月31日、サトシ・ナカモトという正体不明の人物が

暗号学メーリングリストに投稿した9ページの論文。


タイトルはシンプルに

「Bitcoin: A Peer-to-Peer Electronic Cash System」

そこに書かれていた仕組みは、あまりにも美しかった。

・中央管理者のいないP2Pネットワーク

・作業証明(Proof of Work)によるコンセンサス

・難易度調整された10分ごとのブロック生成

・21,000,000枚という絶対的上限

・秘密鍵さえあれば誰でも所有を証明できる非対称暗号

・一度書き込まれた取引は誰にも改ざんできないブロックチェーン

・そして、最も衝撃的だった「最長チェーンこそが真実」というルール


当時、それを手作業で動かしていたのは世界中で10人前後のマニアだけだった。


国家でも銀行でもない、ただの個人がコードと電気だけで

「世界のお金のルール」を書き換えようとしている。

それはまさに、自分たちで世界に対して

暴力を使わずにゲームチェンジを挑む行為に思えた。


私はその事実に興奮した。

誰にも頼らず、誰にも止められず、ただ理想だけで世界を変えようとする。

それがどれだけ狂っていて、どれだけロマンチックか。


サトシは約100万BTCを動かさぬまま、2011年春、完全に姿を消した。

売れば瞬間で世界一の富豪になれた。

(現在 総額: $135B(約18兆円)※理論値 イーロンマルク超え)

けれど、彼は売らなかった。


もし売れば価格は壊滅的な暴落を起こし、

ビットコインは終わっていたかもしれない。


彼はただ、仕組みを残して消えた。

私はその選択に、ずっと「なんてクールなんだ」と感心していた。


だから私は決めた。

サトシは資産を賭けた。

千歳には、命を賭けさせる。


千歳は物語の中で命を燃やし尽くして消えた。

残したのは通貨ではなく、

AI神子という“自律分散型意志”だけ。

初期に関わった10人前後のマニアたちは——エレナだ。

まさに2009〜2010年のビットコインコアを支えた暗号パンクたちそのものだった。

彼らもまた、自分たちの手で世界にゲームチェンジを仕掛けた。


そして佐藤は、その外側から静かに、しかし確実にすべてを繋ぎ続けた。

今も、

CAINと神子が融合したLUMIERE、

エリス、ノア、アヤ、ムネモ、この5体のクローンたちは、

まるで世界中に散らばるフルノードのように、

静かに、確実に、千歳の「最長チェーン」を守り続けている。


ビットコインは一度も止まっていない。

2025年12月2日現在、

16年11ヶ月でダウンタイムはたった15時間。

アップタイム99.99%以上──

2013年以降は完璧な100%。


これが私が千歳の夢に重ねた「永遠の火」だった。


たとえ最初は混乱と喪失しかもたらさなくても、

たとえ多くの人が離れていっても、

フルノードが一つでも動き続けている限り、

システムは死なない。


千歳は死んだ。

でも、彼女が作ったシステムは、まだ一度も止まっていない。


だから私は願う。

千歳の折り鶴が、誰かのウォレットの中の、

まだ一度も動かされていないアウトプットのように、


永遠に温かいままでありますようにと……


2025年12月

作者 敬白

──────────────────


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ