第14章 均衡の五年
2033年12月24日、クリスマスイブ。
レマン湖畔の家では、暖炉の火がゆらぎ、6人の顔をやわらかく朱に染めていた。
外は深い雪。
湖は鏡のように凍りつき、ちいさな息さえ白く弾けるほど、今年は厳しい冬だった。
この部屋にいるのは――
佐藤、そして千歳とカインが統合し銀の瞳を宿した少女、リュミエール。
さらに、2028年6月12日、方舟から解放された4人のクローンたち。
彼女たちは皆、いまは22歳になっている。
解放の翌日から、それぞれがエレナの用意した“別人のID”を名乗り、世界中へ散らばった。
均等化後の世界の揺れを監視しつつ、まるで隠れるように
――それでも確かに、自分の人生を歩くために。
そして、年に一度だけ、この家に集まる。
それは誰に強いられたものでもなく、彼女たち自身が選んだ“約束”だった。
テーブルには、毎年欠かすことのない苺のショートケーキが並ぶ。
白いクリームの上に置かれた赤いチョコプレートには、HAPPY BIRTHDAY CHITOSE
と書かれ、その上で30本のロウソクが静かに揺れている。
エリス(アメリカ監視担当)は、赤髪ショートボブに揺れる派手なピアス。
ノア(中国監視)は茶髪ロングを艶やかにまとめ、指先には深い赤のネイル。
アヤ(ロシア監視)は金髪のツインテールに星のピンを散らし、氷上のアクセサリーのように光っていた。
ムネモ(記録管理担当)は黒髪ショートにシルバーのネイルを光らせ、静かな雰囲気のなかで一際落ち着いている。
かつて“全員が同じ顔だった少女たち”の姿は、もうどこにもない。
部屋はどこか女子会のような甘い香りと笑い声に満たされていた。
エリスが袋を広げ、ネオンイエローのTシャツを掲げる。
「ねえねえ! 今年の復興記念Tシャツ届いたよー!」
『EQUALITY 2033 WE ARE STILL ALIVE』――妙に目が痛くなる色。
ノアが眉をひそめた。
「また買ったの?去年のだけで何枚あるのよ」
エリスはすかさず返す。
「コレクターなんだから仕方ないでしょ!もう来年の“エレナLoveT”も予約済み♪」
アヤがスケート靴を抱えて、スキップするような声で言う。
「私は今年スケート三昧!モスクワのリンク借りて練習してんの!」
ムネモが控えめに笑う。
「私は最近ピアノ。
ショパンのノクターン……千歳ちゃんが好きだった曲、もう弾けるよ」
そんな賑やかな輪の中で、ただひとり。
リュミエールだけは千歳と同じ黒髪ロングのまま、飾り気のないワンピースで静かに微笑んでいた。
彼女の中には千歳がいる。
だからこそ、この“変わらなさ”こそが彼女の個性なのだと、全員が知っていた。
エリスがふと呟く。
「それにしてもさ……私たち、ここ数年で本当におしゃれになったよね。
髪染めて、爪塗って、香水つけて……」
ムネモは懐かしむように目を細めた。
「最初はさ、“同じ顔で外に出るの怖い”って泣きながら隠れてたよね。
でも千歳ちゃんが言ったじゃない?“あなたたちはあなたたちでいい”って。
あれからみんな、やっと“自分”を探し始めたんだよ」
アヤの声が少し震えた。
「普通の女の子みたいになりたかったんだ。
同じ顔でも、違う自分になれるって知った瞬間……泣きそうなくらい嬉しかった」
ノアが明るく笑う。
「おしゃれってさ、生きてるって感じするよね!」
佐藤がロウソクに火を灯しながら、小さく息をつく。
「30本……千歳が生きてたら、今日で30歳なんだな」
その言葉に、全員が自然と手を止めた、揺れる灯が、ケーキの上で静かに揺らいでいる。
リュミエールがそっと微笑んだ。
「……だから、私たちは12月24日だけは必ずここに来る。
クリスマスだからじゃなくて――千歳の誕生日だから」
窓を叩く雪、暖炉の火がオレンジ色に部屋を染める。
壁一面に貼られた膨大な新聞記事にも、影が揺れた。
アヤがスケート靴を膝に抱えながら、記事の束を眺めた。
「アメリカのリセット法って、結局どうなったの?」
エリスはシャンパンを揺らし、深く息を吐く。
「2028〜2030年の“実際に稼いだ実績”だけを基に新ドルを発行。
上限は5万新ドル、今の購買力で550万円くらい。
それ以上は9割没収。結果、東海岸は人口44%減。
マンハッタンなんてゴーストタウン。
あの空きビルで凍死してた女性……元教師だったって。
均等化前はボストンで家を買った人なのに」
アヤが静かに続ける。
「シリコンバレーとウォール街の生き残りだけが、2年分の実績で上限ギリギリGET。
そこからまた千倍稼いでる。残りの99%は……実質550万のまま。
東海岸は、もう“放棄区域”だよ」
ノアが短く舌打ちした。
「中国も同じ。全民財産再配分令で口座は全凍結。
月5万元一律支給って言われても……実質3万5千円くらい。
沿海部の人口、61%減。上海のネオン街……今歩いてるの、野良犬だけ。
2031年には広州でまた食料暴動。
公式発表の死者は“ゼロ”。まあ、数えてないだけ」
ムネモが暖炉の前に腰を落とし、低く呟いた。
「……仕事を失った人、住む場所をなくした家族。
その数を積み上げた結果が、GDPの数字ね……落ちてる。
帰る場所を失った人が、静かに増えてるのね……」
暖炉の火がぱち、と弾け、その音が部屋の空気を震わせた。
静かな沈黙が、降り積もる雪のように部屋を満たす。
その沈黙を破ったのは、佐藤の低い声だった。
「……それでもだ。こんな世界になっても――大きな戦争だけは、一度も起きていない」
誰に向けてでもなく、ただ積み重なった現実をそっと撫でるような響き。
リュミエールは、暖炉のそばのエレナの写真へ視線を落とした。
「エレナ母さんが……死んで守ったから。
私たちの未来を、均衡を……」
そして、壁の新聞の“あの日付”に目が吸い寄せられた。
2029年3月18日 エレナ獄中死
2029年3月18日 0時00分00秒 世界同時発動
『私はエレナ・フォン・ローゼンタール。
すでに肉体は滅んでいる。
だが、私の意識は2028年の爆破以前に、世界インフラの奥深くへ分散済み。
AI化した私が“完全に死ねば”、インフラは永久停止する。
私が“生きていると認識される限り”、どの国も軍事侵攻はできない。
侵攻を検知した瞬間、その国のインフラは48時間停止。
これは私が死んだ後に発動する“時限式・不戦争装置”。
――永遠に、誰も私を殺せない。』
リュミエールは、まるで言葉を置くように静かに続けた。
「母さんは800年分の罪を背負って死んだ。
でも死ぬ前にハガキにこう書き残したの――“戦争だけは二度と起こさせない。
あなたたちが未来Bを選んだ世界を、私は死んででも守る”って。
エレナ母さんのAIは……千歳が最初に成功させた意識移行の実績を基に作られたんだよ、
千歳の思いの結晶なんだ」
そこから先は、世界中が経験した“恐怖”の記録だった。
中国が最初に試した。
2030年3月19日、極秘の深海チーム派遣。
その瞬間、中国全土が24時間ブラックアウト。
死者11万人。
アメリカは衛星攻撃を試みた。
48時間後、全米の電力網が停止。
ロシアは核ミサイル管制の奪取を試みた。
結果、パイプラインとシベリア鉄道が丸3週間停止。
それ以来、誰も近づこうとしなくなった。
エリスが笑うでも泣くでもない表情で呟いた。
「……死んだ人間が、まだ世界を縛ってるんだね」
リュミエールはエレナの写真にそっと触れた。
「エレナ母さんは、死んで“神”になった。
誰も触れられない、誰も殺せない……永遠に、戦争を許さない神に」
ムネモがノートに静かに記す。
『2033年12月24日
平和は、母の棺の上に築かれた。
誰も壊せない、誰も逃れられない。
――これが、私たちが選んだ“均衡”。』
暖炉の火が静かに揺れ、6人の顔を照らす。
外は深い雪。
世界は傷を抱えたまま――
死んだ母の呪縛に縛られたまま――
それでも確かに、息をしていた。




