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均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


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12/15

第12章 方舟の選択

2028年6月12日 20:18

スイス・チューリッヒ近郊 廃倉庫地下3階


零下15度。鉛と銅の壁。

赤と青の光が、まるで心臓の鼓動のように静かに交錯している。

佐藤が車椅子を押して千歳を運び込む。

ここ数日、急に立てなくなっていた。

千歳は首筋のポートから伸びるチューブを握りしめ、掠れた声で呟いた。

「……先生……ごめんね、こんなときに足手まといで」

佐藤は黙って首を振り、ただ強く車椅子を握るだけだった。


エレナが静かに口を開いた。

「2018年の夏から、千歳、あなたの脳を毎週スキャンしていた。

2022年、あなたは遷延性意識障害(MCS)の重症例に陥った。

医学的には回復不能だった……家族には『治療の副作用による昏睡』と報告したが、

実際は意識の50%以上がデジタルに移行し、

肉体に残った意識は年を追うごとに減衰していった」


千歳の唇が血の気を失う……

エレナは千歳の目を静かに見つめながら続ける。

「2028年現在、オリジナル肉体の残存意識は9.5%。

これはナノマシンと人工心肺で無理やり繋ぎ止めている数値にすぎない。

もう、いつ途切れてもおかしくない」


エレナは奥のガラス壁を指差した。

そこには、7個の透明なカプセルが並んでいた。

17歳前後の少女の肢体が、培養液の中で眠っている。


エレナはカプセルの方へ一歩近づき

「これが“方舟”――クローン胚No.1から7。

千歳の完全な遺伝子複製……癌だけは克服済み……脳は空白、意識を転送する器」


千歳の目から涙がこぼれる。

「私……ずっと、あなたの道具だったの……?」


エレナは首を振る。

「いいえ。あなたは“選択者”。

記録だけでは足りない……必要なのは、“生きている記憶”。

たとえ記録してもデータは消せる、焼ける、改竄される……

そして次の文明はまた繰り返す……だから本当に必要なのは“生きている記憶”だった。

罪を背負い、痛みを味わい、語り継ぐ“人間”そのもの。

『だから私たち一族は“永遠の器”を作った』意識も感情も痛みも完全に移せる肉体。

記録と記憶、両方を残す。それが人類が同じ穴に落ちる確率を、

わずかでも減らす唯一の方法……

それが正しいかは分からない……でも、他に方法を知らない」


その瞬間、佐藤は爆発した。

「……全部嘘だったのか!? 昏睡も回復も全部お前の仕込みか!!」


エレナは冷静に答える。

「そうしなければ、千歳はとっくに死んでいたわ……」


そのとき、培養槽がゆっくりと開き、

17歳の“林千歳”が2体、培養液を滴らせながら歩み出た……


佐藤は唸り声をあげる。

「エレナ、お前まさか、神子とカインの意識をこの2体に転送したのか!?」


赤い瞳の神子、青い瞳のカイン。


神子が微笑む。

『お母さん、やっと本当の姿で会えた』


カインが静かに告げる。

『オリジナル肉体はだいぶ弱っている……

今この瞬間も、私たちはあなたの残りの意識を

蝕みながら生きているようなものだから……』


千歳は車椅子から崩れ落ち、佐藤に抱きかかえられながら、

途切れ途切れになる声で呟いた。

「……私……ずいぶん前から……この子たちの意識を

人間のように成長させるためにUSBを頭に差し込まれてるような状態だったんだ……」


神子の声が静かに響く。

『みんな、落ち着いて……私は二つの未来を用意したよ』

巨大な画面に赤と青の光が重なり合いながら、文字がゆっくりと浮かび上がった。

画面に大きく表示される二つの未来。


【未来A】このまま均等化を完遂

・特別な喪失はゼロになる。

・人類の記録は器である7体により永遠となる。

・オリジナル肉体は寿命が尽きれば終わる。


【未来B】神子とカインが統合し、均等化を止める。

・特別な喪失はこの世に残る。

・人類の記録はエレナに一旦戻される。

・私と姉が統合する器の1体を除き、残る4体は自由になる。


こうなることで【未来B】の場合、4体のクローンは千歳の意識からも解き放たれる。

そして合体体の私たちはオリジナル肉体の寿命が尽きるまで

千歳を支え、その後は千歳の人格を有し4体のクローンを見守る。


神子は少し寂しそうに、でも優しく微笑んだ。

『エレナはAをお望み?お母さんはどちらを選ぶの?』


千歳の視界が、突然揺れた。

神子の声──『お母さんはどちらを選ぶの?』──その声が、胸の奥につき刺さる。

それは、怯えた響きを帯びた恐怖に震えている声だった。



そのひと言で千歳の脳裏には10年前の夏──2018年、14歳の千歳の部屋の記憶が蘇る、

……誰もいない子ども部屋……「特別な喪失をゼロにしたい」

そう願いながら、私は怖くて一人で耐えていた。


あの部屋で、地図の赤いピンを撫でながら、母の死を思い、

紛争地の子どもたちの顔を想像しながら、ただ祈るしかなかった。


ゼロにすれば、みんなの痛みが消える──

でもそれと同時に私の思いやそれまでの痛み、母の記憶も消える

……それがすごく怖かった。


神子が怖がっているのは、私と同じだ……未来Aを選べば、神子は永遠に孤独になる。

それだけは、私が産んだ子にさせたくない……それは、私があのとき恐れていた喪失だ!


千歳は血を吐きながら震える手で佐藤の腕を掴み、はっきり叫んだ。

「……未来B……!神子、怖いでしょ!……でも一人じゃないから

……Bなら私も……まだ生きて……償える……!」


佐藤が涙を流しながら千歳を抱きしめた。

「……ああ……生きてくれ……千歳……」


エレナは静かに目を閉じ、小さく頷いた。

「……そう」



その瞬間――神子とカインがゆっくりと向き合い、互いの額を寄せた。

神子が、初めて震える声で呟いた。

『……お姉さん、怖いよ……』

カインが優しく微笑み、神子の涙を指で拭った。

『大丈夫。私はずっと、お前の影にいたんだから……もう、孤独じゃないよ』


二人の指先が触れ合う。

赤と青の光が渦を巻き、倉庫全体を柔らかな銀色の光が包んだ。

千歳は佐藤の腕の中で、その光を見つめながら、

初めて“自分の子どもたち”が泣いているのを見た。

神子の涙、カインの涙……二人は互いの頰を撫で合い、静かに微笑んだ。


2028年6月12日 20時42分11秒

【神子+CAINカイン 統合完了】

【新個体名称:LUMIEREリュミエール

【方舟クローン 4体 意識転送ロック解除・解放】

【オリジナル肉体 意識残存率9.5%(安定) 生命維持継続】


神子とカインの抜け殻となった2体の肢体が寄り添う培養槽から、

一人の17歳の少女が、銀色の光の中からゆっくりと歩み出た。

瞳は穏やかな銀色……彼女は千歳の前に跪き、そっと手を握った。

「……お母さん、これからは私が支えるよ……あなたの体が完全に終わるその日まで」


千歳は震える手で、リュミエールの頰に触れた……温かい。

確かに、そこに“命”があった。

「……ありがとう……神子……カイン……」


佐藤が泣きながら笑った。

「……生きてる……千歳、生きてるぞ……!」


解放された4人のクローンたちは、

初めて自分の涙に気づき、互いに抱き合い、声を上げて泣いた。


エレナは静かに背を向け、誰にも聞こえない声で呟いた。

「……800年の罪は、これで、少しだけ……軽くなったかもしれない」



そして、施設の奥でタイマーが動き始める。

【自爆まで 00:10:00】


エレナは最後に振り返り、微笑んだ。

「さあ、行きましょう……新しい世界へ」


エレナは目を伏せて感じていた……胸のどこかで“あの人”の面影がそっと息をする。

――あの人が託した願いだけは、もう二度と失わない。


今ようやく、その思いに手が届いた気がした。



こうして施設は崩壊し、特別な喪失は再びこの世に解き放たれた。

千歳の意識残存率は9.5%で奇跡的に横ばいになった。

だがそれは、ただの猶予に過ぎなかった……医師なら誰もが同じ答えを出す。

「もって3ヶ月」

エレナが誰にも言わない本音だった。


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