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均されざる喪失 ――資産が均等化された世界  作者: Koji Townsend


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10/15

第10章 雪とラーメンとお年玉そして小さな秘密

2028年1月4日 16:49

東京・中野 ネットカフェ個室ブースNo.317


アメリカが均等化されてから68日目。

暖房が効きすぎて空気が澱み、壁は鼻血の染みだらけ。

カップ麺の容器が山積みで、床に置く場所もなくなっている。


千歳が突然立ち上がった。

「正月過ぎちゃったね……おせちも食べてない……先生、私、外行きたい」


声は小さく、顔色も少し白い。

佐藤は一瞬悩んだ。


外は雪だ。千歳の体調はあまり良くない。

無理もない。元々体調が悪い上にこの68日間、風呂や買い物くらいしか外出せず、

ずっと狭い個室に閉じ込もっていたのだから。


佐藤は千歳の手を引き「……よし、外へ出よう」と立ち上がった。



17:18 中野駅北口


ドアを開けた瞬間、雪の匂いと空気の冷たさが新年の気配を感じさせた。

千歳が小さく「はぁ……!」と息を漏らし、次の瞬間、目を輝かせて雪を掴む。


「先生! 雪合戦しよ!」


小さな雪玉を佐藤の胸にぶつけて、くるっと背を向けて逃げようとする。

足元がふらついて、すぐに前のめりに……佐藤は慌てて抱きとめた。


「危ないって! 無理すんなよ……!」


千歳は佐藤の腕の中で息を弾ませながら笑った。

「生きてる……生きてるって感じ!」


佐藤は胸が締めつけられる。

こんなに笑う千歳を、久しぶりに見た気がした。

雪が頰に触れるたび、千歳は「冷たい!」と叫びながら佐藤のコートに顔を埋めて笑う。


佐藤は千歳の肩を抱きながら、

「ゆっくり歩けよ……転んだら大変だろ」と何度も呟いた。



裏路地にある「珍竹飯店」


暖簾をくぐると、おやじが千歳を見て静かに目を細めた。

「……千歳ちゃん、久しぶりだな」

千歳は満面の笑みで

「おじちゃん! 珍竹ラーメンねぎ抜きで!」


メニューを見ながら千歳は佐藤へ促した。

「ねえ、先生は昔みたいにラーメン&チャーハンセットにしない?」


佐藤は苦笑いを浮かべる。

「うーん……俺もラーメンかな……年でもうあの頃みたいに

セットは無理だろーし……寒いから汁物食いてーし」

千歳は少し寂しそうに目を伏せて、すぐに笑顔を作った。

「そ、そうだよね……」

おやじがカウンター越しに、二人のやり取りを優しく見守っていた。


千歳は急に佐藤を振り返り、両手を合わせてにっこり。

「ねえ先生、お年玉ちょうだい! お正月なんだから!」


佐藤は吹き出して、財布からくしゃくしゃの千円札を一枚取り出した。

「お前、もう24だろ……」

千歳はそれを頭に乗せて、得意げに。

「お正月だもん!」


おやじがくすくす笑いながら、

「ほれ、先生にあげる……裸じゃなんだろ?」

と小さな赤いポチ袋を佐藤に差し出す。


おやじは千歳がカウンターに座る隙に

佐藤を奥に手招きし、千歳に聞こえない声で言った。

「……よくなったのかい?」

佐藤は首を横に振った。一度だけ。

おやじは目を伏せて「……そうか」と呟き、すぐに笑顔に戻る。


「正月だからサービスだ! 餅とその上にイクラのっけてやる」

熱々の珍竹ラーメンに小さな切り餅が一つ、

そして正月感たっぷりのイクラがのっけてある。


千歳は最初勢いよく食べ、半分を過ぎたあたりで急にスピードが落ちる。

おやじが優しく

「……今日は餅入れたからちょっと多かったかもな」

千歳は無理に笑って、声は震えている。

「高校の頃も体調悪くて一杯しか食べられなかったけど、

ここのだけは大好きで全部食べられたんだよね。

はは……歳のせいもあるよね、もう24だもん私。

ティーンエイジャーじゃないもんね」


おやじは背中越しに応える。

「……ああ、そうだな」

佐藤は唇を噛んで目を伏せる。


千歳は残りを佐藤の丼に移しながら、からかうように言った。

「そういえばさ、なんで離婚したの?」


佐藤は苦笑いして、静かに答えた。

「……俺、離婚したころサイバー犯罪対策の特務課にいてさ

それで、ある重大な脆弱性を指摘したんだが

上司が『予算も政治的圧力もある』って無視して……

俺はそれを許せなくて、差し違えてでも公開しようとしたら大揉めに揉めて、

結局、埒が明かなくて……示談金を押し付けられるようにして、

組織にはいられなくなっちまった。

その頃にはもう家にも帰らなくなってて……

美咲の優しさをないがしろにして、仕事に逃げてたんだ。

あの頃は例のアプリの失敗をまだ引きずってて、自分を責めてた。

だから美咲のことも、ちゃんと見てやれなかった」


千歳は目を丸くして

「えーっ! 奥さん、ここで私も会ったことあるよね!

あの頃、私の頭なでてくれた美咲さん!」


佐藤は照れ臭そうに頷く。

「ああ……あのときお前、めっちゃムキになって

『私、子どもじゃない!』って言ってたよな」


千歳は空笑いしながら、少し寂しそうに小さく呟いた。

「……結婚式、幸せそうだったのにね」


佐藤にはそれが聞き取れなかった。

「え? 今なんて?」


千歳は慌ててごまかす。

「い、いや、なんでもない! ラーメン美味しい!」

おやじにはなんとなく僅かに千歳の声が届いていたらしく、

「いやいや……なかなか美人だったもんな、奥さん……はははは……」

と客商売人らしく渋く茶化す。


佐藤は顔を赤くして「やめてくださいよ……」と呟く。


千歳はそんな佐藤を横目で見ながら語りだす。

「私、中学、高校時代……ほとんど学校行けなくて、友達もいなくて、寂しかった

でも先生が家庭教師で来てくれたから、なんとか生きてられた……

先生がいたから、私、生きててよかったって思えた……」


佐藤は黙って、千歳の頭をそっと撫でた。

「……もう、また……私……もう子どもじゃないんだよ……」

と千歳は佐藤の顔を見て少し涙目で微笑んだ。


二人は無言でラーメンをすすった。

スープの温かさが心に染みた……



それからしばらくして丼が空になった頃、佐藤が立ち上がった。

「俺ちょっとコンビニで金下して来る……

コンビニ、カフェとは反対方向で外寒いから、しばくここで待っててくれ」


千歳は笑顔で応える。

「分かった、ついでにグミ買って来てペンギンのやつ」

千歳は佐藤が店から出て行くのを見送って

リュックから折り鶴を取り出し、カウンターにそっと置いた。


その折り鶴は黄ばみ、赤い鼻血の染みがついていた。


更に新しい折り紙をリュックから取り出し、ペンを走らせ始める。

千歳は頰をわずかに染めながら真剣なまなざしで書き終え、その紙を二つに折った。

そして、また折り鶴と一緒にその紙をリュックへしまった……


そのときおやじが千歳に優しく話しかけた。

「さっきまで先生がいたからなんとなく聞けなかったけど……

お前たち、仲直りしたってことだよな?」


千歳は少し困ったように笑った。

「いや、その……別に喧嘩してたわけじゃなくて。

でもその……あのときのことはまだ秘密にしといて欲しいんです。

さっきは黙っててくれてありがとうございました」



そこへ佐藤が戻ってきた。

千歳はおやじにウインクする。

おやじはすべて察して、にこりと頷く。


勘定をすませ、店を出ていく二人を見送りながら、おやじは独り言を漏らす。

「秘密にしといて、か……優し過ぎるよ、あの子は……

自分の気持ち押し殺して、あのとき私もいたって言えばいいのに……」



帰り道、雪の中で千歳が言った。

「来年も、またここに来ようね」


佐藤は強く頷いた。

「絶対だ」


雪は静かに降り続いていた。

二人の足跡だけが、すぐに白く埋められていく。

まるで、この一瞬の温もりを、世界がそっと隠してしまうかのように。


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