表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/3

痴漢捏造犯vs痴漢常習犯

川白美香かわしろ みか、29歳。

彼女には定職がない。だが、堂々と胸を張ってこう言える。


「仕事はしてるわよ。痴漢に仕立てて“稼ぐ”のが、私の仕事」


満員電車──それが彼女の“職場”だった。

朝からスーツ姿の男たちに囲まれながら、ターゲットを探す。

彼らの中には、無実であろうが関係ない。


美香は、隙を見て男の腕を自分に押しつけ、わざとらしく悲鳴を上げる。

「きゃっ! この人、痴漢です!」

そう叫ぶだけで、駅員も周囲の乗客も彼女を“被害者”として扱ってくれる。


証拠はなくとも、痴漢の嫌疑をかけられた男は社会的に死んだも同然。

示談金や慰謝料を支払う以外に選択肢はない。


「簡単でしょ? 男の人生なんて、ワンアクションで終わらせられる」


彼女は笑みを浮かべ、今日も獲物を探す。

その姿は、悪女というよりも“冷酷なハンター”そのものだった。


しかし──この日、彼女が仕立て上げようとした“獲物”は、いつものカモとは違った。

無知で愚かな男ではなく、狡猾さを隠し持つ“本物の常習犯”だったのだ。


電車の中──美香の視線の先に、一人の男がいた。

無精ひげにくすんだスーツ。吊革を握るその姿は、どこにでもいる冴えない会社員のように見える。


だが、彼には“裏の顔”があった。


東山和夫ひがしやま かずお、三十代後半。

彼の通勤時間の“楽しみ”は、他人には決して言えないものだった。

人波に紛れながら、ターゲットを見定める視線。

女子高生、女子大生、OL──彼の中で「標的」とされる存在は決まっていた。


佐久間は“常習犯”だった。

これまで何度も危ない場面はあったが、その度に巧妙に切り抜けてきた。


「俺が疑われる前に、誰かをスケープゴートにすればいい」


彼は周囲の仕組みを知り尽くしていた。

混雑に紛れて逃げるタイミング、駅の監視カメラの死角、そして近くの男に罪を擦りつける言葉の巧さ。

追い詰められても、“自分は潔白だ”と演じるのは朝飯前だった。


だからこそ、彼は今日まで一度も捕まることなく、好き放題に“通勤電車”を狩場にしてきたのだ。


──その東山を、川白美香は新たな“カモ”に選んだ。

だが、彼女はまだ知らない。

自分の得意技が、この男には通用しないどころか、“逆手”に取られることを。


ある朝の満員電車。

いつものように吊革を握る佐久間のすぐそばに、美香はさりげなく立っていた。


(……今日の“獲物”は、この人でいいわ)

彼女は心の中で決め、わざと体を揺らして距離を詰めた。


次の瞬間、彼女は甲高い声を張り上げた。

「この人!痴漢です!」


車内の空気が一変する。

ざわめき、振り返る乗客たち。

美香は涙声を作りながら、彼の腕をつかんだ。


「ふざけるな」

佐久間の声は低く、しかし動揺はなかった。


「俺は何もしていない」

毅然とした態度で、彼は真っ直ぐに美香を見返した。


周囲から「どうするんだ」「駅員に連れてけ」という声が飛び交う。

やがて車掌に通報が入り、二人は駅の事務室に連れて行かれることになった。


蛍光灯に照らされた狭い部屋。

駅員と、呼び出された鉄道警察の職員が同席する。

テーブルを挟み、美香と佐久間が座らされた。


「それでは、お二人のお話を伺います」

駅員の声に、美香は早口でまくしたてた。


「この人、さっきからずっと体を押し付けてきて!本当に怖かったんです!」


一方で佐久間は落ち着いた声で答える。

「証拠はありますか? 監視カメラを確認していただければ分かります。私は吊革を持っていただけで、彼女に触れていません」


美香の表情にわずかな焦りが走った。

彼女はこれまでのケースで、男たちがしどろもどろになるのを見てきた。

「痴漢なんかしていません!」と必死に否定すればするほど、逆に怪しく映るのが常だった。


だが佐久間は違った。

目を逸らさず、淡々と冷静に話すその姿は、まるで“用意周到な無実の人間”そのものだった。


(……この人、他の男たちと違う……?)

美香の背筋に冷たい汗が流れた。


駅の事務室で、佐久間と美香は互いに睨み合っていた。

警察官が淡々と告げる。


「監視カメラ映像の確認が終わりました」


画面に映っていたのは──佐久間が吊革を握り、微動だにしていない姿。

その横で、美香がわざと揺れ、声を張り上げる瞬間が克明に記録されていた。


「……やはり、彼は触れていませんね」

駅員がつぶやく。


美香の顔色が一気に青ざめた。

「ち、違うんです! 私は本当に……!」


だが警察官は冷たく続けた。

「実はあなたに関する相談が、これまでも複数寄せられているんです。“痴漢をでっちあげられた”と」


机の上に並べられたのは、複数の男性からの被害届。

証言は一致していた。


「……嘘、でしょ」

美香の唇が震える。


だがその時、別の警察官が書類を差し出した。

「そして、東山さん。あなたについても報告があります」


佐久間は眉をひそめた。

「……俺が?」


「過去に複数の路線で、“痴漢常習犯がいる”という通報が上がっていました。特徴が──あなたと一致します」


室内が凍りついた。


「……!」

美香が息を呑む。


佐久間は唇を噛み、黙り込んだ。


「つまり、こういうことです」

警察官は書類を閉じ、二人を見渡す。

「あなたは痴漢を“でっちあげて金を得ていた”。

 そしてあなたは“痴漢の常習犯だった”。」


まるで皮肉な天秤。

嘘で人を陥れてきた女と、欲望で女を弄んできた男。

どちらも同じ列車の中で、ついに行き着くところまで行き着いた。


「双方の行為について、厳正に捜査を行います」

警察官の冷たい言葉が響いた。


椅子に崩れ落ちる美香。

目を伏せる東山。


──列車は再び走り出していた。

車窓の外を流れる街は、何事もなかったかのように日常を続けている。


だが、その裏で二人の人生は大きく脱線し、二度と元には戻れなくなっていた。


だが──事務室の外には、険しい表情の通勤客がいた。

「俺だって疑われたことがある」

「私は本当に被害に遭ったのに信じてもらえなかった」


痴漢をでっちあげる女。

痴漢を繰り返す男。

そのせいで、本当に被害を受けた女性も、冤罪で人生を壊された男性も、みんな巻き込まれてしまう。


誰もが疑心暗鬼に陥り、誰もが傷つく。


──こうして、皮肉にも二人の歪んだ行為は、無関係の男女にまで影を落とすことになったのだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ