魔王殿通路にて
魔王殿入り口の扉は、重いが押せば普通に開き、俺達を迎え入れる。中はそれなりに広い通路が伸びているが、先はカーブになっている様で奥がどうなっているかは一見しては分からない。見える限りには誰も居ない、というか俺達以外に動く物は無いし、何処かで地下水か何かが流れる音か、地鳴りの様な音が鳴ってはいるが、俺達の足音より大きな音は聞こえない。ポツポツ灯りは有るが、お世辞にも明るいとは言えない。
案内などは無いが、横道も無いのでひたすら前進する。魔王の居城となれば所謂"ラストダンジョン"みたいなものだろうと思っていたのだが、迷いもしないし敵モンスターと遭遇する訳でも無い。まあ自分の居城の中にモンスターを放しておくって感覚は凡人には余り良く分からないが。
通路は奥に行くに従い人工物感が増して来る。時々通路の隅とかで青い光が点灯する事が有るが、これ、恐らく通行証が無かったら何か良くない仕掛けが作動するセキュリティの装置なのだろう。持ってて良かった通行証!
と、ここへ来て初めて何者かの足音が進行方向から聞こえて来た。二本足の足音、恐らく靴を履いている、そして特に足音を隠すつもりも無さそう。単なる通行人か? 緊張気味にこちらも前進する。やがてカーブの先から足音の主が見えて来た。ん、あれは…! そして、向こうもこっちに気付いた。
「あ、あなた、エボニアム! 」
そう叫び、ツカツカとこっちへ足早に向かって来る女性。"エボニアム"の同僚、そして"ボニー"としての俺とも顔見知りの、魔王四天王の1人にして魔道国家ザキラムの女王、ビオレッタである。
「どういう事よエボニアム! 今日魔王様に呼び出されて、たった今"新しい"エボニアムなんてのを紹介されたわ。まるで子供みたいな、あんたとは似ても似つかない奴よ。…て言うか、あんたやっぱり生きてたんじゃない! 一時はあのドラゴンとの戦闘の後力尽きて死んだのかと思ってたわよ。今回それで息子か何かが出て来たのかもって…。いやそれよりあんたって結局何なの、エボニアムなの、そうじゃないの? あの子供エボニアムは何、どっちが本物なの⁈ 」
「あ…う…、その…」
ビオレッタからの怒涛の質問にこっちの考えが追いつかない。どこまで言っていいのか、どう言えば信用して貰えるか。そもそも俺自身が今の状況を説明出来る程理解しているのかも怪しい。たぶん何者かの意思が働いているのだとは思うが、その者の正体、目的、敵か味方か、何も分かっていないのだ。
「向こうが"エボニアム"を名乗っているのだとしたら、俺は"ボニー"と名乗る事にする。どっちが本当のエボニアムかと言われたら、向こうの方が本質的な所では本物なのだろう。俺は…、中身は別人なんだ。」
それだけ言うのがやっとだった。もちろんビオレッタは納得出来た様子は全然無い。
「"中身は"ってのはどういう事? あんたの中に別の人格が生まれた…、二重人格って事? じゃああっちは何? 言動なんかは以前のエボニアムと同じ様な事を言うけど、オーラも魔力も見た目通りの子供レベルよ。どんなに勇ましい事を言ったって、顔も声も可愛くなっちゃって、ただのイキった不良少年よあれじゃ。」
「まあ、貴女の知るエボニアムを俺はほとんど知らない。恐らく同じ様には出来ないし、する気も無い。だから、どちらが偽のエボニアムかと言われれば俺の方だ。俺はボニーでいいんだ。」
更に疑問をぶつけて来るビオレッタだが、俺の方の口が重いのを感じてか、ややクールダウンする。
「…ううん、どうにも納得できる結論に到達できそうな気がしない。でもあんたのその変わり様が今の話を裏付けているとも言えるわ、全然腑に落ちないんだけどね。それで、あんたは何しにこの魔王城へ来たの? 時候の挨拶とかしに来た訳じゃ無いでしょ。」
ビオレッタが質問を変えて来る。こっちには率直に答えておこうかと思う。
「俺は交渉…というかお願いに来たのだ。この大陸に有っては人族の立場が悪過ぎると思うんだが、それはどうやら魔王様ご自身の考え方によるものであるらしい。そのお考えを変えて欲しいという事で、説得出来ればと思っているんだが…。」
「何とまあ、魔王様を説得⁈ それは…難しいんじゃ無いかしら。あの方が他人からの意見でご自分の考えを変えるとはちょっと思い難いわ。人族の扱いについては…、実は今日もザキラムで人族に対して高い身分を与え過ぎているとお小言を喰らって来たところよ。ザキラムで最も重要視する魔法運用の能力に於いて、人族が魔族に劣るという事は無いのだと必死に説明したのだけど、全く聞き入れて貰えなかった。」
やはりこれは、話し合いだけじゃ済まないかも…。先行きは厳しそうだ。
「…あと、これだけは言っておかなくちゃね。」
ここで妙に改たまった感じで俺に向かって姿勢を正すビオレッタ。
「弟の件、感謝してるわ。」
「ん?…、ああ…。」
「弟は…コンロイは、やらかした事を考えれば国として、或いは私個人としても捜索や救援に動く訳には行かなかった。あんたが帰れる様に手筈を整えてくれたんだってね。あれは私にとってこの世で唯一の肉親、無事な姿で帰って来たのは本当に嬉しかった。涙が出そうになって、誤魔化すのに往復ビンタを喰らわしたけどね。」
そう言えばそんな事も有った。ビリジオンから新天地に脱出しようとしていた俺の友人ら一行に、案内兼口利き役としてコンロイ氏を紹介したんだ。無事ザキラムに着いたんだな。
「ペール達…、俺の友人達は元気かな…。」
質問する気では無かったが、そんな言葉が気付けば口から出ていた。
「コンロイを連れ帰ってくれたあの者達ね? コンロイ共々パンプール魔法学園のマリーヴの元へ送り届けたわよ。姉弟は特待生として受け入れる事になっているわ。あの初老の男はかなり腕が立つ様なので、学園付きの警備職員として働いて貰う予定よ。」
…そうか、皆んな元気なんだな、良かった…。
「そうそう、あんたコンロイにドラゴンの件が解決済みな事を言って無かったんでしょ? 真似して黙ったまま学園に連れて行ったんだけど。学園に着くまで相当鼻息が荒かったんでおかしくなっちゃったわよ。研鑽してかなり腕は上がった筈なので、今度こそ"主"をどうにかするぞってね。新たに再建されたばかりの共同異空間制御塔の前で、マリーヴからその事を明かされて、顎が落ちそうな顔をしてたわよ、人が悪いねあんたも。」
こらこら、全力で乗っかっておいて何を言うか実の姉! まぁそこは目論見通りではあったかな。
件の学園で管理している召喚魔の収容施設である"共同異空間"に、かつてコンロイ氏が無理に召喚したドラゴンを収めたものの、まともに制御出来ず、入れっ放しのまま放置の状態になってしまった件、コンロイ氏にとってはいつかは解決すべき問題として30年以上も思い悩み続けた人生の宿題だった様だが、実はとある事件によりドラゴンは解放されてしまい、今はもう学園の異空間には居ないのだ。そして解放されて暴れ回ろうとしていたそのドラゴンは俺が懲らしめて大人しくさせて…。
「ああ、コンロイってどっかで聞いた事有ると思ってたら…、元ご主人か。そう言えばその女も見覚え有るな。」
ここで突然口を挟むジュウベイ少年。その遠慮のない態度にややムッとするビオレッタ。
「ところで、気になってはいたんだけどこの小僧は何なの? 何で子供なんかお供にしてるのよ?」
「ああ、こいつは"アバター"だそうだ、見た目通りの存在じゃ無い。会った事有るぜ。」
俺の答えに考え込む女王。
「アバター…って言うと、ドラゴンなんかが使う化身の事?…え、ドラゴン…って、まさか! 」
「ああ。パンプール魔法学園の召喚魔の収容施設、共同異空間の、元"主"、グランド・ドラゴンのジュウベイ君だ。」
「あん時はどうも。」
俺の明るいトーンとジュウベイの力の抜けた態度に口をぱくぱくしながら何も言えない女王。まあ、あれだけ長きに渡った国家的大問題を"どうも"の一言で済まされちゃなぁ。
「…と、とりあえず、あんた達には後で話が有るわよ。まずは用を済まして来なさいよ。」
と、わなわな震えながら今は飲み込んでくれたビオレッタ女王。そう、俺には本題が有る。魔王と交渉をしなければならないのだ。
ビオレッタと別れ、先へ進む。相変わらず人気は無いが、通行証のチェックだけは頻繁にされている様だ。魔王の"居城"とは言っていたが、城感は全く無い、どちらかと言えば"悪の秘密基地"と言う感じ。
この辺りまで来ると通路の左右に幾つかの小さな扉も見られるが、まじのダンジョン探索って訳では無いので敢えてスルー、ひたすらメインルートを突き進む。
やがて道は明らかに他よりゴツくて立派な大扉に突き当たって終わる。ここが魔王様のおわす御殿(?)の入り口に間違い無いという事が雰囲気で分かる。入り口からほぼ一本道という実に潔い、と言うか攻め込まれる事を全く警戒していないかの様な作りだ。後、ここまで生活臭というものが全く感じられなかったが、魔王様っていうのは普段どうやって暮らしているんだろう?
大扉は鍵とかは掛かっていなかったし、"通行証"絡みの仕掛けも此処には無い様だ、ただとんでもなく重い。青筋が立つ程思い切り押してやっと動くという開けづらさだ。ジュウベイと一緒に10分程掛けてやっと通れるくらいの隙間を開け、何とか中へ滑り込む。するとそこは…。