魔王領を当てどなく彷徨う魔神
魔大陸の、その特殊性、魔王を頂く地で有るのが特徴というのは間違い無い。そこに有る国が全て魔族の治める国で有ると言う事も。しかし何と言っても最大の特徴は大陸中央にそそり立ち、常に瘴気を撒き散らすという魔の山、ミドナ火山の存在だ。火山とは言われるが実は火を吹く山という側面は余り無い。主にその火口から吐き出されるのはもっぱら濃い瘴気。この瘴気が濃度の違いこそ有れ、大陸全土を覆っており、その結果魔族の生活、繁殖に適するというのが魔大陸の最大の特徴だ。
瘴気は即ち"瘴素"であり、炭素、魔素と並びこの世界の生けるものを構成する主要な要素の一つだ。炭素の比率が高いのが人族や動物、魔素の割合の方が高いのが幻獣や妖精、そこに瘴素が含まれているのが魔族や魔物。というのが大雑把なところだ。人族だが魔素が少し入ったエルフや、魔族に近いが魔素のほぼ含まれ無い鬼族など、細かく分ければ中々複雑だ。ただこの世界で瘴素は希少元素なので、世界全体で見れば人族や普通の動物の方が圧倒的に数が多い。しかしそれが逆転してしまっているのがこの大陸だ。故に"魔大陸"と呼ばれる。
基本的に体組織に瘴素が内在しない生物にとって瘴気は毒である。特に植物は瘴気に強いものは少なく、魔大陸は農業や林業、更には畜産業などには余り向いていない。その為昔の魔大陸の住民の大半は略奪する事で食っており、その対象は海を超えた外の人間の大陸へと及んだ。魔族が生産活動に長けていないのにはこの辺にも原因が有りそうだ。
向いていないながらもミドナ火山から遠い地域では土着の人族が細々と農業等を行なっていた。それに着目した魔族達は、外の大陸から人間を攫って来て魔大陸内で農作物を作る事を強要した。これが功を奏し、細々とではあるが魔大陸でも農作物が流通する様になり、食糧事情は大幅に改善した。
これに味を占めた魔族達は、更に次から次へと人間を攫って来ては様々なものの生産に従事させた。道具や服や、建物の建築、鍛治や土木。あらゆる技術者を連れ込んだ。それにより魔大陸の文化レベルは劇的に上がり、村が、街が、そして国が興されるに至る。
もちろん攫って行かれる方はたまったものではない。この頃から人族と魔族の対立は激しさを増す。魔族側は拉致した人族を返却する事には一切応じず拉致も続けた。その為人族の国で魔族は見つけたら即退治が当たり前と言う扱いになった。そんな完全に拗れてしまった関係のままの睨み合いがもう何百年も続いているのだと言う。
そんな魔大陸の象徴とも言えるミドナ火山、それは今俺の目の前に有る。山に近付けば近付く程濃くなって行く瘴気、それに比して減って行った植物を始めとした生有る物の息吹。
瘴気は基本的に生き物にとっては毒である。耐性があるとは言え、魔族にとってもそれは同じ、濃過ぎれば活動に支障をきたす。その為"魔王領"とは基本的には人の住めない地域で有る。人間はもちろん動物も植物も、此処ではまともに生きて行くことも出来ない。魔族ですら長くは住めないだろう。生きられるのはせいぜい幻獣や魔神、悪魔等ぐらいか。魔王=悪魔説が出て来る所以である。
と、ここまでの基礎知識をネビルブから学びながら、エボニアム国の管理下にある領域を離れ、魔王領に侵入して行く俺とネビルブ。他にも俺の旅について来たがった者もいたのだが、ここまで瘴気が濃ければ体力自慢の大鬼族の者でも体に変調をきたしてもおかしく無いし、増して人と魔族のハーフなんてまともに活動出来ないのでは無いかと思う。
かく言う俺は、実は特に何の影響も受けていない。瘴気が濃いという事だけは、何と言うか、"匂い"で分かるのだが、それが俺の体調に影響を与える事は無い様だ。それはスピードの関係で今は俺の懐の中に居るカラス型魔法生物のネビルブも一緒らしい。どちらも炭素生物で無いせいだろうか。
眼下に広がる景色は既に緑の部分は無く、荒れ果てた大地が広がるのみ、窪んだ所に瘴気溜まりが発生していて、その中に何者かが潜み蠢いているのを感じる事は有るが、あそこに居る連中と楽しく会話が出来る気は全くしない。
「魔王様ってのはこんな何も無い荒野を治めて、何が楽しいんだろんだろうな。友達出来なそうだよな。」
「友達ってw、まあ魔王様のメンタリティは中々常人には推し量れないものが有るでクエ。ただミドナ火山はこの魔族の楽園たる魔大陸の言わば要ですクワらな。そこを管理下に置くのは大陸の王としてはマストでしょう。でもさすがに山の近くには住んでいないと思うでクエよ。部下が堪りません。」
懐の中でネビルブが答える。
「そう言えば闇雲に火山を目指して飛んで来たが、魔王城ってのはそもそもどの辺りに在るんだ?」
俺は自前の皮膜の翼で飛行しながらネビルブに問う。
「魔王様の御殿まではお供した事が無いので正直アタシも良くは存じ上げないでクエ。ダイダン側から行く方が近いとは聞いた気がしますグワ。」
うーん、割と勢いで来ちゃったけど、まずったかな。せめてジン・レオン辺りに場所だけでも聞いておくべきだったかも。行った先で誰かに聞けばいいかなんて軽く考えてたけど、ここまで聞く相手が全然いないとは予想もしなかった。目印は無し、街道なんてものも無し、そもそも人工的な物も何一つ見掛けない。さてどうしたものか…。
「魔王殿は地上からは見つけ辛い様になっていると聞いた気もしますクエ。言わば地下ダンジョンになってるとクワ。」
ダンジョン! そいつは…男の子の冒険心をくすぐるワード。とは言え、いよいよノーヒントで発見する自信が無くなって来た。何とか誰か見つけて聞かないと…。
俺は嫌々ながら瘴気溜まりの一つに飛び込んで行く。まあ、身体に影響が有る訳では無いのだが、あまりいい気持ちはしない。
淀みの中に蠢いていたのはやはりまともな物では無かった。瘴気そのものが固まった様な悪霊の様なもの、邪気とか幽鬼とか、とにかく話の通じなそうな連中ばかり。だがその中に一体だけ、なにやら人語を解しそうな奴がいた。何だあれ、人面ライオン? サソリみたいな尻尾が生えてるし、皮膜の羽まで。だがその人間の老人みたいな顔は、とりあえず言葉は喋りそうに見える。
「マンティコアでクエ…。」
そう口添えして来るネビルブの表情から曲者なのは窺い知れた。まあ、性格のいい奴の面では無いな…。
「やあ、こんにちは。」
とりあえず無難に挨拶をしてみる。
「ほう、こんな場所に来客とは珍しい。と言うか、物好きだねぇ。」
歓迎しているのか馬鹿にしているのかまるで興味が無いのか、掴み辛い反応のマンティコア。
「すまんが道を尋ねたいんだが…。」
敢えて率直に本題を切り出す俺。今の所正解が全く分からない。
「道…とはおかしな事を。この土地に元々道など有りはしない。無いものを尋ねられても答えようが無い。」
「…それは、確かにそうだな。言い直そう。魔王様の居留地への行き方を教えて欲しいんだ。」
「行き方かね。それを聞く前に、まずはワシがそれについて知っているのかを問うべきではないかね。」
「…なるほど、道理だ。あなたは魔王様がお住まいの場所をご存知か?」
辛抱強く質問を重ねる俺。
「さて、わしがそれを知っていると答えたとしよう。だがそれはもう遠い昔の事で、今はもう全く違う所に移ったかも知れない。そうは思わんかね?」
「…可能性は有る。だが俺にはそもそも今その事に関して何の情報も無い。僅かな可能性でも唯一の情報に頼るしか無いんだ。」
「さて、そうは言うが、いざ行ってみたらワシの言った場所が違っていたとすれば、ワシが嘘を教えたのと一緒になってしまうな。」
「いや、嘘つき呼ばわりをするつもりは無い、ただ情報の精度のばらつきと捉えるだけだ!」
何か…、さすがにちょっとイライラして来た。
「ほう、ワシを嘘つきと思わないと約束してくれるのか。ならワシは無理に本当の事を言う必要も無いという事かな。」
「いや、そういう事では…」
「魔王殿はね…あっちさ。」
マンティコアはサソリの尾の先で或る方向を示す。そしてニヤリと笑う。…どっちだこれ、言った通りなのか、実は全くの逆方向なのか、そもそもコイツは魔王殿の場所なんか全く知らなくて、出まかせで指し示しただけなのか?
情報を聞いた結果かえって混乱してしまった俺。とりあえず示された方向へ歩き出す。ふと振り返るとマンティコアがこっちを見てニヤニヤしている。
「マンティコアは何にでも事情通と言われる幻獣ですクワら、恐らく情報は持ってると思うでクエよ、ただそれをまともに引き出そうと思っても、あの性格ですクワらな。一筋縄じゃ行きません。」
「ああ、身に染みたよ。」
まあ、全くの出まかせじゃあ無いかもって事かな。とりあえず、他にしょうがないので示された方に歩き続ける。誰か他に聞ける相手に出会えればとも期待したが、会話が出来そうな者とはついぞ出会わず、問答無用で襲って来る悪霊の類いや低級の幻獣を蹴散らしながら、確証も無いまま前進して行くと、やがて一つの岩山に行き着く。そしてそこにはでかい洞窟が口を空けていた…。