第2章「新王の重荷」
王冠は、思った以上に重かった。
リュカ・アレスティアは、王の証である黒金の王冠を机の上にそっと置いた。
それはただの装飾ではない。数百年に渡って王たちが背負ってきた、権力と責任、そして血の記憶が染み込んだ代物だった。
「陛下。ヴァリオス枢機卿から、今朝の使者です」
報告とともに、近衛騎士の一人が封印された文書を差し出す。
リュカはそれを手に取り、重々しい印章を剥がした。
中には、教会の文言にしては珍しく、感情を滲ませた一文があった。
『王自らが影織りの力を認め、保護するなど、異端としか言いようがありません。
王国が神の道から外れれば、我々はその正義を取り戻すまで。』
「正義、か……」
リュカは低く呟いた。
教会の正義とは、常に“自らの価値観による浄化”に過ぎない。
影織りという未知の存在を、彼らは恐れ、排除しようとしている。
「彼らが恐れているのは、影そのものではない。影が『希望』に変わることだ」
宰相のギルダンがそっと言葉を重ねる。
「その通りです。ですが、王都内部にも影織りに懐疑的な貴族は多い。慎重な策が求められますぞ」
「……ならば逆に問おう。慎重さの先に、何がある?」
リュカは振り返り、真っすぐギルダンを見据えた。
「改革には痛みが伴う。だが、恐れて後退する王には、誰もついてこない」
その瞳は燃えていた。だがその奥に、疲労と孤独が確かに滲んでいた。
——
その頃、貴族議会では異様な緊張が走っていた。
影織りの登録制度をめぐって、激しい対立が起きていたのだ。
「王は、影織りを公務に登用するつもりか!? 貴族の安全を脅かすつもりか!?」
「いや、それ以前に。影の力など使わずとも、我らの剣と知恵で国を守れる!」
会議は紛糾していた。
その隅に、一人の若者が静かに座っていた。
リュカの幼馴染であり、現在は王政顧問の立場にあるレンフォル・アルセイド。
彼は会議を眺めながら、心の奥にある違和感を抱いていた。
(リュカ……お前の信じる道は、正しいのか? それとも……)
彼の視線が、会議の最奥——かつて王妃が座っていた椅子に向く。
そこには誰も座っていない。
けれどその空席は、あまりにも多くを語っていた。
——
夜、王宮の庭園。
リュカは一人、影に向き合っていた。
自身の足元に揺れる黒い影は、形を変え、まるで何かを問いかけてくるようだった。
「俺は……間違っているのか?」
沈黙が続いた。
だがその時、背後から柔らかな足音が近づいた。
振り向くと、そこにいたのは、王宮付きの医官であり、かつての影織りの研究者——リアナ・エストレアだった。
「……王様でも、弱音は吐くのね」
「……こんな時間に、何をしている」
「あなたの背中が、悲鳴を上げてるの。放っておけなかっただけ」
彼女はそっと、リュカの背に手を当てた。
優しい力。あたたかさ。
それは彼の中で冷えていた“人間”としての感情を、ほんの少しだけ溶かした。
「信じなさい、リュカ。たとえすぐには理解されなくても。
影を『希望』に変えられるのは……その手で、光を知っているあなただけよ」
リュカは小さく笑った。
「ありがとう、リアナ。……俺は、やはり進むしかないらしい」
影を背にしたまま、王は再び立ち上がる。
その足は揺れても、決して止まらない。