第1章「影の継承者」
夜明け前の森は、すでに眠りから目覚めていた。
梢を揺らす風が、影のように滑り、霧の帳を薄く裂いていく。
その中で、少女の剣が銀の弧を描いた。
「——そこまでよ」
鋭く放たれた声と共に、敵の影が消え去る。
地面に沈むようにして倒れた黒装束の男の手から、鋭い小刀が転がり落ちた。
影織り——その力を用いる暗殺者。だが彼女にとっては、もはや脅威でもなかった。
少女の名はエリス・ノーヴァ。
灰銀の髪と無機質な瞳を持つ剣士。
その背には一振りの長剣、そして足元には微かに揺れる漆黒の影。
「また一人……私の命を狙う理由を、誰も語らない」
彼女は囁くように呟いた。
その言葉は誰にも届かない。敵はすでに沈黙し、森はまた静寂に包まれていた。
——
アレスティア王国・王都フレイド。
第一部の終幕から一年、王位を継いだリュカ・アレスティアは、王城の執務室にいた。
「……この報告書の通り、辺境の村で“影の異能”を持つ少年が処刑されたと?」
重く響いた声に、傍らの老宰相がうなずく。
「はい。教会の審問官が“魔導異端”と判断し……王命に反して勝手に処刑を強行しました」
リュカの眉がわずかに動く。
「……何度も伝えている。影織りの力は異端ではない。私自身が、その証だと」
「それでも、教会にとっては、陛下すらも……“例外”ではないのです」
その言葉に、王の拳が静かに机に沈む。
影織りの力は未だ人々に受け入れられていない。
だが、リュカにとってそれは自らを支え、国を変える唯一の希望だった。
執務室の窓辺に立ち、朝日が昇る街を見下ろしながら、彼は決意する。
「私はこの手で、影を正義に変える。たとえ、世界を敵に回しても」
——
その頃、王都から遠く離れた古代遺跡・ニエヴァの洞窟では、影のように滑る男が歩いていた。
「フ……まだ目覚めぬか。王冠の影よ」
男の名はカイン。
かつてリュカと対立し、滅びたはずの〈黒影の盟〉の首領。
だが彼は生きていた。そして今、さらなる力を得るために動いていた。
洞窟の奥にある封印の門。
そこには“始祖の影織り”の遺産と呼ばれる禁忌の魔導具が眠るという。
「影は、ただ従うものではない。支配する者の手にあってこそ、力となる」
カインの影が、封印を包み込む。
その瞳は、王冠を越えた力を見据えていた。
——
そして夜。
エリス・ノーヴァは焚き火のそばに座り、静かに剣を磨いていた。
「王都へ行く……リュカ・アレスティア」
その名を口にした時、彼女の影が一瞬震えた。
かつての因縁。かつての誓い。
そのすべてを確かめるため、彼女は王の前に現れるつもりだった。
影の継承者たちが動き出す。
それは、新たな時代の胎動。
そして、王国に新たな混乱を呼び寄せる序章でもあった。