勇者とは困難に立ち向かう勝ち組か因果な運命に抗う負け組か。
僕が―――。
俺が手足が伸び切る頃には、水汲みも朝日が昇る頃には終わり、薪割り朝餉の支度も手早く熟せる様になった。
森に仕掛けた猪罠を見回り、かかった猪を担いで家に帰った時だった。
「…」
「…それでは」
玄関に誰か来ている。
「…」
彼はこちらに会釈すると消えた。
気配を感じ、そちらを見ると木が揺れ、その姿は彼方に。
もうあんなに遠くに。
「師匠?」
「…うむ」
珍しく何処か上の空な返事だった。
昼が過ぎ夕方になる。
「…ついて来い」
「?」
夕飯の支度をしようとしたら師匠に呼ばれた。
「好きな武器を取れ」
「え?」
一瞬の踏み込みに辛うじて身を捩って交わした。
目の前に師匠の愛刀の切っ先が通り過ぎた。
「な、なんなんです!?」
「参る…」
打ち込みが数度、速度が上がり斬り込みで髪が少し斬られた。
やらなければやられる!?
散髪じゃ済まなくなる、胴と首が生き別れになるレベルの斬撃だ。
なんとか間合いの外に逃げていつも持ち歩いている短刀を構えた。
いや、間合いの外に出されたか。
構え体制と呼吸を整えた、そんな暇を与えてくれる師匠。
さて、どうする…。
いつもならここで終わりの飯抜きだが、今日はここで終わりそうにない。
「…本気なんですね?」
「…ぁあ」
師匠は愛刀を鞘に納めた。
ヤバい、本気だ。
背中を向ければ斬られる、突っ込んでも間に合わない。
次の抜刀の居合で確実に切り殺される。
俺は横に飛んだ。
右ではなく左に師匠の無い腕のほうへ。
「フゥッッッ!!」
弓が引かれ矢が解き放たれるような呼吸と弾ける師匠の身体が急速に近づいた。
振り抜かれる刀を弾いた。
「良かった、頑丈だ」
「それを選ぶか」
師匠の我楽多が並ぶ中から蒼い西洋盾を選んだ。
「…なんの真似だ?」
「これしかないと思いまして…」
その西洋盾の下に亀のように隠れた。
「ならこれで仕舞だ」
「…」
タイミングは一度、師匠の姿は見えないけど、呼吸に足捌きを肌で感じる。
何年も一緒に暮らしているんだ、そのくらい分かる。
今、必殺の一撃で西洋盾ごと俺を叩き割ろうとしている。
飛竜を斬り伏せた技だ。
さっきまでいたはずの場所の師匠の気配が消えた。
今だ、西洋盾を跳ね上げる!!
全身のバネを使い身体を四枝をフル稼働、教わった事は呼吸と筋肉の制御とその先への思いの強さ。
「なに!?」
西洋盾ごと飛び上がり師匠にぶつかる勢いで跳ね上がった。
「この程度で勝てると思ったかッ!?」
西洋盾を弾くと空中で体勢を立て直し、直ぐさま次の動作に。
殺傷対象である俺に狙いを定めて来た。
「なんだと?」
盾を離していれば、斬られていた。
盾の裏に隠れそのまま弾かれても裏に隠れたままなのは予想外といった顔だ。
「いきます!!!」
裏返った盾を蹴り空中で師匠に飛び掛かる。
抜かれた刀は、死に体となり振り直すのに数秒かかるその隙に。
「グハッ!?」
「ぅぐッ!」
そのまま地面に激突、師匠の上に覆いかぶさり喉元に短刀を突き付けた。
「はぁ、はあッ、はぁ…俺の勝ちでいいですか?」
「…あぁ、参った」
「どいたら斬りかかってこないでしょうね?」
「負けだ負け、お前の勝ち、飯にするぞ」
振り落され、師匠は家に向かった、俺もついていく。
「悪いが酒を出してくれ」
「はぃ、控えてくださいね…」
夕食の晩酌をする師匠は何処か寂しそうに見えた。
「朝、来ていたのは昔の同僚で仕事の依頼だ」
「はぁ、そうですか…」
静かに語り出すのを聞いた。
「しかし、今のままでは何ともならん」
「どうするんですか?」
「いなくてもどうにかするだろうて…」
「…そうですか」
何か考え詰めた結果なのだろう、悔しそうに愛刀を握りしめている。
こんな師匠はじめてだ。
「そんな事より、強くなったな」
「いえ、まだまだですよ…」
「そうか、それに年頃だな…」
「はぁ、そうですかね?」
「好きな女子はおるか?街の何と言ったか…」
「衣服屋のケティですか?」
「そうそれだ、いつも仲良く話してるだろ?」
「単なる仕事相手ですよ、獣の皮を買い取って貰わないと明日の食べ物もないので…」
「そうか、女を知らず…というのも酷だな…」
「…それでは俺はこれで」
「どうした夜はまだまだこれからだぞ?」
「それではッ!!」
「待てぃ!!!」
俺は家から飛び出し、師匠が追ってくる。
夜道をひた走るその背後に気配がどんどん大きくなった。
「こら、なぜ逃げる!?」
「師匠が追ってくるからです!」
「なら追わぬからそこで止まれ!」
「いやです!!」
こんなに本気で鬼ごっこをしたのは初めてだった。
夜の森、強大な何かに森が怯えている。
その何かにヒリヒリと感じるそれは、今まで感じたことのない恐怖だった。
「待てと言っている!」
「いやだぁあぁあぁ!?」
―――小一時間は走っただろうか?
気が付くと、俺は洞窟で目を覚ました。
藁が敷かれたベットで全裸で。
熊の寝床だったんだろうか、幸いここの主はいなかった。
「よう目が覚めたか?」
「…師匠?」
半裸の師匠が煙管を吹かしている。
機嫌が良い時にする癖だ、普段は絶対煙管に火をつけない。
「朝ですか?」
「ぁあ…良かったぞ」
「…今日、旅に出ますね」
「実は今まで処女でな」
「そんな事実聞きたくないです!」
「なぜじゃ!?初夜じゃぞ!!」
「やめてください、あ、あれです。犬にでも噛まれたと思って忘れてください!」
「なんじゃと、貴様なんぞ破門じゃ!!」
「有難う御座います!!」
そうして俺は、身支度を澄まして師匠の下を離れ旅に出た。