第八話 登用と広がる暗雲
永禄7年1月24日 尾張国 小牧山城
元康は尾張平定の功一等を認められ春日井郡を賜った。小牧山にあった織田の築いた仮の城に代わり本格的な城の建築を始めている。
城下に作った屋敷にて元康は客を迎えていた。
「漸くに会えましたな坪内殿、前野殿、蜂須賀殿」
「今川にこの人ありと言われし徳川殿に御目通りでき光栄にございます」
「尾張平定における調略と神速の用兵は尾張での語り草となっております」
「我らも徳川様に仕えることこの上の無い喜びでございます」
三者三様の賛辞を聞きながら今後の事を話す元康だが、ふとついでの様に口を開く。
「そういえば、元織田家中に木下と申す者がおったと聞いておる、我が家中に付いた松下といささか縁があっての、どうしているが気になっておった。確か貴殿らと親しくしていたとか?尾張の領地を治めるにあたり気の利いたる者が居ると心強い、伝手があるなら探してみてくれぬか?」
「成程、藤吉郎をそこまで買っておられますか、承知仕りました。早速心当たりを当たってみまする」
「よろしく頼み置きます」
蜂須賀が請け負い会談は終わった。
◇
木下藤吉郎、後の豊臣秀吉だが彼をこのまま野放しは不安要素でしかない。それに有能なのは間違いは無いので是非家中に迎えたい。南陽坊たちの調べでは蜂須賀たちの所に匿われているのは判ってるがこちらの手の内を知られるのも嫌なのであえて川並衆伝手で召し出すことにした。
川並衆も自分たちが頼りにされて居ると思えば悪い気もしないだろう。
蜂須賀小六は屋敷に戻り、離れに向かった。そこには木下藤吉郎が家族と過ごしていた。
「藤吉郎、小六じゃ、今日はいい話を持ってきたぞ」
「小六どん、どこか仕官の口があったんかい?」
「聞いて驚け、今川にこの人ありと言われた徳川殿が召し抱えたいと申されていたのじゃ」
「徳川?わしのような小物を名指しでか?」
「そうじゃ、藤吉郎がかつて仕えていた松下殿が徳川殿と関係があって話を聞いていたらしい」
藤吉郎は顔をほころばせたが松下の名前を聞いて顔を顰めた。
「松下殿に仕えていた時はのう……松下殿は良くしていただいたが家中で成り上がりと嫌な目におうたからの」
「徳川殿はそのような事は無いと思うぞ、我ら川並の衆も大事にしてくれるしの、尾張生まれの其方おれば心強いとまで言っておったのだ。心配するな」
「小六どんがそこまで言うなら行ってみるかのう」
□
小牧山 仮屋敷
「よう来てくれた、仕えてくれるとの事、うれしく思うぞ。我が家に仕えてくれた松下源左衛門が加兵衛殿の義兄弟での、加兵衛殿の父君がよく仕えてくれたのに藤吉郎には悪いことをした。生国の尾張で織田殿に仕えて出世しているのを聞いて大層喜んでいたと聞いての、それだけの者を他国に行かせるのは我らだけでなく尾張の国にとっても大いなる損失、よく蜂須賀殿が見つけてくれた。礼を申すぞ」
「某の事そこまで買っていただいていたとは、これより粉骨砕身務めさせていただきます」
「よかったの藤吉郎、殿、藤吉郎の他にもまだまだ隠れている者はおりまする、探して声かけてもよろしゅうございますか?」
「うむ、よろしく頼む、織田殿は力ある者は出自に関わりなく取り立てていたと聞く、それは見習わなくてはなるまい。仰ぐ旗の違いで討たねばならなかったが織田殿には幼き頃世話になったのだ。感謝している気持ちに偽りはない」
「それと藤吉郎よ、弟は息災か?其方を支える良き弟だそうだな、共に仕えて貰いたい」
「殿…」
藤吉郎も小六も感動しているな。秀吉なんて他国にやったら大変な事になる。使いこなせる大名が居るかどうか分らんがうちに仕官させても光秀みたいにはならんだろう。
美濃の一色義龍はおととし亡くなっていたようだ。喪を秘していたが嫡男の龍興が当主に付いたと発表された。さて、竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取りは起こるだろうか?伊賀衆の調べではやはり斎藤飛騨守ら側近を重用しており、起きる可能性は大きいな。
とはいっても織田家征伐では同盟してたから攻め入るのも大義名分が居るよな。上洛するにはここが乱れてたら行けなくなるんだが。
とりあえず尾張自体が落ち着くまで二年はかかるだろうからそれからの思案だな。
足利将軍家は義輝と三好長慶死後(まだ公には死は秘している)の三好家の関係が悪化しつつあり確かこの年に永禄の変が起き義輝が討たれてしまう。これにより幕府の権威はさらに下がる訳だが正直此方が介入できる状態ではない。美濃までは行けるが近江は南近江の六角は前年観音時騒動が起きており北近江の浅井との関係も良くない(美濃の一色と浅井は対立している)ので今川の上洛も現時点では無理だ。
義輝の後が義昭になってもさらに幕府の権威が落ちるから今川が上洛してもあまり意味が無いことになりそうだ。義輝を逃がした方が良いのか?分からん。もっとも警告しても信じないだろうしなあ。
とりあえず、上洛については御屋形様に相談だな。
□
永禄7年 3月7日 駿河 今川館
「尾張の鎮撫は上手くいっておるようで重畳じゃな、旧織田家臣の取り立ても進んでいるようでなにより、野に置いておると叛乱のもととなるからの」
「元康に来てもらったのは今後の方策なのだ、御屋形様は上洛の思いが強いのだが尾張から見た状況を知りたくてな」
義元と氏真が元康に今後の上洛について尋ねると元康はやや歯切れ悪く答える。
「尾張に関しましては来年以降であれば上洛に問題は無いのですが、美濃の一色は代変わりしたばかりの上、西美濃の領主たちの動向が怪しくなっております。現当主の龍興殿の側近たちと対立しているように見受けられます。また近江は六角で起きた観音寺騒動で中が落ち着いておりませんので動きが取れないようです。又北近江の浅井と六角、一色が対立しておりますし、浅井の後ろに朝倉が見え隠れしている模様でかなり上洛が難しくなっていると感じております」
「うーむ、公方様からの上洛を求める手紙が頻繁に届くのはそのあたりの不安が有るのかもしれんな」
「仲裁の使者を送っているとも聞きますがうまく行っておりませぬ、それに修理大夫殿が病との事で三好も揺れております。公方様は三好の専制を排す好機と思われているのかと考えますが、追い詰められた者は何を起こすか知れませぬ、嘉吉の乱の例もございますれば」
「まさか、将軍弑逆をすると言うのか、三好が」
「最悪は考えるべきかと、畿内では修理大夫殿が力を持たれるまで荒れておりました、三好が傾けばその頃に戻ることも覚悟すべきかと」
「御屋形様、由々しきことかと、事あらば近江に動座をしていただくよう使いを出すべきでは?」
「うむ、氏真の言う通りじゃの、御自重あるべしと使者を遣わそう」
こうして義元は幕府へ使者を遣わし、近江と美濃の状況が落ち着かないと上洛は難しい事と、三好が暴発する可能性を伝え、いざという時は朽木谷へ御避難あるべしと遣いを送るのであった。
なおこの小説はフィクションであり登場する人物・団体・組織等は完全な架空の存在です。
御意見・感想ありがとうございます。
ブックマーク・評価の方もしていただき感謝です。
読んでいただくと励みになります。
感想等のご返事が出来ず申し訳ありません。